「スポーツカメラマンが選ぶ今年の1枚」ピンチはチャンス理論で撮り切った小平の決勝での流し撮り

AFLO SPORT 松尾憲二郎
 現在TOKYO HEADLINE WEBで連載中の「AFLO SPORTの写真コラム【PHOTOIMPACT-プロの瞬撮-】」で毎回、個性あふれる写真を見せてくれるカメラマンたちに数多くある写真の中から、あえて「2018年の1枚」を上げてもらった。その時の状況と合わせ、カメラマンとしての矜持、そして彼らのパーソナルな部分に踏み込んで話を聞いた。第4回目は松尾憲二郎さん。
(撮影・松尾憲二郎)
ビッグマウンテンスキーヤーとしてワールドツアーを転戦

 大学生のころからビッグマウンテンスキーヤーとしてワールドツアーを転戦していたという。まずなぜその競技を?

「スキーが好きだったんです。好きな以上、負けたくないという気持ちもあって、負けず嫌い的に何が最強のスキーかと考えたんです。僕は最強とかそういうのが好きで(笑)。なぜ最強になりたいかと言ったら、最強のスキーヤーだったらどんなところでも楽しく滑れるわけですよ。難しい斜面に行っても技量があれば、怖がることなく楽しく滑れる。そういう遊べるフィールドを増やしたかった。そうすればどこに行っても楽しくなる。ではどうしたら最強のスキーヤーになれるかと考えて、当時、僕が出した答えがビッグマウンテンスキーの世界です」

 大学は造形大学。そこで写真を?

「大学ではプロダクトを勉強していて、家具作りとかをしていました。大学では写真は一切勉強していないんですが、高校の時に基礎は勉強していました。工芸高校という特殊な都立高校にいっていまして、スタジオも暗室もあったのでそこでフィルムのことは学びましたし、フォトショップなどもあったので、基礎中の基礎なんですが、そこで学びました」

 スキーヤーの引退後に写真を撮るようになった?

「大学卒業後は冬はスキーでしたが、夏の間はカメラアシスタントを始めたんです。それでお金をためて、12月~1月は北海道に行って働きながら滑って、そこで体作りをする。そして2~4月にアメリカに行ってひたすら滑る。4~5月にかけてはそこから大西洋を渡ってヨーロッパを放浪したり北欧を放浪したりして、5月に日本に帰るということを卒業してから3~5年くらいやっていました」

 スキーのカメラマンはどれくらいやっていた?

「7シーズンくらいはやっていましたね」

 それを経てのアフロ入り。アフロに入ろうと思った理由は?

「社長がスキーヤーだったから。僕は29歳で入ったんですが、20代はスキーしかしてこなかった。でも10代の頃から20代は全部スキーをやるって決めていたんです。僕のやっていたビッグマウンテンスキーは精神的にも肉体的にも若いうちじゃないとできない。体ができていても精神的に絶対ストップをかけてしまうような世界だったので20代でやり切ろうと思ったんです。で、1年早いんですが29歳で辞めた。僕は会社に入る時に社長でスポーツカメラマンでもある青木さんに“スキーに行く回数は相当減るよ”と言われたんですが、“むしろそれがいいです。行きたくないです”って答えました。最後のほうは嫌になっちゃっていたんですよね。スキー写真が生業になっていた。雪山に行くのが楽しむだけじゃなくなっていた。行ったら売れる写真を撮らなきゃ、とか嫌なことばかりが頭に浮かんで、心底楽しめる気持ちがなくなっていたんです」

 スキーカメラマンをできる人はそんなにはいない。結構貴重な存在なのでは?

「割が良くないんですよ(笑)。超ハイリスクローリターンなんです。行ったら必ず撮れるかといえば全然撮れない時もある。シーズンで一番多い時で120日以上雪山に行っていましたが、その時に本当にいい写真が撮れるのは3日とかそんなもの。そこで撮れた写真をいかに膨らますか」

 命の危険もある。

「みたいですね。僕はそんなに感じていなかったんですけど。こうやって話したりしていると確かに、とは思います。今行っている現場に比べると確かに身の危険はあった」

 通常のスポーツの取材はしっかりと気を張っていれば命を落とすことはそうはないだろうが、自然が相手のスキーカメラマンは危険と背中合わせ。

「実際、そういう危険な瞬間は何回かありました。僕が出ていた大会や撮影は特にですね」

 一度怖いと思うとできない?

「できないですね。30歳になったということもありますし。20代の前半なんてそんなこと絶対に考えないと思うんです。特に僕の20代前半のスキーヤー時代はそうだった。怖いもの知らずというのはまさにあのことかもしれない。同じ大会で死者が出たり、すごく仲良くなった奴が翌週の大会で死んだりとか。そういうのもあったので、いろいろなリスクを考えるようになりました。今の現場はどんなミスをしても絶対に死なないんで、気が楽といえば楽ですよね」
メンタルの強さが生み出した?「ピンチはチャンス理論」とは
雪山時代の経験で得た引き出しをあされば答えが絶対に出てくる

 スキーの体験が今のカメラマンという仕事にどう生かされているのか。やはりメンタル面?

「100%そうですね。すべての事柄において僕は雪山をやっていて良かったと思います。雪山時代のいろいろな経験で得た判断材料というか、引き出しがある。今、どんな現場に行っても、その引き出しをあされば答えが絶対に出てくる。間違いなく対応できます」

 そう言い切れるところも含めてメンタルがめっちゃ強そう。

「そんな気がしてきました(笑)。一応自負はあるんですが、こうやって人と話をしていると、やっぱ精神的にはほかの人よりも強いところはあるんだろうなということは感じています」

 アフロに入ってスキー以外のスポーツ写真もたくさん撮るようになった。その時はそのスポーツの情報は頭に入れる? 写真を撮る時に必要だと思う?

「なくていいと思います。会社に入りたてのときって、僕、スキー以外のスポーツを撮ったことがなかったんです。超望遠レンズとか持ったことがなかった。そこから今日まで4~5年を経験しちゃったんですが、経験したものはなくせない。経験がない状態での写真はその時しか撮れない。いわゆるビギナーズラック。それは最初しか撮れない。最初のうちはそれが面白かった。ルールなんて写真を撮っているうちに頭に入ってくる。何も情報が無い状態で撮ることができるのは最初の時だけ。それをいまだに楽しんでいる部分はあるので、僕は勉強はしない。現場に行けば勉強はできちゃうんで。それはできるだけ今でも排除するようにはしています。もちろんお客さんからの注文でこれを撮らなければいけない、となれば、そのことを勉強したり知識を入れることはあります。でも基本的には無垢の自分で行って、その時に撮れるものを撮って、ということを第一に考えます」

 普通は勉強しないと不安になる。

「そういう意味では僕は不安を持たないので。同僚のカメラマンにもよく言われるんです。“どこまで強心臓なんだ”って(笑)。僕のすべては雪山に育ててもらったんで、そのへんには自信があります」

 不安を感じないとは…。

「不安を感じても解決策を見つける自信があるということです。さっき言った引き出しですね」

 引き出し理論…。

「それも僕の中では0.1になったら解決なんです。マイナスにならなければ。なにかしらがプラスの方向に行けば、あとは油を注ぐだけで火は燃え広がるんで(笑)。いきなりキャンプファイヤーをしようとは思っていませんから。火打石くらいの火花があればこっちのもんです。逆にそれがないと、オリンピックとかデカい舞台で自分を見失うような気がしていて。オリンピックってサッカーのW杯と並ぶ一大イベント。間違いなくトップのシチュエーション。そこに行くにはそれなりの覚悟をしなきゃいけない、それなりの準備をしなきゃいけない。その準備ってルールを知るとか会場を知るとかではない。そこでいかに日常的に撮れるかというメンタルトレーニングですよ。なので平昌オリンピックに行くことになった時に、それを意識するようになりました。1年くらい準備期間があったので、そこでひとつ導き出した答えは“ピンチはチャンス”ということでした。ある程度経験を積んでしまうと全部予測通りになっちゃう。どっからどういうレンズで撮ればどういう絵柄になるかは今はほぼ分かる。ビギナーズラックみたいな写真は撮りたいんですけど撮れないんです。そうなった時にどうしたら自分の常識を超える写真を撮れるか。それはピンチの時なんです。自分が予測していないシチュエーションに陥ると、普段では出ないエネルギーが出てくる。だから最近は現場に早く行って場所を取らないで、ギリギリに行って余った場所で写真を撮る、といったことをやっています」

 それは会社的に「これだけは押さえておいてほしい」というものが撮れなくなる可能性があるのでは?

「それはどこに行っても撮れます。それなりのレンズもありますし。この4~5年の経験値もありますから。“今日はここか~、やっぱ撮りにくいな~”という状況になってもそれくらいは撮れるんですよ」

 どうしても雪山でのヒリヒリ感から逃れられないようで…。

「逆境を求めちゃう(笑)。その“ピンチはチャンス理論”ももう確立しました。場所取りもそうですけど、ピンチを探すようになった。レンズもあえて、絶対に必要と思われるようなレンズを持って行かない。使わないんじゃないですよ。持って行かない。後戻りできないようにする。その日持っている極端なレンズを駆使して、今までに撮ってきたようなものや、逆にそのレンズじゃないと撮れないようなものを撮ろうとしていて、それで結構成功したりしています。いや、成功したりっていうか、成功させなきゃいけない。僕もそこは会社員ですから。なのでオリンピックに向けてそういう経験を積みました」

 スポーツ選手は大きな大会でひとつ殻を破って成長するということがある。平昌オリンピックで自身が成長したところはある?

「あそこで成長したことはないですけど、確信に変わりましたよね。本当の本番で、今まで思っていたことを試してそれができた。だから成長はないんですよ。逆にあそこで成長しちゃいけない。本当の本番なんで。あそこの現場は本当に準備をしっかりして、確実に撮るということをするところなんです。いや、結果として成長はしていると思いますよ。確信に変わったというのも一つの成長ですから」

 確信に変わったというのは「ピンチはチャンス理論」のこと?

「そうですね。それは『今年の1枚』につながる話でもあるんですが。これ小平の500メートルの時の流し撮りなんです。流し撮りってうまく捕捉できなかったら0枚で終わる可能性がある。今のカメラはボタンを押したら露出を変えられるモードがあるんですが、この時はなかった。ダイヤルを回して露出を合わせるのに15秒くらいかかる。だからスタート前に決めておかないといけない。途中で後戻りできない状態ですね。この時は金メダルを取るのが確実な状況だったので青木さんを含めてアフロからは4人配置されたんです。各自そこからしか撮れない部分もあるので、流し撮りをするとしたらどこですればいいか。予選でやっても気迫だったり本当に細かい部分が違うんですよね、選手って。本当の本番じゃないとゾーンに入ってくれない。僕はスポーツ写真においては究極の表現が流し撮りだと思っているので、それをやりたかったんです。それに向けて、そこまでのイベントでいろいろと流し撮りの経験は積んできて“ここが本番だ”と。しかも小平は絶対に金を取る。金メダルの写真で、しかも500メートルだから、他のカメラマンは絶対にやらない。リオの100メートルでボルトを流し撮りをしている人はいましたけど、本当に少数。僕はとにかく最高の舞台でやりたかった。勝負したかったんです。ピンチはチャンスじゃないですけど、明らかにミスは許されない。4人いるから自分のところで失敗しても、という甘い気持ちもない。もし会社の他の人間にトラブルがあって、僕の写真しかないとなったら困るんで、僕が撮らなきゃいけないところは絶対に押さえないといけない。そういうプレッシャーも自らにかけてやったんですが、これがふたを開けてみたらめちゃピンチだった。他のスピードが遅い選手で試し撮りをして、いけるという手ごたえはあったんですが、さすが小平。誰が見ても優勝候補なんでリンクの中にいる選手とか役員がみんな立ち上がって見始めちゃったんです。そのせいで今まであった隙間がなくなった。気づいたのはスタートしてからですよ。あれ? 見えない? うそでしょ?って。さっきまでは10枚くらい撮れたのに、そんなに撮れそうにない。でもここで“ピンチ来たー”って(笑)。ここで頑張れば、俺、絶対撮れる、と思った。もう自分を信じるしかないし、自分を信じることが100%の力を出すことなんです。それはスキーでクリフジャンプの時に培っていたこと。空中に出た時に“やばい”と思ったら、思っただけで失敗する。だから“絶対にいける”と信じ続けて初めて着地できる。それは確固たる理論になっている。スラムダンクです。諦めたら試合終了ですよ(笑)。絶対に諦めないと思って“最初の10秒が勝負” そんなことを考えて撮った。そうしたら他の選手が10枚撮れたところが小平は3枚撮れた。急いでカメラを持ち変えて、短いレンズでコーナリングを撮って、一応押さえて、また持ち替えて流し撮り。その後、ゴールして喜ぶシーンをまた持ち変えて撮りました」
「小平選手の写真は青木さんに認めてもらえたうれしい写真」と松尾さん
最強の写真だと自分が思える写真を毎回撮りたい

 40秒弱の間に3回カメラを持ち替える。そんなことが可能なんだ…。

「可能です。あまりやる人はいないんですけどね。でも、練習してきたんで(笑)」

 4人配置といったが、最初に打ち合わせとかは? ここは誰が押さえるとか?

「うちの会社は…ないですね(笑)」

 では4人とも「流し撮りしてみようかな」って思う可能性は0じゃなかったわけですよね?

「可能性はあるんですけど、それは普段のコミュニケーションじゃないですか。この人は絶対にこういうことはやらない、とか。それにやるとしてもみんな1500メートル以上じゃないとやらないとか。そのへんは普段から喋っていて観察して分かっているつもり。後は願望ですね“やんないでくれって”。というか俺がこれだけ悩むんだから、他の人は絶対にやらない、とか思いますよね。でも万が一のために与えられた場所での写真はちゃんと撮る。それくらいの覚悟がないと撮れないですよ」

 打ち合わせをしない会社があるとは…。

「青木さんは常々 “作品を撮ってこい”と言ってくれる。ただ営業さんが欲しいのはこういう写真じゃなかったりする。僕らは板挟みといえば板挟みなんですが、撮らなきゃいけない写真はうまくやれば、さっと撮り終わるんです。この4年で練習してきたのはそれです。それをいかにパッと終わらせて、作品を撮る時間をたくさん作るか。最初はこっちを撮る時間はゼロでした。平昌の話が出てきてから、それを一気に膨らませました。とにかくこれをやりたかったんで。究極の現場で、その時僕が思う究極の写真。誰が何と言おうと関係ない。俺の作品なんだから。それを撮るための時間を99%にしたい。実際のところは1~2割なんですけど。とにかくそれを広げられたんで、これが撮れたという感じですね。好き勝手やるためにはちゃんとした写真もちゃんと撮る。それがピンチはチャンス理論ですね。でも平昌で一番気合を入れていたのは青木さんだと思います。その姿を見て僕も感化されましたし。それを普段からみられるので、本当にいい刺激を受けています」

 松尾さんにとって青木さんはどういった存在?

「カメラマンとしてもスキーヤーとしても、人生でも大先輩。尊敬するがゆえにライバル心が燃えるというか。ほかのカメラマンだとできないと思うんですけどね。やはり青木さんを感化させることも部下の一つの義務だと思うんです。それとこの流し撮りの写真なんですが、小平はこの時だけサングラスが違う。間違って練習用を使っている。マニアが見たらこれがオリンピックの500mということはすぐにわかる。あと、拡大すると目がばっちり止まっている。サングラスは多少ぶれているんですが、目はしっかり見えている。撮れた夜に青木さんに“見開きの写真ができました”って伝えたんです。“流し撮りの写真ってそんなに使えないからね” と言われていたんですが、“でもこれはどうですか?”って見せたら“よし”と言ってもらえた。その意味では認めてもらえたといううれしい写真でもあります」

 今後はどんな写真を撮っていきたい?

「具体的にはどんどん変わっていくと思うんです。これが撮れたから、次はこれ、というように。でも精神的には変わらないと思っていて、その時における究極の写真を撮りたいです。じゃあ何が基準かと聞かれたら僕自身。そこはセルフィッシュで誰が何と思おうと関係なくて、とにかく自分自身が納得できる、これはもう突き詰めた、最強の写真だと自分が思える写真を毎回撮りたい。どんなシチュエーションでも、どんな競技でも、どんな種目でも、どんなカメラポジションでも、どんなレンズでもとにかくその一瞬における究極の写真を撮りたい。自由じゃないですか、写真は。全員が納得しなくてもいい。1票あればいい。それが自分の1票でもいいと思っている。その意味でも自分が納得する写真を撮りたい。究極の写真。最初はここに10年いようと思っていたんです。スキーも10年やったんで。でも10年じゃ足りない。20年いようと思っています。そこまでやったら酸いも甘いも体験できる。それが終わったら家具作りをしようかと思っています。写真は続けますけど、工房を持って木工をやると思います」
(本紙・本吉英人)
松尾憲二郎

1985年 東京生まれ。
都立工芸高校デザイン科、東京造形大学デザイン学科卒業。
学生時代よりエクストリームスキーヤーとしてアメリカを中心にワールドツアーを転戦。
選手引退後、バックカントリースキーを中心に撮影者として雪山を登ってきた。
2014 年より「アフロスポーツ」に所属。
現在は様々なスポーツを撮影している。
日本スポーツプレス協会(AJPS)会員

■取材歴
2015 冬季ユニバーシアード(スペイン/グラナダ)、EAFF 東アジアカップ(中国/武漢)、柔道・世界選手権(カザフスタン/アスタナ)
2016 スキー遠征(モンゴル/アルタイ山脈)、リオデジャネイロパラリンピック
2017 冬季ユニバーシアード(カザフスタン/アルマティ)、冬季アジア大会(札幌)、夏季ユニバーシアード(台湾/台北)、フィギュアGPシリーズ(ロシア/モスクワ)
2018 冬季オリンピック(韓国/平昌)、夏季アジア大会(インドネシア/ジャカルタ)、体操・世界選手権(カタール/ドーハ)

■個展
2011 冷やしボブ(ボブ東京)
2014 YMK_展(EATME GALLERY 南青山)、YMK_展 (UP LAND 札幌)
2016 SKIING MONGOLIA(代官山ヒルサイドテラス)、season(NIKON 新宿フォト・プロムナード)
アフロスポーツ

1997年、現代表フォトグラファーである青木紘二のもと「クリエイティブなフォトグラファーチーム」をコンセプトに結成。1998年長野オリンピックでは大会組織委員会のオフィシャルフォトチーム、以降もJOC公式記録の撮影を担当。
各ジャンルに特化した個性的なスポーツフォトグラファーが在籍し、国内外、数々の競技を撮影。放送局や出版社・WEBなど多くの報道媒体にクオリティの高い写真を提供し、スポーツ報道、写真文化の発展に貢献している。

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