【区長に聞く】台東区・服部区長に聞く、台東区が取り組む 「江戸ルネサンス」 

2018年を、「江戸ルネサンス元年」と位置づけ、ビートたけしが名誉顧問を務める「江戸まち たいとう芸楽祭」をはじめ、江戸に関連した様々なイベントや事業を展開している台東区。「歴史が深く、粋で人情豊かな台東区が誇る芸能、ものづくりの文化を、国内外に発信したい」と服部征夫区長が語る、未来に向けた台東区の取り組みを伺った。

台東区の服部征夫区長 撮影・蔦野裕

「台東区は23区で最も面積が小さい区ですが、寺院の数が最も多い。これは、今から約360年前に発生した明暦の大火によって、現在の千代田区、中央区、文京区などにあった建造物が消失してしまったことで、寺院や武家屋敷が台東区に移転してきたことに起因します。中央区人形町付近にあった吉原も、浅草寺裏の浅草北部に移転し新吉原となったのは有名な話。その結果、多層的な人々が暮らし、その文化を支える商店や伝統が息づくようになりました」

 そう柔和な表情で語るのは、台東区の服部征夫区長。 狭いエリアに、江戸の風情が残る豊かな文化が密集している台東区ならではの文化と伝統を発信するべく、「江戸ルネサンス事業」と題して、さまざまな取り組みを展開中だ。その一つである「江戸まち たいとう芸楽祭」は、ビートたけしを名誉顧問に迎え、来年の2月まで「夏の陣」(8~10月)、「冬の陣」(2019年1~2月)の2期に分けて開催される大型イベントだ。

「台東区、特に浅草は、映画や演劇など、芸能の一大中心地として、大衆文化の創造に重要な役割を果たしてきました。浅草を中心に、上野恩賜公園周辺、谷中、隅田川沿いなどを会場に、映画、演劇、演芸などの催しを開催し、区民の方はもちろん、区外の方や観光客にも気軽に台東区ならではの芸能に触れていただける機会です。多くの方にお越しいただければ」(服部区長、以下同)

 無料でプロの技を堪能できることに加え、子どもたちが、講談師・神田紅(くれない)の指導のもと「講談」を実演・発表するワークショップや地元の中高校生による演劇など、地域に根付いた試みを精力的に展開。浴衣散歩、歴史散歩といった、世代を越えて一緒になって楽しむことができるプログラムが多数用意されているのは、人情文化の厚い下町・台東区ならではと言えるだろう。

江戸まち たいとう芸楽祭のオープニングイベントにて

匠の「技」と「心」を国内外に発信していく

 また、服部区長が、「明暦の大火による移転は、台東区にさまざまな伝統工芸品を作り出すきっかけにもなった」と説明するように、今現在もおよそ80の事業所(東京商工リサーチ調べ)が江戸時代から続いているほど、台東区は和菓子、仏具、玩具、人形など“匠”の意思が息づく街でもある。

「吉原は当時のファッションの発信地。花魁が身に付けるかんざしなどは、江戸に暮らす女性の憧れだったといいます。当然、良いものを作るべく、良い職人さんが生まれる。元文元年(1736年)に開業した手作りのつげ櫛商「十三や櫛店」などは、今も健在です。商号となった「十三や」は、“くし”の“9(く)・4(し)”を足したもの。そのまま九十四とすると、く(9)るし(4)むと語呂が悪いから足して十三にしたそうです。なんとも粋な発想ですよね(笑)」

 茶目っ気がある町人、商人文化のルーツを知ると、平成のご時世に並び立つ古い家屋や商店から、江戸の香りを感じられるかのような気分になるから不思議。

「台東区は、江戸ルネサンス事業の中で、江戸創業事業所として顕彰し、長い歴史と伝統に裏打ちされた確かな「技」と「心」を海外にも発信していきます。江戸時代の町人文化と言えば、上方を中心に起こった元禄文化が有名ですが、浮世絵や歌舞伎などが江戸の町民に根付き、江戸期の町人文化の全盛期とも呼ばれている文化文政時代(1804~1830)の化政文化も忘れてはいけません。江戸と言っても、時代ごとに文化が異なる。一義的ではないからこそ豊かであって、知ってほしいことがまだまだある」

 これまで日本は、製造業に代表されるマクロな製品を国外にアピールしてきた。しかし、昨今はECサイトを通じて何でも買うことができつつある。「これからの時代はその土地にしかないミニマムなものをPRしていく必要がある。海外では、江戸文化を非常に評価しています。区が誇る職人が作り出す宝をどんどんアピールしていきたい」と服部区長が力を込めるように、ミクロなコンテンツを届けていこうというわけだ。



 2016年に、2400万人を突破した訪日外国人旅行者数(インバウンド)。同年、台東区には830万人が訪れており、訪日外国人の3人に1人が台東区を訪れていることになる。ぐるなびが、2017年度に外国人が訪日観光情報サイトで最も案内を閲覧した東京の観光スポットを調べたところ、1位に輝いたのは上野の「アメ横商店街」だった。2位も浅草の「かっぱ橋道具街」で、以下ベスト10に「谷中銀座商店街」「恩賜上野動物園」がランクインするなど、台東区からは4エリアが入る人気ぶりだ。

「それだけ外国人の方々から見たら、外国では見ることができないオリジナルの東京の風景、すなわち江戸の風景や旧跡が多いということでしょう。コンテンツに恵まれているからこそ、責任重大です。インバウンドの方々はバスには乗らず、ひたすら歩いて、それこそ谷中から浅草までの道のりを町の風情や文化を楽しみながら歩いて向かう。逆に、外国人観光客から教わることも多いんですね。そういった情報を台東区のみならず、東京全体の観光にフィードバックしていきたい」

 台東区は、江戸ルネサンスに関連する一連の取り組みにおいて、一体感を作り出すために統一したシンボルマーク(ロゴマーク)を作成。「やる気のある人に作ってほしかった。そのため、職員に応募を募ったところ5名が手を挙げてくれた」と服部区長。ロゴマークも自家製というこだわりぶり。“オール台東”で盛り上げていこうという気概が、ヒシヒシと伝わってくる。

「職員はもちろん、事業者や暮らしている方が一体となって盛り上げていく必要がある。やはり、皆さんの中に「台東区を盛り上げたい」という気持ちがなければ、台東区の魅力を発信しても効果は半減してしまう。そのために我々としても区民の方とともにオープンな取り組みをしていければ。お祭りなどは顕著ですが、台東区の皆さんは自分の町に誇りを持っている方が多い。であれば、そういう気持ちを活かしていくような事業も、今後はどんどん取り入れていきたい」

職員によって考案されたロゴマーク。弁天堂、不忍池、月の松などをモチーフに、 台東区を表現したマークになっている

台東区だからこその多重的な江戸の豊かさ

 服部区長の取り組みは、一の矢、二の矢では終わらない。講演会シリーズ「江戸から学ぶ」と、シンポジウム「江戸を守った男たち」も、江戸ルネサンス事業の中核を担うコンテンツだ。前者は、「上野の山から江戸がみえる-町づくりと大工棟梁-」などテーマ別に識者や専門家を招いて、無料(!!)で講演を聞くことが可能。驚くことに、江戸の木造建築に特化した上記講演は、定員100名のところ500人近い応募があったという。

「江戸を知ると、現代がよりクリアに見えてくる。江戸の木造建築は、隈研吾さんの建築などに引き継がれているほど。「え? そうなの!?」という発見がたくさんあるんですね。皆さん、上野恩賜公園はよく来られると思うのですが、東照宮があることをご存知ですか? 金色に輝く絢爛豪華な社殿! これは一度見てほしいなぁ(笑)。国の名勝に指定されている彫塑家・朝倉文夫のアトリエ・住居「朝倉彫塑館」も、木造とモダニズムが融合した見事な建物。台東区のまだまだ掘り起こされていない魅力を「江戸から学ぶ」から発信していきますよ」

 後者の「江戸を守った男たち」は、お隣の墨田区と連携して、「幕末の三舟」と言われる勝海舟、山岡鉄舟、高橋泥舟に焦点をあてた歴史好きにはたまらない計画だ。

「隅田川の対岸、墨田区役所うるおい広場には、募金によって建立された勝海舟の銅像があります。
江戸無血開城に導くことができたのは、決して西郷さんだけの力ではない。勝海舟と、駿府にいる西郷さんに事前交渉を行うため敵陣の中に乗り込んでいった山岡鉄舟、そしてその義兄・高橋泥舟によるところが大きい。もし彼らが東奔西走していなければ、江戸は火の海になり、首都・東京も存在しなかったかもしれない」

 服部区長は、「私自身、歴史が大好きなので、皆さんと一緒に楽しみながら発信したい気持ちがある。山岡鉄舟のお墓って谷中にあるんですよ」と朗らかに笑い、「NHK大河ドラマ『西郷どん』が放送されている今だからこそ、多くの方に知ってほしい。トリビアですが、博愛主義者だった勝海舟は、怒りに身を任せて刀を抜かないように紐を巻いて抜けないようにしていたと言います。墨田区にある勝海舟の銅像をよく見ると、刀に紐が巻いてある……芸が細かいんです」と教えてくれる。区長でありながら、時折、一歴史ファンとしてくだけた一面ものぞかせる。その姿がとても印象的だ。



「江戸の文化・伝統は長い月日をかけて育まれたものです。今年は、1868年の江戸無血開城から150年、化政文化から200年、そして明暦の大火から約360年……節目の年が重なっている年。だからこそ、「江戸ルネサンス元年」と題して、“台東区が誇る江戸の文化は多彩”ということを伝えていきたい。多層的な文化を生み出してきた江戸時代にあって、台東区はいくつものレイヤーが折り重なって育まれた伝統と文化があります。画一的な江戸の姿ではなく、台東区だからこその多重的な江戸の豊かさ……「江戸ルネサンス事業」では老若男女問わず、関心を抱いてもらえるような取り組みを行っていきます」

(取材・文 我妻弘崇)