【短期集中連載】〈日本で最も歴史の長いプロ格闘技・シュートボクシング40年史〉第11回 「強い奴はどんなルールでも強い」をS-cupで具現化したブアカーオ
来る11月24日、東京・国立代々木競技場第2体育館で創立40周年記念興行「〜SHOOT BOXING 40th Anniversary〜S-cup×GZT 2025」を行うシュートボクシング。プロ格闘技団体として同じ名前では史上最長となる40年という長い歴史を振り返る。(文/写真・布施鋼治)
K-1 MAXで2度優勝の強者がS-cupに参戦
「強い奴はどんなルールでも強い」
そう豪語しながら「S-cup2010」で優勝した世界で最も有名なタイ人ファイターがいる。過去「K-1 WORLD MAX世界一決定トーナメント」で2度も優勝しているブアカーオ・ポー.プラムック(現在はバンチャメークと改名=タイ)だ。
2009年までブアカーオはK-1WORLD MAXの世界トーナメントに6年連続出場していたが、2010年の大会には名を連ねていない。
なぜか。この年になってからK-1の運営会社であるFEGが深刻な財政難に陥っていることが表面化。多くの選手や関係者へのギャラの未払いが発生したことと無関係ではあるまい。約束のファイトマネーや賞金がもらえないのであれば、鞍替えするのはプロとして当然のアクションだろう。
大会前は投げ技やスタンドでの極め技への対応が懸念されたが、冒頭で記した優勝後のコメント通り、初めてのシュートボクシング(以下SBと略)ルールでもブアカーオはめっぽう強かった。
そもそもムエタイがベースのファイターは首相撲や相手と差し合った体勢での攻防を得意とする。しかしながら原則として首相撲や相手との密着戦に大きな制限を設けたK-1ルールでは、それらのムエタイテクニックはほとんど使えない。対照的に攻撃的な首相撲や差し合いならOKのSBルールなら、K-1では封印していたムエタイテクニックを思う存分披露することができたのだ。
例えばムエタイにはリヤムという相手からスリップダウンを奪うテクニックがある。ムエタイでは出足払いのような崩しは禁止されているが、リヤムのような重心移動による崩しは認められている。
このリヤムを得意とするブアカーオはトーナメント初戦からこれを効果的に使い試合の流れをたぐり寄せていた。宍戸大樹(シーザー)との初戦ではハイキックでダウンを奪って判定勝ち。
2006年9月4日、宍戸はK-1のリングでブアカーオの左フックによって1ラウンド開始わずか15秒、KO負けを喫している。ゆえにS-cupではリベンジを期しての一戦だったが、この時点で母国タイの国民的英雄となっていた男の牙城は崩せなかった。
準決勝でアンディ・サワー(オランダ)を破るという殊勲の星をあげたMMAファイターのトビー・イマダ(アメリカ)との決勝では準決勝までの闘いで下半身にダメージを負っていた相手に容赦なくローキックを浴びせTKO勝ちを収めた。
「K-1より闘いやすかった」
もちろん舞台はSBであるだけに、対戦相手がSBならではの攻撃をブアカーオに仕掛ける場面もあった。宍戸はアームロックを仕掛け、イマダはきれいにブアカーオを投げている。特筆すべきはイマダに投げられた以外、ブアカーオはバランスを大きく崩す場面はなかったことだろう。どうして純粋なグラップリング競技の経験のないブアカーオがそんな芸当をできたかといえば、一流のムエタイ戦士なら並外れたバランス感覚を有しているからにほかならない。
ムエタイでは3~4ラウンドに首相撲での攻防で、ここで倒れたら負けという大事な局面がある。ゆえに片足立ちで「もう倒れるだろう」と思われる選手でも倒れないケースがよくある。
このときのブアカーオはまさにそれだった。毎日首相撲を数時間続けている賜物というしかない。一流のムエタイ戦士は実はスタンド・レスリングの強者だったのだ。しかも自分から攻撃を仕掛ける展開も目立っていたので、対戦相手は崩そうにもそういうチャンスを作れなかった。
試合後、ブアカーオは満面の微笑を浮かべながら3連戦を振り返った。
「シュートボクシングは初めてだったけど、K-1より闘いやすかったですね」
その後ブアカーオはSBのリングに上がっていないが、現役は続けている。昨年はRIZINや新生K-1のリングに上がり、オールドファンを驚かせた。現在43歳ながら“フィリピンの国民的英雄”マニー・パッキャオとの夢のボクシングマッチが正式アナウンスされるなど、話題が尽きることはない。もう一度SBのリングに上がることはあるのだろうか。
(第12回に続く)

