“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第275回目は、「僕が前髪を伸ばした理由」について、独自の梵鐘を鳴らす――。
3年前だったかな。ちょうどお芝居の仕事をやっているときで、ふとした瞬間に前髪が目にかかった。髪を払うよりも早く、僕は「このまま前髪が伸び続ければBALZAC(バルザック)みたいな髪型ができるな」。そんなことを思った。
やってみたい髪型は、これまで一通りやってきた。芸人という職業だからこそ許される髪型。誰からもとやかく言われることはなく、自由が与えられる環境。この後、僕は40代後半になっていく。やれることも限られてくる。やり残したことはないか? 中高校生の頃に夢見たBALZACの髪型だった。
BALZACは、京都で結成された4人組のパンクバンドだ。芸人になるかミュージシャンになるかで悩んでいた高校時代。BALZACは、自分の血と肉を作ってくれた存在の一つだった。
いざ伸ばし始めると、あごくらいまでなら思っていたより生活に支障がないことが分かった。だけど、前髪をオールバックのように後ろにかき上げ、その前髪が後ろ髪を貫くように首筋に伸び始めたくらいからか。奥さんが「気持ち悪い」と言い始めた。中途半端は一番良くない。へそまでは伸ばすって、僕は僕に言い聞かせた。
前髪はその後も伸び続け、ヘアバンドをしないとどうにもならなくなってきた。仕事の現場へ行くと、驚くほど見て見ぬふりをされた。後日聞くと、僕がジャンボ尾崎のように後ろ髪だけを流していると思っていた人もいたらしい。「ただならぬものを感じ取った」とは、僕の髪形を見た某関係者の証言だ。
あるときから、「あのむちゃくちゃ長い後ろ髪は、どうやら前髪らしいゾ」と気が付かれると、いよいよ「触れてはいけない」という緊張感がマックスに近づいていることを、僕は感じ取った。「こいつ無理矢理キャラを作り始めたんじゃないか」、「何か意図があるのかもしれないけど不気味だから放っておこう」。僕はただ、BALZACの髪型がしたいだけなのに。
髪型をいじってくれる人は数えるくらいで、最初が千鳥のノブさんだった。「それ、なんやねん」。もっとたくさんの人から言われるものだと思っていたけど、先陣を切ったノブさん以降、誰一人――。珍奇、好奇、そうした視線とも無縁の、凪のような日々。
触れられないほど、僕はいつしか「いっそ、このまま前髪を垂らして、番組に出てやろう」という気持ちが強くなっていた。でも、突然そんなことをしたら、「徳井は特定のメッセージを送ろうとしてるんじゃないか?」「何かしらのイデオロギーに染まっているんじゃないか?」なんて思われるかもしれない。結局、できず仕舞い。なんだ、俺自身がひよってんじゃん。相方である吉村は、「今すぐ切れ」と何度も言ってきた。
幸い、野生爆弾のくっきー!さんとトータルテンボスの藤田さんが「いい」と言ってくれた。お二人は、THE SESELAGEES(ザ・セセラギーズ)というパンクバンドを組んでいるから、パンクへの造詣が深い。聞けば、BALZACと対バン予定だといい、「BALZACまで伸ばします」と言うと全肯定してくれた。小峠さんもパンクが好きだから、「BALZACなんだ」と笑ってくれた。こういうとき、肯定してくれる言葉は本当に支えになる。だけど、100人に1人。この髪形は、芸人であってもあまりに人を選びすぎた。
僕が前髪を垂らすと、2歳の息子も「変なことをしないで」と言うようになった。「そうだよね」と僕は笑うしかなかった。次第に僕は、どうして前髪を伸ばしているのか分からなくなってきた。へそまではもう少し。でも、へそまで伸ばしたからって何なんだ。へそまで伸びたら、何の前触れもなく切るのか。夢見た髪型だったのに、こんなにも歪曲してしまうのか。僕の伝え方が下手なのか。髪型のプレゼンで下手ってなんだよ。もどかしい。自問自答。分からなくなってきたら、もっと明確なゴールを設定するしかない。
息子の誕生日が3月に迫っていた。僕たちは、毎年この時期に家族写真を撮る。そうだ。この家族写真を撮ったら断髪しよう。2026年の家族写真は、BALZACみたいに思いっきり前髪を垂らして、自分の顔が見えない家族写真にしよう。僕はついに決心したのだった。
(後編に続く)

