音楽・服部百音×食・長江桂子の表現の世界「信じてついていけばいいとヴァイオリンを選んだ」

理想の音を形にしていくのが演奏家としての責任
長江「百音さんのお話を聞いて思い出したのですが、ラデュレの修行時代には毎日クロワッサンを巻いていました。一日のノルマを達成すれば終わるのですが、私は10個巻くのに何分かかるか、完璧だと思えるのは何個あるかを見て、例えば2分25秒で6個だったら明日は2分20秒で8個巻こうと目標を立て、2分で10個巻けるまでやり続けました。誰かが見ているわけではないけれど、自分の中で挑戦することそのものが面白いのです。2分25秒で5個しかできない日はめちゃくちゃ悔しいし、昨日よりいいクロワッサンが巻けると一人でにやにやして(笑)」
服部「めちゃくちゃ分かります(笑)。ヴァイオリンはピアノのように鍵盤を押せば正しい音程が出る楽器ではなく、自分で音程を作り出さなければなりません。感覚が衰えないように毎日の基礎練習は欠かせませんが、その先により高度な技術があって、それを表現の一部として自在に扱うためには膨大な練習時間が必要です。曲によっては腕を壊してしまうこともあるし、私自身も尺骨神経を麻痺(まひ)させたり、指が動かなくなったり、弦が爪に食い込んで流血することもある。それでも理想の音を追い求め、その音を形にしていくのが演奏家としての自分の責任だと思っています。
尺骨神経の治療の時、オリンピック選手を施術している鍼の先生から言われたのは “あなたはオーバートレーニング症候群です” ということ。練習すればするほど演奏が研ぎ澄まされていく一方で、蓄積した疲労がある段階を超えるとパフォーマンスが落ちて、気がつかないまま練習を続けると心身に不調をきたしてしまうんです。クラシックの世界にはそういった情報がなかったので、自分が体を壊したことで初めて知って、それ以降は本番でベストを尽くせる体の状態を計算しながら練習方法を調整するようになりました」
長江「活動している分野こそ違いますが、自分の思いや信念を形にしようと突き詰めていくと、根本的なところで共通している部分が多々ありますね」
服部「本当にそうですね。味覚と聴覚という差だけなんじゃないかなと思います」
服部百音(はっとり・もね)
1999年生まれ。8歳でオーケストラと共演。10歳以降さまざまな国際コンクールで優勝やグランプリを受賞。11歳でミラノでのリサイタルを皮切りにウラディミール・アシュケナージとスイスイタリア公演、ハチャトリアン音楽祭、マリインスキー劇場などで演奏。2021年NHK交響楽団、パーヴォ・ヤルヴィと共演、翌年ドイツ・カンマーフィルと共演して大好評を博す。 2022年から自身の企画コンサート「STORIA」を展開し、日本での演奏機会に恵まれない名曲の普及にも意欲的に取り組んでいる。桐朋学園大学大学院修了。使用楽器は日本ヴァイオリンから特別貸与のグァルネリ・デルジェス。
長江桂子(ながえ・けいこ)
弁護士を志して学習院大学で法律を学び、1997年フランス留学。一流シェフたちを輩出する世界的な料理学校「ル・コルドン・ブルー」でディプロマ取得。名店「ラデュレ」で腕を磨き、2002年に三つ星料理人のロンドン店「スケッチ」のオープニングスタッフに抜擢。巨匠ヤニック・アレノ率いる「ホテル・ムーリス」を経て、2004年にミッシェル・トロワグロが手掛ける「ホテル・ランカスター」のシェフパティシエに就任。続く2008年に三つ星レストラン「ピエール・ガニェール」パリ本店のシェフパティシエを務めた際には、氏の元で世界中のレストランオープンや国際イベントの指揮、パティシエ育成にも力を注いだ。2012年、ガストロノミー界のコンサルタントとして独立。自らの会社「AROME(アローム)」をフランス・パリに設立。ガストロノミー界の異なる分野で参入、指導。2023年7月より「クレソンリバーサイドストーリー旧軽井沢」にてコラボレーション開始。2024年4月に同店の総料理長に着任。
(7月24日取材、TOKYO HEADLINE・後藤花絵)