古舘伊知郎『夜ヒット』盟友と昭和音楽祭「“四次元殺法” は忌野清志郎さんにかなわない」

「平成以降の方はできうる限りご遠慮願いたい(笑)」というほど濃密な昭和の時空間が体験できる

僕は音楽界の関係者になりたくてアナウンサーになった

 母校の大学で客員教授を務める古舘は、令和世代とのジェネレーションギャップを「学生に “この前、古舘さんが言っていた映画を見ました” と話しかけられ、どうだったか聞くと “普通に面白かったです” と言われてイラッとする(笑)。

 普通って何だよとむきになったら隣の子から “古舘さん、ワンチャン怖い” と言われ、ワンチャンに怖いをつけるのかとまたむきになったら別の学生に “古舘先生の言ってること鬼分かる” と言われ」といい「今は “言葉狩り” かというほど言葉に関して過剰に敏感ですが、この音楽祭ではあくまで当時の歌詞を尊重しています。本当は誰かに奥村チヨさんの『恋の奴隷』を歌ってほしかった。〈悪い時はどうぞぶってね〉ですよ? そんな歌が普通に歌われていた時代なんです」と笑う。

 平成・令和世代にとって新鮮な昭和歌謡は今やブームでもあるが「平成以降の方は来ないでもらいたいですね。来いって言っても来ない人は来ないし、来るなって言っても来る人は来ますけど、昭和の時空間ですからできうる限りご遠慮願いたい(笑)。昭和以外の方はステージ上で歌ってくれるアーティストだけ、拡大解釈して昭和の関係者までですから」ときっぱり。

「今これを言っていて気づいたんですけど、僕は多分、音楽界の関係者になりたくてアナウンサーになったんですよ。自分は音楽の世界に才能がないことを知った少年が、いつもマイクロフォンを持って司会をすることで自分のジャンルを模索して。アメリカ民謡研究会のステージがあれば司会をやらせてもらって、昼休みにチャペルの中庭で同級生がプロレスの流血戦をやる時、“この白いチャペルを血染めにするのか!” とか言うとウケたんですよ。

 気がついたら僕はプロレスラーという主役ではなく、限りなくリングに近い放送席でしゃべっている関係者だったわけです。僕がやっている仕事は全部関係者として関わるもので、音楽だったり古典落語だったり、いつも確立されたものの周縁にいる関係者なんですよ。だから僕がしゃべりの世界に行ったのは音楽の世界への憧れで、僕には音楽の才能がないと割り切ったことが司会業の原点。その集大成となるのが『昭和100年スーパーソングブックショウ』です」とアピールした。