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THE RAMPAGEの武知海青が7・13後楽園でDDT入団第1戦。「やるからにはテッペンを取りたい」と将来のタイトル獲得にも意欲【DDT】

2025.06.05 Vol.Web Original

 DDTプロレスリングへの入団が発表されたLDH JAPANのダンス&ボーカルグループ「THE RAMPAGE」の武知海青が「やるからにはテッペンを取りたい」と将来的なタイトル獲得への意欲を口にした。

 武知は昨年2月25日にDDTの後楽園ホール大会でプロレスデビューを果たし、高い身体能力で大きなインパクトを残した。9月、10月にも参戦し、今年1月の週刊プロレス主催の「プロレスグランプリ2024」では新人賞を受賞している。

 武知は6月5日に都内で行われた会見でDDTとエージェント契約を結んだことが発表された。入団後の初戦は7月13日の後楽園大会。武知はデビュー戦と同じく上野勇希、勝俣瞬馬と組んで、ダムネーションT.Aの佐々木大輔、岡谷英樹、MJポー組と対戦する。同大会はABEMAとWRESTLE UNIVEASEで同時生中継される。

 武知はこの試合に向けて「デビュー戦と同じくお二人に味方になっていただいて一緒に戦えるということはすごく心強いですし、入団一発目がデビュー一戦目と重なるという何か奇跡のようなものも感じています。その対戦相手にはやっぱり岡谷選手。デビュー当時に印象に残っているのは赤髪の岡谷選手が僕に愛を持って接してくださって、すごい良い戦いができたんですけど、最後に握手を断られたりだとかいろいろあり、因縁があったままなかなか試合ができずにいたんですけれども、こうして入団一発目というメモリアルなタイミングで試合をさせていただけるということは僕自身もすごくうれしい。どんな攻撃を受けても、どんな内容の試合であっても全てを受け止めて前に進むしかないと思っていますので覚悟を決めて臨みたいなと思います」と覚悟を口にした。

THE RAMPAGEの武知海青がDDTに入団。「もっとやりたいという気持ちがあった。プロレスファンの皆さんに認めてもらえるように頑張っていきたい」【DDT】

2025.06.05 Vol.Web Original

 LDH JAPANのダンス&ボーカルグループ「THE RAMPAGE」のメンバーである武知海青がDDTプロレスリングとエージェント契約を結び、同団体に入団したことが6月5日に発表された。

 今後、武知はプロレス活動に関しては、DDTプロレスが窓口業務を行い、THE RAMPAGEとしてのアーティスト、俳優、タレント活動はこれまで通りLDH所属として変わらず行っていく。

 この日、武知は都内で行われた会見にDDTを運営するCyberFightの髙木三四郎代表取締役副社長、彰人取締役、同団体に所属するプロレスラーの上野勇希とともに臨んだ。上野は武知の入団後の初戦となる7月13日の東京・後楽園ホール大会でトリオを組む。

 会見では髙木副社長が「昨年の2月25日の後楽園ホール大会におけるプロレスデビュー戦での圧倒的なポテンシャルを見て、これはもう間違いなくプロレス界でもスターになれる逸材だと強く感じ、ぜひプロレス界を盛り上げる存在になっていただきたいと思い、LDHさんと話を重ねながらDDTに迎えられるタイミングをずっとうかがってきました。今日、正式に発表できることを本当にうれしく思っております」とデビュー戦時からその才能にほれ込んでいたことを明かした。

プロレスラーの橋本友彦ががん再発で6・22浦安を最後に活動休業「病気を治して、絶対にリングに戻ってきます!」

2025.05.27 Vol.Web Original

 プロレスリングA-TEAMのエースでプロレスラーの橋本友彦ががんが再発し、治療に専念するため、6月22日の千葉・オリエンタルホテル東京ベイ大会を最後にプロレス活動を休業することを発表した。

 昨年2月に体調の異変を覚えた橋本は病院を受診したところ、肝臓に異常が見つかった。それでも、試合には出場していたが、精密検査の結果、9月9日に肝臓がんステージ2と告知された。しかし、念願だった藤田和之との一騎打ち(10月13日、東京・新木場1stRING)が控えていたため、同大会に強行出場。過去の藤田とのシングルでの対戦成績は2戦2敗。雪辱を期した一戦は両者リングアウトの末、再試合となり無効試合となった。

 藤田戦を終えた橋本は11月19日、都内の病院でラジオ波焼灼術による治療を受けた。体調は万全ではなかったが、藤田とのシングルでの再戦を目標に、12月に復帰。その後の定期検査でいったんはがんが消えたこともあった。

 今年4月20日の東京・ひがしんアリーナ(墨田区総合体育館)での「A-TEAM旗揚げ8周年記念興行」ではタッグマッチながら、藤田との再戦が実現。橋本は石坂ブライアンと組み、橋本、ケンドー・カシン組と対戦し、STOで藤田からピンフォールを奪い、雪辱を果たした。試合後には藤田とシングルでのリマッチを約束し、固い握手を交わした。

 そんな折り、5月の定期検査の結果が芳しくなかったため中旬に精密検査を受けたところ、肝臓の難しい部位にがんが再発していることが判明。主治医から抗がん剤など西洋医学での治療は困難との宣告を受けた。別の病院を回ったが医師から伝えられた答えは同じだった。

 一時は失意のどん底だった橋本だが、気持ちを切り替えて、今後は東洋医学、湯治、食事療法などで治療を行っていくことを決断した。それにあたって、A-TEAMでは専門家、関係者、ファンからも東洋医学などの情報を求めている。

 そこで、橋本は治療に専念するべく、プロレス活動は休業する。ただ、すでに発表済みの6・22浦安大会には強行参戦し、区切りをつける。この非常事態を聞いたDDT時代の戦友である石川修司、MIKAMI、タノムサク鳥羽が友情参戦を志願。この3選手がトリオを結成し、橋本、雷電、カズ・シバノ組と対戦する。

 むろん、橋本は生きることも、プロレスラーとして復帰することもあきらめていない。「東洋医学で病気を治して、絶対にリングに戻ってきます。藤田さんともう1度シングルマッチをして、リベンジしなければならない目標も残っているので待っていてください」とコメントしている。

高橋幸光がUNLIMITEDルール初挑戦で1RKO勝ち。試合後には飯伏幸太にその場飛びムーンサルトで3カウント奪われる【KNOCK OUT】

2025.05.19 Vol.Web Original

 プロレスラーでムエタイファイターの高橋幸光(飯伏プロレス研究所)が「KNOCK OUT 2025 vol.3」(5月18日、東京・後楽園ホール)でUNLIMITEDルールに初挑戦し、川村英樹(リバーサルジム久喜wings)と対戦した。試合は高橋が1Rに左右のフックでダウンを奪うと、そのままダウンした川村にヒジを落とし続け、1RでKO勝ちを収めた。

 1R、オーソドックスの構えの高橋とサウスポーの川村。高橋はロー。すぐにサウスポーにスイッチの高橋。高橋は詰めてパンチから組み付く。川村が投げを狙うがこらえる高橋。ブレイク後、ともにロー。川村は左カーフ。高橋はスイッチを繰り返す。川村が組み付く。こらえる高橋。高橋は前蹴りから右フックでダウンを奪う。ダウンした川村に鉄槌とヒジを落とし続けると川村の動きが止まり、レフェリーが試合を止めた。

UNLIMITEDルールに初挑戦の高橋幸光「ルールをちゃんと読みます」 プロレスでは「ルールを理解していない疑惑」も浮上中【KNOCK OUT】

2025.05.17 Vol.Web Original

「KNOCK OUT 2025 vol.3」(5月18日、東京・後楽園ホール)の前日計量が5月17日、都内で行われた。

 今大会でUNLIMITEDルールに初挑戦するプロレスラーでムエタイファイターの高橋幸光(飯伏プロレス研究所)は69.80kg、対戦相手の川村英樹(リバーサルジム久喜wings)は69.85kgで規定体重をクリアした。

 高橋は計量の4日前の13日にプロレス団体「PPPTOKYO」で団体としては初の王座となる「Emperor of Party-The Moment Championship-」の初代王者決定戦に出場したのだが、無念の敗戦。試合後に「日曜のキックボクシングの試合に向けての減量中でお腹がすいていた」と敗因を語っていたのだが、無事、計量クリアとなった。

 高橋は計量後の会見で「明日はちゃんとムエタイ選手として、なおかつプロレスラーとして戦いますので、楽しみにしていてください」と挨拶。

“平成のプロレス仕掛け人”永島勝司さんを偲ぶ「追悼屋上プロレス」を5・24池袋で開催

2025.05.12 Vol.Web Original

 今年2月にこの世を去った“平成のプロレス仕掛け人”永島勝司さんの「追悼プロレス」が5月24日に行われることが発表された。

 永島さんは東京スポーツの運動部記者、整理部長として活躍後、新日本プロレスに入社。故アントニオ猪木さんの右腕として1995年に北朝鮮で行われた「平和の祭典」や「UWFインターナショナル対抗戦」「日米ソ三国対抗マッチ」「アントニオ猪木引退試合」といったさまざまなイベントを仕掛け“平成のプロレス仕掛人”として名を馳せた。

 新日退社後は長州力とWJを旗揚げし、WJの活動休止後には内外タイムス編集長を経て、2016年から今年2月に亡くなるまでバトル・ニュースで編集長を務めた。

 今回の追悼プロレスはバトルニュースが主催し、運営では生前、永島さんと懇意にしていたDDTプロレスリングが協力。池袋駅直上にあるヨドバシHD池袋ビル(西武池袋本店)9階屋上でプロレスの試合とトークショーを行う。

蝶野正洋が故橋本真也さんの破天荒エピソードを披露「みんなかみさん連れなのに恋人を連れて来た!」

2025.02.22 Vol.Web Original
 武藤敬司と蝶野正洋が2月22日、埼玉県・川越市で「『不屈の現場研修』スペシャルトークショー」と題したイベントを行った。
 
 2人は1984年4月22日に新日本プロレスに同日入門し、同年10月5日に埼玉・越谷大会でデビュー戦の相手として対戦。そして2023年2月21日に東京ドームで行われた武藤の引退試合では内藤哲也と対戦後に解説席にいた蝶野をリングに上げ、ラストファイトを行うなど固い絆を持つ2人とあって、MCのお笑い芸人・神無月を相手に息の合ったトークを展開した。
 
 武藤が冒頭「2年前の2月21日に東京ドームで引退したんですよ」と語ると、まずは2年前の引退試合を振り返ることに。
 
 蝶野は「2月21日は素晴らしい引退試合だったんですが、武藤さんが無茶ぶりしてきた。まずおかしいのが、俺、解説なのに、音楽が鳴って入場ゲートから入っていったじゃないですか。メインは武藤さん。そして対戦相手は内藤君。なんで俺が花道を歩かないといけないのかなとは一瞬…。それで試合前に“最後は灰になりたい”とか言っていたと思うんですけど、それくらいの試合をしたのに試合が終わった後になんか余裕の顔をしていた。燃え尽きた顔をしていない。まだ現役を続けそうな感じだった。俺は最後、もし武藤さんが立ち上がれなかったらリングに上がって肩でも貸して、一緒に花道でも…って思っていた。そして、最後の挨拶もまとまってなくて大丈夫なのかなと思っていたら“おい蝶野、俺と戦え”って。“蝶野、リングに上がってこい”ならまだしも、リング上から“俺と戦え”ってありえないじゃん」と当時の状況を振り返る。

蝶野正洋が武藤敬司に「長州さんとの仕事が多いから、だんだん活舌が悪くなってきた」と指摘。武藤は蝶野の猪木さんの付き人時代に起こった珍事を暴露

2025.02.22 Vol.Web Original
 武藤敬司と蝶野正洋が2月22日、埼玉県・川越市で「『不屈の現場研修』スペシャルトークショー」と題したイベントを行った。
 
 同イベントは埼玉を中心にスーパーマーケット「ベルク」を関東で展開している株式会社ベルクらが実施している「武藤敬司&蝶野正洋『不屈の現場研修』キャンペーン」のタイアップ企画を記念して行われたもの。2人はMCのお笑い芸人・神無月を相手に息の合ったトークを展開した。
 
「武藤さんの女性人気は断トツだった。髪の毛のある頃はイケメンでモテモテだった。もう1回、づらとかロン毛バージョン考えたほうがいいんじゃない?」と言う蝶野の言葉に神無月が「よく武藤さんと一緒にイベントやると俺のづらを勝手にかぶって“やっぱり髪があるとかっこいいな”って(笑)。1回、長州さんになってみます?」と振ると、武藤は神無月がかぶっていた長州力のモノマネをする際のずらを着用。これを見て「髪の毛あると違うよ(笑)」といじる蝶野。

元プロレスラーの武藤敬司がCMで2年ぶりにコスチューム姿を披露。そして「人生に悩んだらプロレスを見なさい!」とメッセージ

2025.02.04 Vol.Web Original
 元プロレスラーの武藤敬司が2023年2月の引退以来、初となる現役時代さながらのコスチューム姿を披露した。もっともこれは2月4日から公開されているエクソンモービル・ジャパンの新WEBCM「起き上がるたび、人は強くなる。(振り返る)」篇でのお話。
 
 CMでは車を走らせる武藤が「どんな困難があっても、妥協しても、挫折しても、何を言われても這い上がって強くなる」というメッセージを語るバックに現役時代の姿が差し込まれ、そこから風が吹き、雷が鳴る悪天候のなか岩場を力強く登る武藤の姿につながっていく。
 
 武藤はオフィシャルのインタビューでは自身の演技について「天龍さんや長州さんよりは滑舌はいいから(笑)。それに比べたらまともなほうだと思う」などと自己採点。久しぶりのコスチューム姿については「ちょっと血が騒ぐ感じがしますね」と語った。そして最後に「人生に悩んだらプロレスを見なさい!」とメッセージを贈っている。
 
 4日からはMobil 1公式Xアカウントにて武藤からの応援動画も随時公開。こちらでは「絶対諦めるなよ!」などと檄を飛ばす武藤の姿が見られる。また3月17日にはWEBCM第2弾の「呼びかける」篇が公開予定となっている。

レイザーラモンRGの思い出のクリスマスは曙さんとボブ・サップにけちょんけちょんにやられた2007年のハッスル

2024.12.11 Vol.Web Original

 お笑い芸人のレイザーラモンRGの思い出のクリスマスは2007年12月25日に東京・後楽園ホールで行われた「ハッスル・ハウス ~クリスマスSP 2007~」だった。

 RGは12月11日、都内で行われた『「年末ジャンボ宝くじ」「年末ジャンボミニ」全国だんだんジャンボ化計画イベント』に妻夫木聡、今田美桜とともにゲストとして出演した。

 イベント後の取材ではクリスマスが近いということで「思い出のクリスマスは?」と聞かれたRG。

「2005年から2010年くらいまでプロレス団体に出ていたんですが、2007年に後楽園ホールでクリスマスに試合があって。高田延彦さん、高田総統に“RG、お前にクリスマスプレゼントをやる”と言われて行ったら曙さんとボブ・サップと戦うことになった。曙さんに場外にぶん投げられたり、ボブ・サップに頭をつかまれてぶん回されたりした。あのクリスマスは忘れません(笑)。プロレスファンとしては夢のような一日だった。控室には天龍さんもおられましたし。あ、スコット・ノートンとも戦いました。巨人5人対RGみたいな試合だったんですよ。あの日のことは一生忘れません」と振り返った。

自身のドキュメンタリー映画「ファイト」が公開の大仁田厚が曙、高山善廣、長州力との電流爆破マッチを振り返り「好きなことを胸いっぱいやれるのは幸せ」

2024.12.07 Vol.Web Original
 今年4月にデビュー50周年を迎えた現役プロレスラーの大仁田厚に8年間密着したドキュメンタリー映画「ファイト」の上映が12月6日からスタートし、7日には東京・新宿のシネマート新宿で大仁田が舞台挨拶とトークイベントを行った。
 
 大仁田は冒頭、全日本プロレス引退後に道路工事の仕事をしていた時に少年にサインをお願いされ「まだ俺はプロレスを捨てていないんだと感じた。その時にもう1回戻ってみようという気持ちが芽生えた」と現役復帰しFMW設立に動いた心境、その後、電流爆破デスマッチを考案し実現に至った経緯を振り返った。
 
 そしてその電流爆破で戦った曙さん、高山善廣、長州力といった思い入れのある選手の名を挙げ「高山さんはこの間、病院に行ってきた。頭から有刺鉄線に突っ込んですごいと思った。その勇気とすごさ、プロレスに命を懸けているすごさを感じた。曙さんのボディープレス、270キロが僕の上に乗ってきた。生まれて初めて胸の骨が折れた。よく“痛くないんでしょ?”と言われるんですが、痛いものは痛いんですよ。胸の骨はずっと痛くて。曙さんとやるのはずっと恐怖だった。長州さんには一方的にやられた」などと振り返った。

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