格闘ジャンキーナース 谷山佳菜子【ジョシカク美女図鑑 第12回】

ケガでキックボクシングを断念。絶望からのボクシング転身

 女子格闘家の素顔に迫るインタビュー企画「ジョシカク美女図鑑」。第12回はプロボクサーの谷山佳菜子。


 谷山はかつて正道会館に所属し空手で世界大会を2連覇。その後キックボクサーとして活躍するも、ヒザのケガでキックを断念。昨年、ワタナベジムに移籍しボクシングに転向。12月にデビュー戦を行い2RKO勝ちを収め、世界へ向け幸先のいいスタートを切った。



(撮影・辰根東醐)

プロボクサーになるために東京へ。「人の波で曲がりたいのに曲がれなかったりします(笑)」

 デビュー戦をKO勝ちでクリア。試合を終えての感想はどんなものだった?


「一応はほっとした感じなんですが、ちょっと硬くなってしまった部分があって、内容には不満がありました。もう少し練習してきたことを出して勝ちたかったので、“ちょっとやってしまったな” という感じです(笑)」


 デビュー戦ということを考えると致し方ないのでは?


「周りの方からはそう言っていただけることが多いんですが、キックの時に拠点としていた大阪での試合ということで、ずっと応援してくれていた方がたくさん見に来てくれました。そこでしっかり自分の動きを出して勝ちたいなという思いがあったので、なおさら“やってしまった”というところがあるんです。でもこれをバネにして頑張っていきたいと思っています」


 谷山はキックでは3つのタイトルを獲得するなどトップ戦線で活躍。しかしヒザのケガでドクターストップがかかってしまった。医者に「キックはできない」と言われた時はどういう気持ちだった?


「絶望的な気持ちでした。これから、というところだったので…。信じられないような…絶望しました」


 ボクシングへの転向は誰かに勧められた?


「以前からボクシングジムには稽古では行かせていただいていて“ボクシングに転向してもいけるんじゃない?”というのは皆さんに言われていたんです。でもケガをしたときに直接そういうことを言われたわけではないです。自分の中で“このまま辞めるのか…でもこのままでは終われないな”と考えたうえで、自分で決断しました。そして空手の大先輩の武蔵さんがワタナベジムの内山高志選手とすごく仲が良かったということもあって、こちらを紹介していただいたんです。それで渡辺会長と内山さんと武蔵さんと私でお話させていただける場を設けていただいて、移籍させてもらうという形になりました。武蔵さんのおかげでスムーズに移籍させてもらえる形になったのでとてもありがたかったです」


 ワタナベジムはチャンピオンも多く輩出する名門ジム。


「強い選手や世界チャンピオンがたくさんいるので、毎日勉強になることばかり。女子も世界チャンピオンの江畑佳代子選手、宮尾綾香選手といった強い方がたくさんいます。階級が違うので直接スパーリングすることはないんですが、マスボクシングをさせていただいたり、動きを見ているだけでもすごく勉強になるし刺激になります」


 内山さんとお話しすることはある? なにか学ぶことなんかは?


「試合は見ていて動きは参考になりますし“かっこいいな~”って思うんですが、普段はすごく気さくに“頑張ってよ~”とか声をかけてくださって、すごいギャップがある方なんです。でも強い方というのはやはり後輩とか皆さんに慕われるんだなというのは内山さんを見ていると分かります。みんな内山さんのことは尊敬しているし、そういう強い人って人格者というか、優しい。武蔵さんもそうなんですが、強くて優しくてみんなに慕われる。私もそういうチャンピオンになりたいと思います」


 キックでキャリアがあるといっても、転向は一筋縄ではいかなかったのでは?


「けっこう勇気がいりました。構え方から全然違いますし、パンチの打ち方も全然違う。スタイルも変えていかなければいけないところがたくさんありました」


 やっていくなかでくじけそうになったことは?


「それは大丈夫でした。格闘技を続けたいという思いのほうが強かった。空手からキックへの転向の時は所属もそのままで知っている方もたくさんいるという環境だったんですが、今回は大阪から東京へ拠点を移すこととキックボクサーからボクシングという全く違う畑に行くという意味での勇気というか、そういうものは必要でした」


 昨年から本格的な東京での生活が始まったわけですが。


「まだ全然慣れないですね。半年以上経つんですけど、電車の乗り換えとか難しいですね(笑)。人がたくさんいるのも。人の波ですれ違うのが難しくて曲がりたいのに曲がれなかったりします(笑)。大阪も人は多いんですが、東京のほうが人の波に乗るのが難しいです(笑)」


 普段は看護師。職場と家とジムを行ったり来たり? デビューも近かったので遊ぶ時間もなく?


「行ったり来たりです。そんなに遊べてないです。でももともとあんまり遊んでないかもしれない(笑)。練習と仕事ばっかりです」


 今の生活パターンは?


「昼は看護師として週4くらいで働いています。仕事は3時くらいまでで上がらせていただいているので、夕方5時くらいから夜まで練習しています」



(撮影・辰根東醐)

「自信がない自分を変えたいと思って、好きな格闘技をやろうと決めた」

 そもそもなぜ空手を?


「父が格闘技が好きで、小学校の低学年くらいから一緒にテレビでK-1を見ていました。私も格闘技を見ることがすごく好きで、そういうふうに育ったんですが、中学卒業の時に“自分はこれからどうしていくのか”ということで悩んだんです。自分に自信がなかったし、すごくコンプレックスがあった。そういう自信がない自分を変えたいと思って、好きな格闘技をやろうと決めました。それでK-1の母体である正道会館に高校1年生から入りました」


 高校生からのスタート。そこから短期間で結果を出した。


「そうですかね。15歳で始めて、21歳で全日本、22歳で世界。早いですかね(笑)」


 幼少期から始める子も多い中で大変だったのでは?


「最初はそういう子たちと当たって、負けることもありました。それが悔しくて人一倍練習したということもあります」


 もともと別のスポーツは?


「特になにもやっていなかったです。見るのが好きなだけだったんですけど、アンディ・フグ選手が特に好きでした。フグ選手が胴着を着て入場する姿にすごく憧れました。全てを背負ってリングに上がるといった感じがすごく伝わってきて、そういう生きざまみたいなものに“かっこいい~”って(笑)。鳥肌が立つようなぞくぞくする感じで見ていました」


 キック時代は大阪が拠点。出身はもともと熊本。どのタイミングで大阪に?


「熊本で看護師になって、2年間働いていました。看護師をしながら空手もやっていたんですが、極真会館の全日本大会で優勝することができて、さらに世界を目指していこうということで大阪に出てきました。所属していた正道会館の本部も大阪でしたし、憧れている先生もいらっしゃったので」


 熊本は地震で大変だったのでは?


「母が住んでいる家は半壊で住めなくなってしまったので、建て直したりで結構大変でした」


 大阪に8~9年いたということで大阪弁なのかと思ったら熊本弁。熊本への愛情を感じる。


「熊本の父方の祖母が昔から私のことを応援してくれていて、87歳なんですが、しょっちゅう電話がかかってきて、“練習どう?”とか“がんばんなっせ”とか言ってくれるんです(笑)。キックの時も試合の前日に電話がかかってきて“相手の足が上がったと同時に軸足を蹴りなっせ” とか戦術のアドバイスをくれる(笑)。今回のボクシングの試合も“自分の右は相手を吹き飛ばすつもりでしっかり打たないかん。あとはスピードが大事だ。相手を吹っ飛ばすようなぶつかりに行くようなイメージで打たないかん。頑張りなっせ”って言っていました(笑)」


 お父さんの格闘技好きはおばあさんの血なんですね。それが谷山選手にも引き継がれている。


「そうですね。父は6年前に亡くなってしまったんですが、父の葬式でも“チャンピオンになるという目標を達成するまで頑張る”ということを誓いました。それにおばあちゃんも応援してくれているということもあって、熊本は自分にとって大事なもの。頑張るということにおいてすごく支えてもらっています」


 今、最大の目標は?


「世界チャンピオンを目指しています」


 キックでは日本タイトルを3つ獲得した。ボクシングの手応えは?


「やっぱり世界はレベルが高いと思います。強い選手もたくさんいますし」


 次の試合は?


「まだ決まっていないんですが、自分はがんがん試合をしていきたいと思っています」


 となると仕事との両立は大変?


「今はナグモクリニックという南雲吉則先生のところでお世話になっているんですが、職場のほうもすごく理解があって、応援してくださっているので、休みも取らせていただけます。先生も応援に行きたいと言ってくださっていて、デビュー戦は大阪だったので行けなかったんですけど、“東京でやる時はタオルを持って応援にいくから”ってノリノリで応援してくださっているのでうれしいです(笑)」



(撮影・辰根東醐)

次戦は3月22日に決定

 今後、東京の生活をエンジョイしたいというのは?


「う~ん…そんなに。どっちでもいい(笑)。今はボクシングに集中して、早く強くなりたいです。自分はまだまだ未熟な部分が多いので。もともと体を使うのが不器用なほうで、あまり上手にきれいに動けるタイプではなく、けっこうパワーで行くタイプだったので、もっと強くもっと上手くなりたいですね」


 結婚といった人生設計みたいなものはある?


「何歳までに、みたいなことは考えてはいないんですが、子供は欲しいですね。子供はすごく好きで友達の子供とか、妹が男の子を生んでいて、甥っ子と遊ぶのは大好きなんです」


 将来、子供が格闘技をやりたいと言ったら?


「それはどちらでもいいです。でもやりたいと言ったら一生懸命教えます」


 やりたいと言われたらちょっとうれしかったりする?


「多分うれしいと思います(笑)」


 ブログは常に、最後は「押忍」で終わっている。


「今でもボクシングなのに練習中は結構“押忍”って返事をしてしまいます。癖がついてしまっていて、気合をこめた時やすごく気持ちが入ったときの返事は押忍になっています(笑)。病院でもたまにあるんですよ。緊張したときも、押忍って返事をしちゃう(笑)。でも患者さんからしたら嫌ですよね」


 真面目にやってくれている感じがしていいと思いますが。


「本当ですか? でも拳がごつくなっているので“注射とかできるんですか?” ってみんな茶化すんですよ(笑)。もちろん普通にできるんですよ(笑)」


 現在、ジョシカク人気が高まっている。


「盛り上がっているのはうれしいです。自分は今ボクシングをやっているので、もっと面白い試合をして、それを見てもらって、ボクシングのほうもフィーチャーしてもらえたらという気持ちはあります」


 女子ボクシングを引っ張る存在としての期待も高い。


「しっかり実力をつけてそういう存在になれるように頑張ります」


 谷山のボクシング転向の話を聞くと、かつて大山倍達が言った「右手がダメになったら左手を使え。手がダメになったら右足を使え――」という言葉をふと思い出す。不屈の精神力で最後まで戦い抜くことを説いたのがこの言葉。


 その言葉をほうふつとさせるような今回の転向劇。谷山の戦い続ける姿勢を見て、ある先輩が「格闘ジャンキーナース」というキャッチフレーズをつけたんだとか。でも「空手を大事にしていて、今でも一空手家という意識がある」と空手家としての矜持を見せる谷山としたら戦い続けるのは当たり前のことなのかもしれない。


 インタビュー後に次戦が3月22日に決まったという知らせが届いた。今度はどんな試合を見せてくれるのか注目したい。(本紙・本吉英人)