【短期集中連載】〈日本で最も歴史の長いプロ格闘技・シュートボクシング40年史〉第9回 “絶対王者”アンディ・サワーの時代
来る11月24日、東京・国立代々木競技場第2体育館で創立40周年記念興行「〜SHOOT BOXING 40th Anniversary〜S-cup×GZT 2025」を行うシュートボクシング。プロ格闘技団体として同じ名前では史上最長となる40年という長い歴史を振り返る。(文・布施鋼治/写真提供・一般社団法人シュートボクシング協会)
もし予定通りサワーがK-1 WORLD MAXに出場していたら…
ふとした拍子に人生は大きく変わる。
長らくシュートボクシングの外国人エースとして君臨したアンディ・サワー(オランダ)の軌跡を見ているとそう思わざるをえない。初来日は2002年7月7日の開催されたS-cup。当時まだ19歳だったサワーは来日前から注目される存在だった。
それはそうだろう。2カ月前に行われた第1回K-1 WORLD MAX世界一決定トーナメントで優勝したアルバート・クラウス(オランダ)の同門で、当時ふたりが所属していたリンホージムの会長は「ふたりのスパーリングを見る限り、総合的な実力ではサワーのほうが上」と断言していたのだから。
特筆すべきはそのK-1 WORLD MAXには当初はサワーが参加する予定だったということだ。しかしながら直前に負ったケガによりサワーは欠場を余儀なくされ、同門で同じ階級のクラウスに白羽の矢が立ったのだ。
勝負の世界で“たられば”は禁物ながら、もし予定通りサワーがMAXに出場していたら、中量級の歴史は大きく変わっていたような気がしてならない。サワーがMAXで優勝して、クラウスがシュートボクシングに出場していた可能性もあったのではないか。
代打出場のクラウスは戦前全くの無印だったが、準決勝で魔裟斗を破った勢いで決勝ではガオラン(タイ)をボディーからのパンチの連打でKO。一躍スターダムに躍り出た。
一方のサワーは優勝候補の触れ込み通り、S-cup一回戦ではシュートボクセのマヌエル・ホンセカ(ブラジル)を相手に2RKO勝ち。そして準決勝では土井広之(シーザー)を1RKOで、そして決勝では“手から稲妻を出す男”ジョン・イーゴ(中国)からも判定で勝利を収め、シュートボクシング初出場にしてS-cup初優勝を収めた。
白眉は初戦、準決勝といずれも後にサワーの代名詞となる右脇腹へのレバーブローで対戦相手をキャンバスに次々と沈めていることだろう。スピーディーにタイミングよく強く突く打ち方は新鮮で、他の選手にもすぐ伝染したほどだった。
S-cupでは4度、K-1 WORLD MAXでは2度優勝
その後はシュートボクシングとK-1を交互に行き来する形でキャリアを積み重ね、S-cupでは通算4度、K-1 WORLD MAXでは2度も優勝している。複数のプロモーションでいずれも結果を残すなんて、本当に実力がないとできない。
サワーは自分が世界に打って出るきっかけを作ってくれたシュートボクシングに対して恩義を感じており、K-1で東京に宿泊するときも主催者指定のホテルには泊まらず、シーザージムのある浅草に宿泊していた。浅草には馴染みの店が何軒もあるのだ。
K-1 WORLD MAXでもルールで禁止されるまで、シュートボクシングのトレードマークであるロングスパッツを履いてファイトしていた。2010年9月18日に実現した日菜太戦ではシュートボクサーであることを証明するかのように、スタンディングチョークスリーパーによってタップを奪った。
最後までチャレンジ精神を持ち続けたファイターでもあった。2015年にRIZINがスタートすると、未知の領域であるMMAに挑戦した。デビュー戦では長嶋☆自演乙☆雄一郎(魁塾)にKO勝利を収めたが、その後はMMAのキャリアのなさを突かれる形で苦戦が続いた。それでも、サワーのチャレンジ精神は評価されるべきだろう。MMAだけではない。2014年にはプロボクシングにも挑戦。37戦27勝というジョージアのボクサーを相手に4R終了時TKO勝ちを収めている。
結局、2021年にサワーは現役引退を表明したが、シュートボクシングとキックボクシングを合わせると、180戦を超えるキャリアを積み重ねた。トーナメントが多かったとはいえ、中量級でこの試合数は驚異というしかない。普段から節制して鍛練を積み重ねなければ、こんな前人未踏の記録は生まれなかったのではないか。シュートボクシングの絶対王者として、アンディ・サワーの名は我々の胸にしかと刻み込まれている。

