坂口征夫が2・7新宿での電撃引退を発表。「最後はHARASHIMAとサシで勝負させてくれ」【DDT】

最後は笑顔で

“DDTでの思い出”を問われると「うちの家柄だと、プロレスというものが生まれてすぐ目の前にあって。子どもの頃、遊ぶ公園が新日本プロレスの道場で。近くの遊んでくれるお兄ちゃんがレスラーであって。そういう家柄で生まれて、ある種、宿命みたいな感じ。この稼業をやることは宿命みたいに感じてたんですけど。いつからか坂口という名前が嫌で嫌でしょうがなかったんです。名前を変えたい、苗字を変えたいと思ったときも何度もあります。坂口という名前を捨てたい、逃れたいというのがずっとありました。DDTに入って、その呪縛から解いてくれたのがこのDDTなんです。ここにいる仲間たちなんです。今じゃ大手を振って“俺は坂口だよ”って言えるようになったんです。ずっと新日本プロレスを見てて。ある日、テレビをつけたとき、両国国技館のマス席をボス(高木)が練り歩いてて。何やってんだこの人たちって思って。そこは衝撃的で。その団体に入らせてもらえる。そこで試合ができる。夢のようでした。DDTらしい試合もそうですし、このいい年こいたオッサンたち、いい年こいた大人が真面目な顔して全力でバカをするのがDDTだと思っていたので。いっぱい思い出ありますよ。パンスト被ってレスリングしたのもそうですし、ビアガーデンプロレスで泥酔してリングに上がったのも、ごめんなさいって話だったんですけど。HARASHIMAさん、入江(茂弘)、しのぎを削ってきた。それもよき思い出。アントン先生(アントーニオ本多)の話も、平田(一喜)のバカも含めて、みんな思い出。イラプションの結成もそうだし、一昨年の樋口との試合もそうだし。今、欠場してるかもしれないけど、吉村(直巳)と横浜でやったD王もそうだし。いろんな思い出がいっぱいあって、一冊の本になるくらいじゃないですか。すべてが自分にとっちゃ大事なことで。こんな入れ墨入ったおっかなそうなオッサンが真面目な顔してバカなことをやるって、ここのリングじゃなきゃできないんですよ。それがすべての思い出だと思います」と思いの丈を吐露した。

「前日の鶴見大会でアジアタッグ王座を防衛していた場合、決断は先になっていたか?」の問いには「一度目の防衛戦が終わって、昨日のチャレンジャーが目の前に来たとき、俺らはいつでもベルトを失ったら解散する、それくらいの気負いをもって試合に挑んでたので。昨日の試合が決まった時点から、自分は発言していたこともあって。仮に昨日、防衛していたとしても、自分のなかの気持ちは変わらず。結果論ですけど、勝ってたとしても辞めるというタイミングは崩さなかったと思います。崩さずにアジアタッグのベルトは返上させていただいて。PWFの管轄に戻していただけたらなと思いますし。一番やられちゃいけないルール(電流爆破)で、一番ダメな負け方をしてるんで。これは岡谷とも話してたんですけど。イラプション解散には皆さん思うところがあるかもしれないですけど。自分はそのつもりで毎回戦っていたというのは感じ取っていただけたならと思います」とコメント。

 そして「一個やり残したことがあったんだ。昨日解散したなかで、岡谷の成長がすごく。『最強タッグ』を一緒に戦ってきて。ホント変わったなと思ってきたので。最後のやり残した一つとして、ボス、岡谷とサシで勝負させてください。あいつがどれだけか、自分の体をもって知りたいと思いますのでよろしくお願いします」と弟分との一騎打ちを要望した。

 会見終了後、同団体で協議した結果、1・28後楽園で岡谷と、引退試合となる2・7新宿でHARASHIMAとシングル戦を行うことが決定。2・4長野では、本多と組み、樋口、平田組と対戦する。

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