黒田勇樹「バブルがあって、映画も演劇も法令順守のルールがテレビ局に準じたものになってしまった」〈インタビュー前編〉

スポンサー問題を解説(撮影・堀田真央人)

「演劇における法令順守がテレビ局に準じたものになってしまった

 黒田さんは6歳だった1988年にNHK大河ドラマ『武田信玄』で俳優としてデビューされています。それから一時引退されるまで10年以上、俳優として活躍する中で、当時はそういうことはなかったですよね?
「僕らの時代はいかれていましたから(笑)。分かりやすくいうと、交通事故のシーンがあると自動車メーカーがスポンサーから降りるんです。そうなると酒造メーカーがスポンサーに入ってくれます。それが飲酒運転で引き起こした事故だと、今度は不動産屋さんが代わりにスポンサーに入ってくれます。昔のドラマは大人気だったので、みんなスポンサーになりたいから、なにをやろうと入れ替わり立ち代わりスポンサーが見つかったんです。バブルです。テレビはバブルが10年くらい遅く終わっています。その理由はギャラを落としてはいけないという文化があったからです。

 で、しかもそのバブルのころ、20年前くらいの80年代くらいに小劇場ブームがあったんですが、この小劇場ブームで、テレビ局がお金を出して作る舞台が増えちゃったんです。これはテレビを作っている人たちがみんな小劇場が好きだから、小劇場にお金を出すようになったというところがあるんですが、そうすると演劇における法令順守がテレビ局に準じたものになってしまった。それまで寺山修司さんが人の家に殴り込んで勝手に芝居をして“これが演劇だ”とやっていたようなことができなくなった。スポンサーにテレビ局の名前が入っているから、テレビでやっていいことしか舞台でもやっちゃいけなくなった時代があったんです。僕の記憶だと劇団新感線の規模が大きくなってきたくらいにテレビが演劇にスポンサーを入れ始めた。三谷幸喜さんがサンシャインボーイズからテレビドラマにいった時代かな」

 1980年代に野田秀樹、鴻上尚史、渡辺えりこといった面々が活躍した「小劇場ブーム」がありました。
「そういった人たちが作った小劇場ブームにテレビが乗っかってきたという感じだと思います。そして、その10年後くらいに映画も、テレビドラマを映画化するようになってきたと思うんですが、そこで映画にもテレビのルールが適用されるようになった。今、実は大きいところは映画も演劇もテレビのルールなんです。スポンサーの意向を順守をしなければいけない。ただし、テレビのバブルも2010年くらいに終わりました。それでどうなるかというと、今度はさっきまでのスポンサーがいなくなっても次があるという状況ではなくなるから、スポンサーの顔色をうかがいながら作らなければいけなくなった。全業種のスポンサーをですね」

 それでつまらなくなったんですね?
「多分、そうなんでしょうね。ある会社がスポンサーを降りるとなったら次のスポンサーがいないから、そこの言うとおりに作るしかなくなってしまう。キャスティングもそう。あとは過激な表現ができなくなる」

 

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