東日本大震災から15年 大事にしたい、福島を知り続けること

 3月11日、東日本大震災の発生から15年を迎える。あの時に見たことや感じたことを「忘れない」「風化させない」という思いを改めて強くする人は少なくないはずだ。その一方で、当然のこととはいえ、東日本大震災について動画や画像、文章だけでしか知りえない子どもたちの数も増えている。東日本大震災から15年の今だからこそ大事な「知り続ける」こと。

 

 先ごろ、東京の小学生と福島県いわき市の小学生が一緒に福島県の浜通り地域を訪れた。全員が東日本大震災をリアルに知らない世代だ。震災から15年が経過した福島の今を自分の目で見て心で感じながら、自分たちが知らない震災発生当時の状況に思いをはせながら、福島の未来について考えてほしいーーそんな大人たちの願いがきっかけだった。

 1泊2日の日程で、双葉町(ふたばまち)や浪江町(なみえまち)を見て回り、2日目に「国連を支える世界こども未来会議 in IWAKI, FUKUSHIMA」(2月1日、いわき市・東日本国際大学)に参加した。会議では「住み続けられる未来の福島」をテーマに、福島がどんな町になっていくべきかを考え、アイデアを出し、グループで提案をまとめ、プレゼンテーションした。

浪江町の役場職員の及川里美さんのリアルな言葉を受け止める子どもたち

自分の目と耳と心を全開で、福島の過去、今、未来を知る


 小学生たちは浪江町で合流。一緒に昼食を楽しんだ後で、最初に聞いたのは生まれ育った自宅が帰還困難区域にあって今もまだ戻れないままという浪江町の役場職員の及川里美さんが語る、震災以前の浪江町、震災から15年をかけて復興してきた浪江町、そしてこれからについての話だ。

 震災前は約2万人だった浪江町の現在の人口は2400人程度。そのうち約3分の1は移住者で“新しい浪江町の住人”。震災前から住んでいる浪江の方々は1600人ほどだという。浪江町は、震災・津波がきっかけになって発生した原子力発電所の事故で漏れた放射能が風で流れてきたことで、人が住むのには危険なエリアと判断され、町民は全国に散らばった。時間が経つほどに住むのに安全の確認が取れて人が住めるように切り替わってきたが、今も自分が住んでいた家に戻れない人もいる。

 及川さんが明るく放つシビアな話に小学生たちは聞き入り、新しい資料がスクリーンに映し出されるたびに前のめりに。「皆さんがこれから行くのはそういうことがあったところ。いろいろな景色を見ていただいて、記録してほしい」と及川さん

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