音楽・服部百音×食・長江桂子の表現の世界「信じてついていけばいいとヴァイオリンを選んだ」

自分がすごいなと思ったことはとことんやるたち
長江「私はもともと人の役に立ちたくて医師か弁護士になりたいと思い、日本は笑顔の裏で涙を流している人がたくさんいて、そうした人たちを守るために弁護士になる道を選んで大学で勉強していました。けれども私にとっては勉強すればするほど、司法試験に受かると大きな弁護士事務所に所属し、大企業で弁護士をするしかないのではと思えて、それはなりたかった弁護士像とは違うなと感じたので2年間海外に留学したのです。
スイスからフランスに渡って1年間ソルボンヌ大学に通い、9カ月残っていた滞在期間にまったく違うことをしようと思い、タイミングがよかったのがル・コルドン・ブルーの製菓のプログラムでした。9カ月のコースが終了する頃 “ラデュレで研修しないか” と誘われ、研修しているうちに残らないかという話になり、最終的には3年間ラデュレで修行しました。パティシエになりたいというよりも、自分にできない技術を身につけたい一心で反復作業をすることの繰り返し。そもそも私は興味がないことには一切関心がなく、自分がすごいなと思ったことはとことんやるたちですから。
その後、当時の同僚がロンドンで立ち上げた『スケッチ』のオープニングスタッフとなりました。これまでにどこかへ履歴書を送ったことはないのですが、一緒に仕事していた人や知り合った人からお話をいただくと、必ずそのお店に食べに行くことにしています。それはお菓子にはコース料理のストーリーを完結させる役割があり、どんなストーリーが語られているのかを知るためです。私は直感で動く人間なので、お店に入った時の雰囲気や食べてみて自分に訴えかけてくるものを大事にしています」
服部「ものすごく共感します。私もヴァイオリニストになることが目的だったわけではなく、ブロン先生が奏でる音に心を奪われたことが原点でした。ただし当時から体が小さく華奢だったので、私が先生のような音を出そうとすると持てる力をすべて込めなければならない。先生が “体の使い方次第で僕と同じ音が出せるのだから、出るまでやりなさい” とおっしゃった言葉を信じて、同じ音を出せるようになるまで8~18歳までの10年間ひたすら練習を続けました。その間はとにかくいい音を出すことだけを考えていればよかったので、私にとってはすごく恵まれた環境でしたね」