「友達の娘ちゃん」【SOD女子社員・負け犬女の働き方改革】#19

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 娘ちゃんはとにかくかわいい。

「自分が一番かわいい」「自分が中心」というお姫様のような性格なのだが、大人になったら成立しないそんな世界観で生きているのが愛おしいし、そんな性格なのに普段はお姉ちゃんなのでわがままを我慢しているいじらしさもまたかわいい。
(娘ちゃんの家には猫もいて、さらに生まれて間もない弟もいる。)

 娘ちゃんは会うと必ず抱っこを要求し、先日一緒にお出かけしたときには数時間に渡って抱っこさせていただいた。

 当然翌日には筋肉痛になったが、そんなことどうだっていい。

 娘ちゃんに振り回されることが私の幸せ、とすら思っている今の私だ。


 私の育った家庭では、小学生の頃から父親と別居していた。

 母親や親戚たちやまわりの大人には申し訳ないが、「あのとき父親がいればもっと愛情を受けて育っていたかもしれない」という思いがいまだに心のどこかにある。

 恋愛相手に父親を求めてしまうこともあるし、あのときもっと愛されていたらもっと自己肯定感があったかもしれないのに、とか、自分を責めないで生きられたかもしれないのに、と自分を追い詰める考え方をしてしまうこともある。


 しかし、過去は変えられないのだ。

 今から私に父親ができるわけないし、当時の父親との思い出を作り直せるわけがない。


 でも、私が友達の娘ちゃんを可愛がれば可愛がるほど、心が満たされていく。
当時欲しかった自分への愛を自分で補完できるような気がする。


 私はまだ無条件で「子どもはかわいい!」とは言えない。

 街中では、泣き声がうるさいなと思うときもあるし、走り回ってる姿を見るとヒヤヒヤして不安感があおられる。

 それに友人たちの子育ての肉体的・精神的苦労を見ていると、絶対に自分はできないと思うので、気安く「子どもはかわいい」とか「子どもほしい」とか言えない。

 だが、娘ちゃんの存在が、私の心を、私の命を救ってくれたのは確かだ。

 彼女は生きているだけで、もう誰かを幸せにしている。

 かつては私もそうだったかもしれない。

 そう思うと、娘ちゃんを愛することが、ひいては自分を愛することにつながっているのではないか、と思うのだ。


 何もかも自信をなくした自分にとっては、何かを愛するということは、それだけで生きる希望につながる。

 人生とは、娘ちゃんを愛して、芸術を愛して、自分を愛して、そうして少しずつ生き延ばしていくものなのかもしれない。


田口桃子(たぐち・ももこ)
2007年、新卒でソフト・オン・デマンド(株)に入社。
営業、マーケティング等の部署を経て、2013年に女性向けアダルトサイト「GIRL’S CH」を立ち上げ。以来、GIRL’S CHの現場リーダーとして、サイト運営・企画・広報に携わる。
現在は新規事業の立ち上げを担当。
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