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改めて皇位継承問題を考える(その三)【長島昭久のリアリズム】

2021.06.14 Vol.742

 

 前回までに、我が国古来2000年にわたる皇位継承の歴史的大原則である血統原理に基づく「男系継承」の尊さと、それを貫徹するために幾度もの危機を乗り越える過程で編み出された「直系を補う傍系継承」という知恵について述べさせていただきました。その上で、今日直面する皇位継承の危機を克服するために、約600年遡り「伏見宮」系のご子孫を皇室にお迎えすることを提唱させていただきました。

 ただし、GHQ指令に基づくものとはいえ70年以上も前に皇籍離脱した方々のご子孫を、いきなり皇室に迎えるとなると様々な議論が出てくることでしょう。そこで、成人された方々をいきなり皇籍復帰させるのではなく、例えば、旧宮家に連なる十歳前後の男児の方を現皇室に養子としてお迎えし、その宮家を継承していただくということも考えられるのではないでしょうか。幸い、伏見宮系の旧宮家には、五歳とか七歳とかのお子さんも複数いらっしゃいます。こういう方たちに皇室に入っていただいて、帝王学を学んでいただければ、将来、立派な皇位継承資格者になられると考えます。

 そもそも宮家や親王家というのは、「皇統の藩屏」といって男系男子の血筋を保存する〝フェールセーフ〟の仕組みです。もし天皇にお子様が生まれなかった場合、男系皇統を守るために直系に代わって「傍系」が皇位を継承する。こうして万世一系を貫いてきたのが日本の歴史なのです。

 歴史を紐解けば、「傍系継承」で男系継承を維持した先例が少なくとも10例あります。最初が第22代清寧天皇から6親等を隔て祖父の兄の孫である顕宗天皇への継承です。2例目が、有名な第25代武烈天皇から継体天皇への継承です。当時の大連(最高実力者)大伴金村の叡慮によって、武烈天皇から見て10親等を隔てた高祖父の弟の玄孫たる男大迹王(おおどのみこ)を越前に尋ね求めて継体天皇として即位せしめたのです。最近では、第118代後桃園天皇から光格天皇への継承が、7親等を隔てた傍系継承となります。

 今日、この「傍系」の役割を復活させるためには、皇室典範の改正をしなければなりません。一つは、典範第九条です。同条が禁ずる「皇族の養子」を条件付きで緩和する必要があります。ところで、明治の典範制定時、その中心的役割を担った井上毅は、皇族内の養子は「皇統の紊乱につながる」と考え、これを禁じました(旧典範第四十二条)。しかし、宮家間の養子を禁ずることによって、近代以降、男系男子を当主とする宮家が次々に廃絶に追い込まれてしまいました。紊乱を防ごうとするあまり、皇統の先細りを招いてしまったのでは、それこそ本末転倒です。

 もう一つは、典範十五条の改正です。旧宮家といっても、その子孫の方々には皇籍に復帰するのではなく、新たに取得していただかなければなりません。つまり皇籍を取得する「特例」を設ける必要があります。(つづく)(衆議院議員 長島昭久)

改めて皇位継承問題を考える(その二)【長島昭久のリアリズム】

2021.05.10 Vol.741

 

 歴史上、たしかに10代8方の女性天皇(女帝)がおられます。しかし、歴史的経緯を子細に見てみれば、これらはあくまで例外の「中継ぎ」であることがわかります。しかも、すべて男系であり、即位後に婿も取られず、子も産んでおられません。すなわち、皇位は、男系継承が古来例外なく維持されてきたのであって、女系に道を開くようなことは厳格かつ慎重に避けられてきました。これが揺るぎない皇統の大原則なのです。

 なぜ女系が許されないのか。それは至極簡単な理屈です。女系というのは父が皇統に属さない天皇のことで、これを認めれば別の王朝(易姓革命)となってしまうからです。我が国は建国以来、世界で唯一の単一王朝(万世一系)であって、まさにそのことが“ありがたい”のです。つまり、皇位は血統こそが正統性の源ですから、神話の世界も含めて二千年の時を遡って神武天皇に繋がっていることの“ありがたみ”というものが、天皇の権威の大本になっているのだと私は思います。

 しかし、この大原則が、ただ“ありがたい”ものだと受け身で、何らの努力もなく自然に任せて貫かれてきたわけではありません。皇位継承の歴史を紐解けば、過去に7度、男系断絶(すなわち、皇統断絶)の危機があったといいます。そのつど、先人たちが苦心惨憺し危機を乗り越えてきました。直系の皇子がおられない場合は、傍系を何代にもわたり遡ってでも男系男子を見つけ出し、皇位を引き継いできたのです。200年も遡り、越前にいらっしゃった(男系の)王を探し出して皇位に就いていただいたのが継体天皇ですが、これなどがまさにその典型例です。こうした苦労に苦心を重ねながら、今日に至るまで、万世一系という血統原理を貫いてきたのが、我が国の天皇の歴史です。

 しかし、「守れればいいけれど、男子がお生まれでないのだから、女帝でも女系でも仕方がないではないか」というのが、女性宮家論や、女系天皇容認論です。

 果たして、本当に「仕方がない」のでしょうか。

 じつは、皇位継承資格をお持ちの男系男子は現にいらっしゃるのです。正確には、74年前までいらっしゃいました。それは、戦後、GHQの命令によって皇籍を離脱せざるを得なかった、「伏見宮」系の11家51人の方々です。

 確かに、今の皇室から見て600年前に分かれた伏見宮系の方々では血縁が遠すぎるのではないか、皇籍離脱してもう70年余も一般人として生活しているのだから国民の理解は得られないのではないか、などという声はあります。

 しかし、敢えて私が申し上げたいのは、600年も遡れるお血筋が存在することこそが“ありがたい”のではないか、ということなのです。それが、男系の血統を受け継ぎ、しかも74年前まで皇位継承の資格を持っていた旧宮家の方々なのです。(つづく)

(衆議院議員 長島昭久)

改めて皇位継承問題について考える(その一)【長島昭久のリアリズム】

2021.04.12 Vol.740

 

 政府は3月23日、「安定的な皇位継承策を議論する有識者会議」の初会合を首相官邸で開きました。会議の座長に清家篤・前慶應義塾長を互選で決定。次回以降、法律や歴史などの専門家からヒアリングを行うことを確認しました。皇位継承資格を女性皇族に広げるか、女性皇族が結婚後も皇室に残る「女性宮家」を認めるか、などが主な論点となるとされていますが、戦後に皇室を離れた旧宮家の男系男子孫が復帰する案の是非についても検討するとのことです。

 そもそも上皇陛下のご譲位を実現した皇室典範特例法の付帯決議は、安定的な皇位継承などの検討をご譲位後「速やかに」行うよう政府に求めておりました。政府は、コロナ禍で延期された「立皇嗣の礼」が無事挙行されたことを受け、それまで有識者への非公式ヒヤリングを水面下で重ねてきましたが、ようやく正式な有識者会議の発足に踏み切ったのです。議論の結果は、上記付帯決議に基づき国会に報告されることになります。

 そこで、今回から5回にわたり、安定的な皇位継承をどのように実現するかにつき、改めて私見を整理しておきたいと思います。とくに、令和2年11月8日、秋篠宮文仁親王殿下が皇位継承順位第一位であることを内外に宣言する「立皇嗣の礼」が行われ、お子様である悠仁親王殿下へと皇位が継承されることが確定した今日、皇位継承問題は大きな節目を迎えました。

 たしかに、悠仁親王殿下は14歳ですから、順調にご成長なされば、皇室はあと70年くらいは安泰といえます。しかし、その後の男子皇族が一人もおられない。2000年余「万世一系」の下に継承されてきた皇統の存続が危機に直面しているといっても過言ではありません。このような国家の根本に関わる問題について、今に生きる私たちが何とか道筋をつけなければならず、これ以上の先送りは許されないと考えます。

 最大のポイントは、日本国憲法第2条に明記される「皇位は世襲である」こと、そして皇室典範第1条に定められた「皇統に属する男系の男子がこれを継承する」こと。これが皇位継承の大原則です。私たちに課された責任は、この大原則を守るためにどのような道筋をつけることができるかということに他なりません。

 明治の旧皇室典範を作る際、当時は英国式の「女帝論」が流行っていて、元老院でもそういった案が出ていたそうです。宮内省もそれに沿って研究していました。ところが、明治のスーパー官僚・井上毅が日本の歴史文書を渉猟した上で、「皇室継統ノ事ハ祖宗ノ大憲ノ在ルナリ。決シテ欧羅巴二模擬スヘキ二非ス」と断じて女帝容認を斥けました。「女帝」とは女系天皇のことであり、結局、井上を中心に「男系の男子」原則の皇室典範がまとめられ、戦後の現典範もそれを引き継いでいます。(つづく)

(衆議院議員 長島昭久)

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