【短期集中連載】〈日本で最も歴史の長いプロ格闘技・シュートボクシング40年史〉第7回 夢のマッチメークを次々と GROUND ZEROのコンセプト

 来る11月24日、東京・国立代々木競技場第2体育館で創立40周年記念興行「〜SHOOT BOXING 40th Anniversary〜S-cup×GZT 2025」を行うシュートボクシング。プロ格闘技団体として同じ名前では史上最長となる40年という長い歴史を振り返る。(文・布施鋼治/写真提供・一般社団法人シュートボクシング協会)

1988年の格闘技専門誌の表紙を飾ったヤーブローと村濱武洋。当時はこんな表現も許された時代だった…

 シュートボクシングはS-cupとともに、もうひとつビッグイベントを定期開催している。普段は組まない夢のワンマッチを主軸に据えたGROUND ZEROだ。1996年1月27日、横浜文化体育館で開催された『SHOOTFIGHTING CARNIVAL GROUND ZERO YOKOHAMA~格闘祭~』はその第1弾だった。

 メインイベントでは当時まだキャリア11戦の村濱武洋が“ムエタイの神様”チャモアペット・チョーチャモアンの牙城に挑んだ。ムエタイで9つも王座を奪取している生きるレジェンドに対して、村濱は縦横無尽のフットワークやアッパーを武器に互角の攻防を繰り広げる。その結果、チャモアペットのヒザが二度もストンと落ちるほど、あわやという場面をプロデュースした。

 判定は2-1でチャモアペットが薄氷の勝利を収めたが、村濱が大いに評価を高めた一戦となった。練習の虫だった村濱をSBを創設したシーザー武志は次のように振り返る。「村濱は体が小さかったじゃない。でも、25㎏のバーベルを交互に持ち上げていた。両方で50㎏だよ。ビビったよ」

 このGROUND ZEROではほかにもバーリトゥード特別ルールによる安生洋二VSマンソン・ギブソンの20分1本勝負、長らく欠場を続けていた吉鷹弘の復帰戦など豪華なマッチメークがあまた組まれていた。さらには東孝氏が創設した大道塾の選手同士による特別試合、先日急逝された麻生秀孝氏が創設したサブミッション・アーツの試合も。“格闘技の祭典”という触れ込みに偽りはなかった。

 その後もGROUND ZEROは普段の後楽園ホールの定期戦では組まれない、意欲的なマッチメークを次々と世に送り出す。98年11月14日、日本武道館で開催された第2回大会ではキックボクシング5団体のチャンピオンやトップランカーが集結。第1試合にはまだ全日本キックボクシング連盟の若手のホープだった魔裟斗も出場している。

 振り返ってみれば、同年1998年4月26日に横浜アリーナで開催された修斗との合同興行『Shoot the Shooto XX』もGROUND ZEROのコンセプトを感じさせるビッグイベントだった。極めつけは当時トランスジェンダーのムエタイ戦士として話題になっていたノントゥム・パリンヤーを初来日させ、女子プロレスラーの井上京子との異種格闘技戦を実現させたことだろう。

 このパリンヤーVS井上とともに、明らかに異彩を放つ試合があった。体重300㎏といわれていた世界一の巨漢アマチュア力士エマニュエル・ヤーブローにプロレスラーの中野龍雄が挑んだバーリトゥード戦(MMAの前身ともいえる試合形式)だ。

 勝負は試合開始のゴングと同時にヤーブローが張り手をラッシュし、グラウンドで上四方固め。そのまま自らの体重を利する形で窒息状態に追い込み、あっという間にタップを奪った。いずれのマッチメークも「普段は格闘技を見ない層にも楽しんでもらいたい」というシュートボクシングならではの粋なマッチメークだった。

 このGROUND ZEROはしばらく開催されない時期もあったが、昨年12月26日には5年ぶりに通算8回目の大会が開催された。コンセプトは団体の垣根を取り払い、シュートボクシング以外のルールの試合も組まれる原点回帰というべき大会となった。

 最大のサプライズは日本ムエタイ界の至宝・吉成名高がシュートボクシング初参戦を果たし、初めてオープンフィンガーグローブ着用によるムエタイに挑戦したことだろう。

 もうひとつのサプライズはSB日本ウェルター級王者・奥山貴大がMMAに初挑戦したこと。しかも挑戦しただけにとどまらず、MMAでのキャリアは遥かに上の白川ダーク陸斗を破るというアップセットをやってのけた。 

 そういえば、緒形健一もMMAに挑戦したことがあった。シュートボクサーほど、挑戦の二文字が似合うファイターはいない。
(第8回に続く)