【短期集中連載】〈日本で最も歴史の長いプロ格闘技・シュートボクシング40年史〉第6回 優勝は吉鷹弘。阪神大震災の直後、大阪で開催された第1回S-cup

 来る11月24日、東京・国立代々木競技場第2体育館で創立40周年記念興行「〜SHOOT BOXING 40th Anniversary〜S-cup×GZT 2025」を行うシュートボクシング。プロ格闘技団体として同じ名前では史上最長となる40年という長い歴史を振り返る。(文・布施鋼治/写真提供・一般社団法人シュートボクシング協会)

吉鷹のトレードマークは赤いハチマキだった

70㎏でワンデートーナメントをやったら絶対面白いと思った

 95年1月31日、大阪府立体育館(現エディオンアリーナ大阪)でシュートボクシング(以下SB)は創立11年目にして初めてビッグイベントを開催した。契約体重70㎏の選手を8名集めたワンデートーナメント、S-cupである。70㎏のトーナメントといえば、K-1WORLD MAXが思い浮かぶ。しかしながらMAXのスタートは2002年。つまり中量級のトーナメントのパイオニアはS-cupといっていい。それにしても、なぜシーザー武志はS-cupを開催しようと思ったのだろうか。

「当時、SBの70㎏には吉鷹弘がいた。この階級でワンデートーナメントをやったら、絶対面白いと思ったんだよ」

 決戦2週間前には阪神大震災が発生。関西在住の吉鷹の応援に来たくても来れなかった地元のファンや知人も多かったと聞く。会場ロビーでは少しでも関西を元気づけようと、BOROらそうそうたるアーティストたちがチャリティライブを行っていた。

 前年11月には吉鷹と元SBで当時UWFインターに所属していた大江慎が格闘技史上に残る激闘を繰り広げた末に吉鷹が勝利を収めていた。周囲の期待に応えるかのように大江のS-cup参戦も発表されたため、吉鷹との再戦を期待する者も多かったが、大江は直前の練習中のケガによって大会当日欠場が発表された。それでも、記念すべき第1回大会には吉鷹のほか、ボーウィー・チョーワイクン(タイ)、ライアン・シムソン(オランダ)、ロニー・ルイス(米国)ら当時の立ち技70㎏級を代表する強者たちが揃っていた。

 ボーウィーは大江と同じように当時UWFインターナショナルに所属する助っ人ムエタイ戦士。シムソンは実力者揃いのオランダキック界の中でも屈指の実力者として知られ、のちに第2回S-cupで優勝する実力者だ。

 そうした中、優勝候補として吉鷹を推す声も多かったが、対抗馬の筆頭はルイスだった。ルイスは米国のゴールデングローブを4度も制したというアマチュアボクシング出身の選手で、身長190㎝、リーチは2m強という70㎏級では規格外のサイズを誇る選手だった。

 気性は荒く、89年11月に実現した吉鷹とのワンマッチでルイスは反則のサッカーボールキックで頭部を裂傷させただけではなく、脇腹に噛み付くという暴挙に出るなど、SB史上に残るケンカマッチを展開していた。

この大会を皮切りにSB恒例のビッグイベントに成長

 巷の予想通り、決勝は吉鷹とルイスの顔合わせとなった。過去両者の対戦戦績は1勝1敗だったので、完全決着戦だ。吉鷹は初戦で右足を負傷したため1ラウンドからルイスの右フックをかいくぐりながら左のローで長い右足にダメージを蓄積させていく。しかしながら時間が経つにつれ、ルイスの左ストレートや右のロングフックがヒットし出す。

 延長2回でも決着はつかず、裁定はルールに基づき体重判定になると思われたが、ここでルイスは「まだ俺はやるぞ」とばかりに吠え始めた。完全決着は吉鷹も望むところだ。かくして試合は2分間の特別延長戦へ。ここで吉鷹はシュートボクシングならではの首投げを決め、一気に試合の流れをたぐり寄せる。続けて渾身の右アッパーもヒットさせたかと思えば、左ローでルイスをグラつかせた。判定は文句なしに吉鷹だったが、ルイスは納得せず、ツバを吐きちらしながらリングを下り、花道のまわりのパイプイスを投げ飛ばしながら退場した。

 表彰式が行われる中、気がつけば、リングまわりには人波が押し寄せていた。それだけ吉鷹の2連戦(準決勝はボーウィーが棄権したため不戦勝扱いに)に興奮した者が多かったのだ。この大会を皮切りにS-cupは70㎏級や65㎏級を軸に11回も開催されるSB恒例のビッグイベントに成長していく。

 来る11月24日の40周年記念大会では実に7年ぶりに通算12回目のS-cupが開催される。今回はフェザー級(57.5㎏以下)。他団体からの強豪も多数参戦する中、彪太朗と虎矢太の山田ツインズや川上叶のSB勢は看板を死守することができるのか。
(第7回=11月4日掲載に続く)