“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第245回目は、誰かに話したいことについて、独自の梵鐘を鳴らす――。
生きている以上、人間には“誰かに話したいこと”が、必ずあるのだと思う。
bayfmで毎週月曜日から金曜日の夕方に放送されているラジオの帯番組『シン・ラジオ -ヒューマニスタは、かく語りき-』。火曜の最終週の「週替わりパートナー」として、僕は登場している。
先日、「並んだグランプリ」と題して、人生で一番並んだときの話を募集した。火曜パーソナリティ(この番組ではヒューマニスタと呼ぶ)を務める鈴木おさむさんが、大阪・関西万博に行くという。きっと並ぶことになるから、リスナーの皆さんの並んだ経験を教えてほしいということで、募集することになったのだ。
すると、過去一、メールが届いた。『シン・ラジオ』のリスナー年齢層は、思いのほか高い。この日、寄せられたメールも、僕にはピンと来ないようなイベントに並んだというものが多かった。特に、1985年に茨城県つくば市で開催された国際科学技術博覧会、通称「つくば万博」について寄せられるエピソードが多かった。
このとき、「ポストカプセル郵便」なるものが大きな話題を呼んだらしい。郵政省(当時)が受け付け、16年後の2001年、21世紀の最初の年に配達を約束する――。このポストに投函するために、長蛇の列が出来上がったそうだ。リスナーからのメールには、「彼女と並んでポストに投函したけど、結局別れてしまった」とか「本当に届くのかワクワクして21世紀を待った」とか、一つ一つのエピソードが、とても人間的で輝いていた。
休憩中、おさむさんと、「どうしてみんな、並んだエピソードをしたがったんだろう」と話した。最近あった出来事や、最近食べた美味しい食べ物。そういった話題は、さほど返信が多くない。ところが、“並んだ話”は信じられないくらい食いつきが良い。きっと理由があるはずなのだ。
個人的な見解だけど、並んだ話というのはいろんな感情が絡み合っている。並んでまで食べたかったもの、並んでまで手にしたかったもの、並んでまで見たかったもの。それなのに、「大したことがなかった」とか「想像以上に興奮した」とか。並んでいる間は、天国と地獄の間をウロチョロする。気持ちが高揚したり、沈んだり、さまざまな工程を経て、やがて自分の番が回ってくる。だけど、そのことを誰かに伝えることはあまりない。
僕自身、このコラムでバンクシー展に並んだことを書いたけど、振り返るとそれは、並んでまで見たかったのに、そのときに起きた一部始終に納得がいかなかった……そんなことを誰かに伝えたかった、いや、吐き出したかったのだと思う。誰かに話せる範囲で吐き出したくて仕方のない話が、人には絶対にある。その最たる例が、“並ぶ”という思い出なのかもしれない。
この日、おさむさん自身も、並んだエピソードを話していた。中学生のとき、卒業旅行でディズニーランドに行ったという。ビックサンダーマウンテンが誕生して1年ほどだったから、皆がお目当てのマシーンに乗るために、長蛇の列をなしたという。おさむさんたちも、その列に並んで、今か今かと楽しみにしていたそうだ。
2時間ほど並んで、あと少しというところで、何人かのヤンキーたちが口汚い言葉とともに割り込んできた。我が物顔で、ビックサンダーマウンテンに乗り込んだ。
そのとき、おさむさんはものすごく嫌な気持ちになったそうだ。ずっと楽しみな気持ちを抱えて2時間も並んでいたのに、バカたちのせいでその気持ちが汚されたのだから、想像に難しくない。おさむさんは、割り込まれたこと以上に、ウキウキしていた気持ちが一転して不愉快な気持ちになってしまったことが許せなかったともらしていた。
「あのとき、せめて何か言えばよかった」
今でも後悔がよぎるそうだ。並んだ記憶は、どうしてこんなに心の深くに根ざしているんだろう。並ぶなんてばかばかしい。だけど、並ばないと手に入れることのできない記憶があることも確かなのだ。