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ありがとう『世界動画ニュース』、これからもよろしくね『世界動画ニュース』〈徳井健太の菩薩目線 第253回〉

2025.09.10 Vol.web original

“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第253回目は、『楽しく学ぶ!世界動画ニュース』について、独自の梵鐘を鳴らす――。

『楽しく学ぶ!世界動画ニュース』が、10月改編によってレギュラー放送を終了することなった。この番組を通じて感じたこと、勉強になったこと、いろいろなことを菩薩目線でも触れてきた。思い入れのある番組だったから、やっぱりさびしいなぁ。

 もともとこの番組は、『電脳ワールドワイ動ショー ニュースではわからない世界の今!』としてスタートした。番組が始まったとき、「芸歴 20 年を超えて個人技を鍛える機会なんてそうそうない。まだ上手くなれるかもしれない。スタッフ陣に恩返しができたら」と、僕は心から思った。なんだか僕にとって、大きなターニングポイントになるような番組とスタッフに出会えたような気がしたから。

 前身から数えると4年続いた番組だった。僕は、今までいろいろな番組に出演し、レギュラーを務めた番組もあったけど、初めて「さびしい」という感覚にとらわれている。『ピカルの定理』が終わったときは、こんな感情になれなかったから、やっぱりあのときは自分が未熟だったし、仕事への向き合い方もどこか他人事だったんだろうなと思う。良い仕事に出会えると、そんな風に過去の仕事とも今一度答え合わせができるのだから、生きている以上、良い仕事と良い人間関係に恵まれた方がいい。考えようによっては、終わらないと分からないことってたくさんあるんだよね。

 終了に伴い、プロデューサーさんが、ウチのマネージャーを含めてご飯を食べる機会を設けてくれた。「あらためて徳井さんと話したかった」から、一席を作ってくれたという。こんなにうれしいことってない。いろいろお話をさせてもらって、レギュラー放送は終わるけど、これはきっと新しいスタートなんだろうなとワクワクした。今まで続いていた何かが終わると、どうしたって気が沈む。人によっては糸が切れるかもしれない。でも、そういうことじゃないんだろうな。新しいレールを走るためには、乗り換えが必要で、きっと今、そのタイミングが訪れたんだと思った。電車を待つ間に食べる、ホームにたたずむ駅そばはおいしくて、心が温まる。そんなひとときを、プロデューサーさんは作ってくれたのだ。

 食事会には、プロデューサーさんと長年タッグを組んできたスタッフさんも同席し、一緒にあれこれ話したのだけれど、「毎回、楽屋からスタジオに行くまでの間に、徳井さんにどんな雑談の話題を振るのか楽しみ考えていた」と教えてくれた。そう言えば、いつも話をしながらスタジオに向かっていた。

 僕は、小藪さんと出会ったとこで、人生をぐるっと変えるきっかけをもらった。それ以降、僕も小藪さんとまではいかないけど、誰かと話をする中で、その人の人生をほんの少し好転できるような人になれたら……なんてことを思いながら生きてきたから、そんな些細なことを楽しみにしていたと言われて、胸に込み上げるものがあった。

『楽しく学ぶ!世界動画ニュース』のレギュラーコメンテーターは、僕のほかに、いとうせいこうさん、稲垣えみ子さん(元朝日新聞記者)、堤伸輔さん(フォーエイト元編集長)という布陣。みんな博識で、時世や時代に一家言を持つキャリアがあるから、自分にできることは何なのか考え続けた4年間でもあった。何がどう響いているのか、毎回手探りで、今だって明確な答えは見つからない。

 だから、一生懸命やり続けるしかない。結局、それが一番簡単――。一生懸命やることは、決して簡単じゃない。でも、一生懸命やるのが、納得のいく人生を歩む、もっともシンプルな方法なんだと思う。良い経験をさせていただいたと、『楽しく学ぶ!世界動画ニュース』に関わったすべての人に感謝したい。僕もまだまだ頑張ります。この番組で出会ったスタッフさんたちと、また違う形で乗り合いできることを楽しみにして、次の場所へ向かおうと思います。

 何かが終わるとき、それはとっても悲しいけれど、そうじゃないってことを、皆さんにも知ってほしいし、そう思わないから次があるのだと思っていてほしい。      

「神楽坂夏祭り」には新宿の歴史、鼓動、生活、すべてが詰まっていた!〈徳井健太の菩薩目線 第251回〉

2025.08.20 Vol.web original

“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第251回目は、「神楽坂夏まつり」について、独自の梵鐘を鳴らす――。

 北九州の生まれだからか、賑やかなものに惹かれるのかもしれない。うちの奥さんは、とにかくお祭りが大好きだ。「盆踊り」の文字を見るだけで、踊りたくてうずうずするらしい。

 僕は、人生の中で盆踊りというものをしたことがない。僕の家庭はいびつだったから、家族で出かけるということがなく、家族でお祭りに行くなんて夢のまた夢。上京後、お祭りに行くということはあっても、盆踊りとは無縁の45年を過ごしてきた。踊ることも嫌いだったから、自らすすんで食いつくこともない。NSCのダンスの授業も嫌いだった。

「盆踊りを踊ったことがない」。そう奥さんに伝えると、人外の何かを見るような目で驚かれた。「この世の中に盆踊りをしたことがない人なんているの?」。いやいや、結構いると思うんだけれど。

 お祭りに対する彼女の興味はすさまじい。近くのコンビニで浴衣を着ている女の子を見かけると、「どこかでお祭りでもやっているの?」と聞こうとするくらい気になるらしい。それぐらい祭りと密接に関わりたい、血が騒ぐ人なのだ。

 だけど、僕はあまり興味がない。そのはずだった。ところが、菩薩目線『有象無象が混在したあの頃の新宿、花園神社例大祭にはまだあった!』で触れたように、花園神社例大祭を見て、雷に打たれた。“モノは試し”ではないけれど、多少なりとも興味は湧き、奥さんの熱も伝播する。

 季節は夏。お盆が近づいてくる。僕は、ChatGPT先生に東京のお祭りのスケジュールを聞くと、「神楽坂で開催予定です」と返ってきた。その祭りの名を、「神楽坂夏まつり」という。

 その日、神楽坂を訪れてみると、坂の部分すべてが盆踊り会場と化していた。坂に構えるすべてのお店が路上で飲食物を販売し、神楽坂は一大フェス会場になっていた。売られているものも、さすが神楽坂というような、「トリュフサンドイッチ」だとか「アグー豚の唐揚げ」だとか、やたらとカタカナが並ぶ、TOKYOの縁日メニューが並んでいた。かと思えば、地元の自治体の人たちが50円とか100円で商品を提供していたり、新宿高校の生徒たちがボランティアをしていたり、古き良き東京の姿も混在していた。

 この夏まつりを仕切る、おそらく町内会の人であろうおじさんが、これから始まる演目について説明していると、突然、僕のほうを見た。

「あッ! テレビに出てる有名な人だ! 平成ノブシコブシの徳井健太さんがお見えになってます!」

 内心では、「放っておいてくれ」と思ったが、おそらく祭りとはトランス状態のことを指すので、あのおじさんには別人格が乗り移っていたのだと思う。きっと普段は、物静かな人なんだ。僕は愛想笑いを浮かべて、群衆へと溶けていく。みんなが、思い思いに、好き勝手に、その日だけの人格を作り出している。この日、僕は見たことのない東京を覗いた気分だった。

 中でも忘れられないのが、演歌歌手なのだろうか、歌を歌っていたおばあさまの姿だ。80歳くらいと思しきおばあさまは、クリーニング店の前で美空ひばりさんの歌を熱唱していた。歌い終わると、小気味よいトークを始めた。

「私はね、6歳くらいからこの辺で歌っているの。もともとここは布団屋だったんだけどね。そのお店もそろそろ閉店。ありがとうございました」

 一体、このおばあさまは何者なんだろう。歌手なのか、クリーニング店の店主なのか。いや、もはやそんなことはどうだっていい。どのような人生を歩まれようとも、美空ひばりさんの歌を気持ちよく歌い、大勢の人の前で、自分とともにあったお店の閉店を告げる――。そんな些細なクライマックスを用意している、「神楽坂夏まつり」という舞台が染みた。

 奥さんは踊っていた。僕はやっぱり気恥ずかしくて踊れなかった。だけど、心は踊っていた。お祭りは楽しい。そこにお祭りがあるなら、行ってみてください。眺めるだけでもいいから。きっと、いつもは気が付かないことに気が付けるから。

我が家では、ママよりパパより「牛乳ちゃん」(仮)by マザー牧場〈徳井健太の菩薩目線 第250回〉

2025.08.10 Vol.Web Original

“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第250回目は、子どものあやし方について、独自の梵鐘を鳴らす――。

 

 子どもを育てていると、必ず“イヤイヤ期”に直面する。“イヤイヤ期”は、1歳後半から3歳頃にかけて起こる、子どもが自我を主張する大事な時期だ。半面、なんでもかんでも「イヤイヤ!」と反発されることも少なくないので、なかなか骨が折れる。だけど、『楽しく学ぶ! 世界動画ニュース』で、全世界の悩みに一石を投じるかもしれない動画を見た。

 その動画では、3歳くらいの外国の子どもが駄々をこねて、「イヤイヤ!」と騒いでいた。ある程度見届けたお父さんが、「じゃあ今度はパパの番だね」と言って、先ほど子どもがやっていたようにまったく同じテンションで、「イヤイヤ!」と騒ぎ返す。そして、「パパの番は終わったから、どうぞ」と子どもに促すと、どういうわけだか「うん……もういいかな」みたいな顔になって大人しくなる。

 なんでも、昨今はこういった教育法があるらしく、「順番」が肝になるとそうだ。「次はパパの番だね」、「次は〇〇君の番だね」。『フリースタイルダンジョン』のターン制よろしく、交互に打ち合うことで効果が生まれるという。

 早速、我が家でも試してみた。あら不思議。本当にびっくりするくらい効果てき面。「もう一個買って! イヤイヤ!」と騒いでいた子どもが、僕の本気のイヤイヤを見るや、すんなりと「一個でいい」と引き下がった。

 中途半端にやると効果は無いので、やるときは全力で イヤイヤ イヤイヤ イヤイヤ! 親御さんの中には、自分が駄々をこねる演技をすることに抵抗を感じる人もいるかもしれないけど、一種のコントだと思うと、案外、楽しい。

“イヤイヤ返し”に加え、僕にはもう一つ絶技がある。さまざまなキャラクターを模したゴルフのヘッドキャップがある。うちには、牛のキャラクターのヘッドキャップがあるんだけど、このキャップを「牛乳ちゃん」と名付けている。僕が、パペットマペットのように「牛乳ちゃん」を手に装着すると、子どもは決まって「牛乳ちゃん」の言うことを聞くのだ。「牛乳ちゃん」が、「そういうことはやっちゃいけないよ」と言うと、「うん」と止めてくれるのだ。

 泣き止まなかったり、わがままを言ったりすると、僕はすぐさま「牛乳ちゃん」を取り出して、人間・徳井健太を辞める。「牛乳ちゃん」として、子どもに問いかける。すると、さっきまで人間・徳井健太の言うことをまるで聞かなかった子どもが、「牛乳ちゃん」の言葉に耳を傾ける。

「牛乳ちゃん」以外にも、いろいろなキャラクターが我が家にはいるけれど、どういうわけか「牛乳ちゃん」の影響力は凄まじく、「牛乳ちゃん」一強時代。むしろ、子どもが「牛乳ちゃん」に言われれば何とかなると理解しているようで、自分自身でも異変を感じたら、「パパ、牛乳ちゃんに手を入れて!」とレスキューを求めるくらいだ。それくらい、「牛乳ちゃん」に絶大な信頼が生まれている。

 あるとき、子どもが「ママに悪いことを言ってしまって、ママが怒っている」とモヤモヤしていた。話を聞くと、謝りたいけど謝りたくないらしい。僕は、「それは謝った方がいいよ」と諭すけど、ゆずれないものがあるみたいで、子どもは首を縦に振らない。でも、子どもは内心は謝りたい。そこで、「牛乳ちゃん呼んで!」とオファーがかかる。「牛乳ちゃん」は、危機を救う仮面ライダーなのだ。

 僕は「牛乳ちゃん」を装着し、「変身」とは言わないまでも、生まれ変わったつもりで「牛乳ちゃん」にメタモルフォーゼする。実際には、手にゴルフキャップをはめただけだけど、「ママに謝ったほうがいいよ」と、子どもの目を見ながら言う。これが子どもには響くらしい。そして、素直に謝る。誰か、科学的に何の効果があるのか証明してほしい。

 子ども自身、「牛乳ちゃんを呼んで」と言うくらいだから、駄々をこねているという状況を客観視できているのだと思う。だから、先述したようなパパのイヤイヤ返しを見ると、客観していたものが目の前で具現化されるので、ボルテージが下がるのではないかと思う。僕らが思っている以上に、子どもはイヤイヤしている状況を把握していて、どこかで引き際を求めているのかもしれない。

 時の権力者は、周りの意見を聞かないことが珍しくない。でも、そういう人に限って、たった一人の占い師の言葉にだけは、耳を傾けるなんて話を聞いたことがある。やっぱり人間は、子どもであろうがじいちゃんであろうが、権力者であろうが市井の人であろうが、都合の良い引き際を求めているのだと思う。だから、軽く背中を押すような存在が必要で、僕らの子どもの場合はそれが「牛乳ちゃん」なんだろう。“イヤイヤ期”で悩んでいる親御さん、そんなに気張らなくて大丈夫です。イヤイヤ返し、牛乳ちゃん的な存在(子どもが気に入っている架空キャラクター)、試してみてください。

伊藤忠キッズパークがとにかくエクセレントすぎるので行ってみてほしい〈徳井健太の菩薩目線 第249回〉

2025.07.30 Vol.web Original

“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第249回目は、伊藤忠の「キッズパーク」について、独自の梵鐘を鳴らす――。

 小さい子どもを育てている方なら分かると思うのですが、子どもと一緒に遊ぶといっても、安心して遊べる場所は意外に少ない。

 例えば、公園で遊ぶとしても、きちんと子どもを見張っていないと何をするか分からない。遊具があるということは、その遊具で怪我をする可能性もあるわけで、きちんと付き添っていないといけない。「子どもと遊ぶ」という言葉だけを切り取ると、なんだかとても牧歌的に思えるかもしれないけれど、実際には緊張感を伴うことだったりする。

 以前の『菩薩目線』で、新宿の「カラオケパセラ」が子連れ親子にとって素晴らしい場所だったと触れた。さほど負担がかかることもなく、子どもと一緒に遊べる楽しい空間。そんな場所を求めて、僕らはいろいろと出かけるけど、なかなか良い場所には巡り合えない。でも、ついに、一つの最高峰といっていい“楽園”を見つけてしまった。

 外苑前駅にほど近い、伊藤忠さんのキッズパーク。ここは一体、何なんでしょうか。伊藤忠さんの社員さんが利用する福利厚生的な場所なのか。仮にそうだとしても、まったく関係ない僕らも利用することができる。しかも、無料で。

 ボールプールがあって、ブロックや絵本もある。経験上、都内にあるこうした施設は、30分子ども300円、大人600円というイメージ。だけど、ここは混雑していなければ、子どもはいつまでも遊び続けられる。

 料金体系がしっかりしているキッズスペースは、商魂がたくましいというか、ビジネスライクというか、遊ぶ内容によっては課金システムが発生する。子どもファーストではなくて、お金ファーストだと分かると、一気に落胆してしまう。結局、子育てはお金で解決するしかないのだと。

 それは仕方のないことかもしれない。でも、それだけじゃないはず――。そんなことを思っていた僕らの目の前に広がる、圧倒的楽園。なんだ、あるじゃないか、やっぱり。

 積み木で遊んでいると、その積み木を放置したまま、子どもは次に関心を寄せてしまう。それを追いかけていくと、片づけられないから、なんだか申し訳ない気持ちになる。ところがここでは、スタッフさんが黒子のようにサッと完璧に片付けるだけでなく、アルコール除菌までやってしまう。信じられないくらい清潔で、安心で、こんな場所がこの世にあるのかと、僕らは小躍りした。

 外苑前駅という場所柄も面白い。利用客が多国籍で、ここで遊んでいるだけで国際交流をしているかのような雰囲気さえある。実際、僕が子どもと遊んでいると、突然、ネイティブな英語で話しかけられた。まったく国籍は違うけど、子育てをしている同じ境遇。聞き取れないのに、なんとなく話していることが分かるから不思議です。みんなに余裕があるからか、肩肘を張っていないのも心地よい。

 さらに目を丸くしたのが、スペースに併設されているカフェ。子どもの気持ちを知ろうといったコンセプトがあるようで、“子どもの感覚”を大人が学ぶことができるのだ。子どもはよく食べ物を残してしまう。だけど、子どもから見たメロンパンの大きさは、実はこれぐらいの量に見えている――そんなことを1杯300円ほどのアイスコーヒーを飲みながら知ることができるんです。

 フルフラットという点も素晴らしい。段差があると、走り回る子どもにとってはリスクがある。転んでしまう可能性があるから、僕らは子どもから目が離せない。カフェでくつろぐつもりが、むしろ疲れるなんてこともある。安心して子どもと時間を過ごせるように設計されている。端々から感じる、些細な配慮。そういうのが、うれしいんです。

 訪れる際は、事前に予約が必要だけど、興味のある方は行ってみてください。「そう! これ! こういう場所を求めていたんだよ!」という気持ちになること間違いなしです。

山田洋次監督作品から生と死、青春や人生を考える回〈徳井健太の菩薩目線 第240回〉

2025.04.30 Vol.web Original

“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第240回目は、「今」の確認方法について、独自の梵鐘を鳴らす――。

 御年93歳だというのに、山田洋次監督が作・脚本を務める『わが家は楽し』というドラマが放映されていた。そのバイタリティーに対して、いろいろ突っ込んで聞いてみたいところがあるけど、今なお現役で、その時代時代の家族のあり方を描く作品を作り続けている山田洋次監督に、ただただ感嘆してしまう。

『わが家は楽し』は、熟年離婚を含めリタイヤ後の人生を描いたドラマなのだが、93歳という高齢である山田洋次監督の目に、60歳を過ぎたリタイヤ後の家族がどんな風に見えているのか、めちゃくちゃ気になってしまった。

 というのも、青春を描く映画やドラマがあるとして、青春真っ只中の人間が作ったら、それは面白くなるんだろうかって思うんです。

 30歳くらいを過ぎて、あの頃は若かったなぁなんて振り返って、「あのときの初恋の人って永遠の人だと思ったけど違ったんだな」というのが分かりつつ、それでも永遠がいいなって姿を描くから胸にストンと落ちる。ある程度過ぎ去らないと、そのときの瞬間をうまく説明することなんてできないと思うのだ。

 例えば、僕らが20代の若手芸人だった頃。売れなくて、それでもお笑いしかないってがむしゃらにもがいていた姿を、同じ時代に生きる20代の人が切り取っても、おそらくキラキラした側面とドロドロした側面、分かりやすすぎる描き方にしかならないような気がしてしまう。対して、40を過ぎたくらいの人が切り取ったなら、水も甘いも噛み分けて、 主観的にも客観的にもお笑い青春ド真ん中を描くことができるような気がする。

 20代の頃に、芸人をやめていく人間のことなんて考えたことがない。考えたとしても、諦めてレースから脱落した人――くらいにしか思わない。だけど、30代、40代になると、やめていった人たちのことを想像できるようになる。これからまだどんな道を歩むかわからない、その道を真っ只中で歩いている人が、その瞬間を切り出すことは果てしなく難しいことではないのかなって。切り出す暇があるのなら、駆け抜けてほしいとも思う。

 そんなことを考えると、熟年離婚だったり、自分が死ぬかもしれないといったことを考える50代60代には、そうした出来事をその只中で切り取って、描くことは難しい。描くことができないというか、説明できないんじゃないか。つまり、93歳である山田洋次監督だからこそ、すでに通り過ぎた50代、60代、70代に起こるだろう人間ドラマを描くことができるんだろうなって思ってしまったのだ。

 僕らが60歳くらいに体験するであろうことをきちんと説明するには、僕らは80歳くらいまで生きなければいけない。僕はいま40代だけど、40代だからこそ20代や30代に説明することができる。だから、歳を取っても映画を撮り続けることや、文章を書き続けることには、ものすごく大きな意味があるのだと思う。

 ともすれば、自分が死ぬという時期が来たとき。それは余命を宣告されたときなのか、あるいは体力的な衰えを感じたときなのか、いろいろな理由があるとは思うけど、一つだけ言えるのは自分が死ぬかもしれないという段階の話は、誰にも描くことができないのかもしれない――ということ。だって、それを俯瞰して確かめるには、死後20年経たなければ分かりえない。閻魔様のお膝元で、ようやく書けるか書けないか。それさえも、「いやいや本当は違ったんだよなぁ。俺はそのときそう書いてるけど、実はそんな風には今は思ってないんだよ」なんて、あの世から感じる可能性だってある。死んでいった人たちみんなに、そうした思い違いがあると思うと、天国と地獄からの添削をぜひ覗いてみたい。

 今のことを伝えるには、経験を20年くらい前借りするくらいの気持ちがないといけないんだろうな。できるだけたくさんの体験をして、生きている証を積み立てていくしかない。結局、今この瞬間を精一杯生きるかどうか。それしか今を確認する方法はないのではないでしょうか。

クリアソン新宿のおかげで、家族とお酒とご飯の関係性を見直せたお話〈徳井健太の菩薩目線 第239回〉

2025.04.20 Vol.Web Original

“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第239回目は、飲まずにメシを食べる幸せについて、独自の梵鐘を鳴らす――。

 

 第211回「僕は新宿が好きです。だから、クリアソン新宿を応援します! にわかです。でも、家族ぐるみで応援します!」で触れたように、JFLに所属するサッカークラブ、クリアソン新宿を欠かさずチェックしています。

 可能な限り、試合をYouTubeでチェックし、スケジュールが合えば家族で観戦しに行くことも続けている。やっぱり勝つと嬉しいし、こっちまで景気が良くなる気がする。推しチームがあるって、自分の日常に彩りを与えるものだと、つくづく感じている次第です。

 一方で、 小さい子どもを連れて電車を乗り継ぎ、試合会場まで行く。夏の暑い日や冬の寒い日ともなれば、家族の士気はどんどん下がる。とは言え、好きなチームを応援しながら、青空の下でビールを飲みたい。そんな気持ちから電車で移動していたけれど、人生というのはそんなにうまくいかないものです。

 試合に勝てば、まだ笑える。でも、負けるとなると、己の欲望は自分自身にすべてひっくり返ってくる。奥さんはクタクタになりながら電車に乗って、子どもも泣き出してしまう。ビールを飲みたいという欲が、こんな不幸な事態をもたらすことを理解した僕は、もう二度とこんなことをしてはいけないと悟った。その日を境に、今後は試合観戦に行くときはカーシェアを利用しようと決めた。少しでも快適な空間を作ることが、家族のためにも自分のためにもなると誓ったのだ。

 つい先日も車を借りて、調布にほど近いサッカー競技場まで試合を観に行ったのですが、府中にある美味しそうな焼肉店を見つけ、ご飯を食べることに。車があると周辺まで足を延ばしやすくなる。車のメリットがさっそく生きた証左です。

 反面、デメリットがないわけではない。そう。焼肉を食べるというのに、ビールをはじめとしたアルコール類が飲めません。「きっとビールの方がおいしいんだろうな」なんて食べる前は思っていた。ところが、実際にウーロン茶を飲みながら焼肉を食べると、何の不自由もないし、とても楽しい時間を過ごすことができた……肉が美味いんだから、ビールである必要などなかったのだ!

 お酒を飲めるようになってから、夜に外食をするときはお酒を一緒に飲まないと「気持ちが悪い」と思っていた。でも、“焼肉でお酒を飲まない”という初体験をしたことで、自分で勝手に決めつけていた思い込み、妄想のたぐいだったんだと視界が開けた気分だった。

 言われてみれば――。酔っぱらってしまうと、最終的にどんな味だったかを思い出すことができない経験は一度や二度じゃない。それなりに高い寿司屋さんへ行っても、ビールだ、日本酒だと楽しく飲み続けた結果、終盤に食べた寿司のネタの味なんてまるで覚えていない。それどころか翌日に、「俺って最後の方、何を食べていたっけ?」なんて味どころかネタすらも忘れている始末。せっかくうまい料理を食べたはずなのに覚えていないって、俺は一体何をしに行ったんでしょうか? これって、食べ物を残すこととと同じくらい“もったいない”ことをしているんじゃないのか……。

 僕はようやくこの歳になって気が付いた。

 ご飯を食べることと、お酒を飲むことは分けたほうがいいのかもしれない。お酒は好きだから、今のところ断酒する気はない。だけど、お酒を飲みながらご飯を食べると、僕の場合はついついお酒を頼みすぎてしまうから、ご飯の味はおぼろげになるし、コストもかかってしまう。かといって、お酒を控えて居酒屋を楽しむような飲み屋に対して失礼な態度も取りたくない。

 だったら、きちんとご飯を食べられるところでご飯を楽しみ、その後、場所を変えるなりしてお酒を楽しめばいい。そんなプランもアリなのではないかということを、クリアソン新宿のサッカー遠征で学んだのだ。今までとは違う行動をするようになると、今までにはない発見がある。当たり前だよね。自分で何かを変えることは難しいけど、環境によって何かが変わることは、想像している以上に簡単です。同じことばかりしているのは、もったいないことなのです。

東京NSC血と肉の歴史、続ける阿呆と辞める阿呆、さらば渋谷無限大。【徳井健太の菩薩目線 第238回】

2025.04.10 Vol.web original

“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第238回目は、東京NSC30周年について、独自の梵鐘を鳴らす――。

 東京NSC一期生である品川庄司さんが、入学したのが1995年。今年2025年は、東京NSCが誕生して30周年という節目の年になるという。

 相方の吉村は、勝手に東京を背負うのが趣味みたいなところがある。あいつは、何かとアニバーサリーなことが好きな男でもある。そんな吉村が、先日、『吉村崇の勝手にシリーズ ~祝!東京NSC30周年「決起集会」』なるイベントをオールナイト二夜にわたってお送りしたのは、まぁ、そんなに不思議なことではなかったのかもしれない。

 僕は何をするのか分からなかったけど、さかのぼること昨年の12月、番組収録の合間に、「俺、結婚するから。あと、東京NSC30周年のイベントをやるから空けといて」と告げられていた。時間にして、3秒ほどの伝言。だけど、25年も一緒にいるので、なんとなくその意味は理解した。

 その後、渋谷のヨシモト∞ホールが2025年3月末をもって閉館になることが報じられたが、あくまでこのイベントは30周年を祝いたい吉村の思惑ありきなので、「ヨシモト∞ホールを総括」というのは後付けということになる。

 当日は、東京NSC1期生から現在の若手芸人にいたるまで膨大な数の芸人が登場するとあって、ヨシモト∞ホールを「令和ステージ」、ヨシモト∞ドーム(今年5月末で閉鎖予定)のステージⅠを「平成ステージ」、ステージⅡを「昭和ステージ」と題して、3会場同時並行で行われるというものだった。

 吉村は綿密な打ち合わせをしていたので、3ステージのタイムテーブルを把握していただろうけど、僕は自分の持ち場である「令和ステージ」以外の2ステージで何が行われているのか、よく分からなかった。ただ、30周年という大きな月日を振り返るということもあって、体を張る企画や、深夜ならではの企画が、他のステージでも行われていることは想像に難しくなかった。

 良くも悪くもくだらなくて懐かしい夜だった。第一夜が終わって、「バカばっかりだなぁ」なんて思い出し笑いをしながら喫煙所に入ると、東京NSC10期生のかたつむりの岡部と、少し雑談をした。

 岡部は、現在、“ピーチ”という芸名で活動し、東京8期生のパンサー尾形率いる「尾形軍団」の一員として、ちょくちょくテレビにも出ている。『水曜日のダウンタウン』で、「ドッキリの仕掛け人 モニタリング中ターゲットのエグい秘密知っちゃっても一旦は見て見ぬフリをする説」の逆ドッキリを尾形に仕掛け、嫁の下着を抜き取ったのが岡部だった。

 かたつむりは、2005年に中澤と林がコンビとして結成し、僕たち平成ノブシコブシも出演していた『コンバット』というコント番組に、結成わずか2年で出演を果たす実力のあるコンビだった。その後、紆余曲折を経て、2017年に岡部が加入し、トリオとして活動を開始する。我々は25年戦士、かたつむりも20年戦士ということになる。

 この日、かたつむりと岡部は、 ヨシモト∞ドームに登場していたから、僕とは直接顔を合わせていなかった。「どうだった?」なんて会話を交わしつつたばこをふかしていると、東京吉本芸人の父として慕われる作家の山田ナビスコさんが入ってきた。

「岡部、お前逃げたな」

 開口一番、そう岡部に言い放つと、怒涛の説教が始まった。僕を含め、複数の芸人がいるというのにお構いなしだ。

 耳を傾けたくなくても、いやおうなしに鼓膜に響いてくる。どうやら、ヨシモト∞ドームのステージでは体当たり系の企画が行われていたらしく、岡部が体を張るタイミングが訪れた――にもかかわらず、そこから逃げて、他の芸人が犠牲になったらしい。そのことに対して、山田さんはブチ切れているようだった。信じられないテンションで説教している山田さんの姿を見て、「30年経ってもNSCってNSCのままなんだな」と僕は軽い感動を覚えた。

「そんなことないですよ。何言ってるんですか」と弁解する岡部の姿も、僕が若手だった頃の光景と何一つ変わっていなくて、きっとこうした徒弟的なやり取りは、何百年も前からあったんだろうなと想像を掻き立てた。

 岡部の芸歴は20年を数える。「売れている」「売れていない」という明確な線引きはあるかもしれない。だけど、一つのことを20年も続けていれば、それはもうベテランの領域にいるし、それなりの腕がなければ廃業しているはずだろう。そんなキャリアのある人間が、目の前でブチ切れられている光景を見て、僕はお笑いの世界の幸せを感じていた。時間が止まるってこういうことをいうんだろうな。

 僕らはこんな熱量で説教されることはもうなくて、せいぜい陰口を叩かれるくらいだ。言いたいことがある人だっていると思うけど、面と向かって言うと角が立つから言われない。だから、真っ正面から説教されているというのは、ある意味では“まとも”なんだと思う。

 山田さんが去ると、岡部は

「また怒られちゃいましたよ」

 とポツリとこぼした。春です。新入生よ、恐れるなかれ。酸いも甘いも嚙み分けて、新しいステップを楽しもう。

どこまで我慢し、つっこまないかを、僕は『ごきげんよう』から教わった【徳井健太の菩薩目線 第237回】

2025.03.31 Vol.web Original

“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第237回目は、会話について、独自の梵鐘を鳴らす――。

 自分の若いときの会話をいま聞けるとしたら、おそらくとんでもなく恥ずかしいと思う。

 若い頃は、なんでもかんでもとにかく早い。例えば、何かにつっこむにしても、「違うだろ!」とか「なんでだよ!」とか、待てずにつっこんでいた。きっと、あの頃の僕らのトークを見ていたプロデューサーやディレクターは、「ガキのやりとりをしているなぁ」なんて思っただろうな。一言で言えば、余裕がないのだ。

 昔、『ライオンのごきげんよう』に出演したとき、演出の方から「小堺さんにはつっこんじゃダメだよ。ノッてほしい」とアドバイスを受けた。ボケてつっこんで盛り上げるというのは関西ではいいかもしれないけど、東京ではそうではないからって。ようやくテレビに出始めることができた、まだテレビの毛も生えていない29歳くらいだった僕らにとって、その言葉は一個成長させてくれる金言だった。

 それまでの僕らは、まるで早押し合戦のように突っ込んでいた。技術やフレーズ以上に、とにかく誰よりも先に突っ込むことが正しいお笑いのカタチだと思っていた。でも、その言葉に触れ、あらためて考えてみると、たけしさんもタモリさんもさんまさんも前のめりでつっこんでいない。乗ったり、耳を傾けたりした後につっこむ。途中でつっこむなんて野暮なことはしていなかった。

 今で言えば、陣内さんが本当にその腕に長けている人だと思う。陣内さんを見るたびに、「さすがだなぁ」なんてあこがれを抱きながら感心してしまう。言葉としては矛盾しているかもしれないけれど、“最速の待ち”ができる人。格闘技の世界には「後の先(ごのせん)」という言葉があるけれど、それができる芸人はかっこいい。

 会話は、一見するとボケとツッコミさえあれば盛り上がる気がする。でも、結局のところ、「この曲で踊れますか?」に尽きると思う。相手がワルツを踊ればワルツを、相手がジルバを踊ればジルバを――。その曲にノれるかどうかが大切なのであって、「ワルツかよ!」なんてつっこもうものなら、場は冷めてしまう。もちろん、ときには早い段階でつっこむことも必要だけど、僕らが若い頃に教わったことは、「Shall We Dance?」ってことだった。

 だけど、芸人であれば、一度は必ず早押しツッコミ合戦の症状に陥ってしまう。

 僕はもともと話を聞くのが好きだから、つっこむべきところでつっこまないことがある。そのため同業者からは、「スカしている」と受け取られることも珍しくない。そんなつもりはないけれど、話している方が、「ここは一旦つっこむでしょ」と思っているところでも、「へーそうなんだ。なるほどね」なんて言うもんだから調子が狂うらしい。

 自分がある程度歳を取ってきたからかもしれないけど、会話において「急ぐ」ということはもうほとんどなくなった。だからこそ、改めてタモリさんの凄さに気が付く。

 例えば、「新婚旅行でチリに行きたいんですよ」なんて話しかけたとする。芸人であれば、大きな声で、「なんでチリ!?」「あの細長い国!?」とつっこみそうだけど、おそらくタモリさんは一回それを受け入れて、「チリいいよな。チリ産のワインが美味いんだよ」と、何だったら一つ情報を添えてこちらにリターンしてくれそうだ。こういう会話って簡単なようで簡単じゃない。

 強くつっこんでしまうと、相手の気持ちを折ってしまう可能性がある。僕らは芸人だからそれに慣れているけど、普通の社会で強くて早いつっこみをすると、相手にケガをさせてしまうことだってある。でも、一度受け入れて、トスをあげるように返せば、話す側の選択肢は増える。ダンスの上級者は、初心者を気持ちよく踊らすことができるらしい。まさに、である。

 会話がうまくできないと思っている人は、うまくキャッチボールをしようとするから疲れてしまうんだと思う。リズムについていくだけで充分だよ。無理してつっこんだりするのは、むしろ野暮だって映るときもあるんだから。  

 

われポン終わりの朝方タクシーの中、僕は自分の情けなさに涙した〈徳井健太の菩薩目線 第235回〉

2025.03.20 Vol.web Original

“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第236回目は、THEわれめDEポンでの敗戦について、独自の梵鐘を鳴らす――。

 麻雀は得意な方だと思っている。

 若い頃から打っているし、それなりの時間も費やしてきたから、自信だってある。久しぶりに臨んだ「芸能界麻雀最強位決定戦~THEわれめDEポン 生スペシャル」(1月31日放送)。腕が鳴った。

 その日はなかなか調子が良かった。対局相手は、中野浩一さん、見栄晴さん、水崎綾女さん。ドラ東待ち七対子で裏ドラを東で跳満し、逆転で2度目のTOPを獲得したとき、僕は「イケる」と思った。だけど、その後は面白いくらい中野浩一さんに負けていった。

 あまり良いことでは無いけれど、麻雀で負けることには慣れている。いつもならそんなに悔しさは覚えない。なんなんだろう。その日は帰路につくタクシーの中で涙が出そうになった。情けないくらい、レインボーブリッジがぼやけていた。

 対極の最中、僕はなぜ自分が負け続けているのか悔しいくらい分かっていた。僕には、勝つ覚悟がなかったのだ。

 以前、このコラムでも触れたように、僕は他者から見ればトリッキーな打ち方をする。弱い役でもガシガシあがっていく。今でこそ、こうした雀風は一般的ではあるけれど、流行る前から好んで打っていた僕は、古風な雀風を好む人からは好かれなかった。それなのにどうしてそんな打ち方を? 勝つことが重要だからだ。僕にとっては、それこそが自分にとっての活路だと思っていた。

 勝ちたいから、僕はそれを続けていた。ただ、この戦法は守備が手薄になってしまうという側面もある。麻雀をやったことがない人にはピンと来ないかもしれないけど、分わかりやすく言うならば、そういうことになる。それを差し引いても、若い時代の自分にとっては、有効な手段だと思えた。

 僕はもう44歳になる。しっかりと歳を重ねてきた。今、この戦い方を見つめてみると、守備が手薄になることで怖さを感じてしまう自分がいることに気が付いた。“勝つ覚悟”よりも、“負けるかもしれないという恐怖”が上回っていた。このやり方では、1局、2局を勝つことができても、その日一日の対局を「勝ち切る」世界線とは程遠い世界にいるのではないか――そんなことを打ちながら感じていた。

 収録中だというのに、僕は人生で勝ち切ることにこだわったことがあったのだろうかと逡巡した。番組を見てくださった方は、「徳井、負けが込んできて困った顔をしているな」と思われたかもしれない。だけど、徳井は自分の人生について真剣に考えていた顔をしていたのです。もっと深刻だったのです。

 M-1やキング・オブ・コントで分かりやすい結果を残したわけでもない。一局、一局に自分なりに手ごたえを感じることはあっても、その日一日をトータルで大勝ちしたという感覚は乏しい。それはまさに自分の雀風と似ていて、大局の中において、ところどころ空気を読んでセーブして、負けない計算をしているクセの裏返し。対照的に、相方の吉村はまるでそんなことは考える素振りも見せず、身ぐるみ剥がされても勝ち切るという意識が凄まじい。

 雀卓で向かい合っていたのは、世界選手権個人スプリント10連覇を成し遂げたあの中野浩一だ。勝負の世界のトップ・オブ・トップ。きっと僕が途中で弱腰になった瞬間を即座に見抜いて、圧倒的なスピードで追い抜いていったんだろう。

 そりゃ「負けない」を軸に考えている人間は太刀打ちできない。相手は死んでもいいと思っている。街中をフルチンで歩いていたとしても、「勝ってやる」って覚悟で風を切って歩いている人は、モーゼのように海が割れる。世の中で1位というものを獲得した人たちは、きっと勝ち切ることにこだわってきた人たちだし、そのために何を準備するべきかを考えに考え抜いてきた人たちだ。抜かれたら最後。見つめる牌は次第におぼろげになり、もはやその時点で勝負はついたのだとため息を吐いた。

 収録後も魂は抜けたままで、それを取り戻そうと必死に車窓から流れる夜景を眺めていた。どうすれば勝ち切れるのか。情けない。麻雀から学ぶことは尽きない。

脳みそが老化して、隔たり合う先輩と後輩。でも、あきらめたくない私〈徳井健太の菩薩目線 第234回〉

2025.03.10 Vol.web Original

“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第235回目は、脳のはたらきについて、独自の梵鐘を鳴らす――。

『ひるおび』を見ていると、脳のはたらきに関する特集を扱っていた。なんでも年齢とともに脳のファンクションは落ちていくそうで、曰く、情報処理能力は18歳がマックスで、人の名前を覚える力は22歳がマックス。人の顔を覚える力は32歳をマックスに、そこからは衰えていくという。僕らが大所帯のグループを見たとき、みんな同じ顔に見えてくるのは、32歳を境に顔を認識する能力が落ちていくのだから、仕方がないことなのかもしれない。

 そして、集中力に至っては43歳がマックスで、悲しいけれど僕はもう下り坂の最中にいるということになるらしい。さらには、相手の気持ちを読む力は48歳をピークにして落ちてくるといい、老害と言われてしまうのは、相手の気持ちや社会の空気を読むことができなくなってくるがゆえに炎上し、火だるまになるというわけだ。

 これらは筋力の衰えと一緒だから気を付けようがない。ジムに通うことで多少は筋力を維持することができるように、脳の力も脳トレなどをすることで下支えすることはできるだろう。だけど、根本的には落ちていくことを止めることはできないのだ。

 ただ――、語彙力だけは67歳がピークになるらしく、それまでは成長の余地があるという。18歳になったら、あとは段々と脳の働きが衰えていくだけ。そんな中で語彙力は67歳まで伸びていく。僕は勇気を与えられた気分になった。歳を重ねるにつれて本を読むことが楽しくなってくるのは、自分の語彙力が成長しているという実感が感じられるから。もっと本を読みたいと思う気持ちは、数少ない成長を感じられる機会でもあるのだ。

 それにしてもだ。人の気持ちを考えることができるのが43歳を境に落ちていくにもかかわらず、言葉の鋭さは67歳まで伸びるのだからめんどくさい。どうして社会から争いが絶えないのか疑問だったけど、脳の構造上、こうした理由が一つの要因としてあるのであれば、人が互いを死ぬまで攻撃するのも納得というか。

 人の名前を覚えられるのが22歳で、顔を覚えられるのが32歳というのも残酷だ。大学を卒業し、新卒で入ってきた新入社員は、その時点で人の名前を覚えられるピークを過ぎている。そういう状況で、たくさんのことを覚えなければいけない。ようやく社会に出たというのに、大事な人たちの名前を覚えることはすでに難しくなっている。

 一方、ある程度組織でキャリアを積み、最も脂がのってくるだろう30代は、顔を覚えられなくなっていく中で、新人たちを教育していかなければいけない。片や名前を、片や顔を覚えられない。いや、32歳の時点で人の名前はすでに忘れっぽくなっているのだから、33歳以上の上司は名前も顔も覚えられない。刹那的すぎて切なすぎる。

 それなりに出世レースで結果を出し、社内で地位を手に入れたにもかかわらず、今度は人の気持ちを考えられなくなってくる。「最近の若いやつはさ」なんてクダを巻いてしまうのは、気持ちを考えることができなくなってきているからであって、オギャーと生まれたときからプログラムとして組み込まれている“STOPマス”のようなもの。あたかも世代間ギャップのように映るけど、必然的に組み込まれたバグであって、若手とベテランは対峙するように仕込まれているのだ。

 そりゃ上司と部下が合うわけないし、青年と壮年が上手に融解することなんかできっこない。だけど、語彙力だけは伸びていくのだとしたら、それが唯一の救いになるんじゃないか。つまり、叱るときに直情的に怒るのではなく、言葉巧みにたしなめることで、ある程度は中和できるんじゃないのって。記憶力や注意力、同調性が下がっていくのであれば、それをカバーするように語彙力を増やすことで、人は人に伝える能力をキープできる。言葉を鍛えることが、僕たちに許された最後の救いなのだ。

 

頭のネジなんてぶっ飛ばしてナンボ、恐怖の先にある黄金郷!〈徳井健太の菩薩目線 第233回〉

2025.02.20 Vol.Web Original

“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第233回目は、頭の千切れ方について、独自の梵鐘を鳴らす――。

 元競輪選手で、現在は競輪の解説や評論をされる林雄一さんという方がいる。僕からすれば、林さんは天才競輪選手の一人だ。競輪選手の中でも上位10%に入るS級1班の選手として活躍し、通算戦績は1628戦218勝。優勝は22回を数える、間違いなく超一流の元選手だ。

 とんでもない努力を積み重ねて栄冠を勝ち取ってきたと想像していた。ところが、番組で共演した林さんは、まったく努力してこなかった――むしろ、不摂生な生活を続けていたくらいと話していた。それでも勝ち続けることができたのだから、やっぱり天才には違いないと思うわけだけど。

 競輪は、車体を寄せて、他の選手にぶつかることもじさない。状況によっては違反となる可能性もあるけれど、S級レベルの選手ともなれば、そうした状況下で駆け引きを行い、相手を出し抜く。こちらがヒリヒリするくらいバチバチのレース展開をするため、とりわけS級のレースはレベルが高く、見る者を圧倒する迫力がある。

 だからこそ、ときに事故が起きる。林さんは2019年9月、松阪競輪場で行われたレース中に落車して、一時心肺停止状態に陥るほどの大けがを負う。冗談抜きで、生死をさまよったのだ。

 時速数十キロで駆け抜けていく中で、激しいレース展開を行う。見ているこちらが肝を冷やすくらいだから、当然、選手はもっと恐怖を感じるのではないかと思う。だけど林さんは、「怖いと思ったことは一回もないかもしれない」と言う。

「さすがに、大けがをした後の復帰第一線は怖くなかったですか?」

 と僕は水を向けた。

「いや、ないっすね。怖いと一回でも思うような人は、S級になれないんじゃないですかね」

 そう平然と口にしていた。なるほど、これがトップまで上りつめる人のマインドなのかと膝を打った。これって、多くの仕事に当てはまる考え方なのかもしれない。

 例えば、僕たち芸人。スベるのはもちろん怖いけど、ネタをしている舞台上で、「スベる(かも)」なんて思ってやっているヤツが笑いを取れるわけがない。平場のトークで、「これウケるかな」と思ってしゃべっているヤツより、「これ絶対ウケる」と思ってしゃべっているヤツの方が、やっぱりウケる。恐怖心は大事だけど、恐怖を浮き彫りにさせてしまったらアウト。見てる方だって心配になる。アドレナリンがドバドバ垂れて、勝手に口も頭も回っている状態。そんなときにスベることを考えていたら、誰にも追いつけない。頭の神経が千切れている人じゃないと、ピラミッドの上には行きつかないんだろうなって。リスクヘッジは悪いことではないけど、それを考えれば考えるほど、スポーツや芸能においてはピラミッドの上にはたどりつかないのかもしれない。

 林さんは、もともと運動神経がとても良いと話していた。人間には個体差があるだろうけど、僕はそんなに差はないものだと思っている。林さんは運動神経を伸ばせた人なんだと思うのだ。

 絵が上手いとか、歌が上手いなどにも言えることだと思っていて、生まれたときから、めちゃくちゃ絵や歌が下手な人なんているのだろうか。一握りくらいはいるかもしれないけど、どこかで差が生じて、上手と下手の道に分かれるのではないかと思う。

 じゃあ何を持って差が生まれるのかと考えたら、きっと小さい頃からその行為を反芻している――、その差なんじゃないかと思う。運動神経が良い人は、小さい頃から運動していて、「俺って足が早いかも」みたいに自分に手ごたえを感じるから、さらに自信を持って、体が動くようになる。絵が上手い人は、絵を描くことに楽しさを覚えるから、繰り返し絵を描くようになる。きっと絵が下手でも、どこかで楽しみを覚えて繰り返し描くようになったら、平均よりは上手くなるだろう。それなりに自信が持てるようになったら、「私は絵が上手い方です」という信念に変わると思う。

 下手な人は、自分は下手だと信じているから、そのアクションに対して恐怖心が芽生える。だとしたら、上書きできるくらい積み重ねをするしかなくて、その連続が恐怖心を薄め、頭を千切れさせる唯一の方法なのだと思う。ヒリヒリするようなレースをしたいなら、自分の脳をだますくらい積み重ねて、頭のネジを吹っ飛ばすしかないんだ。

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