“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第243回目は、記憶力について、独自の梵鐘を鳴らす――。
少し前に、いかに人間の脳の衰えるスピードが速いかについて、このコラムで触れた。
処理能力は18歳がピークで、人の名前を覚える力は22歳をピークに衰えていくという。人の顔を覚える力は32歳、集中力は43歳を境に下り坂になるそうだ。相手の気持ちを読む力は48歳をピークに落ちてくるらしく、50歳くらいになって草野球をしようものなら、初めて対戦する相手の顔や名前、気持ちがよく分からないまま、打ったり投げたりしていることになる。なんだか悲しく聞こえるけど、裏を返せば、自分たちのプレーに集中して……集中できていないかもしれないけど、着の身着のまま熱中できるのだから、それはそれで幸せなことなのかもしれない。
たしかに、僕も人の名前や顔を覚えづらくなってきているなぁという自覚がある。仕事を続ける限り、人の名前や顔は覚えるに越したことはない。だけど、「アレ、この人会ったことあったかなぁ」とか「顔は分かるんだけど、名前なんだっけかなぁ」みたいなことが少なくない。もし仮に、正解を導き出せなければ、その間違いはそのまま自分に返ってくるわけで、仕事が減ってしまっても文句は言えない。そんな可能性があることも視野に入れながら、いかにして加齢にともなう脳の変化と付き合っていかなければいけないと思うわけです。
だいぶ昔、僕が『笑っていいとも!』に出演したとき、タモリさんが記憶術について話をしていた。皆さんも、なんとなく分かると思うのですが、タモリさんはめちゃくちゃ記憶力が良い。記憶力に加えて、引き出しの量の多さも尋常ではないので、次から次に教養や知識、雑学が湯水のごとく湧いてくる。
「どうしてそんなに記憶力がいいんですか?」と尋ねると、タモリさんは“連想ゲームのように覚えていく”と教えてくれた。例えば、イカについて覚えるとき、多くの人はイカに関する知識をひたすら覚えようとする。ところが、タモリさんはスミを吐くという構造を理解すると、スミから連想される違うものに関心を移し、それが硯(すずり)であれば、硯についての雑学を覚えるのだそうだ。
あるいは、トマトとカニといったまったく関係ないものが2つあるときは、トマトとカニを連結させるものは何かを探し出し、その知識を持って、トマトとカニ、どちらもロックするらしい。一例を挙げれば、トマトは宇宙ステーションでの栽培実験に使われることがあって、カニの缶詰や加工品は、長期保存可能なタンパク源として宇宙食の候補に挙がることがある……つまり、トマトとカニは、“宇宙開発と関わりが深い食材”という共通項を持つ。
「カニって、長期保存可能なタンパク源として宇宙食の候補に挙がるんだよな」
今にも、そんなタモリさんの声が聞こえてきそうじゃないですか。接続できる何かを探すことで、記憶を強化する――タモリさんは、曼荼羅のように覚えているからこそ、面白い一言をよどみなく添えていく。真似できるかどうか分からないけれど、中間にあるもの、接続できるもの、そういったものを探すことで、結果的にAもBも覚えることができるというのは、目からウロコ以外のナニモノでもない。
人間の脳は早い段階から衰えていく。でも、語彙力だけは60代後半まで伸びるという。と言っても、引き出しがなければ、語彙力は増えない。素材がなければ、料理が作れないのと一緒だ。本を読んだり、映画を見たり、あるいは自分で気になったことを調べてみたり、そういった地道な行動が大切になる。そういう意味でも、タモリさんの覚え方は、“60代後半まで語彙力は伸びる”という根拠を示す一例な気がするし、勇気が湧いてくる。自分次第なのだ。
知らないってことを自慢しちゃいけない。知らないってことを受け入れることが大事なのであって、「オレはそれ知らないからさぁ」みたいな感じで、ちょっと上から目線で話すなんて、めちゃくちゃ愚かなことだと思う。気を抜いていると、「最近の歌手はよく分からないから、めっきり音楽番組は見なくなった」とか言いそうなものだけど、結局、それは自分の関心が薄くなっているだけなんです。一輪車業界のナンバーワンとナンバーツーを知っていますか? と聞かれたら、ほとんどの人が分からないと思う。僕も分からない。でも、なんだか気になるじゃないですか。どうして気になるのか? それは興味や関心があるから、「知りたい。教えてください」となるわけで、本来、興味や関心に大も小もなくて、あくまで自分の気持ち次第だということ。最近の音楽業界も最近の一輪車業界も、自分次第で関心を抱くことはできるはず。それが、自分の引き出しとなる。知らないってことを自慢することは、関心を持てない自分を自慢しているようなものなのです。