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かまいたちから学んだ“『M-1』決勝でやるべきネタ”の極意<徳井健太の菩薩目線第121回>

2022.01.10 Vol.Web Original

 

“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第121回目は、『M-1グランプリ2021』について、独自の梵鐘を鳴らす――。

 

 新年あけましておめでとうございます。

 新年早々、昨年の話をぶり返すのもどうかと思うけど、年末の風物詩、『M-1グランプリ2021』について綴りたい。

 優勝は、周知のとおり錦鯉。おめでとう。ただただ面白かったです。

 ツッコミの渡辺君は、東京NSC5期生。つまり、俺と同期。当時は、ガスマスクとして活動していた。

 今はどうだかわからないけど、俺たちの時代のNSCは、300人を100人ずつ3つのクラスにわけていた。といっても、ここに優劣はなく、一コマの授業に総勢300人はキャパオーバーなので、100人ずつにわけていただけなのだが、俺と渡辺君は違うクラスにいた。そのため、ほとんど接点がなかった。

 ときどき行われる全体ネタ見せのときに、はじめて他の2クラスのネタを見ることができる。そのため、ガスマスクのネタはたまにしか見ることができなかった。ぼんやりとだけど、かなり尖がったシュールなネタだった……ような気がする。少なくても、錦鯉のようなわかりやすいネタではなかった。

 NSCを卒業すると、芸人として続ける道を選んだ生き残りたちが、クラスの壁を越えて交じりあっていく。だけど、どういうわけかガスマスク、そして渡辺君と何か話したような明確な記憶はない。

 20代そこらの若気の至りでしかない人間なんて、毎日がゆめまぼろしみたいなもの。ヨシモト∞ホールができるまで、俺は誰とも話していないような気さえする。だから、当時の記憶はほとんど覚えていない――というのが実態なんだが、本当に接点がない同期の一人だったと思う。

 そのため、「ついに同期からM-1王者が生まれたか」なんて感傷にひたることもなかった。ただただ、錦鯉は面白かった。そして、チャンピオンになるべくしてなったという印象を抱いた。

 YouTubeチャンネル『徳井の考察』でも、「M-1グランプリ2021感想戦」と題して生配信を行った。ありがたいことに300~400人ほどが集まった。当コラムでも触れた「『徳井の考察』感想戦生配信は、お笑いのビッグイベントだけに特化した方がいいのか問題」は解決したのかもしれない。やはりアニメを語っている場合ではないらしい。

 感想戦で、俺は「尖ったネタだと優勝できない」と話した。

 いくつか理由があるのだが、『かまいちょぱ』(M-1グランプリ2021について振り返りトークをする回)にゲスト出演した際に、それを裏付けるようなことをかまいたちが教えてくれた。

 彼ら曰く、「決勝に行く前(準決勝止まり)」と、「決勝に行った後(ファイナリスト)」と、「決勝のファイナル(最終3組)」とでは、考え方がまるで変わるという。

 一旦、俺個人の意見に戻る。真空ジェシカやロングコートダディのネタは、一昔前のM-1、つまり俺らがもがいていた時代であれば、決勝のファイナルに進出しても何ら不思議ではないほど完成度が高かったと思う。そんな実力者ですら3組に残れない。出場資格が10年から15年に伸びたことも大きいだろう。間違いなくM-1は、次のステージへと進んでいるのだと思う。

 ただ、進化し続ける中でも、歴代の優勝者は「みんながウケる(笑う)ネタが優勝している」という印象を抱いていた。昔、笑い飯さんに「M-1ってどうやって仕上げているんですか?」と尋ねたことがあった。この人たちをおいて、M-1の証人と言える存在はいないだろうから。

「必ず学祭で仕上げる」

 それが返ってきた答えだった。当時の俺は、意味が分からなかった。もっと言えば、「うそつけ」とすら思った。あの笑い飯が、なぜ学園祭で――。いやいやいや、そんな馬鹿な。ずっとわからかった。

 でも、今回の「M-1グランプリ2021」でようやく理解した。学祭でウケるネタは、わかりやすくウケるネタ。どれだけ面白くても、どれだけ発明的でも……万人に受けるネタじゃないと優勝できないのではないか?

 ここで再び、二人目の証人、かまいたちにご登場願う。そのことを山内に伝えると、「ようやく気が付きましたね」とニヤリと笑った。

 彼らがファイナリストになった1回目、2回目のときは、劇場によってネタを変えていたという。老若男女が来るNGK、若い子が多いよしもと漫才劇場という具合に。そのやり方でネタを磨けば決勝までは行ける、らしい(「らしい」と付けるのは、俺は行ったことがないため)。ところが、この仕上げ方では、最終3組に残れないと付言する。若い子にウケても、年配者にはウケないため、爆発力が足りずに4位以下に沈む、と。

 このことを悟ったかまいたちは、優勝を掴むため、どの劇場であっても同じネタで挑み、どの層からもウケが良いネタは何かを見定め、そのネタだけをやり続けたそうだ。それを2本、3本用意する。そうしなければM-1は制覇できない――。「必ず学祭で仕上げる」の言葉にも通ずる、証人であり猛者だからこその考え方。俺は舌を巻く他なかった。そこまで考えているかまいたちですら優勝できなかった。ミルクボーイのネタは、さらにその上を行く、最強の万人ネタだったからだ。

 歴代王者を思い出してみる。どの箱でやっても、どの層がいても、一番ウケるネタをやり遂げたコンビが、ファイナリストの中から優勝している。錦鯉のネタも、誰もが笑ってしまうネタだった。M-1決勝においては、勝ちに不思議の勝ちはない。おめでとう、錦鯉。

ある仕事を通じて、「誰も気に留めないかもしれないこと」こそ、未来を作ると感じた<徳井健太の菩薩目線第120回>

2021.12.30 Vol.Web Original

“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第120回目は、いま取り組んでいる仕事の重大さについて、独自の梵鐘を鳴らす――。

 

 今年も終わりが近づいている。来年はどんな一年になるだろう。

 いま、声の仕事をしている。といっても、声優のような仕事ではなく、影から声をあてる仕事。『スッキリ』の天の声や、声だけで現場を回す影MCを想像すると、わかりやすいかもしれない。

 エフェクターで声質が変わるから、俺だと気付いている人はほとんどいないと思う。番組は、俺であることを明かしていないので、「とある番組」とだけ付しておく。

 その仕事に、大きなやりがいを感じている。どんな仕事でもありがたいわけだから、仕事である以上、すべてやりがいはある。でも、その声の仕事は、今まで感じたことがないような責任感を覚えている。予感めいたものというか。

 VTRを見て、それに対してコメントを言う。コメントは決まっているわけじゃないので、アドリブになる。

 もしかしたら、VTRを見てコメントを出すだけだから、視聴者の中には「楽じゃん」と考える人もいると思う。でも、俺からすれば、こんなにも一つ一つのVTRに対して、抜き身の刀で向かい合うような緊張感はない。

 YouTubeでバズった動画をテレビで流す。人のふんどしならぬ、人の動画で相撲を取るな――なんて思われたくないから、スタッフ陣の意気込みもすさまじい。今までにないような番組にしたい。良いものを作り上げよう。そんな気概や愛が伝わってくる。その熱に俺もおかされ、一つひとつのコメントに生き死にをかけているかのような自分がいる。大げさかもしれないけど、大げさじゃない。

 テレビは進化している。今の時代、「はいどうも! 〇〇(番組名)、今週もはじまりました」といったオープニングは必要ないそうだ。テレビも現在進行形で戦っていて、視聴者を飽きさせない、振り向かせるために奮闘している。

「ナレーションは制作サイドの声でしかない、 やっぱり演者の生のコメント力には勝つことができない」。制作サイドからそういった声をかけられると、やる気が出ないわけがない。 ナレーションがあるのか、ないのか、そんな些細なこと一つとっても作り手のこだわりがある。想像以上に渦巻いている。

 この番組では、いつコメントを求められるかわからない。振られるときもあれば、振られないときもある。いつも追い込まれている。

 この声の仕事は、スタジオの雰囲気が見えない。あえて俺が家にいるときのような感覚でVTRに集中できるよう、別室でスタンバイしている。いつ銃弾が飛んでくるかわからない。遠くの方で砲弾の落ちる音が聞こえる。信じられないくらいカロリーを使う。だからなのか、楽屋に弁当がたくさん置いてある。

 別室にいる俺は、収録を終えると、番組共演者とは、誰とも会わず、誰にも会わないまま帰る。アサシンのように家路につく。

 棋士は一局終わると、体重が数キロ落ちているらしい。頭を極限まで使うと、人間は信じられないくらい体力を持っていかれることを、初めて理解した。でも、このひりつくような感覚は、とてもやりがいがある。

 ビビる大木さんは、『トリビアの泉』の収録の際、 VTRが流れている間もずっと話すことを心がけたそうだ。誰に言われるわけでもなかったけど、タモリさんもいるスタジオの中で VTRが流れている最中の空気を作りたい―― その一心から自主的にやっていたそうだ。誰も気に留めないかもしれない。でも、それをがんばっていたから、今の自分があると振り返っている。 

  Hey! Say! JUMPとジャニーズWESTが週替わりで出演していた『リトルトーキョーライフ』の麒麟・川島さんの影MCは、知る人ぞ知る達人の技だった。あの経験があるから、今の川島さんの大活躍があるんじゃないか……なんて勝手に思っている。

 誰も気に留めないかもしれないことこそ、とても大事なことだと思う。自分にとって、この仕事はそういう仕事だと勝手に思っている。芸歴20年を超えて個人技を鍛える機会なんてそうそうない。まだ上手くなれるかもしれない。番組に恩返しができたら。来年は、そういう一年にしたい。

普通の感覚でいることは大事だけど、それ以上に芸人は浮世離れてなんぼってところもある<徳井健太の菩薩目線第119回>

2021.12.23 Vol.Web Original

 

“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第119回目は、喫煙所でのある出来事について、独自の梵鐘を鳴らす――。

 

『菩薩目線』でもたびたび触れているお金のこと。やっぱり思うところが多分にある。

 その日は、ABEMAの競輪番組の収録日だった。ゲストとして参加するグラビアアイドルの女の子が退屈にならないように、それでいて競輪ファンが楽しめるようにできれば――、そんな気持ちでやらせていただいている。グラビアファンと競輪ファンの潤滑油になればと、時折、笑いを織り交ぜながら収録しているわけだけど、当たり前だがギャラが発生している。

 出番を控えていた俺は、スタジオの近くにある喫煙所でタバコを吸っていた。喫煙者には世知辛い世の中。スタジオの近くには、小さな喫煙所が一つあるだけ。これから番組に出る、あるいは関わっているという人は、すべからくその喫煙所にやってくる。

 若手芸人……といっても年頃は、俺とそんなに変わらないくらいだろうか。ほとんど接点を持ったことがない芸人たちが、喫煙所にぞろぞろとやってきた。吉本所属ではないことはたしかだった。

 何かのオーディションでもあったのだろうか。ABEMAの収録でやってきただろう彼らは、世間的に言われている「売れていない」という領域に属する芸人たちだと思う。俺も、世間的には同じように見られているだろうから、彼らをくさす気持ちは一切ない。描写をするとき、「売れていない」と書くのがもっとも伝わるだけであって、それ自体どうかと思っている。

 あまり大きくはない喫煙所だから、全員は入れない。列を成す形で彼らは待っていた。

 紫煙が舞う静かな空間。ポツリと、俺の隣にいた芸人の一人が、「どうですか最近? 水道管の仕事って入れてます?」と話し出した。

 『いや~あんまり入れてないんだよね』

 「あれってマックスどれくらい入れるんですか?」

 『月20は行けると思う。その合間に Uber もやってるから、合わせると月30万円ぐらいは稼げるんだよ』

 「そうなんですか。 Uber ってコツとかあるんですか?」

 『ああ、あるよ』

 ――。耐えられず、タバコをもみ消した俺は、外に出ていた。水中にいるような息苦しさ。よりによって喫煙所。これが営業の楽屋などであれば、ハレの雰囲気が充満している場だから受け止め方にもバラエティ性が生まれる。

 だけど、静寂に包まれた世界の片隅で、芸人のリアルを聞くのは覚悟がいる。たまたま聞いてしまった実情ほど、苦しいものはない。

 本人が幸せだったらそれでいいんだ。もしかしたら達観しているのかもしれない。お笑いは生業じゃなくて趣味――そう割り切っている可能性だってある。お笑いは、たしかに楽しい。だから、やめるタイミングがなかなかわからなくなる。でも、趣味として続けるなら、こんなに幸せなものはない。そう割り切れたら。

 番組収録でお金をもらう仕事に対して、俺は「ありがたい」と口にしているけど、喫煙所の残響が跳ね返ってくる。本当の意味でそう思っているんだろうかと自問自答してしまった。

 この収録を何回か行えば、バイトに明け暮れながらもお笑いを愛してやまない彼らの一カ月と同じになる。でも、それは言いっこなし。それが人生だ。 明日は我が身。

 普通の感覚でいることは大事だけど、それ以上に芸人は浮世離れてなんぼってところもある。

 1時間で終わる仕事だけど、たった5000円か……なんて考えることもある。でも、時給1000円の仕事だったら5時間働かないといけない。

 1日1万円を稼いだとしても、飲みで15000円を使ってしまったら5000円のマイナスになる。「だから今日は1万円以内で収めよう」。若い頃は、そういう生き方はしたくないと心に決めていた。

 歳を重ねていくと、世の中のことが分かってくるからか、時間やお金に対してぐるぐると考えてしまう。ぐるぐるぐるぐる考えるのは必要なことだと思いたい。でも、貧乏臭くならずに。

 

 

※徳井健太の菩薩目線は、毎月10日、20日、30日公開予定です

『徳井の考察』感想戦生配信は、お笑いのビッグイベントだけに特化したほうがいいのか問題<徳井健太の菩薩目線 第118回>

2021.12.10 Vol.Web Original

“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第118回目は、笑いを語ることについて、独自の梵鐘を鳴らす――。

 徳井健太のYouTubeチャンネル『徳井の考察』。その特別編として、『キングオブコント2021』の感想戦生配信を行った際、ありがたいことに500~600人ほどの人が集まってくれた。

 生配信は初めてのこと。この人数が多いのか少ないのか、まったくわからないまま終えたけど、なんにしてもとてもありがたいことだと思っております。改めまして、見てくださった皆さん、ありがとうございました。

 配信後、マネジャーから、「こんなに集まるとは思いませんでした。吉村さんが、他の芸人さんを5~6人ほど集めてゲームの配信をしても500人くらい。私、なめてました」と言われた。――なめられていたのか。すごいこと言うもんだなと思いながらも、「500~600人はすごいのか」なんて考えてしまう俺もいて、次はどんな生配信をしたら面白いか、少し楽しみになった。

 そこで、京アニが手掛ける話題のアニメ『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』を題材に生配信をしてみることにした。

 この作品は、千鳥のノブさんと飲んだとき、「めっちゃいいから見てくれ」と言われたこともあって、とても気になっていた。しかも、金曜ロードショーで放送されるとあって、タイミング的にも申し分ない。「これだ」と思った俺は、金曜ロードショー明けに感想戦生配信を行うことにした。

 30人しか来なかった。

 驚いた。マネジャーの「なめてました」が正しかったんだなと痛感した。それにしてもだよ。こんなにも落差があるんだろうか。

 そういえば今年2月に下北沢 B & B で開催した配信イベント『エンタメパンチライン』の配信チケットも20枚ほどしか売れなかった。膝が震えた。芸歴20年もやってるのに。

 このとき俺は、「食べログの点数の見分け方」をテーマに話した。 「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」と「食べログの点数の見分け方」を経てわかったことは、俺に求められているのは圧倒的にお笑いの考察なんだということ。わかってはいたけど、お笑い以外の話となると、こんなに集客率が落ちるとは。みんな、正直だ。

 裏を返せば、大きな大会の後に感想戦を配信すれば、それなりの集客が見込めるということかもしれない。

 ありがたいことに、お笑いを論じてほしいといったオファーも少なくない。先日は、鈴木おさむさんがMCを務めるBSフジの『冗談騎士〜お笑いネクストジェネレーション!秋のユニットコント祭り〜』にゲスト出演し、コントの総評を行うだけでなく、鈴木おさむさんと対談させていただいた。

 対談だけでも緊張するというのに、俺たちを囲むように配置された客席には若手芸人がどっさりと座っていて、真剣に耳を傾ける。監視されているような緊張感。その視線が生々しい。お笑いにもランバージャックデスマッチがあるんだなって、おののいてしまった。

 俺自身は、賞レースで何か結果を残してるわけではない。漫才やコントにしたって、「鶴」のネタ一本でルミネの3ステージをこなすようなコンビだ。かれこれ、もう10年くらい「鶴」一本でやらしていただいている。

 そんな車検も通れないだろう古びたネタしかしていない俺が、ひとさまの漫才やコントを見て、何かをアドバイスする。冗談にもほどがあるし、「お前に言われたくない」と思う人も、きっとたくさんいるだろう。俺だってそう思う。

 そんなことを話したら、当コラム担当編集A氏が、次のような視点で話し始めた。

 「そうやって“お前が言うな”と批判する人は、プロスポーツにおける指導者に対しては何て言うんだろう? たとえば、ヨーロッパのサッカーでは、決して一流とは言えない選手が名将になるケースが珍しくない。名古屋グランパスを指揮したベンゲルも、自らを“三流選手だった”と回想するモウリーニョも、選手としては大成しなかったけど、指揮官として歴史に残るような結果を出している。名選手が名監督になるとは限らない。お笑いの世界でも、そういったことがあると思うんだけど」

 単純に「なるほど」と思った。俺が名伯楽になれるかどうかはわからないけど、たしかにスポーツの分野をはじめ、さまざまな領域で「やる」のが得意な人と、「教える」のが得意な人がいる。俺は、自分ではできないことを、未来ある人たちに伝えて、少しでも世の中が面白くなったらいいと願っている。学校の先生も、そういう気持ちで生徒たちと向き合っているのだと思いたい。

 この後に控えている 『M-1グランプリ』。その感想戦を、『徳井の考察』でやったらどれくらいの人が集まってくれるんだろう。『女芸人No.1決定戦 THE W 』や『R- 1グランプリ』、『 ABC お笑いグランプリ』、『上方漫才大賞』だってある。なんでも、BSフジにはブレイクできていない芸歴20年以上の芸人しか出場できない『お笑い成人式』なる奇祭があるらしい。お笑いって、やっぱり文化なんだなって思う。

 そして、お笑いについて話すのはやっぱり楽しい。もしよければ、そんな『徳井の考察』感想戦生配信を、楽しみに待っていただけたら幸いです。

 

※徳井健太の菩薩目線は、毎月10日、20日、30日公開予定です

徳井健太の菩薩目線 第115回 人は誰でも、誰かの何かになっている可能性がある。全身がんの女の子との思い出。

2021.11.10 Vol.Web Original

“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第115回目は、10年前のとある出来事について、独自の梵鐘を鳴らす――。

 

テレビ朝日で放送されている『かまいガチ』をよく見る。

千鳥さんの番組もそうだが、スタッフがウケている、ウケていないではなく、二人が“面白い”と感じている瞬間を感じられるバラエティは面白い。そこに、コンビ間の信頼関係が伝わってくるからだ。

『かまいガチ』を見すぎている影響からだろうか。番組内で濱家がよく作る料理を、自分でも作るようになってしまった。とても美味しい。その中で、下積み飯という回があった。

彼らが売れてないとき、天竺鼠――川原と瀬下が暮らしていた部屋、通称「天竺ハウス」は、同期のたまり場だったそうだ。

鎌鼬(当時)、天竺鼠、藤崎マーケット・トキらが、濱家の作った料理を囲む。

売れない同期同士で、同じ釜の下積み飯を食らう。そんな弱火の時代に、あるとき、トキがロックバンド『ザ・マスミサイル』の「拝啓」という曲を聴かせたと話していた。

それから十何年後。売れっ子となった彼らが再び「拝啓」を聞く、というのが今回の企画のクライマックスだった。山内は号泣していた。

もしミュージシャンだったら。

こんなにうれしいことはないんじゃないかなと思った。精神や時間、いろんなものをすり減らして作った曲が、 かまいたち、天竺鼠、 藤崎マーケットら売れない時間を過ごしていた芸人たちを支えていて、そのメッセージが十何年後に届く。

こんなにパフォーマンス冥利に尽きることはない。そう考えると、芸人の漫才やコントも、もしかしたら誰かの根幹を縁の下で持ち上げてるのかもしれない。

でも、作った側の当事者には、今はまだ届いてこない。時間差が、どうしても生まれてしまう。だから、ずっとわからないままだってある。 

ちょっと遠い昔。全身がんにおかされた10代の女の子とフジテレビで会ったことがある。どういった経緯でそうなったのか、俺にも分からない。カメラが入っているとか番組で取り上げるとかではなく、プライベートな取り組みだったと聞く。「誰か好きな人に会えるなら誰がいいですか?」と聞くと、その子は俺の名前を挙げてくれたという。平成ノブシコブシではなく、徳井健太の単独指名。

当時の俺は、『ピカルの定理』に出演していた頃だった。もしかしたら、ピカルがきっかけだったのかもしれない。でも、当時の俺はまだまだ尖っていて、ヨシモト∞ホールのファンに向けて「差し入れはいらない」と念を押して繰り返し、「仮に持ってくるにしても酒か金券」と明言するような輩だった。

『ピカルの定理』の収録の休憩中。ほんの短い時間だったと思う。フジテレビの一室に、お父さんとお母さんとその子がやってきた。

彼女は、「徳井さんは物をいらないっていうから」と気恥ずかしそうに口を開くと、俺に焼酎と金券をプレゼントしてくれた。全身がんの10代の女の子から手渡された焼酎と金券――。

申し訳なさしかなかった。でも、手に取らないと、もっと申し訳ないと思って、余命を告げられている子から、俺は焼酎と金券を受け取った。

あれから10年経って、俺は40歳になった。尖りは、気が付くと丸みを帯びていた。いろいろと批判の多いお笑い業界だけど、あの子が会いたいと言ってくれていた以上、どれだけつまらないと言われてもやり続けないといけない。そういう感覚がやっぱりある。いい話をしたいわけじゃない。だけど、事実。事実は耳を塞ぎたくなるから疎まれる。でも、事実だから言葉にできる。

一緒に写真を撮ったりして、その子は喜んでいたように思う。ただ、そのときの俺はとてもひねくれていて、「なんで俺なんだろう」ということで頭がいっぱいだった。もっと考えられることがあったと思う。今も申し訳なく思う。

そのときにしか出てこない言葉や接し方もあるんだろう。30歳の俺と、当時のその子。その瞬間、瞬間が大事なのだとしたら、必要以上に卑下することでもないのだろうか。あの瞬間は、何度だってよみがえる。俺も、誰かの何かを支えているのかもしれない。なんてことを気が付かせてくれる。

たくさんの人から好かれることも素敵だ。でも、たった一人。その一人からとんでもないエネルギーを、何年か経って受け取ることもある。

人知れず、誰も見ていないところで、名もなき人が涙を流したり、喜んでいたりする以上 、どんな理由があってもやめるわけにはいかない。何かを表現するというのは、そういうことなんだなって、『かまいガチ』の下積み飯を見て再確認した。

徳井健太の菩薩目線 第114回 高級車両が配車されるMKタクシー。究極のプライベート空間。一度乗ると、もう戻れない。

2021.10.30 Vol.Web Original

“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第114回目は、MKタクシーについて、独自の梵鐘を鳴らす――。

 

MKタクシーがめっちゃいい。

昔、渡辺直美が「MKタクシーしか乗らない」と話していたことがあった。ようやく、その理由がわかった。他のタクシー会社にはない、圧倒的な快適感がある。

自宅からタクシーで移動する場合、迎車(配車)してもらう形で目的地まで行くことが多い。一般的に、タクシーの配車料金は300円ほどだと思う。一方、MKタクシーは、配車1台につき500円かかる。

ちょっと高いのには理由がある。

東京で MKタクシーを呼ぶと、 ベンツ、レクサス、アルファードなど高級車両しか来ない(大阪や名古屋などでは異なるらしい)。しかも、コンセント、無料Wi-Fi、TVが完備されている。ホテルが自宅までやって来るんだ。配車料金こそ高くなるもののロールスロイスまで呼ぶことができるという。同車の乗り心地を知りたければ、実はMKタクシーが数千円で叶えてくれる。

予約を取る際は、乗車する人の名前と目的地を伝える。そのため、乗車してから目的地やルート確認などをすることはない。そう、あの煩わしいやり取りがが一切ない。エスコートされ、乗車すれば、目的地まで一直線。極端な話、一度の会話をしなくても目的地まで着いてしまう。完璧なプライベート時間。

なんでもオリンピックの時期は、全く予約が取れなかったらしい。一度電話した際、「予約が取れない」と言われ、「今の期間は2日前には連絡がほしい」と釘を刺された。それなりにお金を持っている人、もしくは関係者を送迎するためにこぞってMKタクシーが使われたのかもしれない。

MKタクシーは、他社タクシーのように「野良」がいないはずだ。基本的に予約をして来てもらう。他のタクシーのように、町を回遊していることはない。タクシーを必要としている人のためだけに動く。なんだかプロフェッショナルだ。

このコラムでも書いてきたように、タクシーでは良いことも起これば悪いことも……どちらかというと後者の方がよく起きる。道をよく把握していない人、やたらと話しかけてくる人などなど、わざわざ電車ではなくプライベートに特化したタクシーで移動しているにもかかわらず、電車で移動するよりも煩わしいことが発生しがちだ。

2回うれしくなるようなことが起こり、6回は何も起こらず、2回は面倒の極みのようなことが起こる。そういったタクシーも、エピソードを拾うという意味では悪くないかもしれない。MKタクシーは10回すべて何も起こらない。でも、とにかく居心地がいい。

そんなMKタクシーに乗ったときのお話。

車が到着すると、俺はわけのわからない高揚感を覚えていた。なんといってもベンツだ。同じタクシー代にもかかわらず、これから高級感に包まれながら目的地まで運んでくれる。

時間は深夜。目的地までのおおよその料金は理解している。ゆえに、料金を気にすることなく、車に揺られていた。到着。そして、俺は驚愕した。

普通のタクシーであれば、料金メーターが丸見えになっている。ところが、MKの料金メーターには、特注のポケットカバーのようなものが付いていて、料金が見えない仕様になっていたのだ。会計時に、はじめてそれが明かされる。御開帳である。まるで俺を運んでくれたタクシー、その料金が秘仏であるかのような演出。何かとてもありがたいものを見たかのような気分になってしまい、俺は手を合わせたいくらいだった。

おそらく MKを選ぶ人に、細かな料金を気にする人なんていないと思う。それでも料金が上がっていく様子を見ると、気になってしまう人はいるだろう。そんなストレスを感じさせないために、こういった工夫がされているのだとしたら――。何より、料金を隠すだけで、こんなにも品が生まれるなんて驚いた。

格式のありそうな小料理店に行くと、時折、値段が書かれていない(もしくは「時価」と書かれている)ケースがある。不思議なもので、ボロボロな佇まいの居酒屋だったとしても、値段が書かれていないだけで緊張感が走る。「こんな内観をしているけど、きっとあの大将はどこかの名店で修業を積んだ料理の達人なのかもしれない」などと思い込んでしまう。値段が書かれていないだけなのに。

表記があれば、これは安いとか高いとか「コスト」の話をし始める。大人数で行くと、なおさら値段を気にしてしまう。だけど、高級というのは、安い高いの範疇ではなく、値段を払えるのは当たり前という前提の上に成り立つサービスなのだと気が付かされた。「パフォーマンス」を見てくれよって。料金を隠すという効果には、本来であれば感じることのできなかったifを演出させるのかもしれない。

まさかそれを、タクシーの中で体感するとは思わなかった。

何より運転手から、 運転手然としたオーラがあるのがいい。タクシーに乗ると、この人は別にタクシー運転手になりたくてなったわけじゃないんだろうな――なんて瞬間を感じることが少なくない。でも、MKタクシーに乗ると、皆、なりたくてこのハンドルを握っているんだろうなという気がする。気のせいかもしれない。だけど、どの業界にも“頂”があるんだなということを教えてくれるMKが、俺は好きだ。

徳井健太の菩薩目線 第113回 何も言えなくてサイゼリヤ。 腹が減りすぎていた俺も、間違えたサイゼリヤも、誰も悪くない。

2021.10.20 Vol.Web

“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第113回目は、サイゼリヤでの出来事について、独自の梵鐘を鳴らす――。

 

 こんなにも腹が減るんだと思った日があった。

 あまりにも空腹だった俺は、サイゼリヤに飛び込み、ドリアやら明太子パスタやらハンバーグ……計4品ほどを頼んだ。とにかく食べたかった。

 店員さんが注文を繰り返すと、間違いなくいま俺が口にした品々をなぞっていた。料理が運ばれてくるまで、両手にナイフとフォークを握ってスタンバイ。ザ・わんぱくを象徴するほど、とにかく腹が減っていた。

 見る人が見たら、俺は出所後のソレに見えたと思う。

 お待ちかね。いよいよ、料理がやってきた。でも……頼んでいないカルボナーラが目の前に置かれるではないか。当たり前のように店員さんはサーブし、さっそうと厨房へ消えていく。

「すいません、頼んでないんですけど」と言おうとしたときには、すでにその背中は見えない。明太子パスタと間違えたんだろうか――。そんなことを思うものの、とにかく腹が鳴っている。鼻腔に美味しそうなカルボナーラの匂いが攻めてくる。

 俺は、「これを食べよう」と決めた。

 後ほど申告して、追加扱いしてもらえばいいだろう。そう思って、真ん中の卵を割ってカルボナーラ完全体を作り上げる。一口食べて、「さすがはサイゼリヤ、この価格でこの味はうまいよな」なんて悦に浸る。無性にドリア299円を食べたくなるときってあるよね。腹が減っているときに食べるご飯って、なんでこんなに美味いんだろう。

「間違えました」

 冷徹な響きを帯びつつ、突然、手が伸び、俺のカルボナーラは連れていかれた。ウソだろ。「すいませんでした」もなければ、リスニングも一切ない。強制連行されるカルボナーラ。

 クリームのついたスプーンを持ったままの俺は、「こんなはずかしめを受けることがあるのか」と愕然とした。子どもだったら泣いている。一口食べただけの目の前の美味しい料理を、何も言わずに強制的に取り上げられる……こんな経験あるようでない。 

 一体、どれだけの人が生きているうちに遭遇するだろう。一口食べて、何も言わずに取り上げられる――、もう毒味の世界じゃないか。初めて体験したけど、一口食べて皿を取り上げられるって、とっても辛いことでした。

 このことを『オールナイトニッポン0』で話すと、吉村も「たしかにそんな体験ないな」と頷いていた。めったに共感することのない俺たちが、珍しく共感した出来事。

 だって風俗みたいじゃない。羞恥プレイ。腹をペコペコにしたおじさんが、待ちきれなくて両手にフォークとナイフを握りしめ、たった一口で取り上げる。会計時に、レシートにオプション料金がついてないか確認したけど、別にそういうわけじゃなかったらしい。

 おそらく、そんなマニュアルがあるんだろう。間違えてサーブした料理は、有無を言わずに持って帰ってくる的なマニュアルが。じゃないと、説明がつかないくらい持ち去るスピードが早かった。

 本来であれば、手を付けてしまっているわけだから、「すいません……お代をいただいてもいいですか」。あるいは、「こちらが間違えてしまったのでお召し上がりください」などなどリスニングがあるだろうに。強制連行は、さすがに原理主義すぎる。

 でも、がっついていた俺もダサいし、注文が間違っていることを分かっていながら食べた俺も意地汚い。だからと言って、「ちょっと待って待って!」などと取り上げられたカルボナーラに対して声を上げるのも品がない。庶民の味方であるサイゼリヤに、反抗の意なんて持っちゃいけない。

 この前、アルタ裏で、ロックアイスに直接レッドブルとジンを入れ、袋ごとかき混ぜながらカブ飲みしていた人の姿を見て、下品の極みだと呆れた。

 同様に、消えゆくカルボナーラに対して、「あの!」なんて止めようものなら、俺もロックアイスレッドブル人になってしまう。品こそ最後の砦なんだ。

 その後、何のコミュニケーションもなく、頼んだ料理が次々と運ばれてきた。なんか悔しかった俺は、「カルボナーラを頼んでやろうかな」と思ったけど、理性がそれを許さなかった。結局、なすがままに食べ続けた。

 世の中に、答えがないことなんてほとんどない。だけど今日、サイゼリヤで起きたことは「答えがないこと」なのかもしれない。 誰も悪くないし、全員無罪放免。 何も言わずに強制連行したスタッフも、何も言えなかった俺も。何も言えなくてサイゼリヤ。

徳井健太の菩薩目線 第111回 みなおかの名物企画「買うシリーズ」で購入した約80万円の高級時計を質屋に売った理由

2021.09.30 Vol.Web Original

 

“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第111回目は、思い入れについて、独自の梵鐘を鳴らす――。

 

「徳井さんて、肌着とか来ないんですか?」

数年前、仕事で共演したやす(とにかく明るい安村)から言われた一言。自覚はしていた。自分の脇を見ると、素肌に直接着たパーカーに、じっとりと脇汗がにじんでいる。やすも、気になって指摘してくれたのだろう。これじゃ仕事に集中できなかっただろうに。

少し恥ずかしくなった俺は、肌着というものを初めて意識した。緊張感を伴う仕事が増えれば、今後、脇汗をかく機会も増えるかもしれない。「これからは着用しよう」。さっそくユニクロの真っ白な肌着を10着ほど購入し、脇汗対策にいそしんだ。

あれからどれくらい経っただろう。

先日、麻雀を打っていると、突然、「徳井さん、ワクチン打ったんですか?」と聞かれた。なぜ脈絡もないこのタイミングで? これが噂のワクチンハラスメントか――などと思っていると、彼は俺の腕を指さす。

伸びきった肌着がTシャツの下から顔を覗かせていて、あたかも二の腕にガーゼがかぶさっているような状態になっていた。正体の主は、あのとき買った10枚のうちの一枚だった。

「恥ずかしい」

と思った。 ただただだらしなく伸びきった肌着がTシャツを突破して、求めていない自己主張しているその様子は、羞恥心を掻き立てるに十分すぎる。俺が、終始ハラスメントしていたようなもの。

家に帰って、よくよく肌着を見てみると、だらしないのなんのって。真っ白だったはずなのに、オフホワイトのように変色していて、よれよれ。着丈は膝上まで伸びていて、湯葉でできたハイパーミニを着用しているような俺が鏡に映っていた。

俺も芸能界の末席にいる人間。こんなみすぼらしい格好を人に見られたのでは、あまりに申し訳ない。数日後、仕事で飛行機に乗る機会があったので、空港のユニクロに立ち寄り、同型の新品肌着を探したものの見つからない。約7年の間に販売休止になったらしく、仕方なく巷を席巻しているエアリズムなるものを買ってみた。

真っ白な肌着。再び、同じものを10着買うことにした。

そのことを当コラム担当編集A氏に告げると、「なぜまた同じもの10着買う?」と言われた。曰く、「白は乳首が透けるから、どうせ10着買うんだったらブラックやネイビーも買ったほうが着回しがきくじゃないか」と。

なるほど、その発想はなかった。でも、俺としてはコカコーラをレギュラー、ライト、ダイエット……それぞれ三種類ずつ買わないのと一緒の感覚。「コーラとエアリズムは違う」と言われたものの、「これだ」と思ったものを徹底して買ってしまう。同じものを買い続けているのは、俺の中で“ゴールが見つかっている”からであって、歯磨き粉も缶ビールも同じものしか買わない。肌着のゴールが、ユニクロなんだ。

俺が服に対してまったく無頓着なことは、以前『「モテたい」よりも「面白いと言われたい」という欲が、服装に表れる』でも説明した通り。カジュアルな場所は T シャツでいいし、フォーマルな場所はジャケットを着とけばいい。世の中なんて、それでどうにでもなる。

時計に関しても、まるでこだわりがない。以前、『とんねるずのみなさんのおかげでした』内の「買うシリーズ」で、80万円ほどの高級時計を買った。でも、2~3年もすると「腕時計なんて必要ないな」と気がつき、質屋に売り飛ばした。

「とんねるずさんの番組で買った思い出の品でしょ!? “「買うシリーズ」で買った時計”ってだけで付加価値がすごいじゃない。なんで売れる!?」

再びA氏が異を唱える。でも、その発想もなかった。

腕時計なんて付けていなくてもどうにでもなる。とんねるずさんのことを好きなことと、とんねるずさんの番組で買った腕時計は別腹。

着用していたときから何度か忘れて帰ってくることがあった。「忘れるってことはいつか失くすな」と感じていた。だったら失くす前に、お金に変えた方がいいと思い、質屋へ走った。質屋の買い取り価格は、20~30万円ぐらいだったような気がする。

思い出がないのか、はたまた思い入れがないのか。とにかく生きていて、そういった感傷にひたる機会があまりない。相方である吉村は、「あのときはこうだったよなー」とか、「この店、潰れたんだ!? ここにはあんなものがあって」みたいな話をするのが好きだけど、俺は思い入れがないからか、そういう話に興味が持てない。すでに無いものについてあーだこーだと話すより、今あるものについて話した方がいいと思ってしまう。

そう考えると、俺が新宿や渋谷が好きな理由もなんだかわかった。次から次へと新しいものができていく新宿や渋谷は、思い入れが幅を利かしてくるなんてことが少ない。だから、俺は好きなんだ。思い入れがないと、エアリズム白を10着即決購入できるように、案外、決断も早くなるのかもしれない。迷わなくていいかもしれない。

徳井健太の菩薩目線 第110回 アベプラで話した“ギャラ飲み沼”から抜け出せなくなった女性と、アキラ100%のロケを見て感じた「稼ぐこと」

2021.09.20 Vol.Web Original

“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第110回目は、稼ぐことについて、独自の梵鐘を鳴らす――。

徳井健太の菩薩目線 第108回 俺は麻雀界のヒールらしい。ヒーローがいないなら、雀卓一帯を焼け野原にするしかない。

2021.09.02 Vol.Web Original

 

“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第108回目は、麻雀の世界で起こる「徳井論争」について、独自の梵鐘を鳴らす――。

 

「徳井さん……僕は、徳井さんの麻雀スタイル含めて好きなんで」

いつものように雀荘で興に乗じていると、先ほどからこちらをチラチラとうかがっていた40歳くらいの男性から声をかけられた。“僕は”。あまりに含みを持たせた言い方。違う卓から、わざわざ俺のところに来てまで伝えたかった言葉。だと考えると、心に引っかかる。“僕は”ってことは、彼は少数派なんだろう。引っかかって引っかかって、その後の麻雀は、ほとんど覚えていない。

身に覚えがある。なんでも、俺のいないところで麻雀のプロ、雀士たちが集まると、「徳井の戦法は是か非か? 認めていいのか?」といった“徳井論争”が起こるらしい。麻雀番組でたびたび共演する女性タレントから、直に聞いたことなので、本当らしい。恐れ多い。というか、“徳井論争”ってなんなんだよ。

「いろいろみんなで話すんですけど、最終的には徳井さんの麻雀も認めなきゃいけないんだっていう結論になります」(女性タレント)

……。複雑だよ。本当に論争じゃないか。最終的には認めなきゃいけない――ということは、ほとんどの人がアンチ徳井スタイルなわけで、冒頭の“僕は”の謎も解けてしまった。俺は、まったく自分のうかがい知らないところで麻雀界のヒールになっていたらしい。俺にエールをくれた先の男性は、隠れキリシタンだったんだ。

麻雀界のヒール。一体、俺は何をしでかしているのか。

麻雀に詳しくない人もいるだろうから、「徳井さんの麻雀も」がどういうものか、説明しておきたい。 

例えば、プロ野球選手の引退試合があるとする。その引退する選手の最後のバッターボックス。ピッチャーは直球勝負を貫き、気持ちよく バッターがバットを振れるよう、花道を演出する。よくある光景だ。

実は麻雀にも、そういった暗黙の了解や美学がある。せせこましいことや老獪なことは王道ではなく邪道と映る。しかし、俺はよこしまな道をフルスロットルで駆け抜け、勝利を掴みにいく。「そこでそれやる?」と思われても、アクセルを踏み込む。意図してやる以上に、嬉々としてやる。

先の引退試合の例で言うなら、現役最後のバッターボックス、その打席に対して俺は平気でフォークボールを投げるようなもの。その選手が、現役最後なんて知ったこっちゃない。こっちは現役。万が一打たれたら、防御率が上がってしまう。去りゆく人への花束よりも、現役の 1アウト。勝負である以上、現役最後の打席だろうが、勝ちにいかせていただく。俺は笑いながらフォークを投げ、空振りした引退選手は、マウンド上の外道を睨む。そして、俺は再び笑い返す。“徳井論争”が起きるのも、当然っちゃ当然かもしれない。外道の牌。自覚している。

プロ雀士、著名人、アマチュア、全国の雀士――幅広い分野の麻雀愛好家が集うオープントーナメント『麻雀最強戦』という最高峰の戦いがある。竹書房「近代麻雀」誌主催による麻雀のタイトル戦であり、1989年度から行われている由緒ある大会だ。優勝賞金300万円。副賞は一切ない。王者しか賞金を手にすることはできない。

“男子プロ因縁の血闘”“女流チャンピオン決戦”“タイトルホルダー頂上決戦”など、テーマごとに選ばれた雀士がブロックごとに戦い(全部で16ブロック)、その中からたった一人がファイナルトーナメントに進出する。選ばれし16名が4人×4卓に分かれ、以後、上位2名がノックダウン方式で最強の称号を目指す。ゾクゾクする。最高の晴れ舞台、俺は“著名人異能決戦”と題されたブロックに出場することになった。

 

A卓 松本圭世 福本伸行 加賀まりこ 宮内悠介

B卓 瀬川瑛子、徳井健太(平成ノブシコブシ)、佐藤哲夫(パンクブーブー)、近藤くみこ(ニッチェ)

 

腕が鳴る面子。何癖もある手練れを相手に、俺は暗黙の了解を破り続ける。結果、ファイナルトーナメント進出を果たした。素直に嬉しかった。

麻雀は勝負なんだ。勝つことができるなら、美学なんていくらでも捨ててしまったほうがいい。結果を残せば、「最終的には徳井さんの麻雀も認めなきゃいけないんだっていう結論になります」になる。偉そうなことは言えないけど、勝負ってどこを切っても、結局、残酷なんだ。

『麻雀最強戦』は、ABEMAで放送される。サイバーエージェントの藤田晋社長は、この大会を機に麻雀に目覚めたといい、2014年には著名人代表としてブロックを勝ち上がり、ファイナルを制覇してしまった。プロアマを含む、同年の参加者2700名の頂点に立ったのだ。お笑いに『M-1グランプリ』があるように、麻雀にも『麻雀最強戦』がある。

そんな大会に出られる可能性があるのだから、勝ちにいかないのはウソだ。踊るように打たなきゃいけない。ヒールには、ヒールの正義がある。

俺が『麻雀最強戦』のファイナルで、どう道を外れていくのか、ぜひ見ていただきたい。麻雀は部活動じゃない。甲子園は教育的な側面があるだろうから、正々堂々さが問われる。でも、プロは違う。悪名だろうが、轟かせたら勝ちだ。そんな大悪党を懲らしめるヒーローがいるから善悪の均衡は約束される。ヒーローがいないなら、雀卓一帯を焼け野原にするしかない。

徳井健太の菩薩目線 第106回 お笑い芸人へのあおり運転を食らいながら、「焼肉の流儀」を考えた

2021.08.10 Vol.Web Original

“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第106回目は、焼肉の流儀について、独自の梵鐘を鳴らす――。

焼肉は好きですか? 俺には、ちょっとしたこだわりがある。

首都圏を中心にフランチャイズ展開している某焼肉店。国内外に50店舗以上を出店しているから、それなりに有名な焼肉店だと思われる。

この店は、店員さんが基本的に肉を焼いてくれる。店員とはいえ、徹底的に肉のことを知り尽くしたプロ。だからして、圧倒的に美味い。サイドメニューも、料理好きが考案したんだろうなと唸らされる逸品が並ぶ。しかも安い。

常日頃、思っていたことがある。寿司を食べるとき、シャリとネタを目の前に出されて自分で作るのと、長年技術を磨いてきた職人が作るのと、どちらがいいか――。寿司は極端な一例かもしれない。が、自分で作るよりもプロが作った方が美味いに決まっている。なのに、なぜ焼肉とお好み焼きは、自分で作ることが当たり前のような風潮があるんだろう? 実際問題として、プロが作るお好み焼きは度し難いほど美味いじゃないか。

同じ具材と同じレシピ。その二つを公平に与えられ、まったく別次元の高品質を作り出すことができる人たちをプロと呼ぶならば、焼肉はあまりにアマチュアが幅をきかせている世界。だとしたら、焼き加減で違いを生み出す冒頭のお店こそ、俺が求めていた焼肉店。かもしれない。

そんな話を当コラム担当編集A氏に話すと、「あなたは食に集中しすぎている変態なのであって、普通の人は焼肉もお好み焼きもトークが中心だ」と指摘され、思わず膝を打った。なるほど。おしゃべりを中心に据えるなら、自分で作る方が理に適っている。食というのは、難しい。

一方で、俺のように食に全集中したい“食>トーク”な人間も少なからずいる。厚切り牛タンの最適な焼き時間はどれくらいなんだろう? 上カルビと特上カルビの火加減にはどんな差があるのか? それが悩ましいと伝えると、A氏は「そんなことを考えているのはTVチャンピオンに出場する人だけだ」と笑うのだが、実際に焼き加減を知り尽くしたプロ、すなわち、その店のスタッフが焼くと飛び上がるほど美味い。トーク中心ではない焼肉の世界があることを、A氏をはじめ、もっとたくさんの人に知ってほしい。

考えてもみてほしい。超絶に美味い肉さえ入手すれば、自宅でもそれなりに美味いステーキや焼肉を食べることは可能なのだ。かくいう俺も、実は結構料理が好きで、自炊にはこだわりを見せたりする。A3~A5ランクの肉さえ手に入れば、簡単に自分を満足させることだってできる。美味い肉とハイビスカスさえあれば、自宅でも高級感は演出できるのだ。

では逆に、自分の手の中で完結しない焼肉の美味さがあるとしたら、覗いてみたくない? 自分の手を一切煩わせずに、プロが最高のタイミングで「食べどきです」と教えてくれる肉の林叢に入ってみたくないかい? やれんのかぃ?

そんな肉の理想郷を追い求める人が一定数いるんだろう。その店は、今では多くの人で賑わう人気店へと成長している。おそらく、焼肉の新たなチャクラを開いてしまった人たちが殺到していることと思われる。俺もたびたび訪れるが、今では予約なしでは入れそうにない。

その日、無性にプロが焼く肉を食べたくなった俺は予約を入れ、一人でお店に行った。ただし、電話口で「後ろが詰まっているため1時間まで」と釘を刺された条件下で。

着席するや、「あー結構タイトだったなぁ」と思案した。ソロ焼肉とはいえ、1時間の時間限定。あれも食べたいし、これも食べたい。店員さんが焼いてくれるから、バクバクと食べるって感じでもない。そもそも食べ終わった後、ちょっとゆっくりしたいし……。1時間なんてあっという間に過ぎ去ってしまう。ましてや、美味い飯ともなればなおさらだろう。1時間は、短すぎたんだ。

メニューを見ながら神妙な面持ちになる俺に、店員がオーダーを取りに来る。覚悟を決めて、タイトな時間に収まるような注文をしようと思った矢先――。

「徳井さん……」

と声をかけられた。一瞥すると、どうやら俺と認識している様子。切羽詰まった表情。何事だろう? しばしの沈黙の後、「……次に予約が入っているって伝えたじゃないですか……そのお客さんの予約……なくなりましたァッ! 1時間じゃぁッ、なくなりましたッッ~!」

俺は「やった」って、小声で反応するしかなかった。

そんなドヤ顔で、芸人とそれっぽく絡んだ感を出されたら、小さく肯定してあげることしかできないじゃないか。お笑い芸人へのあおり運転。

その店員は、芸人とやりあった感を背中に漂わせながら、満足そうに厨房へ消えていった。肉を頬張りながら、何事にもあおり運転が存在する――ということを、俺は噛みしめた。でも、このお店の肉への愛は深い。深いからこそ、予期せぬことが発生するんだ。   

 

 

※【徳井健太の菩薩目線】は毎月10・20・30日更新です。

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