小池百合子のMOTTAINAI 「遺品整理」

 9月に他界した母の遺品整理をぼちぼちしています。大正生まれの母とは長年にわたってモノを処分する、しないで、しばしば衝突したものです。それも今はいい思い出です。


 衣類は私が着回しできるものはとっておき、あとは有効に処分。おびただしい服に囲まれながらも、母が実際に着ていたのは、昔からのお気に入りのもの数点でした。


 和服はタンス一竿をそのまま残しました。


 化粧品類はそのまま私が使うようにしました。それこそ「もったいない」ですから。ここ数年、外出といえば病院通いくらいでした。それも元気な時には病院へ、調子が悪いとふせるという高齢者にありがちの悪循環でした。


 書類関係は、私が海外から送った絵葉書などが大切にとってあり、あまり捨てられません。おびただしいパンフレットは墓石、墓地がらみのものばかり。最期は数年かけて、神戸の墓を東京に移す作業に躍起になっていました。いわゆる「終活」に一生懸命でした。自分で用意した墓に、相次いで夫と本人が入る結果になりました。


 それにしても、すべてにおいて「お始末」のよかった母は、最後まで自分で自分の始末をよくしたものです。この世代の人たちに共通しているのではないでしょうか。


 そこで、自分自身の回りをあらためて見回してみました。アラブ等の国々を回るたびに、王様や政府からいただいた、豪華だがとにかくかさばる記念品。専用の棚はすでに満杯です。


 写真のアルバムも何十冊とあり、キャスター時代のビデオテープは途中までDVDに移しましたが、数百本のオリジナルを処分する決心はついていません。


 山のような洋服は時折、親戚のこどもたちなどに譲っていますが、趣味が合わないかもしれません。たいした整理にはなっていません。


 ましてや選挙の用品となると、場所ばかり取りますが、必要と言えばすべて必要です。処分の対象にはなりません。


 結局、私も母と同じで、思い切った処分ができないのです。


 これまでも「断捨離」系の本を何冊も読みましたが、たいして実行できませんでした。ただ、私が母の遺品に対してしているように、私のモノも誰かが処分することになります。思い出を共有していない人からすれば、ゴミの山かもしれません。

 ならば、この際、自分の意思で処分するものは思い切って処分しようと思います。譲れるモノは譲って活用してもらいましょう。


 結局、墓に持っていけるものなど何もないのですから。そう思うと、気持がすっきりするものですね。

(衆議院議員/自民党広報本部長)