Remember 3.11 Interview 工藤公康 「持っている知識をすべて伝えたい」

被災地、そして全国の子どもたちへ送るメッセージ

高校卒業後、西武ライオンズに入団し、プロ野球選手として活躍。福岡ダイエーホークス、読売ジャイアンツ、横浜ベイスターズで29年にわたり現役を続け2011年、引退。最年長投手として球界を引っ張ってきた工藤が子どもたちに伝えたい思いとは。(聞き手・一木広治)

一木(以下、一)「工藤さんは震災直後から被災地へ行って野球教室をやっていますが、きっかけは?」
工藤(以下、工)「まず、自分にできることは何なのか。そしてそれを知るには、実際に行ってみないと分からないと思ったからです。被災地の方が何で困っていて、現状どうなっているのか。一番初めに行った時は野球教室という形だったんですけど、子どもたちも元気がなかったし、親も不安を抱えている様子でした。実際、町もがれきの山で、それがヘドロ化して臭いもひどかった。そんな状態でしたから、こんなところで頑張っている子どもたちがいるんだと思うと、接し方も自然と変わっていきました。その時は肘の状態が悪く、ここで投げたら選手生命も終わりかなという感じでしたが、この子どもたちのために投げようと…。その時は自分が現役を続けるより、彼らに野球というスポーツをやってもらうことのほうが大切だと思ったんです。自分が壊れたとしても、彼らに夢を与えてあげることのほうがずっと大切なんじゃないか…。そこで痛いながらに投げて、最終的には壊れてしまって現役をやめることになったんですけど、そこに全然悔いはないですね。自分が1年長くやるより、この子たちに夢を持ってもらって、この状況の中でも野球を続けています、プロの選手を目指していますって言ってくれたほうが、伝わることがある。その時ですね、夢は誰かがつないでいくものなんだと感じたのは」

一「被災地もそうですが、工藤さんは“47(ヨンナナ)ベースキャラバン”など、全国の子どもたちに野球を教えに行っていますが…」
工「野球って日本の文化であってほしいスポーツなんです。当然、勝ち負けもありますが、それ以上に仲間と一緒に野球をやると、そこに友達関係が生まれて、子どもなりの社会がそこにできる。その中で思いやりとか、頑張ろうっていう気持ちが育てばいい。辛いこともスポーツをやることで乗り越えられるとか、身につくことはいっぱいあるので、野球をやる子がもっと増えてくれればいいという思いでやっています」

一「チーム工藤というか、引退した方も含め多くのプロ、元プロの選手も誘って行ってますよね」
工「まず、野球が大好きだから、野球の良さを広めたいけどどうしたらいいのか分からないっていう選手がいます。そういう人たちにこういう場があるよって教えてあげる。そして辞めた子に関しては、例えば怪我で苦しんだ経験があるなら、それを子どもたちに伝えてほしいと思うんです。せっかくプロの選手になったのに、夢半ばで終わってしまった。でも、その思いを伝えることで、それ以上頑張れたり、怪我をしないように気をつけたりとか、何か響くものがあると思う。引退してもみんなすごい選手たちですから」

一「野球教室に参加した子どもたちにはどんな言葉をかけてあげる?」
工「自分の限界を作るなって言います。子どもたちの能力ってね、本人たちが思っているよりはるか上にあるんです。それを伸ばすためには、やらされるのではなく、自分でやること。やらされた3年より、自分でやった3カ月のほうが成果がある。やらされていると、人の成長は妨げられるし、結局辞めた時に後悔だらけの人生になる。そんな後悔を今の子どもたちにしてほしくないから、僕の持っている知識とかすべてをみんなに伝えたいっていう気持ちがあるんです。人間には限界がない。努力したことは、すぐに成果として現れなくても、必ず報われる。でもやらない限りは良くならない。やったものだけが成果を残せるんです。 “あきらめなければ夢はかなう”。この言葉を僕自身ずっと信じているし、子どもたちもそう信じて頑張ってほしいですね」        
(本紙・水野陽子)