古坂大魔王が小学生を相手に出張授業。「最後の最後まで辞めなければなんとかなる」と夢を持ち続ける事の大事さを語る

進行役を務めたのは橘ゆりか(撮影・堀田真央人)

誰でも何でもどんなことでもできる

 そして青森にいた幼少期の環境を紹介する中で、自らがお笑い芸人を目指したきっかけとして「テレビの世界に憧れた。テレビの中に有名人がたくさんいた。その中にいたビートたけしさんが本当に面白かった。アントニオ猪木さんも当時、大人気だった。他にもいろいろな人がいたが、その真ん中でたけしさんが一番面白かった。そして小学3年生の時にお笑いをやりたいと思った。なぜお笑いをやりたいと思ったか? それはモテたかったから。男にも女にも」と振り返った。

 そして「ではどういう人がモテるのか?」と子供たちに問いかける。会場からは「イケメン」「足が速い」「お金持ち」といったさまざまな声が出るが古坂は「それはみんなよりも目立つという意味。顔がカッコいいのもそうなんだけど、顔がカッコいいだけでモテるというのは難しい。喋り方とか普段の行いとかもある」などと経験から来る持論を展開。続けて「目立ちたい人、手を挙げて」と呼び掛ける。手を挙げた子供たちからその理由を聞くと「お金持ちになりたい。1カ月1億円もらいたい」「イケメンと結婚」などとここでもさまざまな声が飛ぶ。

 ここから古坂は家庭環境について語りだす。古坂は3人兄弟の真ん中で母親はいわゆる“スパルタ教育”を子供たちに課したのだが「すごく勉強した。同じ環境で同じ勉強をしたが、兄貴は銀行員になり、今は青森県で支店長。弟は東大に行って、今は助教授。で、僕は芸人。結局、なにを勉強しようが、どんな環境にいようが、なるべくしてなるんです」と三者三様の人生を歩んでいることを紹介したうえで「どの環境にいようが、なにを勉強しようが。誰でも何でもどんなことでもできるということを言いたい。では僕は特別か? 全然特別ではない。小さい頃はバレンタインでチョコレートももらえなかった。学校の成績も平均以下。大学にもいかず東京に来て、6畳一間でトイレ共用の家賃1万円の部屋に僕と誰かが住むという生活。これが30年前。そこからいろいろなことがあり、ピコ太郎が7年前。23年間くらい苦労した。“ではどうすればうまくいくのか”とよく聞かれる。今はたくさんお金はもらっている。子供もいて、まあまあいい家も作って、1階にスタジオもあってレコーディングも生配信もできる。演奏もできる」などと自らの過去から現在の環境を明かしたうえで「だからといって果たして何が成功かは分からない。1つだけ言えるのは、僕は辞めなかった。辞めなかったら何にでもなれる」と継続することの大事さを説く。