「あとで必ずいいことがある」長島昭久さん(衆議院議員)

2016.03.27 Vol.663
ラジオ番組『JAPAN MOVE UP』毎週土曜日21時30分〜 TOKYO FMで放送中!

国家と安全保障を考える(その12)/連載コラム「長島昭久のリアリズム」

2016.03.14 Vol.662
 2009年、オバマ大統領は、就任早々「アメリカ合衆国は、太平洋国家である」と高らかに宣言しました。20世紀初頭、西部開拓をほぼ完了した米国は太平洋を超えてさらに西進を開始、ついにフィリピンを占領し大陸アジアに迫りました。以来、米国は、必然的に西太平洋においてアジアの覇権国家と衝突することになりました。1920-40年代には大日本帝国と、大戦後1990年までソヴィエト連邦と、そして21世紀には中華人民共和国と地政戦略的なせめぎ合いを演じています。そのバランス・オヴ・パワーの最前線は、今も昔も「第一列島線」(日本列島から台湾、フィリピン、ボルネオに至る)と「第二列島線」(小笠原諸島からテニアン、グアム、パプアニューギニアに至る)です。  大日本帝国の「絶対国防圏」は第二列島線に沿って設定されていましたし、朝鮮戦争の引き金を引いたといわれる「アチソン・ライン」は第一列島線に沿って画されました。そして、今、中国は、第一列島線の内側を「内海化」(つまり聖域化)しようとして南シナ海に巨大な人口島を造成し急ピッチに軍事要塞化を進め、その海軍艦艇や長距離爆撃機等の活動範囲は第二列島線まで到達する勢いを見せています。  もちろん、米国も日本も国際社会も、手を拱いてそれを傍観しているわけではありません。米国は、クリントン国務長官(当時:現在、大統領予備選に出馬)が提唱した「アジア・リバランス」(アジアにおけるパワー・バランスの再均衡を目指す)政策を鋭意実行に移しています。その軍事的な核心は、いかにして中国が築き上げている「接近拒否」能力(自国領域への相手国兵力の接近を拒否する能力:例えば、潜水艦や空母、弾道・巡航ミサイル等)を相殺するための対抗手段を確立し得るかです。米太平洋軍では、陸海空海兵隊の統合機動展開能力の開発と同盟国や友好国との連携の更新に全力を挙げています。  日本も、米国の主導するリバランス政策を補完・支援するため、集団的自衛権の限定行使を含む戦後最大の安全保障法制の改革に着手し、日米防衛協力の指針(ガイドライン)を18年ぶりにアップデートしました。同時に、経済分野では環太平洋経済連携協定(TPP)の推進に日米が中心的な役割を果たしています。さらには、南シナ海における法の支配を確立するため、日米豪が中心となりASEAN諸国を巻き込んだ国際協調の促進が図られています。これら一連の動きは、中国の目覚ましい軍事的、経済的台頭に対するパワー・バランスの確保を通じて地域秩序の安定化を図ることにその主眼を置いています。  次回はいよいよ今シリーズの最終回。今後のアジア太平洋地域の平和と安定をどう維持発展させて行くべきか、我が国の安全保障戦略の要諦について考えます。(衆議院議員 長島昭久)

長島昭久のリアリズム 国家と安全保障を考える(その12)

2016.03.13 Vol.682
 2009年、オバマ大統領は、就任早々「アメリカ合衆国は、太平洋国家である」と高らかに宣言しました。20世紀初頭、西部開拓をほぼ完了した米国は太平洋を超えてさらに西進を開始、ついにフィリピンを占領し大陸アジアに迫りました。以来、米国は、必然的に西太平洋においてアジアの覇権国家と衝突することになりました。1920-40年代には大日本帝国と、大戦後1990年までソヴィエト連邦と、そして21世紀には中華人民共和国と地政戦略的なせめぎ合いを演じています。そのバランス・オヴ・パワーの最前線は、今も昔も「第一列島線」(日本列島から台湾、フィリピン、ボルネオに至る)と「第二列島線」(小笠原諸島からテニアン、グアム、パプアニューギニアに至る)です。  大日本帝国の「絶対国防圏」は第二列島線に沿って設定されていましたし、朝鮮戦争の引き金を引いたといわれる「アチソン・ライン」は第一列島線に沿って画されました。そして、今、中国は、第一列島線の内側を「内海化」(つまり聖域化)しようとして南シナ海に巨大な人口島を造成し急ピッチに軍事要塞化を進め、その海軍艦艇や長距離爆撃機等の活動範囲は第二列島線まで到達する勢いを見せています。  もちろん、米国も日本も国際社会も、手を拱いてそれを傍観しているわけではありません。米国は、クリントン国務長官(当時:現在、大統領予備選に出馬)が提唱した「アジア・リバランス」(アジアにおけるパワー・バランスの再均衡を目指す)政策を鋭意実行に移しています。その軍事的な核心は、いかにして中国が築き上げている「接近拒否」能力(自国領域への相手国兵力の接近を拒否する能力:例えば、潜水艦や空母、弾道・巡航ミサイル等)を相殺するための対抗手段を確立し得るかです。米太平洋軍では、陸海空海兵隊の統合機動展開能力の開発と同盟国や友好国との連携の更新に全力を挙げています。  日本も、米国の主導するリバランス政策を補完・支援するため、集団的自衛権の限定行使を含む戦後最大の安全保障法制の改革に着手し、日米防衛協力の指針(ガイドライン)を18年ぶりにアップデートしました。同時に、経済分野では環太平洋経済連携協定(TPP)の推進に日米が中心的な役割を果たしています。さらには、南シナ海における法の支配を確立するため、日米豪が中心となりASEAN諸国を巻き込んだ国際協調の促進が図られています。これら一連の動きは、中国の目覚ましい軍事的、経済的台頭に対するパワー・バランスの確保を通じて地域秩序の安定化を図ることにその主眼を置いています。  次回はいよいよ今シリーズの最終回。今後のアジア太平洋地域の平和と安定をどう維持発展させて行くべきか、我が国の安全保障戦略の要諦について考えます。(衆議院議員 長島昭久)

長島昭久のリアリズム 国家と安全保障を考える(2016年元旦・特別編)

2016.01.11 Vol.658
 新年明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。  さて、昨年来連載して参りました「国家と安全保障を考える」シリーズも大詰めを迎えましたが、今回は、元旦特別編として、昨年末に電撃的な合意に至った慰安婦問題をめぐる日韓関係について、戦略的な視点から考えてみたいと思います。  まず、日韓関係における最大の障害となってきた慰安婦問題が、日韓両国政府により「最終的かつ、不可逆的に解決されることを確認し、両国は互いに非難、批判することを控える」ことで合意されたことを、率直に評価したいと思います。  また、2012年8月の李明博大統領(当時)による竹島不法上陸以来、冷え切っていた日韓関係をここまで修復した日韓両政府および外交当局の努力にも心から敬意を表したいと思います。そもそも慰安婦問題をこじらせた直接の原因は、2011年8月に出された韓国憲法裁判所の違憲判決でした。韓国政府による慰安婦問題解決への不作為を違憲と断定した憲法裁判決により、窮地に立たされた当時の李明博大統領がそれまでの親日政策を転換し、政権末期の翌年8月に竹島へ不法上陸することにより、日韓関係は戦後最悪の状態に陥り、それがそのまま現在の朴槿恵大統領に引き継がれ、日韓国交正常化50周年の昨年いっぱいまでギクシャクが続いたのです。  この間、日韓両国の同盟国である米国は、対中、対北朝鮮戦略の観点から日韓関係の修復を強く求め日韓両政府に陰に陽に圧力をかけ続けました。その結果、国内の反発を覚悟の上で朴大統領は大きな譲歩を迫られ、同時に、国内の嫌韓ムードの高まりや保守派の根強い抵抗を制して、安倍首相が戦略的な決断を行ったのです。この決断に至るまでに、慰安婦問題に対する検証を行い国内の懐疑論を沈静化させ、賢明な「戦後70年談話」を発出して国際的な評価を獲得し、日中関係を改善して戦略的な地歩を固めた上で、経済情勢の悪化もあり年内決着を切望した朴大統領の意向を汲む形で電撃的に外相派遣を決断し合意に漕ぎ着けた安倍首相の外交手腕は鮮やかなものでした。  安倍首相による「お詫び」についても、日本大使館前の少女像の扱いをめぐっても、元慰安婦たちを煽ってきた韓国の民間団体などから、今後様々な反発や批判が予想され、今回の合意の履行はなお予断を許しませんが、日韓両国のマスコミ、政治家、NGOなどは今回の合意を後戻りさせるような言動を慎み、戦略的視点に立った未来志向の日韓関係を深化させて行けるよう相互の努力を重ねて行くべきであると考えます。 (衆議院議員 長島昭久)

長島昭久のリアリズム 国家と安全保障を考える(その十一)

2015.11.09 Vol.654
 いよいよ本シリーズも今回と次回で完結です。これまでに、国際政治学の泰斗高坂正堯先生の「日本は東洋の離れ座敷」という概念や聖徳太子の外交戦略などを引きながら日本の地政学的位置づけを明らかにし、大陸とは古来「和して同ぜず」の基本姿勢を貫いて来た歴史を辿りました。それを踏まえて、戦前最大の反省は、この外交・安全保障の基本戦略を踏み外したからに他ならず、国際法軽視と相俟って国際秩序の挑戦者・破壊者となってしまったことだと断定しました。  その上で、今後の外交・安全保障戦略を考えてみたいと思います。その中核は、リアリズム(現実主義)と地政学です。リアリズムは、「リベラル・アイディアリズム」(理想主義)の対極にある国際関係の基本的視座で、国際社会が本来的に無政府状態(アナーキー)であるという現実を直視し、お互いの国力の力関係(バランス・オヴ・パワー)によって国際秩序が形づくられるという考え方です。夢も希望もない見方なのですが、理想主義者が強調する「条約や協定を結び話し合えば信頼関係が醸成される」といったナイーブな考え方を戒めるには大事な視点だと思っています。また、地政学とは、地理と歴史(政治・外交史)に基づく国際関係論と定義できると思います。これらを総合して岡崎久彦大使は「戦略的思考」と一言で表現しました。  地政学に基づいて我が国を取り巻く各国の思考や行動を観察してみると、それらは明らかに歴史的な所産であることがわかります。日本にとっての朝鮮半島は、神宮皇后の出兵から昭和戦争に至るまで常に我が国安全保障上の脅威の経路であり、中国大陸は我が国を混乱に陥れる元凶です。朝鮮半島には、北方のロシア、中国、日本などによる侵略の被害者意識が今日でも色濃く残っています。中国大陸は、古来北方からの侵略に蹂躙されて来た歴史があり、秦の始皇帝以来万里の長城を建設して北方の脅威から中原を守って来ました。ところが、1840年のアヘン戦争以来、脅威はすべて海からやって来るようになりました。そこで、国力を回復した中国は、自国の権益を守るため、陸の万里の長城に代わって海の長城を西太平洋に建設しようとしているのです。それが、南シナ海における「砂の長城」(ハリー・ハリス米太平洋軍司令官)なのです。  もちろん、地政学的観点から、アメリカも黙っていません。次回は結論として、アメリカのアジア戦略を踏まえた我が国の現実的な外交・安全保障戦略を明らかにしましょう。 (衆議院議員 長島昭久)

長島昭久のリアリズム 国家と安全保障を考える(その十)

2015.10.12 Vol.

長島昭久のリアリズム 国家と安全保障を考える(その九)

2015.09.14 Vol.650
 我が国の歴史から安全保障を考える本シリーズも、いよいよ結論に近づいてきました。今回は、結論を急ぐ前に、8月14日に出された戦後70年の内閣総理大臣談話について、考えてみたいと思います。  率直に言って、この総理大臣談話は歴史的な文書となることでしょう。戦後50年の「村山談話」、60年の「小泉談話」、慰安婦に関する「河野談話」、日韓併合百年にあたっての「菅談話」など、これまでのいかなる歴史談話よりも具体的かつ詳細に反省すべき内容、感謝すべき対象(国および国民)を歴史的事実も踏まえ明記しました。そして、その反省に基づいて未来志向の決意を内外に鮮明にしたのです。その上で、歴代政権が示して来た歴史認識が今後も揺るぎないことを再確認しました。  中でも特徴的なのは、次の三点です。第一に、「国際秩序の挑戦者」という耳慣れないが国際関係論では重要な文言を使って、満州事変以降「進むべき進路を誤り、戦争への道を突き進んで」行った過去への反省とともに、暗に中国に対する牽制を行っている点です。第二に、「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子供たちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」と言い切って、これまで繰り返されてきた「謝罪外交」に終止符を打った点です。第三に、全体として英文調だということもじつに印象的でした。特に、後半部4段落連続で「・・・過去を、この胸に刻み続けます」(We will engrave in our heart the past)のくだりは、あたかも英文が先にあったような感覚に陥ります。いずれにせよ、世界に向けて発信することを念頭に置いて作成されたもので、極めて効果的といえます。  そのような中でなお不満が残ったのは、大正から昭和にかけての我が国が「国際秩序の挑戦者」になってしまった原因を世界恐慌後のブロック経済化に求めている書きぶりです。まるで外的要因にその非を転嫁しているように読めてしまい、醜い権力闘争に陥った昭和初期の二大政党制の未熟さ、止めどなき世論の激情とそれを煽ったマスメディア、凄惨な軍部の下克上など、我が国に内在する要因への真摯な省察が足りないように感じられました。  かくなる上で大事なことは、この談話に込められた反省と感謝を今後何世代にもわたって受け継ぎ、言葉ではなく行動で我が国の誠意と精誠を尽くして行くことだと思います。私も日本国民の一人として、国政を預かる政治家として、歴史に対する責任を果たして行きたいものです。 (衆議院議員 長島昭久)

長島昭久のリアリズム 国家と安全保障を考える(その八)

2015.08.10 Vol.648
 靖国問題を完結させるにあたり、私の解決策を提示したいと思います。まず断っておかねばならないことは、私は「東京裁判史観」には立たないということです。東京裁判は事後法に基づくものであり、罪刑法定主義に反しています。インドのパール判事が喝破したように、これは勝者によって一方的に敗者が裁かれた正当性の疑わしい裁判です。よって、私たちがA級戦犯だとか、B級、C級などという分類に振り回される必要はありません。靖国問題の解決策として「A級戦犯分祀」という議論がなされますが、次はB級、さらにC級へと波及してしまうに違いなく、意味を見出せません。  私は、少なくとも満州事変以降、国策を誤り、国際秩序から大きく脱輪して行った戦争の指導者は、軍人であれ文民であれ、靖国神社にお祀りする理由はないと考えます。私はことさらその指導者たちの失敗を咎めようというのではありません。戦争を指導して兵士を戦地に送った高位高官は基本的に畳の上で亡くなっています。畳の上で亡くなった人々は靖国神社に祀られないのが原則です。「昭和殉難者」の中には、軍人でもない廣田弘毅元首相や松岡洋右元外相ら、本来は靖国に縁もゆかりもない文民までが紛れ込んでしまいました。  ですから、前回紹介したように、厚生省からA級戦犯の祭神名票が靖国にわたった時、当時の筑波藤麿宮司は、「戦争指導者を靖国に祀ることは明治以来の靖国の伝統を壊すことになる」と考え、合祀を見合わせました。同時に、そのまま放置するのも忍びないということで、日本に関わる戦争で命を落とした方々の魂を「怨親平等の精神」に則り敵も味方もおしなべてお祀りしようと「鎮霊社」を建立し、昭和殉難者をそこに祀ったのです。  私は、ここで、国家のために命を捧げた方々をお祀りするという国家的事業を一宗教団体に丸投げしてきたことの異常さについて、改めて問題提起したいと思います。戦後70年を経て、過去幾度か試みられて挫折した靖国の「国有化」を今一度真剣に模索すべき時が来たのではないでしょうか。そもそも宗教法人への国会の介入は憲法上禁じられていますので、現状のままでは、どの方をお祀りするかは靖国神社に委ねるほかなく、その意味では「分祀論」も机上の空論に過ぎません。国有化のプロセスに入って初めてどなたを慰霊対象とすべきかについて国会の慎重な審議に付されることになるのです。その暁には、きっと1975年(昭和50年)以来果たされていない天皇陛下「御親拝」を実現することができると確信しています。 (衆議院議員 長島昭久)

長島昭久のリアリズム 国家と安全保障を考える(その七)

2015.07.13 Vol.646
 靖国問題の話を続けます。なぜ、心ならずも戦場に斃れた兵士の魂が招かれる静謐な場所に、彼らを送りだした戦争指導者たる「A級戦犯」の魂が合祀され、内外からの喧騒に晒されることになってしまったのでしょうか。これは、靖国の祭神名票を作成する厚生省引揚援護局(終戦後、1954年4月に陸海軍省から第一・第二復員省を経て業務を引き継ぎ。後に援護局に改名)に勤務していた旧帝国軍人による「努力」の結果といえます。彼らは東京裁判について、事後法によって戦勝国が一方的に敗戦国を断罪したもので到底受け入れることはできないと主張。その不当な裁判で闘って獄死または刑死した指導者たちはこぞって「昭和殉難者」としてその名誉を回復すべきとして、遂には靖国合祀の祭神名票にその氏名を記載させることに成功したのです。  そして、1961年、厚生省援護局と靖国神社はA級戦犯を合祀する(が、外部発表は避ける)ことに合意したのです。それでも、実際の合祀判断を委ねられた旧皇族の筑波藤麿宮司は、容易に合祀を認めませんでした。ところが、78年3月、筑波宮司の急逝にともない就任した旧軍人(で陸上自衛官)の松平永芳宮司は、「東京裁判は占領中に行われたものであり、まさしく戦死と同じだ」として、就任わずか半年の10月17日、A級戦犯14柱を秘密裡に合祀しました。私は、ここから靖国神社は本来の性格を変質させてしまったと考えています。  もちろん、この合祀が明らかになった翌79年4月以降も、鈴木善幸首相までは終戦直後の吉田茂首相以来毎年行われてきた靖国参拝は続けられました。しかも、同年12月に大平正芳首相が靖国参拝後に中国を訪問した際も熱烈歓迎を受けており、80年代半ばからにわかに批判を始めた中国や韓国の姿勢はきわめて(国際)政治的な色彩を帯びていることは間違いありません。一方、終戦の年を皮切りに数年おきに8たび靖国神社御親拝を続けられた昭和天皇は、75年11月21日を最後に御親拝を中止されました。これをもって昭和天皇のご心中を推し量ることは困難ですが、2−7年おきに御親拝をなさって来られた経緯に照らすと、(「富田メモ」の真偽に拘わらず)79年4月にA級戦犯合祀が報じられた以降に何らかの異変が生じたと考えるのが自然だと思います。  本来、国のために命を捧げた兵士たちのための静かな招魂の場だったはずの靖国神社が、内外の批判と喧騒の中に放り込まれ、天皇陛下の御親拝をも阻んでしまったことは余りにも残念なことです。次回は、保守政治家としての私なりの解決策について明らかにしたいと思います。 (衆議院議員 長島昭久)

長島昭久のリアリズム 国家と安全保障を考える(その六)

2015.06.07 Vol.644
 国会では、いよいよ戦後最大の安保法制改革をめぐる議論が始まりました。私も45名の与野党議員で構成される安全保障法制特別委員会の委員としてこの歴史的な議論に参画することとなりましたが、本コラムで前回までに辿って来た我が国の対外政策に関する近現代史の出来事を思い起こしながら、真剣勝負の審議に臨んでいます。  さて、前回予告したように、今回から3回にわたって「靖国問題」について論じてみたいと思います。靖国神社の起源は、幕末の動乱で命を落とした勤王志士たち、とくに安政の大獄以来の徳川幕府による弾圧に斃れた同志たちの霊を鎮めるために行われた1862年の京都霊山における招魂祭にまで遡ります。そして、幕府権力への抵抗のシンボルとなっていた神道様式で追悼儀式を行うことで討幕への誓いを新たにしたとされます。(三土修平『靖国問題の原点』日本評論社、2005年)この招魂祭が、明治維新の後「招魂社」という神社となり、維新政府の手で明治12年6月に別格官幣社という社格を付与され「靖国神社」と改称されたのです。  その後「昭和戦争」(満州事変、日中戦争、大東亜戦争/太平洋戦争の総称)を経て、今日では約260万余柱の英霊が祀られていますが、ここで大事なことは、靖国神社の本来の性格が「招魂」にあるという点です。心ならずも戦場に送られ尊い命を落とした兵士の魂が再び集まる場なのです。したがって、戦場に臨む兵士たちは、決死の覚悟を決め「靖国で会おう」と言って散って逝かれたのです。ですから、基本的に軍人といえども兵士を戦場へ送った将官クラスの人々は、どんなに武勲を挙げても、戦場ではなく「畳の上で死んだ者」として扱われ、靖国には祀られていません。それは、東郷平八郎元帥(日露戦争時の連合艦隊司令長官)であれ阿南惟幾将軍(終戦時の陸相)であれ同じです。  しかし、戦後のある時期に、この靖国神社には、戦場に送られた人々ではなく、兵士を戦場へ送った戦争指導者たちが祀られてしまったのです。これが、極東軍事裁判(東京裁判)で判決を受け死刑執行された「A級戦犯」であり、「昭和殉難者」と呼ばれる人々なのです。この中には、軍人のみならず、本来靖国神社とは無関係であるはずの文民の廣田弘毅元首相・外相や平沼騏一郎元首相、松岡洋右元外相らまでもが含まれていました。1978年10月の出来事です。これは、東京裁判の不当性を訴える当時の靖国神社宮司松平永房氏の強引な合祀決断によるものでした。それは秘密裏に行われましたが、翌年の4月に新聞紙上でスクープされ、国民のみならず全世界が知るところとなったのです。(つづく)(衆議院議員 長島昭久)

長島昭久のリアリズム 国家と安全保障を考える(その五)

2015.04.13 Vol.640
 前回は、満州を舞台にした「昭和戦争」の発端について日露戦争直後まで遡って考えてみました。まさしく明治の元勲伊藤博文が予言したとおり、満州に居座り続けた日本は、やがて(コミンテルンの巧妙な策謀により煽られた)中国のナショナリズムに絡め捕られ、大陸の泥沼から足を抜けぬまま「二進も三進も行かなくなって」しまい、開戦時の海軍トップ永野修身軍令部総長の言葉「このままでは油が切れて、じり貧だ(から開戦あるのみ)」に象徴されるように確たる見通しもないまま、無謀な対米英戦争に突っ込んで行ったのです。終戦時に海軍大臣を務めた米内光政元首相が「じり貧を避けんとするため、ドカ貧にならぬように」と諌めましたが後の祭りでした。  東條英機内閣による戦争指導がどれほど杜撰であったかは、猪瀬直樹氏の名著『昭和16年夏の敗戦』に詳しいですが、太平洋戦争開戦時の昭和天皇と杉山元陸軍参謀総長との以下のやり取りを読めば誰の目にも明らかでしょう。  時は昭和16年9月6日。御前会議で最後の国策を決定する場面で、昭和天皇は杉山総長を叱責します。  昭和天皇(以下、天皇)「日米開戦になったら、どのくらいで収拾がつくのか」  杉山総長(以下、杉山)「約3カ月で収拾してみせます」  天皇「あなたは日中戦争を始めるときの陸軍大臣だった。その時2カ月で収拾すると言っていた。しかし4年経った今でもやっているではないいか」  杉山「中国大陸は奥が深うございまして」  天皇「大陸は奥が深いと言うなら太平洋はもっと広いではないか」  結果は、周知のとおり惨憺たる敗北でした。日本列島は一面焼け野原となり、2発の原爆や無差別絨毯爆撃をふくむ戦争犠牲者は300万人を超え、しかも、海外戦地における戦没者の約7割は餓死。小説・映画『永遠のゼロ』で若い世代の皆さんも涙した特攻では4000人以上の有為な若者たちが陸に海に散って逝きました。  この悔しい歴史の教訓を正面から受け止めねばなりません。このような歴史を繰り返さぬためにも先の戦争の総括は重要です。戦後70年の節目の年にあたる今年、なお一層その意味を深く噛み締める必要があると思います。この視点で、今回から3回にわたって「靖国問題」を考えてみたいと思います。  国家のために命を落とした方々をどのようにお祀りするか、それを国家指導者がどのようにお参りするか。これは、すぐれて国内問題です。外国からとやかく言われる筋合いではありません。しかし、問題の本質は、本来「心ならずも戦場へ送られ尊い命を落とした兵士の魂が招かれる」神社だった靖国に、戦争指導者たち(つまり、兵士を送り出した人々)が「昭和殉難者」として合祀されていることにあると考えます。(つづく)(衆議院議員 長島昭久)

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