長塚圭史×北村有起哉 『十一ぴきのネコ』が3年ぶりの再演! あのネコたちが劇場に帰ってくる!!

2012年に長塚圭史の演出で上演された『十一ぴきのネコ』は井上ひさしが描いた子どもも楽しめる登場人物がネコだけのミュージカル。当時は長塚が初めて井上作品を演出する、ミュージカルを手掛けるのも初めてということも話題となった。3年の時を経て、あの11匹のネコたちが帰ってくる。長塚とリーダー格のネコ、にゃん太郎を演じる北村有起哉に話を聞く。
長塚(以下、長)「後半はミュージカルのように歌が多くなっているんですが、ミュージカルというより音楽劇という感じですよね。2012年版ではミュージカルの演出方法なんて誰にも教わったことがなかったから、みんながどれくらい歌えて踊れるのかを知ろうと思ってやったワークショップや、歌稽古でみんなが歌っている姿を見ながら、歌のなかでの言葉の響き方といったものをつかんでいきました」

 当時を振り返って、手応えは?
長「手応えはありました。稽古の期間、手間はかかりましたけど時間を有意義に使えました」
北村(以下、北)「濃密にね(笑)」
長「僕のイメージしている動きをおじさんたちに幾度となくやってもらいました」

 おじさん?
長「実はみんなそれなりにいい年ですから」
北「いやー、僕も世の中でいうところのおじさんですよ」

 サブタイトルが「子どもとその付添いのためのミュージカル」となっている。前回は子どもはたくさん来た? そしてその反応は?
長「回を追うごとに徐々に増えてきました」
北「でももっともっとたくさんの子どもに見てほしかったですよね。毎年夏にやってる『ピーターパン』みたいに恒例行事になっていれば来やすいんでしょうけど、初めての試みでしたから。それに日本だと子どもをお芝居に連れていったことがない人がほとんどですよね」
長「迷惑がかかっちゃうんじゃないかなって思っている人が多いと思うんですが、全然問題ないですから。それに子どものためだけの作品ではなく、大人も楽しめるものになっていますし」
北「親子で見る演劇って少ないですよね。今回も知り合いの3〜4歳の子どもがいる人には“気にしないでいいから”って念押ししています」
長「俳優たちも子どもが多い時と少ない時でモチベーションが大きく違うんです。子どもたちの反応ってとてもビビッド。休憩に入ったら歌いだすし、帰りも歌ったり劇の真似をしながら帰る子もいました」

 それは舞台上でも感じる?
北「子どもの笑い声ってよく聞こえるんです。周りを気にしないし、スコーンと会場内に響き渡るような反応があったりします。あとずっとクスクス笑っている子もいたよね。なんのツボに入ったのか分からないんですけどずっとクスクス笑っている子がいて可愛いんですよ(笑)」

 そこにいるだけで面白い役者もいる。
長「辰巳智秋の人気はすごいですよ」
北「すごいよね。とにかく大きいからパンチあるよね」

 キャストも3年前とほぼ同じ。
長「僕も大人と子どもが一緒に見るような演劇をつくるのは初めてだったんですが、ある種の手応えがあったんです。それは俳優たちもそうだったようで、いい印象を持っていたので“再演ができたらいいな”とは思っていました。でもあまり時間が経ちすぎると、体力的に脱落してしまう人たちが出てくる可能性があった(笑)」
北「動けなくなる人がね(笑)。歌だけじゃなくて、みんなほとんど出ずっぱりなので見た目以上に大変なんです。じっと座っている芝居じゃないし。むしろ運動会みたいにいろいろな種目を次から次へとやって、その間に歌っている感じ」
親子で一緒に考えるひと時が少しでも作れれば

 演劇では一人の主役が出ずっぱりという形はよくあるが、11人が出ずっぱりというのはなかなかない風景。
北「破壊力満点だと思いますよ。倒れた僕をみんなが囲んで“にゃん太郎さん!!”って声をかけるシーンがあるんですが、もう本当にうるさかったですから(笑)」

 一癖も二癖もあるメンバー。まとめていくのが大変だったのでは?
長「僕もそういう癖のある人たちとは割とよくやっていますし、この作品については強い信頼が置けて、それでいて役者としての危ういところを持っているな、と思っている人を自覚的に集めたので、それは覚悟のうえでした」
北「なんとかね(笑)」
長「なんとかみんな時間に集合させるみないな感じでしたね(笑)。基本的にはシンプルな話で風景もそんなに変わるわけではないので、俳優の身体で表現することがたくさんある。でもみんなの経験値が高いからできているところもある。シンプルな作品は意外に難しいんですが、そういうことをみんなが理解しているから、いろいろな疑問やアイデアを出しながらダメ元でも試してみようというスタンスでみんなが臨んでくれた。これは経験のなせる業。 “それって無駄じゃん”という考え方に陥ってしまうことってよくあるんです。でも、“いや、その無駄を1回やっておこうよ。無駄かもしれないけど、余力があるなら試してみようよ”という好奇心や姿勢を持っている人たちを集めたので、再演の現場でも、そういう心意気は相変わらずもち続けてやれていて、それはとてもいいことだと思います」

 最後はひやっとする終わり方。子どもたちは最初は笑っていても最後に「へっ?」と思っちゃうだろう。もちろん大人もだが。
北「帰りの電車の中とかで“どうしてにゃん太郎はああなっちゃったの?”って真っ直ぐな瞳でお父さんやお母さんに質問をするわけじゃないですか。聞かれたお父さんも“うーん…”って考え込んじゃったりする。そのひと時が少しでも作れれば素敵だなと思います。お父さんも答えられないというね」
長「答えようにも、話が長くなって(笑)」
北「それが井上さんの狙いなのかな、とも思います。“しめた、そこでしこりができたらこっちのもの”みたいな。そういう狙いはありますよね」
 引っ掛かりを残すことで作品自体が心に残るし、何かを考えるきっかけになる。
北「子どもだけが楽しめるお伽話ではないということなんでしょう。全編通して、随所にそういうシニカルなところはありますからね」
長「みんなで集団自殺しようとしたりとか、飛行機で特攻みたいに体当たりして死のうとしたりとか。“みんなのためだ”って言うけど、それをみんなが疑ったりとか。意外と甘ったるくないんですよね」

 井上作品についてはどういう印象を?
北「僕は演劇をやってきたなかで、今回、再演というものが初めてなんです。井上さんの台詞ってやっぱり、言葉のリズムというか響きが独特。今回、台本をもらって読んでいくうちに、記憶の奥のほうで、また音が出てくるんです。井上さんの台詞のゴツゴツしたものとか、滑らかなところとかも、リズムというかうねりみたいなものが旋律のようにファーっと思い出されてきて、体感したものがよみがえってきた。それは鳥肌ものでしたね」

 深いところに刻み込まれている?
北「そうなのかもしれないです。現代劇の普通の会話の台詞だったら思い出しにくいかもしれないですけど、結構言いにくい台詞回しなんかがあって、そういうものほど苦労して覚えたはずなので、思い出しやすくなっているのかもしれないんですね。とにかく言葉の面白さというものを今、肌で感じていますね」
井上さんの戯曲は台詞に強さがありますよね

 それはこの作品以外でも井上作品に共通すること?
北「全作品を通してです。“一言一句間違えちゃいけません”と言われてもいましたし。僕は作家ではないので本当のところを100%分かっているわけではないんですけど、言葉に対する執着はすごいものがあると思います。今どきそういう方っていらっしゃらないんじゃないですか」
長「一字一句間違えちゃいけないというのは、セリフ全部にイメージができているからなんだと思います。井上さんが遅筆だったのは、きっちり出来上がるところまで頭の中で作家としての作業を終えて渡していたからなのではないでしょうか。きちんとしたこだわり、こだわりというか、“これが答えです”ということを思って作っていらっしゃるから、台詞に強さがありますよね。だからいかに僕らが現代的に演出しようと思っても、井上ひさしの戯曲は厳然としている。井上さん以外でも強い作家の作品というのは、例えば三好十郎さんの作品なんかもそうなんですけど、信念がきちんと込められているので、ぶれないですよね」

 自身は作家としては一語一句変えるなという作家ではない?
長「現代の会話のリズムの作品や、そういう類の作品を書いているときは、あまりそこまでは気にしないこともあります。もうちょっとなじみやすい言葉とか、発見があったりしますから。逆に、この前、新国立劇場でやった子ども劇『かがみのかなたはたなかのなかに』みたいな作品はセリフを間違えるともったいないなって思います。耳障りも違うし、リアルな会話じゃないし、時間の感覚も日常とは違うレベルで進んでいる。そういう部分で違う想像力を発揮させようとして、独特の文体を作っているので、そういう作品は守らないと損だと思います。井上さんの作品は言葉遊びが入っているから台詞はそのままやるほうがいい。この作品は特にそうですね」

 同世代の2人。互いについてはどんな印象を。
北「最初っていつだったっけ?」
長「最初は『ウィー・トーマス』」
北「30歳くらい?」
長「もっと前だね。俺が28で、彼が29」
北「最初にパルコ劇場で主役をやらせてもらったときの演出家が彼だったんです。もちろんその前から彼の作品や劇団公演は見ていたんですが、注目されている人でしたので一緒にお仕事できるというのは、単純にうれしかったです。“やった”と思いました。ただそれが続いていかないと意味がない。しかも境遇が似ている。同世代といえば同世代。当時は今よりも尖っていた部分があって、演劇を盛り上げていかなければと、どこかギラギラしていました。今もそういう思いは少なからずありますけどね(笑)。それに彼は勢いもありましたから。それが約12年くらい前ですか? またこうやってできるというのは縁があるのかなと思います。これからも違う作品で一緒になることもあると思うんですが、よく言われる言葉なんですが、僕もちゃんと成長していないといけない。切磋琢磨じゃないですけど、彼がぱっとしない活動ばっかりやっていたら、“いいや俺は”ってなっちゃうかもしれないし、逆に俺が怠けていたら声がかからなくなるかもしれない。演劇活動って一匹狼同士のようなところがあるし、定年もないので元気な限りはずっとやっていかないといけない。そういう意味では同世代でとても頼もしい存在だなって思います。自分でも心がけているんですけど、あまり自分のペースを崩さずに、ひとつひとつ誠実にこれからも演劇をやっていってほしいなって思います」

長「最初、20代で会ったときはお互い激しい時期でした。気性が荒いといってもいい時期」
北「さっきも言いましたが、ほんとにギラギラしていましたね」
長「そう。だからお互いに簡単に肩を組んで“楽しくやろうぜ!”っていう時期でもなかった。別に僕も大成している演出家というわけでもなかったし、初めて海外の戯曲をやるというある種の緊張感のなかでの出会いだったので、時には牙を向け合いながら作っていた。そんなところからスタートして、ここまで継続しているのが面白いと思っています。それから10年経って、3年前の『十一ぴきのネコ』になるんですが、お互いに視野が広くなっていて、彼も俳優として全体も見ることができるようになっていた。僕は僕でさまざまな理由でちょっと作り方が変わっていた時期があって、もうちょっと豊かな作り方ができないかと思っていたんですが、そこにビビッドに反応してくれて、稽古場なんかでも一緒に引っ張ってくれたんです。そんな姿を見て、だいぶ変わってきたなって思いました。お互い30代の時に、いろいろな紆余曲折がありながら今に至っていると思うんです。彼の仕事は遠目に “今どういうことやっているのかな”とか“おお、あそこでやってるよ”なんていろいろ思いながら見ていたんですが、この作品でまたすっと近いところに立つようになった。今回の再演は新しいチャレンジの入り口かもしれないですね。彼とはあんまりベタベタ付き合ってきていない分、年齢を重ねた時に一緒にもっと面白いことができるんじゃないかという夢があります。そういうなんていうんだろう…ちょっと高い目線のところで視線が交わせるかどうかってことですかね」    
(本紙・本吉英人)
撮影:田中亜紀
こまつ座『十一ぴきのネコ』
【日時】10月1日(木)〜17日(土)【会場】紀伊國屋サザンシアター(新宿南口)【料金】全席指定 一般 7000円、学生4000円、子ども(3歳〜小学生) 1100円(学生:中学、高校、大学、各種専門学校ならびに演劇養成所の学生対象)【問い合わせ】こまつ座(TEL:03-3862-5941 [HP]http://www.komatsuza.co.jp/)【作】井上ひさし【演出】長塚圭史【音楽】宇野誠一郎 荻野清子(演奏)【出演】北村有起哉、中村まこと、市川しんぺー、菅原永二、金子岳憲、福田転球、大堀こういち、木村靖司、辰巳智秋、田鍋謙一郎、山内圭哉、勝部演之