フィリピンハーフのゲイ青年が主人公“多様性”の過渡期を骨太に刻んだ映画『世界は僕らに気づかない』に、気づいて!【黒田勇樹のハイパーメディア鑑賞記】

 こんにちは、黒田勇樹です。

 2022年ももうすぐ終わりです。今年も多くの方々に支えられて、いい仕事ができた1年でした。来年もよろしくお願いします。

 そして、年が明けてからこのコラムをご覧になる方もおられるかもしれないので、そんな皆さんには昨年はお世話になりました。以下同文で!(笑)

 では今週も始めましょう。

『世界は僕らに気づかない』2023年1月13日(金)から新宿シネマカリテ、Bunkamuraル・シネマほかにて公開 ©「世界は僕らに気づかない」製作委員会

“多様性”という言葉が、世間に浸透し始めてどれくらいの時間が経ったでしょうか?
ジェンダーとかポリコレとか様々な角度からの視点や呼び方で区別されていますが、要するに国籍や人種、性別や性癖、宗教、職業など、筆者は「本人が選んで生まれてこられない以上“事情”」だと、呼んでいる“自分じゃない人の事情”について「受け入れよう」と、いう風潮が世間に渦巻いています。

 今回鑑賞した映画は『世界は僕らに気づかない』。
 水商売をするフィリピン人の母と暮らす、日本とフィリピンのハーフの青年が主人公。本人がゲイだということも“僕たち、同性愛を頑張って描いてま~す!”っていうドラマティックな他の映画とは一線を画す様に、開始早々に“当たり前のこと”として、表現されます。

 昔からこういう切り口の作品はあるにはあったのですが、世論との親和性というのでしょうか? “注目される”“語られる”という「タイミングに、この作品が登場する」ことに、大きな意味があったんじゃないでしょうか?
「“マイノリティ”を、マイノリティって呼ぶのやめよう」が、多様性の本質であって、それが“当たり前”になる必要があるとすれば

 突然、肌の色も違えば性別や恋愛対象も違う人たちがいっぱい出てきて「わーい、世界は平和になったー!」と、いう映画が溢れて「平等だ!」「多様性だ!」と、騒ぎ立てたり、押し付けあったりするのではなく、今作の様な「今、こうだぜ」っつーところから始まる物語を、エンタメ業界全体が“通過する”べきであって、そういう作品の足がかりになったと思います。

 ぶっちゃけ、クオリティだけでいえば、演技も編集等も「賞を取る自主映画」に毛が生えた程度の品質で「大作」や「商業作品」と呼ばれるような映画とは見劣りするかもしれませんが、テーマ性でいえば

 寅さんとかハマちゃんとか、実は…日本のお正月はマイノリティが大活躍する季節なんですよ!新年にふさわしい超大作だぜ!

 群馬が舞台というところも味わい深いのですが、こちらは複雑すぎるので、各々、作品を観た後、興味がある人が丁寧に調べて下さい。

 多分、99%のエンタメ人は「気づいて!」と叫ぶ為にこの業界にいるので、そういう場所から生まれた傑作「世界は僕らに気づかない」是非、ご覧下さい。いや、気づいてあげて下さい。

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