音楽・服部百音×食・長江桂子の表現の世界「信じてついていけばいいとヴァイオリンを選んだ」
若い頃から世界と渡り合ってきた天才は何を考え、どんな選択をしてきたのだろうか。音楽と食、それぞれの領域で活躍してきた2人の女性が語る仕事、海外と日本の違い、そして未来とは。SDGs17の目標達成のヒントとなる話題を各界の著名人やビジネスパーソンが語り合う「シリーズ:未来トーク」。今回はヴァイオリニストの服部百音さんと、パティシエで「クレソンリバーサイドストーリー旧軽井沢」総料理長の長江桂子さんに話を聞いた。(全3回のうち第1回/第2回へ続く)
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“長い年月になるがついてきてくれるか” と言われ
国内外での演奏活動や自ら企画したコンサート・シリーズ「Storia(ストーリア)」などに取り組む服部百音さんと、フランスを拠点にパティシエやガストロノミー界のコンサルタントとして活躍する長江桂子さん。編集部は今夏、服部さんが初めて長江さんのレストランに訪れた日に密着。最初こそ緊張気味だった2人は、言葉を交わすなり一瞬で打ち解け、気がつけば会話が途切れることはなかった。
服部百音(以下、服部)「これまで違う専門分野の方とお話しする機会が少なかったので、私なりに長江さんがどういった活動をされているのか調べ、味覚や聴覚の話をしてみたいなとすごく楽しみにしていました」
長江桂子(以下、長江)「百音さんがイタリアで行われたリサイタルでデビューしたヴァイオリニストということは存じ上げています。私は日本を離れていた期間が長いので国内の話題が分からず、今日は忙しい日だったのでご挨拶にも伺えませんでしたね」
まずはヴァイオリニストとパティシエ、それぞれの道で世界で活動するようになったきっかけから語ってもらった。
服部「もともと3歳からクラシックバレエをやっていて、教室にも通っていたんですけど、骨格や身長などの問題もあってバレエを諦めようかという8歳の時、来日したのちの師匠であるザハール・ブロン先生にお会いできる機会があって。大好きだったサン=サーンス『ヴァイオリン協奏曲第3番』第3楽章を弾いたら “大事な話がある” と言われ、“私に指導させてほしい。長い年月になるがついてきてくれるか?” と決断を迫られました。その時は今後の人生のことまで考えていなかったけど、信じてついていけばいいのかなと思ってヴァイオリンを選んだのです。その後は先生を追いかけ、ヨーロッパ各地を転々としていて日本にはほとんどいませんでした。
先生のもとには世界各国から弟子が集まり、3本の携帯にひっきりなしに電話がかかってくるくらい忙しかったのですが、指導させてほしいと言ってくださった言葉は本当でした。修行期間の後半にはアカデミーという専門機関ができて、そこでも厳しく指導してくださいました。ヨーロッパをメインに活動しながら、日本に帰国した時に小学校、中学校、高校に通う生活でした。
その頃に日本で一番戸惑ったのは、音楽に対する価値観がヨーロッパとまったく違うことでした。私が学んできた音楽には境界がなく、楽器を扱う職人として “どんな音を作ることが大事なのか” を考え、その音を出すための技術をひたすら磨いてきました。ところが日本では券売効率の良い曲を弾くことが優先され、旧態依然とした価値観を目の当たりにすることが多かった。もやもやした気持ちを抱えているうちにコロナ禍で海外に行くことができなくなり、またウクライナ戦争の影響もあって日本に長期間滞在するようになりました。
その頃には受動的な演奏をルーティンとしてこなすことに疑問を感じていて、ヴァイオリンにはまだ知られていない名曲や埋もれている魅力的な曲がたくさんあり、それらを紹介していくのが演奏家の役目ではないかと考えるようになりました。そこで始めたのが、知られざる魅力的な曲を取り上げるコンサート・シリーズ『Storia』です」