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夫婦間、ごはん問題。小藪さん、またしてもストライク。また一つ次のステージへ!〈徳井健太の菩薩目線 第252回〉

2025.08.30 Vol.web original

“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第252回目は、「誰もがそうとは限らない」ことについて、独自の梵鐘を鳴らす――。

 夫婦間には、どうしたって揉め事がある。「誰もがそうとは限らない」。

 僕はメシが好きだ。自分で料理も作るから、大なり小なりこだわりがある。自分で作れるから、ある程度想像できる味は食べたくない。東村山へ行くなら、東村山でしか食べられないもの、東村山の雰囲気を感じられるお店に行きたい。

 そのために、あれこれ考える。口コミを見たり、紹介記事を読んだり。僕がこだわり抜いたチョイスなのだから、きっと家族は喜んでくれる。そう思っていた。だけど、ただの思い込みだった。奥さんは、ずっと我慢していたらしい。

 事の発端は、サッカーチーム「クリアソン新宿」の試合を観るために、赤羽へ行ったときのことだ。僕は、かつて赤羽周辺に住んでいたことがあったので、馴染みがあった。調べると、マグロラーメンが人気だというラーメン店を見つけたので、昔、通っただろう路地裏という自分の記憶をたどりながら、かなりの時間を歩いた。お店に到着すると、「子どもの入店禁止」と書いてあった。汗だくになりながら、茫然と軒先で天を仰いでいると、奥さんから告げられた。「こういうのはもういい」と。

 奥さんは、味や雰囲気は二の次で、居心地の良さが一番だという。子どもはそろそろ3歳になるけど、やっぱり騒いでしまうこともある。僕は、子どもなんだから当たり前だと思うし、周囲が鼻白んでも気にしない。だけど、奥さんはとても気にする。だから、気兼ねなく利用できるチェーン店の方がありがたいし、訳の分からない店を血眼になって探す、僕の行動には「我慢をしていた」という。

 良かれと思ってしていた行動が、すべて裏目だったという悲しさ。徒労感。僕は、食について考えることを放棄しようと思った。マシーンになろうと思った。「はいはい、だったら今後は一切主張しないで従いますわ」ってね。

 でも、こう考えたら腑に落ちた。

 僕は、まるで服に興味がない。ファストファッションで十分。何を着るかに、脳のリソースを費やそうとは思わない。一方、奥さんは服が大好きで、僕には理解できないこだわりを持っている。奥さんからすれば、同じ服をずっと着続けるというのは拷問に近いらしい。僕にとっては、「コーディネートの色使いが違うから、シャツの色はコレにして」とか「あっちのショップには、もっといい服があるのではしごしよう」とか言われる方が拷問だ。

 ああ、そうか。気が付いた。僕は食の領域で、同じようなことをしていたのだ。たしかにこれは、ちょっと……いや、かなりしんどい。

 人間って本当にすごいなと思う。奥さんからこう言われた。

「子どもが小学校へ上がったら、昼間は家に子どもはいないし、お店で走り回るなんてこともなくなる。だから、あと3年間くらいしかファミレスやチェーン店に足しげく行く機会なんてないかもしれない。そう考えたら、機能性や居心地の良いお店を楽しむ意味が出てくるんじゃない?」

 幼少期から、渋い店やこだわりの店に連れていくことは、子どものためにもなるんじゃないかと思っていた。でも、十何年後に「覚えているか?」と聞いても、子どもは覚えていないかもしれない。

 昔、小藪さんが主宰する『小藪大説教』というライブに出演したことがあった。小藪さんに悩みを相談するということで、僕は「奥さんとご飯で揉めたりするんですよね」と伝えたことがあった。小藪さんは、僕の目を見ながら断言した。

「それはお前がアホや。うまい飯やこだわりのお店を求めるんやったら、後輩と一緒に行けばいい。家族とご飯を食べるときは、家族でご飯を食べるという場所を選ばなアカン」

 その通りなのだ。自分の興味を家族に強制しちゃいけない。それを理解するのが家族だろ――なんて言うのは、独りよがりの極み。世の中には、個人差の感覚のズレがたくさん存在している。だったらせめて、家族や近しい人に対しては、そのズレを補っていかないと。そのためには、時には腹を割って話すことも必要なんだ。

「どこに向かっているのかが分からないときがすごくイヤだ」と言われた。僕は、その苦痛を楽しめるけど、そういう話ではないのだと分かった。我慢させている時点で、ズレはもっと大きくなっていくのだ。

 プロセスを大事にしよう。ゴールだけを見ていると、ズレていることが分からなくなる。うまくいくものも、うまくいかなくなるんだ。

「神楽坂夏祭り」には新宿の歴史、鼓動、生活、すべてが詰まっていた!〈徳井健太の菩薩目線 第251回〉

2025.08.20 Vol.web original

“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第251回目は、「神楽坂夏まつり」について、独自の梵鐘を鳴らす――。

 北九州の生まれだからか、賑やかなものに惹かれるのかもしれない。うちの奥さんは、とにかくお祭りが大好きだ。「盆踊り」の文字を見るだけで、踊りたくてうずうずするらしい。

 僕は、人生の中で盆踊りというものをしたことがない。僕の家庭はいびつだったから、家族で出かけるということがなく、家族でお祭りに行くなんて夢のまた夢。上京後、お祭りに行くということはあっても、盆踊りとは無縁の45年を過ごしてきた。踊ることも嫌いだったから、自らすすんで食いつくこともない。NSCのダンスの授業も嫌いだった。

「盆踊りを踊ったことがない」。そう奥さんに伝えると、人外の何かを見るような目で驚かれた。「この世の中に盆踊りをしたことがない人なんているの?」。いやいや、結構いると思うんだけれど。

 お祭りに対する彼女の興味はすさまじい。近くのコンビニで浴衣を着ている女の子を見かけると、「どこかでお祭りでもやっているの?」と聞こうとするくらい気になるらしい。それぐらい祭りと密接に関わりたい、血が騒ぐ人なのだ。

 だけど、僕はあまり興味がない。そのはずだった。ところが、菩薩目線『有象無象が混在したあの頃の新宿、花園神社例大祭にはまだあった!』で触れたように、花園神社例大祭を見て、雷に打たれた。“モノは試し”ではないけれど、多少なりとも興味は湧き、奥さんの熱も伝播する。

 季節は夏。お盆が近づいてくる。僕は、ChatGPT先生に東京のお祭りのスケジュールを聞くと、「神楽坂で開催予定です」と返ってきた。その祭りの名を、「神楽坂夏まつり」という。

 その日、神楽坂を訪れてみると、坂の部分すべてが盆踊り会場と化していた。坂に構えるすべてのお店が路上で飲食物を販売し、神楽坂は一大フェス会場になっていた。売られているものも、さすが神楽坂というような、「トリュフサンドイッチ」だとか「アグー豚の唐揚げ」だとか、やたらとカタカナが並ぶ、TOKYOの縁日メニューが並んでいた。かと思えば、地元の自治体の人たちが50円とか100円で商品を提供していたり、新宿高校の生徒たちがボランティアをしていたり、古き良き東京の姿も混在していた。

 この夏まつりを仕切る、おそらく町内会の人であろうおじさんが、これから始まる演目について説明していると、突然、僕のほうを見た。

「あッ! テレビに出てる有名な人だ! 平成ノブシコブシの徳井健太さんがお見えになってます!」

 内心では、「放っておいてくれ」と思ったが、おそらく祭りとはトランス状態のことを指すので、あのおじさんには別人格が乗り移っていたのだと思う。きっと普段は、物静かな人なんだ。僕は愛想笑いを浮かべて、群衆へと溶けていく。みんなが、思い思いに、好き勝手に、その日だけの人格を作り出している。この日、僕は見たことのない東京を覗いた気分だった。

 中でも忘れられないのが、演歌歌手なのだろうか、歌を歌っていたおばあさまの姿だ。80歳くらいと思しきおばあさまは、クリーニング店の前で美空ひばりさんの歌を熱唱していた。歌い終わると、小気味よいトークを始めた。

「私はね、6歳くらいからこの辺で歌っているの。もともとここは布団屋だったんだけどね。そのお店もそろそろ閉店。ありがとうございました」

 一体、このおばあさまは何者なんだろう。歌手なのか、クリーニング店の店主なのか。いや、もはやそんなことはどうだっていい。どのような人生を歩まれようとも、美空ひばりさんの歌を気持ちよく歌い、大勢の人の前で、自分とともにあったお店の閉店を告げる――。そんな些細なクライマックスを用意している、「神楽坂夏まつり」という舞台が染みた。

 奥さんは踊っていた。僕はやっぱり気恥ずかしくて踊れなかった。だけど、心は踊っていた。お祭りは楽しい。そこにお祭りがあるなら、行ってみてください。眺めるだけでもいいから。きっと、いつもは気が付かないことに気が付けるから。

我が家では、ママよりパパより「牛乳ちゃん」(仮)by マザー牧場〈徳井健太の菩薩目線 第250回〉

2025.08.10 Vol.Web Original

“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第250回目は、子どものあやし方について、独自の梵鐘を鳴らす――。

 

 子どもを育てていると、必ず“イヤイヤ期”に直面する。“イヤイヤ期”は、1歳後半から3歳頃にかけて起こる、子どもが自我を主張する大事な時期だ。半面、なんでもかんでも「イヤイヤ!」と反発されることも少なくないので、なかなか骨が折れる。だけど、『楽しく学ぶ! 世界動画ニュース』で、全世界の悩みに一石を投じるかもしれない動画を見た。

 その動画では、3歳くらいの外国の子どもが駄々をこねて、「イヤイヤ!」と騒いでいた。ある程度見届けたお父さんが、「じゃあ今度はパパの番だね」と言って、先ほど子どもがやっていたようにまったく同じテンションで、「イヤイヤ!」と騒ぎ返す。そして、「パパの番は終わったから、どうぞ」と子どもに促すと、どういうわけだか「うん……もういいかな」みたいな顔になって大人しくなる。

 なんでも、昨今はこういった教育法があるらしく、「順番」が肝になるとそうだ。「次はパパの番だね」、「次は〇〇君の番だね」。『フリースタイルダンジョン』のターン制よろしく、交互に打ち合うことで効果が生まれるという。

 早速、我が家でも試してみた。あら不思議。本当にびっくりするくらい効果てき面。「もう一個買って! イヤイヤ!」と騒いでいた子どもが、僕の本気のイヤイヤを見るや、すんなりと「一個でいい」と引き下がった。

 中途半端にやると効果は無いので、やるときは全力で イヤイヤ イヤイヤ イヤイヤ! 親御さんの中には、自分が駄々をこねる演技をすることに抵抗を感じる人もいるかもしれないけど、一種のコントだと思うと、案外、楽しい。

“イヤイヤ返し”に加え、僕にはもう一つ絶技がある。さまざまなキャラクターを模したゴルフのヘッドキャップがある。うちには、牛のキャラクターのヘッドキャップがあるんだけど、このキャップを「牛乳ちゃん」と名付けている。僕が、パペットマペットのように「牛乳ちゃん」を手に装着すると、子どもは決まって「牛乳ちゃん」の言うことを聞くのだ。「牛乳ちゃん」が、「そういうことはやっちゃいけないよ」と言うと、「うん」と止めてくれるのだ。

 泣き止まなかったり、わがままを言ったりすると、僕はすぐさま「牛乳ちゃん」を取り出して、人間・徳井健太を辞める。「牛乳ちゃん」として、子どもに問いかける。すると、さっきまで人間・徳井健太の言うことをまるで聞かなかった子どもが、「牛乳ちゃん」の言葉に耳を傾ける。

「牛乳ちゃん」以外にも、いろいろなキャラクターが我が家にはいるけれど、どういうわけか「牛乳ちゃん」の影響力は凄まじく、「牛乳ちゃん」一強時代。むしろ、子どもが「牛乳ちゃん」に言われれば何とかなると理解しているようで、自分自身でも異変を感じたら、「パパ、牛乳ちゃんに手を入れて!」とレスキューを求めるくらいだ。それくらい、「牛乳ちゃん」に絶大な信頼が生まれている。

 あるとき、子どもが「ママに悪いことを言ってしまって、ママが怒っている」とモヤモヤしていた。話を聞くと、謝りたいけど謝りたくないらしい。僕は、「それは謝った方がいいよ」と諭すけど、ゆずれないものがあるみたいで、子どもは首を縦に振らない。でも、子どもは内心は謝りたい。そこで、「牛乳ちゃん呼んで!」とオファーがかかる。「牛乳ちゃん」は、危機を救う仮面ライダーなのだ。

 僕は「牛乳ちゃん」を装着し、「変身」とは言わないまでも、生まれ変わったつもりで「牛乳ちゃん」にメタモルフォーゼする。実際には、手にゴルフキャップをはめただけだけど、「ママに謝ったほうがいいよ」と、子どもの目を見ながら言う。これが子どもには響くらしい。そして、素直に謝る。誰か、科学的に何の効果があるのか証明してほしい。

 子ども自身、「牛乳ちゃんを呼んで」と言うくらいだから、駄々をこねているという状況を客観視できているのだと思う。だから、先述したようなパパのイヤイヤ返しを見ると、客観していたものが目の前で具現化されるので、ボルテージが下がるのではないかと思う。僕らが思っている以上に、子どもはイヤイヤしている状況を把握していて、どこかで引き際を求めているのかもしれない。

 時の権力者は、周りの意見を聞かないことが珍しくない。でも、そういう人に限って、たった一人の占い師の言葉にだけは、耳を傾けるなんて話を聞いたことがある。やっぱり人間は、子どもであろうがじいちゃんであろうが、権力者であろうが市井の人であろうが、都合の良い引き際を求めているのだと思う。だから、軽く背中を押すような存在が必要で、僕らの子どもの場合はそれが「牛乳ちゃん」なんだろう。“イヤイヤ期”で悩んでいる親御さん、そんなに気張らなくて大丈夫です。イヤイヤ返し、牛乳ちゃん的な存在(子どもが気に入っている架空キャラクター)、試してみてください。

伊藤忠キッズパークがとにかくエクセレントすぎるので行ってみてほしい〈徳井健太の菩薩目線 第249回〉

2025.07.30 Vol.web Original

“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第249回目は、伊藤忠の「キッズパーク」について、独自の梵鐘を鳴らす――。

 小さい子どもを育てている方なら分かると思うのですが、子どもと一緒に遊ぶといっても、安心して遊べる場所は意外に少ない。

 例えば、公園で遊ぶとしても、きちんと子どもを見張っていないと何をするか分からない。遊具があるということは、その遊具で怪我をする可能性もあるわけで、きちんと付き添っていないといけない。「子どもと遊ぶ」という言葉だけを切り取ると、なんだかとても牧歌的に思えるかもしれないけれど、実際には緊張感を伴うことだったりする。

 以前の『菩薩目線』で、新宿の「カラオケパセラ」が子連れ親子にとって素晴らしい場所だったと触れた。さほど負担がかかることもなく、子どもと一緒に遊べる楽しい空間。そんな場所を求めて、僕らはいろいろと出かけるけど、なかなか良い場所には巡り合えない。でも、ついに、一つの最高峰といっていい“楽園”を見つけてしまった。

 外苑前駅にほど近い、伊藤忠さんのキッズパーク。ここは一体、何なんでしょうか。伊藤忠さんの社員さんが利用する福利厚生的な場所なのか。仮にそうだとしても、まったく関係ない僕らも利用することができる。しかも、無料で。

 ボールプールがあって、ブロックや絵本もある。経験上、都内にあるこうした施設は、30分子ども300円、大人600円というイメージ。だけど、ここは混雑していなければ、子どもはいつまでも遊び続けられる。

 料金体系がしっかりしているキッズスペースは、商魂がたくましいというか、ビジネスライクというか、遊ぶ内容によっては課金システムが発生する。子どもファーストではなくて、お金ファーストだと分かると、一気に落胆してしまう。結局、子育てはお金で解決するしかないのだと。

 それは仕方のないことかもしれない。でも、それだけじゃないはず――。そんなことを思っていた僕らの目の前に広がる、圧倒的楽園。なんだ、あるじゃないか、やっぱり。

 積み木で遊んでいると、その積み木を放置したまま、子どもは次に関心を寄せてしまう。それを追いかけていくと、片づけられないから、なんだか申し訳ない気持ちになる。ところがここでは、スタッフさんが黒子のようにサッと完璧に片付けるだけでなく、アルコール除菌までやってしまう。信じられないくらい清潔で、安心で、こんな場所がこの世にあるのかと、僕らは小躍りした。

 外苑前駅という場所柄も面白い。利用客が多国籍で、ここで遊んでいるだけで国際交流をしているかのような雰囲気さえある。実際、僕が子どもと遊んでいると、突然、ネイティブな英語で話しかけられた。まったく国籍は違うけど、子育てをしている同じ境遇。聞き取れないのに、なんとなく話していることが分かるから不思議です。みんなに余裕があるからか、肩肘を張っていないのも心地よい。

 さらに目を丸くしたのが、スペースに併設されているカフェ。子どもの気持ちを知ろうといったコンセプトがあるようで、“子どもの感覚”を大人が学ぶことができるのだ。子どもはよく食べ物を残してしまう。だけど、子どもから見たメロンパンの大きさは、実はこれぐらいの量に見えている――そんなことを1杯300円ほどのアイスコーヒーを飲みながら知ることができるんです。

 フルフラットという点も素晴らしい。段差があると、走り回る子どもにとってはリスクがある。転んでしまう可能性があるから、僕らは子どもから目が離せない。カフェでくつろぐつもりが、むしろ疲れるなんてこともある。安心して子どもと時間を過ごせるように設計されている。端々から感じる、些細な配慮。そういうのが、うれしいんです。

 訪れる際は、事前に予約が必要だけど、興味のある方は行ってみてください。「そう! これ! こういう場所を求めていたんだよ!」という気持ちになること間違いなしです。

塩抜きダイエットからのご褒美南青山ランチからの伊藤忠キッズパーク〈徳井健太の菩薩目線 第248回〉

2025.07.20 Vol.web Original

“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第248回目は、塩抜きダイエットについて、独自の梵鐘を鳴らす――。

 塩抜きダイエットの先に、楽園を見た。

 始まりは、「体を絞る」という奥さんの一言だった。良い機会だと思い、僕も一緒にすることにした。以前、「絶食ダイエット」なるものに挑戦したことがある。このときも、物は試しとばかりに僕も絶食してみた。僕は頑固な人間なので、「やらない」と決めたら、本当に「やらない」。そのため、かたくなに水分以外は体の中に摂り入れないようにした。ところが、奥さんは絶食ダイエットが相当キツかったようで、「違う方法で3日間ダイエットをしよう」ということになった。

 そこで選ばれたのが、「塩抜きダイエット」だ。塩抜きダイエットは、その名の通り、食事から塩分を極力減らし、体内の余分な水分を排出することを目指す。塩分は、体内に水分を溜め込む性質があるため、むくみにつながるという。塩分を抜くことで、短期間で体をシャープにできるというわけだ。

 とにかく塩分をカットする。そのために、僕は野菜スープを作ることにした。このスープだけを摂取して3日間を過ごす。もちろん、味付けに塩は加えない。野菜から出る、素材が持つ味だけで煮詰めていくのだ。

 ところが、これがかなり美味しくない。味の決め手となる調味料を極力省いたため、とにかく野菜の味しかしない。素材本来のうま味などと言うけれど、結局、塩や醤油があってはじめて素材本来のうま味などとのたまうことができるんです。絶食ダイエットの方が楽だと思うくらい、塩抜きダイエットはつらく、この世界には、塩分が含まれるものだらけだということを思い知った。

 その間、僕は仕事をしているから、楽屋には弁当がある。そのたびに、「塩抜きしているのでいらないです。すいません」と断る。俺は一体何をやっているんだろうと思った。なぜマッチョ系芸人でもないのに、こんな過酷なことをしているんだろう。二日目を過ぎたあたりで、さすがに野菜スープだけでやり過ごすには無理があると悟った。そこで、パッケージに塩分カットと表記されているサラダチキンを食べることにした。 塩抜きダイエットは、食事から塩分を“極力”減らせばいい。別にルール違反をしているわけじゃない。法の抜け道を通るだけ。それに、暑さが厳しいこの季節に、まったく塩分を取らないというのは体にも良くない。ありったけのごたくと共に、僕はサラダチキンを口の中に放り込んだ。驚いた――。

 めちゃくちゃしょっぱい。たった2日間なのに、まったく塩分を摂っていなかった僕の体は、塩分カットしているサラダチキンですら、衝撃的な塩味を感じるほど改造されていた。あまりにしょっぱくて、ひっくり返りそうになった。人間という生き物は、たった2日もあれば、感覚が狂わされるのだと感慨深かった。その甲斐があったのだろう。3日間で体重は4キロ落ちていた。

 塩抜きダイエットは水分は摂っていいから、期間中、僕はビールも飲んでいた。それにもかかわらず、4キロも落ちているのだから、かなり効果的に痩せられることは間違いない。ただし、ダイエットというよりも減量に近い感覚なので、かなりの覚悟も必要。それでも良ければ、お試しあれ。

 3日間やり切ったご褒美として、南青山でランチでも食べようという話になった。塩を抜いた後だから、何を食べてもおいしい。結局、ご馳走とは塩分なのだ。

 満足感を得た僕らは、子どもと一緒に遊べる場所を探そうということになった。ChatGPTに聞くと、外苑前にある伊藤忠さんが、「キッズパーク」という施設を有していると教えてくれた。事前に予約が必要だということで、とりあえず予約をして訪問することにした。

 僕は、この施設がどんな施設だかまったく分からない。「とりあえず行ってみるか」くらいの軽い気持ちで訪問したから、どんな遊具があるのか、どんな料金体系なのかは、行った先で確認しようと思った。受付に付くと、係の方から、「ご予約はされましたか?」と聞かれたので、「はい」と答える。当然、お金を払うものだと思っていたから、財布を取り出すと無料だという。無料?

 中に入ると……驚愕した。ここは楽園か。僕らは、ここを見つけるために、塩抜きダイエットをしていたのかと思った。何が素晴らしかったのか、次回に詳しく説明します。すべてのキッズがいる親御さん、楽園があったんです。

ノブコブ徳井が「自分は大丈夫」と言い張る相方・吉村と小倉優子に「自分で言ってる人が一番危ない」

2025.07.15 Vol.Web Original

 お笑いコンビの「平成ノブシコブシ」の吉村崇と徳井健太が7月15日、都内で行われた「ダークパターン対策協会のこれまでの取り組みと今後の活動計画の記者発表会」にタレントの小倉優子とともにゲストとして出演した。

 ダークパターンとはWebサイトやアプリ等で消費者の意思に反して製品やサービスを購入させたり、知らぬ間に定期購入にさせたり、過剰な個人情報の要求や第三者への開示を行うなど、事業者に有利な行動へ意図的に誘導する仕組みや手法のこと。

 3人はトークセッションでクイズ形式でダークパターンのさまざまなケースを学び、注意喚起を呼び掛けた。

 MCの「周囲にダークパターンに引っかかりそうな人は?」という問いかけに、吉村がすかさず隣にいる小倉を指名。これに小倉は「いや私は意外に大丈夫なんですけど。それこそ吉村さん」と逆指名。

 これに吉村は「俺は大丈夫だよ」と返すと徳井は「自分で大丈夫って言ってる人が一番危ないんですけどね」とさらり。

ウェブの罠「ダークパターン」のさまざまなケースにノブコブ吉村もびっくり。「疎くて分からない。クッキーっていいやつ? 悪いやつ?」

2025.07.15 Vol.Web Original

 お笑いコンビの「平成ノブシコブシ」の吉村崇と徳井健太が7月15日、都内で行われた「ダークパターン対策協会のこれまでの取り組みと今後の活動計画の記者発表会」にタレントの小倉優子とともにゲストとして出演した。

 ダークパターンとはWebサイトやアプリ等で消費者の意思に反して製品やサービスを購入させたり、知らぬ間に定期購入にさせたり、過剰な個人情報の要求や第三者への開示を行うなど、事業者に有利な行動へ意図的に誘導する仕組みや手法のこと。

 3人はトークセッションに登場。吉村が「そういう言葉があることは知ってますけど詳しくはないですね。おそらく僕の身近にもあるはずなんですけど、気づいてないことが多いと思います。学びたいと思います」と言うように3人ともダークパターンについては知っているようでよく知らないということでクイズ形式で進行。

「ダークパターンの可能性があるものは?」というクイズでは「単純にお得な情報だから大丈夫なのでは?」「25分で終わりっていうのは事実だからいいのでは?」「検討中という言葉はどうなのか?」などと喧々諤々。

 すべてその可能性があるという答えに吉村は「ちょっと盛っちゃっているのが特徴なんですね」、徳井は「検討中だから事実かどうか分からないというところでうまいことやっているってことですね」、小倉は「口コミナンバーワンとかって信じ切っていたけど、口コミが嘘ということもあるんだということにびっくりしました」などとそれぞれうなずいたり、びっくりしたり。

フリースタイラー吉村崇の圧倒的なパンチラインにほれぼれした話〈徳井健太の菩薩目線 第246回〉

2025.06.30 Vol.Web Original

“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第246回目は、新婚の相方・吉村崇について、独自の梵鐘を鳴らす――。

 相方である吉村は、結婚したというのに芸能界の“天下獲り”を諦めていないらしい。吉村は、「天下と家庭は両立できるのか?」をテーマに、『しくじり先生 俺みたいになるな!!』(6月20日放送回)に登壇し、その胸中を語っていた。

 平成ノブシコブシは賞レースとは無縁だから、やっぱりコンプレックスがある。特に、吉村はそれが強い。この話をすると、賞レースにかすっていない僕たちがテレビに出ているだけですごいと言われるし、吉村に限って言えば、賞レースで結果を残せていない芸人たちの“希望の星”といっても過言じゃない。

 お笑いファンならいざ知らず、一般の人たちからすれば賞レースで結果を残しているかどうかなんて興味がないだろうから、「テレビに出続けている今」があるだけで世間的にはすごいことなのだと思う。

 吉村自身、そんなことは10000回くらい言われてきただろう。だけど、オードリーの若林くんが話すには、「自分は賞レースとは無縁だから」と、お酒が入ってくると吉村はこぼすという。だから吉村は、破天荒なことをやり続けなければいけない。そう思い続けている。結婚したというのに。

 番組をご覧になった皆さんには、同じ説明をすることになりますが、番組内で吉村は自分にないものとして、澤部に対してはツッコミのスピード、若林くんには切り口、アルコ&ピースの平子さんにはコント力、酒井くんには度胸といったことを挙げていた。全員、ピンと来ていなかったから、吉村の考察力はとても低いんだろう。

 そのあと、澤部が「徳井さんのがないじゃないですか?」と口を開いた。すると吉村は、「打ち合わせの段階では、徳井が出演するとは決まっていなかったから、考えていなかっただけ」と説明し始めた。

「だったら、今、徳井さんは何かを言ってくださいよ」

 澤部が言うと、吉村は少し考え込んで、「徳井はお笑いを信じている」と答えた。

 僕は、その言葉を聞いてちょっと震えた。よく咄嗟に、こんなフレーズが言えたなって。「お笑いを信じている」という言葉は、考えて出てくる言葉じゃない。例えばこれが、「お笑いの力を信じている」であれば出てきそうなものだけど、「お笑いを信じている」は、また違う。

 シンプルに、その言葉は僕にとってとても嬉しい言葉だった。本当に僕は信じているから。と同時に、吉村は用意していないときにこそ、本領を発揮するフリースタイルの芸人なんだなとも再確認した。

 もし、事前の打ち合わせで僕のフレーズを用意していたら、おそらく「徳井は考察力に優れている」なんてリリックを書いていたと思う。でも、吉村はアドリブの人間だから、刹那の瞬間にこそ異常な力を解き放つ。

 吉村は追い詰められれば、追い詰められるほど強くなっていくサイヤ人みたいなところがある。『週刊さんまとマツコ』のように、さんまさんやマツコさんといった圧倒的な人がいるときにこそ、吉村は戦闘民族としてのポテンシャルを開放する。裏を返せば、自分がMCで、周りは後輩芸人みたいな状況になるとびっくりするくらい普通になる。

 吉村は、背伸びを続けていたら、本当に背が伸びてしまったタイプなのだ。あきらめずに背伸びを続けたら、できもしなかったトークができるようになり、回せなかった現場を回せるようになった。

 というようなことを考えると、僕は吉村の奥さんがどんな人か知らないけれど、吉村よりも圧倒的に強い奥さんだったらいいなぁなんてことを思う。吉村が背伸びをしつづける結婚生活であってほしい。そうすれば、天下と家庭を両立できるような気がするのだ。    

シン・ラジオのスマッシュヒット企画「並んだグランプリ」。皆さんは、並んだ話をしたくありませんか?〈徳井健太の菩薩目線 第245回〉

2025.06.20 Vol.web Original

“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第245回目は、誰かに話したいことについて、独自の梵鐘を鳴らす――。

 生きている以上、人間には“誰かに話したいこと”が、必ずあるのだと思う。

 bayfmで毎週月曜日から金曜日の夕方に放送されているラジオの帯番組『シン・ラジオ -ヒューマニスタは、かく語りき-』。火曜の最終週の「週替わりパートナー」として、僕は登場している。

 先日、「並んだグランプリ」と題して、人生で一番並んだときの話を募集した。火曜パーソナリティ(この番組ではヒューマニスタと呼ぶ)を務める鈴木おさむさんが、大阪・関西万博に行くという。きっと並ぶことになるから、リスナーの皆さんの並んだ経験を教えてほしいということで、募集することになったのだ。

 すると、過去一、メールが届いた。『シン・ラジオ』のリスナー年齢層は、思いのほか高い。この日、寄せられたメールも、僕にはピンと来ないようなイベントに並んだというものが多かった。特に、1985年に茨城県つくば市で開催された国際科学技術博覧会、通称「つくば万博」について寄せられるエピソードが多かった。

 このとき、「ポストカプセル郵便」なるものが大きな話題を呼んだらしい。郵政省(当時)が受け付け、16年後の2001年、21世紀の最初の年に配達を約束する――。このポストに投函するために、長蛇の列が出来上がったそうだ。リスナーからのメールには、「彼女と並んでポストに投函したけど、結局別れてしまった」とか「本当に届くのかワクワクして21世紀を待った」とか、一つ一つのエピソードが、とても人間的で輝いていた。

 休憩中、おさむさんと、「どうしてみんな、並んだエピソードをしたがったんだろう」と話した。最近あった出来事や、最近食べた美味しい食べ物。そういった話題は、さほど返信が多くない。ところが、“並んだ話”は信じられないくらい食いつきが良い。きっと理由があるはずなのだ。

 個人的な見解だけど、並んだ話というのはいろんな感情が絡み合っている。並んでまで食べたかったもの、並んでまで手にしたかったもの、並んでまで見たかったもの。それなのに、「大したことがなかった」とか「想像以上に興奮した」とか。並んでいる間は、天国と地獄の間をウロチョロする。気持ちが高揚したり、沈んだり、さまざまな工程を経て、やがて自分の番が回ってくる。だけど、そのことを誰かに伝えることはあまりない。

 僕自身、このコラムでバンクシー展に並んだことを書いたけど、振り返るとそれは、並んでまで見たかったのに、そのときに起きた一部始終に納得がいかなかった……そんなことを誰かに伝えたかった、いや、吐き出したかったのだと思う。誰かに話せる範囲で吐き出したくて仕方のない話が、人には絶対にある。その最たる例が、“並ぶ”という思い出なのかもしれない。

 この日、おさむさん自身も、並んだエピソードを話していた。中学生のとき、卒業旅行でディズニーランドに行ったという。ビックサンダーマウンテンが誕生して1年ほどだったから、皆がお目当てのマシーンに乗るために、長蛇の列をなしたという。おさむさんたちも、その列に並んで、今か今かと楽しみにしていたそうだ。

 2時間ほど並んで、あと少しというところで、何人かのヤンキーたちが口汚い言葉とともに割り込んできた。我が物顔で、ビックサンダーマウンテンに乗り込んだ。

 そのとき、おさむさんはものすごく嫌な気持ちになったそうだ。ずっと楽しみな気持ちを抱えて2時間も並んでいたのに、バカたちのせいでその気持ちが汚されたのだから、想像に難しくない。おさむさんは、割り込まれたこと以上に、ウキウキしていた気持ちが一転して不愉快な気持ちになってしまったことが許せなかったともらしていた。

「あのとき、せめて何か言えばよかった」

 今でも後悔がよぎるそうだ。並んだ記憶は、どうしてこんなに心の深くに根ざしているんだろう。並ぶなんてばかばかしい。だけど、並ばないと手に入れることのできない記憶があることも確かなのだ。

有象無象が混在したあの頃の新宿、花園神社例大祭にはまだあった!〈徳井健太の菩薩目線 第244回〉

2025.06.10 Vol.web Original

“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第244回目は、花園神社例大祭について、独自の梵鐘を鳴らす――。

 新宿、花園神社と言えば、11月に行われる酉の市が有名だろう。ただ、昨今は境内摂社に芸能浅間神社があるからか、鳥の市の雰囲気は、なんだかよく分からない“なんちゃって芸能感”をやたらと撒き散らすパリピ的な人が多くて、あまり好きではない。

 花園神社例大祭は、毎年5月28日に最も近い土曜日を中心に、金曜日から月曜日まで4日間開催される。宵宮祭(金曜日18時~)、大祭式 (土曜日11時~)、神輿渡御 (日曜日10時~)、後宴祭 (月曜日18時~)という具合に、大祭と名が付くだけあって、想像以上に大規模なのだ。

 僕たち家族は、大祭式のお昼に行った。ほど良い混雑具合で、祭りに相応しい、活気に溢れているものだった。的屋の種類も多種多様で、令和の大都会新宿で金魚すくいなんかもある。金魚も、なんだか気持ち、ギラついてるように泳いでいると感じるほど、道行く人も金魚もせわしない。ふと視線を右に移すと、くじ引きの景品として、色あせた箱のPlayStationが飾ってあった。

 もちろん、祭りの主役である神輿も登場する。担いでいる人たちの雰囲気は、いま皆さんが想像している通りの人たち。さすが新宿のど真ん中にある花園神社だと、僕は気分が高揚していった。

 かつてこの場所では、「状況劇場」の主宰・唐十郎さんが創始した野外演劇・ 紅テントがあったからだろうか、境内の中だというのに、周辺で飲食店を営んでいるだろうお店が、臨時でテント居酒屋を出店していた。しかも、1軒、2軒じゃない。軒を連ねている。大祭のときにだけ出現する、まるでサーカスのような雰囲気。こんな空間が存在していたことを今も知らなかったことを大いに悔やんだ。そう、新宿に長く暮らしているというのに、僕は初めて大祭に足を運んだのだった。

 僕がもっとも驚いたことが、信じられないほどの喫煙率だ。祭りに関わる人や、出店している人たちのほとんどがタバコを吸いながら作業をしていた。僕は、ここが神社であることを今一度確かめるため、目を凝らして境内をぐるりと見渡してみたが、目に飛び込むのは間違いなく神社の境内であり、それに彩りを灯すように光るタバコの火だった。

 瓶ビールの瓶を受け取ったお姉さんは、くわえタバコで「あぁ、どぃうもゥ」なんてやっている。くわえているからうまくしゃべれない。お互いが聞き取れないだろう会話の応酬を見ていたウチの奥さんは、北九州生まれにもかかわらず、あまりに時代がスリップしている状況に、引いていた。祭りは見ている人を引かせてナンボである。エイサ、ホイサ。

 何か食べようかなぁと思って、臨時居酒屋の前でメニューを眺めていると、「入っていきなよ」とお店の人からすすめられ、僕らはなすがままに店の中に入ることにした。店の中なのか?

 注文を見ていると、会計は後払いだという。こういうときは、だいたいキャッシュオンだと思うので、後払いと聞き、若干の不安がよぎった。でも、我々は祭りの抵触者なのだから、郷に入らなくてはいけない。間違っても、「これ、ぼったくられないか?」などと思ってはいけないのだ。

 僕らは、ビールとメンチカツを頼んだ。メンチカツは(3個)と書いてあったので、家族3人で食べるにはちょうどいい量だと思った。

「ひいよゥ(はいよ)」

 目の前にメンチカツが届き、箸を伸ばし、口に運ぶ。コロッケだった。もう1個食べてみると、それはハムカツだった。メンチカツは1つしかなかった。

 これを詐欺と言うなかれ。祭りである。祭りに日常を求めてはいけない。会計が明朗会計だっただけでも御の字じゃないか。東京のど真ん中にカルチャーショックを体験できる場所がある。なんて素晴らしいことだろう。

 年に1回しか行われない。だけど、確実にそこにある。文化や伝統がどんどん消失していく時代にあって、僕たちの五感を刺激するものが存在する。人を選ぶかもしれない。ただ、僕は来年も行くし、皆さんもぜひ体験してほしい。

タモリさんから鑑みる、記憶力と今後の生き方、若手との接し方の巻!〈徳井健太の菩薩目線 第243回〉

2025.05.30 Vol.web Original

“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第243回目は、記憶力について、独自の梵鐘を鳴らす――。

 少し前に、いかに人間の脳の衰えるスピードが速いかについて、このコラムで触れた。

 処理能力は18歳がピークで、人の名前を覚える力は22歳をピークに衰えていくという。人の顔を覚える力は32歳、集中力は43歳を境に下り坂になるそうだ。相手の気持ちを読む力は48歳をピークに落ちてくるらしく、50歳くらいになって草野球をしようものなら、初めて対戦する相手の顔や名前、気持ちがよく分からないまま、打ったり投げたりしていることになる。なんだか悲しく聞こえるけど、裏を返せば、自分たちのプレーに集中して……集中できていないかもしれないけど、着の身着のまま熱中できるのだから、それはそれで幸せなことなのかもしれない。

 たしかに、僕も人の名前や顔を覚えづらくなってきているなぁという自覚がある。仕事を続ける限り、人の名前や顔は覚えるに越したことはない。だけど、「アレ、この人会ったことあったかなぁ」とか「顔は分かるんだけど、名前なんだっけかなぁ」みたいなことが少なくない。もし仮に、正解を導き出せなければ、その間違いはそのまま自分に返ってくるわけで、仕事が減ってしまっても文句は言えない。そんな可能性があることも視野に入れながら、いかにして加齢にともなう脳の変化と付き合っていかなければいけないと思うわけです。

 だいぶ昔、僕が『笑っていいとも!』に出演したとき、タモリさんが記憶術について話をしていた。皆さんも、なんとなく分かると思うのですが、タモリさんはめちゃくちゃ記憶力が良い。記憶力に加えて、引き出しの量の多さも尋常ではないので、次から次に教養や知識、雑学が湯水のごとく湧いてくる。

「どうしてそんなに記憶力がいいんですか?」と尋ねると、タモリさんは“連想ゲームのように覚えていく”と教えてくれた。例えば、イカについて覚えるとき、多くの人はイカに関する知識をひたすら覚えようとする。ところが、タモリさんはスミを吐くという構造を理解すると、スミから連想される違うものに関心を移し、それが硯(すずり)であれば、硯についての雑学を覚えるのだそうだ。

 あるいは、トマトとカニといったまったく関係ないものが2つあるときは、トマトとカニを連結させるものは何かを探し出し、その知識を持って、トマトとカニ、どちらもロックするらしい。一例を挙げれば、トマトは宇宙ステーションでの栽培実験に使われることがあって、カニの缶詰や加工品は、長期保存可能なタンパク源として宇宙食の候補に挙がることがある……つまり、トマトとカニは、“宇宙開発と関わりが深い食材”という共通項を持つ。

「カニって、長期保存可能なタンパク源として宇宙食の候補に挙がるんだよな」

 今にも、そんなタモリさんの声が聞こえてきそうじゃないですか。接続できる何かを探すことで、記憶を強化する――タモリさんは、曼荼羅のように覚えているからこそ、面白い一言をよどみなく添えていく。真似できるかどうか分からないけれど、中間にあるもの、接続できるもの、そういったものを探すことで、結果的にAもBも覚えることができるというのは、目からウロコ以外のナニモノでもない。

 人間の脳は早い段階から衰えていく。でも、語彙力だけは60代後半まで伸びるという。と言っても、引き出しがなければ、語彙力は増えない。素材がなければ、料理が作れないのと一緒だ。本を読んだり、映画を見たり、あるいは自分で気になったことを調べてみたり、そういった地道な行動が大切になる。そういう意味でも、タモリさんの覚え方は、“60代後半まで語彙力は伸びる”という根拠を示す一例な気がするし、勇気が湧いてくる。自分次第なのだ。

 知らないってことを自慢しちゃいけない。知らないってことを受け入れることが大事なのであって、「オレはそれ知らないからさぁ」みたいな感じで、ちょっと上から目線で話すなんて、めちゃくちゃ愚かなことだと思う。気を抜いていると、「最近の歌手はよく分からないから、めっきり音楽番組は見なくなった」とか言いそうなものだけど、結局、それは自分の関心が薄くなっているだけなんです。一輪車業界のナンバーワンとナンバーツーを知っていますか? と聞かれたら、ほとんどの人が分からないと思う。僕も分からない。でも、なんだか気になるじゃないですか。どうして気になるのか? それは興味や関心があるから、「知りたい。教えてください」となるわけで、本来、興味や関心に大も小もなくて、あくまで自分の気持ち次第だということ。最近の音楽業界も最近の一輪車業界も、自分次第で関心を抱くことはできるはず。それが、自分の引き出しとなる。知らないってことを自慢することは、関心を持てない自分を自慢しているようなものなのです。

 

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