渋谷小町 小林愛三【ジョシカク美女図鑑 第7回】

インタビュー中はほんわかした空気を醸し出す小林だが、試合では一変。強烈なハイキック!
最初はボクササイズ。やがてキックボクシングにはまり現在に至る

 そもそもなぜ格闘技を?

「体を動かすのはもともと好きだったので、お母さんと一緒にフィットトネスクラブでボクササイズをやっていたんです。そのうちボクササイズにはまっていって、もっとカッコよくやりたいなと思って、専門学校をさぼって一日体験に行ったんです。そこで初めてミット打ちをやって、より深くはまってしまったという感じです」

 もともと別のスポーツをやっていた?

「小学校から高校までずっとバレーボールをやっていました。やりこんではいたんですけど、もともとは“スポーツをやらないと悪さをしそうだから”という理由でお母さんが“ほいっ”と入れたのが始まり(笑)。だからやりたいから始めたという感覚はあまりなかったんですけど、キックは自分がやりたくて始めた初めてのスポーツなので、すごくはまっています」

 スポーツをやらせないと悪さしちゃいそうって、どういう少女時代?

「結構、反抗期が長かったんです(笑)。不良とかそういうのではないですよ(笑)」

 お母さんとしてはまさか娘がキックボクサーになるとは…。

「思ってなかったと思います(笑)。心配はしてもらっているとは思うんですけど、親も体を動かす仕事に就いていたので、“やるんだったら徹底的にやらないと駄目だよ”って、むしろ“もっとちゃんとやれ!”って言われました」

 リングネームは「愛三」と書いて「まなぞう」と読む。ちょっと変わってる。

「アマチュアのころから教えてもらっている先生が牧裕三さんという先生で、そこで教えてもらっているときからあだ名で“まなぞう”って呼ばれていたんです。本名で試合に出るのは嫌だったので、第二の自分じゃないですけど、それでリングネームは愛三にしました」

「マナミ」と読めないこともない。

「そうなんです。気づいたらうまいことになってました(笑)」

 デビューして3年弱。女子キック界でグイグイ来ている。この展開は予想できた?

「正直なことを言うと、始めた時からチャンピオンになってベルトを巻いている自分の姿はすごくイメージできていたんですけど、そこから先はイメージできていませんでした。そこでKNOCK OUTさんに声をかけていただいてからいろいろなことが大きく変わってきました。KNOCK OUTでの初戦で田嶋(はる)さんと試合をさせていただいたんですが、あれがなかったら今どうなっていたかは全然イメージがわかない感じです」

 田嶋はる戦がターニングポイントだった。逆にそのチャンスを生かしたからこそ今がある。

「しかも田嶋さんは一番好きであこがれていた選手でしたので。試合ができると聞いた時は“まさか、えっ?”という感じで、本当にぽかんとしてずっと口が開いている状態でした(笑)。結局2回もやらせてもらえるなんて夢にも思いませんでした」