会社も家庭も大事にしたくて選んだ2拠点生活 「苦労もある。でも自分の限界を超えて 挑戦できるって、めっちゃ楽しい」

株式会社LITA 代表取締役社長・PRプロデューサー 笹木郁乃

 会社員時代に創業期の2社の広報を担当し、売り上げ急成長に貢献。その経験を生かし、PR代行事業を立ち上げる。PR塾も主宰し、経営者など6000名以上を指導。多くの企業が認知されず、広告費をかけすぎている現状を解決すべく、PRによる売上拡大と業界変革に取り組む。持論は「PRは魔法であり、劇的に会社を変える力がある」。実は彼女自身、起業という魔法で人生を変えたひとりだ。

笹木郁乃(ささき いくの)……会社員時代、創業期の2社のPRを担当し、5年で売上1億から115億、看板商品を12カ月待ちの人気商品へと押し上げる。その経験を生かし独立。PR塾を主宰し、7年で6000名以上の起業家らを育てる。現在はPR会社を経営する傍ら、複数のメディアでPRコラムを執筆。著書に「0円PR」(日経BP社)、「お金をかけずに誰でもできる! SNS×メディアPR100の法則」(JMAM)がある。

「まさか自分が起業するなんて……」。経営者の創業エピソードでよく聞くフレーズだが、笹木氏の場合、確かに自分が会社を起こして社長になるとは露とも思っていなかった様子。会社員時代、エアウィーヴとバーミキュラの名をPRの力で一躍全国に知らしめた時も「ずっとこの会社で働きたい」と思っていたそうだ。しかし結果的に独立し、法人を立ち上げたのはなぜか。その疑問を解く鍵が、子供時代の壮絶な体験だ。

「小学2年生の時に交通事故に遭い、開頭手術を受けるほどの大怪我をしました。20歳までに後遺症が出る可能性があると言われ、幼心に、自分は明日死ぬかもしれないと思ったのです。ならばこの命を燃やし尽くしたい。それが人生の原動力になりました」 

 国立大学の数学科に入るも世の中の役に立つ実感が持てず工学部に転部。卒業後に研究者として入社した大手自動車部品メーカーではやりがいを見出せず3年で転職した。その後、未経験ながら営業職として飛び込んだ小さな寝具メーカーでPRに尽力。100億円企業への成長に貢献したものの、今度は年商10億円の調理器具メーカーに転職し、看板商品の鉄鍋を1年待ちの人気商品に育てあげるも独立。根無草のような行動は、すべて命を燃やし尽くしたいという欲求が元になっている。

「大企業にいると、自分の裁量ではどうしようもできないことがたくさんある。ならば独立してスピード感をもって仕事をしたい、そう思ったのです」

 最初は個人事業主としてPR塾を主宰。1年目で年商1000万円を超えたことで、法人化を決意する。

「お客様からありがとうと言われるのは満足感がありますが、それだけでは世の中を変える力はない。何事も数字が伴って初めて評価されると思うのです。そんな力は、創業当初の自分にはないと思っていたのですが、目標として立てた数字を1年で達成できたので、もしかしたらその資格があるかもしれないと、法人化を決意しました」

 しかし法人化後は、成長を意識するあまり組織化を急いだり売上を重視しすぎたりして、社内不和を招いてしまう。社員への説明が足りないことで大きな溝が生まれ多くの仲間たちが会社を去っていった。

「考えを改めました。そもそもPRはお客様の会社の可能性に貢献して、夢を実現させることが役割。いまいちど利他の精神に立ち返ろうと、2019年に社名を現在のLITAに変更しました」

 その頃は、家庭と仕事の両立も笹木氏を大いに悩ませた。

 

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