パラトライアスロン・谷真海「引退も考えた私が、東京2020大会を目指すわけ」<TOKYO 2020 COUNTDOWN>


 東京五輪・パラリンピックの開催まで200日を切った。大会延期に伴うプラス1年の重みは、大舞台に挑む者しか知り得ない。すでに競技を去った者も少なくない中、いま選手を奮い立たせる原動力は何なのか。長年パラリンピックの「顔」として招致活動に貢献し、東京大会で自身の集大成を目指すトライアスロン選手の谷真海に、現在の心境や大会に懸ける思いを聞いた。
【谷真海】1982年生まれ、宮城県気仙沼市出身。早稲田大学在学時に骨肉腫を発症、右足膝下を切断し義足の生活に。2004年走幅跳でアテネパラリンピック初出場後、3大会連続出場を果たす。2013年IOC総会ではプレゼンターとして東京五輪招致に貢献した。2016年パラトライアスロンへの転向を表明。翌年9月の世界選手権で優勝し、日本人初の世界一に。2020年東京パラリンピックでのメダル獲得を目指し競技に取り組んでいる。サントリーホールディングス所属。(撮影・上岸卓史)

心が満たされないと、4年に1度は迎えられない


 爽やかな笑顔が目に飛び込んできた。2004年アテネ大会で走幅跳選手としてデビュー後、結婚・出産を経て2016年トライアスロンに転向し、ママアスリートとして再び大舞台を目指す谷。晴れやかな表情が印象的だが、自国開催への思いが募る中での1年延期は、気持ちの整理に時間を要したという。

「本来であれば今頃パラリンピックを振り返った気持ちを話しているところなので、思い描いていた2020年とは全く違う年になってしまいました。延期になってしばらくは気持ちが固まらない時期が長く続いたので、その間は1人での練習を中心に体調を整えることを心掛けました。それまでは、今年は2020年だからなんとか夏まで、と心身共にぎりぎりの状態だったので、まずは体を整えないと気持ちも前に動かないと、緊急事態宣言下は家族とゆっくり過ごしていました」

 一時は、口に出さずとも現役引退も頭をよぎったと谷。自分の気持ちと向き合う中で、少しずつ揺れ動く心に決意がみなぎってきた。

「実際に大会をどのように開催するかという議論になってきているので、そこはポジティブに考えています。思い描いていた満員の観客は難しいかもしれませんが、アスリートとしてのゴールはあるかもしれないと、気持ちは変わってきました。変化はここ1〜2カ月(取材は昨年12月3日)だと思います。特にこれというものはないのですが、開催への動きと、自分の体調が戻って練習を積めるようになってきている点ですかね。エネルギーがもう一度満たされてきたのかなという感じです。やはり心が満たされないと4年に1度の大会は迎えられないと分かっていたので、そうなるまで待ってみようと思いました」

 2013年の招致活動ではプレゼンターとしてIOC総会に立った。そうしたパラリンピック界の立場も競技への思いに影響したのだろうか。

「そうですね。義務と思ってはいけないと考えていたので、まずは自分の気持ちに忠実にと心掛けていたのですが、やはり子供たちから“頑張ってください”とか“教科書で読みました”と言ってもらえることがありました。本来私はスポーツを通して、夢や目標を持つ大切さや、それに向かってチャレンジすることが人をポジティブにさせるということを伝えたかったので、そういうきっかけも、悩んでいる自分を後押ししてくれました」

 家族との時間も心に余裕を持たせてくれたようだ。

「仕事をしながら競技するスタイルには昔から慣れているので、子育てとの両立にあまり抵抗はないほうです。むしろ、もともと競技のことばかり考えてしまうタイプでしたが、子供に会えば慌ただしく、気持ちの切り替えはしやすいです。練習のことを考え過ぎてしまうと気持ちを消耗して4年の間に心も息切れしてしまうので、家族との時間はプラスかなと思います
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