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今いる自分は“点”に過ぎない。盆栽から学んだ、つないでいくことの尊さ〈徳井健太の菩薩目線 第172回〉

2023.06.10 Vol.Web Original

“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第172回目は、盆栽について、独自の梵鐘を鳴らす――。

 

 皆さんは、「盆栽」と聞くとどんなイメージを持つでしょうか?

 お年寄りの趣味――そんな印象を抱く人は少なくないと思います。私、徳井健太もそう考えていました。

 月曜から金曜までBSよしもとで生放送している『ワシんとこ・ポスト』(19時~21時)という番組があります。恐れ多くも、金曜コメンテーターを担当させていただいております。全国放送では扱わない局地的なニュースを深掘りする「地方・業界特化型ニュースショー」をうたうだけあって、毎回、知的好奇心をくすぐる話題から、真剣に向き合うべき課題まで、とても刺激をいただいている。(良い番組なので見てほしいです)

 先日、番組で福島県の「吾妻五葉松(あづまごようまつ)」の盆栽を取り上げたときのこと。福島市で3代にわたって続く老舗の盆栽園「あべ」、その3代目である阿部大樹さんが登場し、「吾妻五葉松」についてレクチャーしてくださった。

 阿部家の盆栽は、自生している松を鉢に植え替えるのではなく、種一粒から盆栽に育て上げる「実生」と呼ばれる技法を用いているそうだ。阿部さんは、国立公園である吾妻山に入るために特別な許可をもらった上で、吾妻山の五葉松の自生地に入り、そして採取し買い取っているという。一から育てるため、途方もない時間と手間がかかることは想像に難しくない。

 吾妻山に自生する五葉松は、風雪を含めた厳しい環境下で育つことから「根上り」(風雨などで土が流され根がむき出しになった樹形)が特徴的で、その無骨かつ優雅な姿は、海外でも人気が高いらしい。阿部さんは、この独特な松の風体を宿すために、吾妻山に足を運び、毎日毎日、育ってきた苗木と向き合っていると教えてくれた。

 話をする阿部さんの後方に、一つの盆栽があった。大きさは、小さなクリスマスツリーくらい。気になった俺は、「後ろの松は何年くらいなんですか?」と聞いた。まぁ、いうても10年くらいだろう。

「60年くらいですかね」。

 そう阿部さんは、こともなげに答えた。ひっくり返りそうになった。60年? ってことは、今お話をされている阿部さんよりも年上じゃないか。

「じゃあ、引き継いで20年くらいだという3代目である阿部さんご自身が育てたものはどれくらいの大きさなんですか!?」

 尋ねる俺に、3代目が見せてくれたのは、(あくまで素人である自分から見たサイズ感ではあるけど) まだまだ小さいものだった。人間、20年も経てば、お酒も飲めるようになるし、社会の荒波に放り込まれるくらいには成長している。でも、目の前に映る小さな松は、我々が知るあの立派な松の姿と比較すると子ども、いや、まだまだ赤ちゃんと呼びたくなるほどかわいらしいものだった。

 松は、700年ほど生きるものもあるという。諸説あるものの、日本で盆栽が始まったのは西暦1200年くらいらしい。

 一生をかけても極めることができないもの――。それが盆栽だということを、阿部さんのお話を聞いて理解した。

 一つのことを60年も続ければ、「達人」と呼ばれる領域に足を踏み入れる、と思っていた。だけど、何百年と生きる可能性のある松を相手にしたとき、人間の寿命では時間が足りなさすぎる。盆栽として仕立てていく最中も、これがどうなるのか、あるいはどのような評価を受けるのか、その是非もわからない中で、ひたすら樹木と向き合う。答えも分からないまま、極めることもできないまま、ただひたすらに。最敬礼だ、盆栽士と盆栽に。

 お年寄りの趣味? いやいや、若いうちから盆栽は始めた方がいいような気がしてきた。自分が育てた松を、もしかしたら家族が、自分の息子が引き継ぎ、育てていってくれるかもしれない。目に見える一子相伝。こうしたプロセスにこそ、「鍛錬」という言葉が似合うなと、ふと思った。一日、一年、一生、その進歩と歴史が受け継がれていくのだから、考えようによっては、こんなぜいたくな趣味はない。

 昔、小薮(千豊)さんからこんなことを言われたことがあった。

「地球が生まれてきて何十億年という月日が経って、たまたま今お前はこの時代に生きている。ということはお前の先祖は、マンモスに殺されることもなく、病気や戦争といったものもくぐり抜けてきたということ。この先もきっとお前の子孫は続いていく。今いる自分は点に過ぎない。終わらせないために継続していくだけで十分。たまたまお前の番が巡ってきているだけ」

 盆栽というのは、天寿にも通じるものなのだと思った。いずれ死ぬけど、つないで、生きていく。その尊さを教えてくれるものなんだろうな。

天才・ニッポンの社長に、1ミリグラムでも責任を感じさせた自分をぶん殴りたい〈徳井健太の菩薩目線 第171回〉

2023.05.30 Vol.Web Original

“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第171回目は、ニッポンの社長について、独自の梵鐘を鳴らす――。

 お笑いの世界には、「天才」がいる。俺が何億光年生きたとしても、まるで思いつかないようなことを、瞬時に作り上げてしまうバケモノのような存在。

 たとえばニッポンの社長。どこからどう見ても天才のソレ。ことあるごとに俺は、「ニッポンの社長は面白い」なんて持ち上げ、彼らが作り出す世界観に感心していた。

 少し前、俺とトレンディエンジェルのたかしがMCを務めるライブに、彼らが参加したことがあった。大阪に拠点を置く彼らだったが、以前から辻とケツとは話をする機会がそこそこあり、大阪の若手とほとんど接点を持たない俺にとって、彼らは妙な親近感を抱いてしまう気になる存在でもあった。

 その日、二人とはあまり話す機会がなく、物足りなさを感じながらエンディングを迎えた。舞台から降り、帰ろうと踵を返すと、辻が俺を呼び止めた。

「すみませんでした」

 そのライブは、『キングオブコント2022』が終了して間もない頃に行われたものだった。この年、彼らは暗転を多用するコントで挑んだものの、結果は最下位に沈む。天才に似つかわしくない順位だったと思う。

「徳井さんがあんなにほめて応援してくれていたのに、ふがいない結果で申し訳ないです」

 そう辻は続けた。

 彼の言葉を聞いて、自分の浅はかさに恥ずかしくなった。ずば抜けた才能がある人間に対して、プレッシャーになるようなことを知らず知らずのうちにしていたんだと思うと、こちらが彼に謝りたい気持ちでいっぱいになった。たった1ミリグラムでも重石になってしまっていたのだとしたら、なんてことをしてしまったんだろうと、後悔の念が押し寄せてきた。

 今年4月に行われた『敗北からの芸人論 トークイベント vol.4 』、そのゲストにニッポンの社長が来てくれた。お互いに、あの日のことを覚えていた。「すみませんでした」。今度は俺が、二人に謝った。

 あらためて彼らと話をしてみると、「余計なことは言うまい」と誓ったはずなのに、やっぱり天才コンビだな――なんて思ってしまうから、人間というのは都合の良い生き物だなと思う。

 一見すると、ケツがギフテッドなキャラクターに見えてしまうけど、いやいやどうして辻の方が狂気に包まれていた。いや、ケツもおかしいんだけれども。

 ケツは20代前半まで作曲をしていたそうだ。ところが、25歳を境にピタリと曲が浮かばなくなり、「枯れた」と苦笑していた。しきりに、「サザンオールスターズはすごいんです! 桑田佳祐さんはすごいんです」と訴えていたけれど、そんなことは日本国民のほぼ全員が思っていることであって、あらためて主張することでもないだろうと、俺は思った。

 辻は辻で、ロングコートダディの堂前やマユリカの阪本らと『ジュースごくごく倶楽部』というバンドを組んでいる。ニッポンの社長は音楽的な側面も持つ……ということは、意外に知られていないかもしれない。

 辻は、突然メロディが降りてくるらしく、思いつくとそのメロディーを録音し、その音源をもとに堂前たちに伝えて作曲するそうだ。ドラムの打ち方まで鮮明に刻まれているといい、完成された曲が頭の中に浮かぶ、と説明してくれた。

 だからなのか、「ネタも台本がない」という。練習をしてしまうと飽きてしまうため、ぶっつけ本番でネタをしながら完成度を高めていくと教えてくれた。ケツは、辻が頭に描いている完成系に、本番の中で近づけ、舞台を降りると「あそこはちゃうなぁ」と辻からディレクションが入ると笑っていた。本番の最中に、調律と限界突破を同時にこなす。映画『セッション』みたいなことを、辻とケツはしているということになる。なんだ、やっぱり天才じゃないか、この二人。

 この春から、ニッポンの社長は東京に進出した。彼らに加え、ロングコートダディ、紅しょうが、マユリカ、シカゴ実業、マルセイユ……大阪漫才劇場の第一線で活躍してきた錚々たるメンバーが、大挙、進出してきた。

 辻は、トークイベント vol.4 でその理由を教えてくれた。

「僕らは漫劇の中で一番上にいますけど、下の勢いがすごすぎる。あと3~ 4年はいけると思っていたんですけど、このままだと賞味期限が1 ~2年に早まってしまう。下から突き上げられて、大阪で仕事がなくなって東京に出てきたと思われたくなかった。東京に進出するなら今年しかないと思ったんです」

 大阪には、一体どれだけ天才がひしめいているんだろう。と同時に、そういうことをさらっと隣の兄ちゃんみたいなテンションで話してくれるニッポンの社長に、やっぱり俺は夢を見てしまう。

 

※「徳井健太の菩薩目線」は毎月10・20・30日の更新です

愛も笑いもない「調子に乗るな」の一言に需要はあるのか。調子は誰でも乗れるアトラクション。〈徳井健太の菩薩目線 第169回〉

2023.05.10 Vol.Web Original

“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第169回目は、調子に乗ることについて、独自の梵鐘を鳴らす――。

 皆さんは、調子に乗ったことがありますか? 私は乗ったことがあります。おそらく、生きとし生けるほとんどの人が、少なからず1回はあるのではないでしょうか。誰でも乗れるアトラクション。それが調子だと思うんです。

 調子に乗ったとき、どんな反応をされるとうれしいでしょうか? 「お前、調子に乗んなよ~!(笑)」「いいぞ! もっとやれ、もっとやれ」なんてリアクションだと、調子に乗った甲斐がある。対して、「はぁ? 何、調子に乗ってんの?」「調子に乗んなよ」と冷たい水をかけられるように反応されたら、めちゃくちゃテンションが下がってしまう。実際、学生時代にそんな言葉を言われ、ものすごく気持ちが急速冷凍したことを覚えている。

 調子に乗っている人の多くが、意図的に調子に乗っている。わざわざ、「降りろ」と言われる筋合いってないと思うんです。

 もちろん、回転ずしチェーンでいたずらを働いた学生たちのように、調子に乗るべきではない場で調子に乗るような言動に対しては、雷が落ちるのは当たり前。故人を偲ぶ告別式で、第三者が笑いを取ろうと調子に乗ろうものならそりゃ叩かれますよねって。

 だけど、わいわいと盛り上がっているような現場や、盛り上がることを是とする場面で、調子に乗るというのは生理現象みたいなもので、無理に止めるものでもないと思う。尿意に対して、「何、お前、さっきから膀胱におしっこ溜めてんの?」って言うくらいどうかしている気がする。

 芸人になって以降、ありがたいことに「調子に乗るなよ」と冷たく釘をさされたことはない。SNSで見ず知らずの匿名の方から、「お前が芸人について語るな。調子に乗っている」とか何とか言われたことはある。でも、現実世界でそんなことを言う人に出会ったことはない(自分の記憶が正しければ)。

 芸人、ミュージシャン、プロレスラー、体を使って何かをパフォーマンする人たちは、調子に乗ってナンボ。乗りたいけど乗れないときだってある。「今日は調子が上がらない」といった言葉を使いたくなるときだってある。

 だから基本、調子は乗るもの。法定速度を守りながら乗ったらいい。

 先日、Aさんがはしゃいだところ、Bさんから「調子に乗るなよ」と冷たく勧告されるシーンを目撃した。配信ラジオでのワンシーン。いわゆるエンタメ的なコンテンツの中で、わざわざ「降りろ」と切符を切るような真似をBさんはした。

 言われたAさんは、明らかにテンションが下がっていた。気持ちよくドライブをしていたのに、理不尽に制止されたのだから、面白いわけがない。

 こうした取り締まりのような「調子に乗るな」という言葉に、何のメリットがあるのだろうかと思う。たとえば、敬愛する東野幸治さんが、「お前、調子に乗んなよ!」とつっこむときは、そこに大きな笑いが生まれるし、何より愛がある。笑いも愛も何にもない「調子乗んなよ」って、どこに需要があるんだろうか。楽しそうにしている人に対して、わざわざ冷水をかけることができる人って、とても悲しい器量の持ち主だ。

 そういえば、学生時代に「調子に乗るなよ」なんて言ってくる人間は、きまってイキっていた。イキっている人ほど、人の気分を下げる悲しい言葉が好きだったような気がする。

 決して自分よりも目上の人や、力を持つ人に対しては言わない。自分を脅かす、あるいは自分よりも下だと意識している人に対して言いたがる。「調子に乗るな(乗ったら、俺が目立たなくなるだろ)」ってことなんだろう。

 いい大人にもなって、そんな言葉を言えるというのは、嫉妬をはじめとした負の感情があるという証左かもしれない。だから、決して「調子に乗るな」なんて冷や水をかけることなかれ。

 楽しい現場で楽しそうにしている人に、わざわざ水を差す必要なんてない。調子に乗っているって、基本、素敵なことなんだから。ボウリングでストライクを出して盛り上がっている場面で、ストライクを出した人がガッツポースをしたりおちゃらけたり調子に乗っている。そんな祭りみたいな瞬間を前にして、「調子に乗るなよ(目立つなよ)」なんて言い放つのは罰当たりだよ。

 猿まわしになる人って、ある種、猿以下になることができるから猿を気持ちよくまわすことができるのだと思う。調子に乗らせたほうが盛り上がる。盛り上がることを求めている場では、調子に乗った方がいい。「猿よりも俺の方が上だ」なんて内心が見えちゃったら、お客も猿も乗れないよ。

 

『楽しく学ぶ!世界動画ニュース』でeastern youthの話をしたら、神が細部に宿っていた。〈徳井健太の菩薩目線 第168回〉

2023.04.30 Vol.Web Original

 

“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第168回目は、初めてやったことについて、独自の梵鐘を鳴らす――。

 私徳井健太が出演させていただいている『楽しく学ぶ!世界動画ニュース』。愛にあふれた素晴らしい番組だと思っています。おべっかなんかじゃない。心の底からそう思うんです。

 3月に放送された回で、「初めてやったことはありますか?」をお題にしたトークコーナーがあった。おなじく番組出演者であるいとうせいこうさんが、ライブシーンなどでおなじみの「騒げー!」というコール&レスポンスを、日本で初めて行った――と話されていた。

 実は、せいこうさんはインド映画の傑作『きっと、うまくいく』の字幕監修を務めたほどで、日本語への造詣がマリアナ海溝くらい深い。日本語ラップを語る上でも欠かすことができない人でもあるから、海外で叫ばれていた「scream!」を、「騒げー!」に和語変換したそうだ。「叫べ」ではなく、「騒げ」に変換するあたりが、海溝よりも深い由縁だろう。

 そんなレベルが違うエピソードの後に、いったい何を話せばいいというのか――。

 あれこれと過去に自分がやったであろう「初めてのこと」を絞り出した結果、人生でもっとも愛していると言っても過言ではないパンドeastern youthにまつわるエピソードがあることを思い出した。

 あれは19歳だったか20歳だったかのとき。NSCに入学するために田舎から上京してきた俺は、赤坂blitzで行われたeastern youthのライブに初めて行った。「夏の日の午後」という歌が始まると、どういうわけか俺は、そのイントロの合間に「オイ! オイ!」と叫んでいた。

 演奏が終わると、eastern youthのボーカル/ギターの吉野寿さんが、「そのオイっていうのやめてくんねーかな」と言ったことを、今でも覚えている。ダサいコールをしていたと、我に返った。

 はずだった。でも、今でも「夏の日の午後」が流れると、集まったファンたちは、そのイントロに合わせて「オイ! オイ!」と叫ぶ。いつの間にか恒例のシーンになっていた。

 番組で、「「夏の日の午後」のコールは自分が初めて言ったと思う」と話してみたものの、果たして本当に自分が最初にその掛け声を行ったのかは定かではない。だから、本放送でこのエピソードが使われるかどうかは籔の中だった。ところが、ふたを開けるとそのエピソードががっつりと使われるどころか、eastern youthのライブ映像まで流れていた。

 eastern youthもレコード会社も許可してくれたってことですか? もう、自分が初めてコールをしたかどうかなんて関係ない。高校卒業時に、お笑いの道に進むか音楽の道に進むか悩んでいた俺は、「圧倒的すぎてeastern youthにはなれない」と思い、お笑いの道を選んだ。

 eastern youthに会ったことはないけれど、その20年後に、バラエティー番組でウソかホントか分からないエピソードを話し、eastern youthの映像が流れた――、それだけで胸がいっぱいになってしまった。とても感動してしまった。

『楽しく学ぶ!世界動画ニュース』のスタッフ陣は、俺と同世代の人が多い。みんな、eastern youthを知っていたらしく、スタッフさんたちもeastern youthの映像を流したかったらしい。なんて愛のあるスタッフなんだろう。

 愛は止まらない。

このエピソードを紹介する際、より分かりやすくということで、俺が「オイ!」と声を上げる姿に、バンドメンバーが戸惑うといったイラストが流れた。

 実は、当初のイラストは、現メンバーの吉野寿さん、田森篤哉さん、村岡ゆかさんが描かれていた。受注したイラストレーターさんは、現在のeastern youthのライブ映像を参考に描いたわけだから、おのずと男性、男性、女性の姿になる。ところが――。

「徳井君が見たのは20年以上昔のことだから、今のメンバーじゃないよね。当時は全員男性のメンバーだったから、このイラストだと違和感があるよね?」

と演出を担うスタッフさんから相談された。イラストレーターさんに書き直してもらうのも申し訳がないということで、最終的に吉野さんだけいかして、ドラムとベースに関しては影で表現するイラストへと微修正されていた。

 神は細部に宿ると言うけれど、この番組のスタッフは宿らせようと頭を使う。汗もかく、足も動かす。それを愛と言わずしてなんと呼べばいいんだろう。素晴らしいスタッフたちに恵まれている。心からそう思うんです。

愛が責任を育てる。WBC栗山監督の手紙を、ひな壇に座るすべての若手芸人が欲している〈徳井健太の菩薩目線 第167回〉

2023.04.20 Vol.web Original

“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第167回目は、WBCの侍ジャパンについて、独自の梵鐘を鳴らす――。

 人並みでしか野球を見ない私徳井健太も、大いに手に汗握り、夢中になってしまいました。WBC日本代表「侍ジャパン」の皆さま、優勝おめでとうございます。

 大会が終了しても、今なおさまざまなメディアで野球関連のニュースが取り上げられている。あれだけWBCが盛り上がったのだから納得ですよね。

 そんな中、栗山英樹監督が「侍ジャパン」に招集した選手全員に、自筆の手紙を手渡していたというニュースを知った。「あなたを招集したのはこういう理由からです」「あなたを起用したい場面はこういう瞬間です」。選手に寄り添う愛情あふれる栗山監督らしい手紙だったと聞く。

 招集されたものの、試合に出場しない選手もいた。「結局、出番なかったじゃん」なんて軽々しく言葉にするのは簡単だ。だけど、その選手も愛が詰まった手紙をもらっている。きっと、穿つように試合に集中していただろうし、自分が出場する一瞬のために準備していたんだろうなと思う。

 もし仮に、手紙がなければ、選手自身も「どうせ俺は使われないんでしょ」なんて高をくくって、試合に対する集中力だって散漫になっていたかもしれない。すべて俺の妄想だけど、きっとそうだっただろうなって。なぜか?

 バラエティの現場にも、栗山監督からの手紙が届けばいいのに――。そんなことを思ったからだ。

 若手時代、どうして自分がバラエティ番組に呼ばれるのか、いまいち理解できなかった。もちろん、芸人として「その場を盛り上げてほしい」ということなんだろうけど、星の数ほどいる若手芸人の中からどうして自分が選ばれたのか、なぜ限りある出演者の枠に自分がいるのか、わからなかった。考えれば考えるほど「?」になるし、プレッシャーを感じるので、なるべく自発的に考えないようにしていた。

「盛り上げてくださいね」って指示は、先の野球でたとえるなら、「いいプレーをしてくださいね」ということ。それは前提として当たり前。知りたいのは、もう少し深いところ。どうして自分が選ばれたのか、その理由が嘘でもいいから欲しかった。

 「言わせるな。感じろ」ということなんだろうけど、若手からすれば、その一回が最後の一回になるかもしれない。「好き勝手やっていいよ」とざっくり掛けられた言葉を信じて、「好き勝手やった」ことで再起不能になったら、どうするのさ。「感じろ」だけじゃ、もう伝わらない時代です。

 平成ノブシコブシが呼ばれるとき、相方・吉村が呼ばれるのはなんとなくわかる。過去、俺は「そのバーターみたいになっているんじゃないか」とマイナスに感じていたこともあった。でも、嘘でもいいから「徳井を呼んだのはバーターじゃなくて、〇〇に期待しているから」という手紙をもらっていたら、集中力やモチベーションを高くして、現場に臨めていただろうなって。

「今日はアイドルさんが出演するので、スベる可能性があります。そのときに徳井さんが率先してアイドルさんのフォローをしてあげてください」――そんな手紙が届いていたら、アイドルに詳しい俺にしかできない自分の役割、求められているシーンは明確になる。アイドルがスベったら、 俺は1塁ベースからホームにサヨナラ帰還した周東佑京選手のように、その瞬間のためだけに、全身全霊をかけさせていただく。

 ひな壇に座っている若手芸人は手紙がほしいと思う。

 バラエティだけに言えることじゃなくて、社会そのものにも言えるのではないでしょうか。チームプレーを必要とするような作業や環境においては、指揮を振るうディレクター的ポジションは、それが手紙か何かはわからないけど、栗山監督的なメッセージを伝えた方が、間違いなく円滑に物事が進んでいくような気がする。やっぱり「愛」なんだと思う。しゃらくさいけど愛があるかどうか。

 子どもの頃、よくわからないまま「〇〇係」 というものを任されていた。なんとなくクラスで決めたことだから、そこに責任感なんてありません。ましてや子ども。だけど――。

 もしも、栗山監督から「徳井君はきっちりと物事を守ることができる子だから、クラスの電気を点けたり消したりすることが得意だと思う。君の誠実さが、教室のルクスを決めるんだ。君はでんき係の才能がある」と手紙を受け取ったら、俺は誰よりも率先して電気のオンオフをしていたと思う。

 責任は愛が育てるものなんだよね。責任のない現場は、愛がないってことなんです。

ヤングケアラーの問題とどう向き合えばいいのか考えてみた〈徳井健太の菩薩目線 第166回〉

2023.04.10 Vol.Web Original

 

“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第166回目は、ヤングケアラーの解決案について、独自の梵鐘を鳴らす――。

 

 前回(「2023山梨コネクトヤングケアラーLIVE」)の話には、ちょっと続きがあって、今回はその点に触れようと思う。

 終盤に差し掛かるころ、「ヤングケアラーの問題に解決策はあるか」といった内容に話が及んだ。

 俺は二つしかないと思っている。

 まず一つが、ヤングケアラーという言葉を流行らせるということ。流行らせるというと語弊があるかもしれないけど、この言葉が一般化しない限り、ヤングケアラーの実情は伝わらない。となれば、理解する人も増えやしない。

 たとえば、「しつけ」という言葉は昔からあったけど、“虐待”や“ネグレクト”という言葉が浸透したことで、簡単に「しつけ」の一言で終わらせることがなくなったと思う。親は「しつけ」というけれど、はたから見れば「虐待」に見える。同様に、「あれってもしかしたらヤングケアラーなんじゃない?」、そんな言葉や感覚が定着するようになれば、取り巻く環境は変わってくるんじゃないのかな。

 もう一つ。それは、ヤングケアラーの当事者に対して、最低3回は土足で心の中に踏み入ってくるような人、ざっくりいえば理解者、支援者が増えてこないと厳しいのではないか。

 俺は、高校3年間、妹を養わなければいけないため、朝から新聞配達をしていた。学校に顔を出すのはいつも昼から。学校側には一切そういった理由は話さず、許可も取らずに昼から出席していたけど、どういうわけか何のお咎めもなかった。もしかしたら先生たちは、徳井家の事情を知っていたのかもしれない。でも、どんな形であれ放置に変わりはない。

 今でも思う。そんな異常な出席を繰り返す俺に、どうして先生たちは誰一人として話を聞いてこなかったのかなって。もしも、ちょっと踏み込んで、「徳井、どうして新聞配達をしなきゃいけないのか?」「なんでいつも昼からなんだ」と聞かれたら、おそらく俺は「余計なお世話だよ」、そう跳ね返していたと思うけど、万が一、「たった一度の高校生活だぞ。もっと相談できないか?」なんて何度もノックされたら、心が0.1ミリくらいは動いていたかもしれない。 

 ヤングケアラーは、自分の境遇が大変だとは思ってはいない。そんなことを考える余白はなくて、心を殺しているから楽観もしなければ悲観もしない。あのとき話を聞いてほしかったって話じゃない。無の心を持ってしまったヤングケアラーに対して、土足で3回は心に侵入してくるような厚かましさがないと、心が息を吹き返さないということ。ヤングケアラーにとって、その厚かましさはやさしさになる……と想像してみる。

 解決策というほど効き目はないかもしれない。ただ、当事者だった俺なりに再考すると、ヤングケアラーへの処方箋は以上のようなことになる。

 厚かましいお願いだろうけど、その上で、物事を優劣で考える人が減ればいいなぁとも思う。

 世の中には、自分にはできて他人にはできないことがたくさんある。些細なことであっても、端から見れば「なんでそんなことができないんだ」って思うこともある。でも、それって絶対に自分は間違ってないと思い込んでいることでもある。その根底にあるのは、優劣で人やモノを判断してしまうから、そういった印象を抱いてしまうのではないでしょうか。

「そんなこともできない」のかもしれないけど、その人は「もしかしたら自分にはできないもっとすごいこと」はできるかもしれない。できないというのは、劣っているのではなくて、たまたまその人にとっては不得手なことにすぎないだけで、 一つの個性かもしれない。優劣で考えてしてしまう人は、実は自分が「劣」であるかもしれないということを、認識した方がいいんじゃないのって。

 かつての自分もそう感じていた一人だった。きちんとやれば普通にできるのに、「なんでそんな簡単なこともできないんだ」ってすぐに心の中でつぶやいてしまう人間。だけど、人の気持ちを考えることができない劣な人間だったんだなと顧みる。

 こうした認識が広まったとしても、すべてのヤングケアラーが救われることはない。やっぱり世の中は綺麗事だけでは回らないから。ただ、人は人に生かされて生きていく。そんな言葉を自分に言い聞かせていきたいなと考える。だって、もしかしたらヤングケアラーが加害者側に立っているかもしれないじゃない。自分の目に入らなかっただけで自分の振る舞いが人を傷つけているかもしれない。どっちが優で、どっちが劣か。そんなことは生きていく上で、たいして重要じゃないんだよね。

山梨コネクトヤングケアラーLIVEに参加して。心を殺していた10代の自分を振り返って。〈徳井健太の菩薩目線 第165回〉

2023.03.30 Vol.web Original

“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第165回目は、「2023山梨コネクトヤングケアラーLIVE」について、独自の梵鐘を鳴らす――。

「2023山梨コネクトヤングケアラーLIVE」に参加させていただいた。

 現在、山梨県では県民一丸となってヤングケアラーとその家族を支えていくため、「気づいてつながろう山梨コネクトヤングケアラー」をキャッチフレーズにさまざまな取組みを進めているそうだ。

 その一環として、去る2月に行われた前述のイベントに登壇し、自分の過去の体験や心境をいろいろとお話させていただいた。その模様は、3月31日までこちら(https://www.pref.yamanashi.jp/kodomo-fukushi/yc/connectyoungcarerlive2023.html)で視聴することができるそうなので、もしよろしければご視聴いただけると幸いです。

 イベントは、パネルディスカッションのような形式で行われ、 一般社団法人ヤングケアラー協会代表理事の方、山梨学院短期大学保育科の特任教授の先生、世間知らズ(いしいそうたろうが山梨県の住みます芸人)など、さまざまな立場からヤングケアラーを考えるというものだった。参加して感じたことは、あらためて自分の経験はかなりハードなものだったのではないか――ということ。

 ヤングケアラーといっても十人十色だ。自分のヤングケアラー体験を回想すると、母親の愛というものをまったく受けずに大人になってしまった、という表現がしっくりくる。と言っても、お涙頂戴とか同情してほしいとかそういう話をしたいわけじゃない。シンプルに自分がそんな境遇にいたんだなってことを、今一度客観視できただけのお話。そりゃ35歳ぐらいまで、愛や品とは無縁の人生を歩んできたよなって思う。

 当時の俺は、母親が放棄した家事や仕事をすべて引き受ける最中にいた。当然、妹の面倒を見て、学校へ通わせるという「お金」の問題もクリアしなきゃいけなかった。高校3年間は、新聞配達の仕事をして、学校に顔を出すのは昼過ぎという毎日。

 だけど、自分以外の家庭の事情など知る由もないから、我が家で自分がやっていることは当たり前のことだと思っていたし、一つ一つ淡々とこなしていくしかないから、とてもドライな感覚があり続けた。

 どんなことが起ころうとも、「心を閉ざせばいいだけ」。それが10代の俺のおまじない。今振り返っても、「聞いてください、僕はこんなに大変だったんです」なんて言う気もなければ、耳を傾けてほしいなんてことも思わない。ありのままを話すだけ。

ハライチ・岩井勇気の哲学者のような一言に、思考の「平行線」を感じたあの日。〈徳井健太の菩薩目線 第164回〉

2023.03.20 Vol.web Original

“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第164回目は、感覚の違いについて、独自の梵鐘を鳴らす――。

 ハライチ・岩井勇気がMCを務めるボートレースのラジオがある。ありがたいことに、そこそこの頻度で呼んでくれ、そのたびにラジオでいろいろと岩井と話をさせてもらう。

 岩井とは『ゴッドタン』の腐り芸人同士として轡を並べる仲だけど、必ずしも考えていることが合致するわけではない。勝手に俺は仲が良いとは思っているけれど、考え方が合う・合わないは別腹だ。

 ラジオでは、美術の話になった。俺も岩井も美術館に足を運ぶことが好き、この点では一致した。だけど――。

 つい先日、俺は「エゴン・シーレ展」を観に行った。その作家のバックグラウンドや頭の中というものをなんとか理解しつつ、その上で各作品を素人なりに咀嚼する。

 エゴン・シーレは、裸の少女を含め女の子の絵をたくさん描き残している。彼は、 未成年少女(14歳)と一晩を明かしてしまい、誘惑や淫行の疑いで逮捕されるという背景を持つ。

 そういったことを考えると、彼は性的な目を持ちながら筆を握っていたのかななんて考えてしまう。エゴン・シーレは何を思って、少女の絵を描き続けていたのだろうかと夢想する。

 そのことを岩井に伝えると、「そういうのは要らないんですよ」という。岩井は油絵を描くから美術に関しては一家言を持っている。彼が言うには、その絵が死に瀕した作品だろうがなんだろうが関係ない。絵は絵であると主張する。

 バックボーンを考えてしまう俺は釈然としない。

「だったらM-1で考えよう。たとえば、ラストイヤーのコンビの漫才のネタと、まだまだチャンスのある2~3年目の漫才では、気持ちの入り方が違うだろ。背景は重要でしょ」

 と反論すると、岩井は「そんなのは関係ない。ネタはおもしろい方が勝つべきだと思う」と譲らない。このままでは平行線になると分かったから、その話はやめたけれど、今もずっと喉に刺さった小骨のように気になって仕方ない。

 多分どっちも正解だと思う。どっちも間違っていない。目玉焼きに醤油をかけるか、ソースをかけるか、一生相いれないのと一緒。

 豪打でとどろかせた往年の名選手が引退試合を迎える。その最後の打席、ピッチャーは礼節を重んじ、全球ストレート勝負でバッターへと投げ込む。こうしたシーンに胸が熱くなる人もいれば、ペナントレースの一試合であることに変わりはないのだから、「真剣勝負をするべきだ」と主張する人もいる。

 子どもの頃から世話になった大好きな婆ちゃんが作ってくれた肉じゃが。その肉じゃがが、まったく同じ味でコンビニ商品として再現されていた――。「コンビニでいいじゃん」なんて言われたら、俺は「味の話をしているんじゃない。大好きだったおばあちゃんが作ってくれた。そこに意味があるんだ」と泣いてしまうに違いない。

 こんな二人を絶対にめぐり逢わせちゃいけない。

 昔、岩井と人が死ぬときの話をしたことがあった。『ゴッドタン』の収録の合間だったと思う。話は、子どもや奥さんに財産を残したいかという点に及んだ。

 残すことは当たり前だと思う俺に対し、岩井は哲学者みたいなことを言い始めた。

「自分が死んだ後の世界ってなくなるじゃないですか。60億人みんながみんな、自分の映画を見ている感覚だと思う。死ぬということは、その自分の映画が終わるだけ。俺が死んでしまったら徳井さんがいたかどうかは証明できないんですよ。残さなくていい」

「いやいや、それはおかしいだろう。お前にも親がいて、子どもができるときが来るかもしれない。そうすると子どもの人生を考えるだろ?」

「でも、その確証は持てないですよね?」

 めぐり合っちゃいけないのにめぐり合ってしまった。気がつくと板倉さんが、「お前らの言ってることは平行線になるだけだからもうやめろ」と割って入っていた。ありがとう板倉さん。

 以前、そんな話をしたことを、岩井と美術館の話をしながら思い出していた。久しぶりにまためぐり合ったら、やっぱり何も変わっていない、お互いに。

 岩井の考え方が、わからないでもない。

 ドラマを見ていて、そのシーンに脚本家がどんな思いを込めて書いたかなんて、観ている視聴者は想像しない。そう考えれば、絵もまた同じかもしれない。作家の思いなんて、想像しただけ無駄かもしれない。

 だったら、これはどうだろう。やっとの思いで自分の足で登頂した富士山、その山頂で食べるカップラーメンは、いつもと変わらないカップラーメンの味がするんだろうか?  

 そんなことをグルグルグルグルと考えている。「意味ないからやめた方が良いですよ」、そう嗤う岩井の声が聞こえてくる。

変わらないから「安心感」が生まれる。マンネリは美しくて尊い。〈徳井健太の菩薩目線 第163回〉

2023.03.10 Vol.web Original

“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第163回目は、マンネリについて、独自の梵鐘を鳴らす――。

 マンネリは不変――。

 先日、『水曜日のおじさんたち』(ニコニコチャンネル)にゲスト出演させていただいた。同番組は、『水曜どうでしょう』ディレクターの藤村忠寿さんと嬉野雅道さんによる台本なしのフリートーク番組。前半部分に関しては、無料で視聴できるので、是非ともご覧になっていただけたら幸いです。

 話はもちろん『水曜どうでしょう』に及んだ。番組を作る上でもっとも大事にしていることは、「マンネリ化すること」だと話されていた。

 思わず俺は、「どういうことですか?」と聞いた。

 今まで長く続いてきた番組は、水戸黄門にしろ、男はつらいよにしろ、徹子の部屋にしろ、すべてマンネリ化していて必ずフォーマット化が決まっている、と。

 だから、「最初からマンネリ化する番組を作りたいと思っていた」と水曜日のおじさんたちは教えてくれた。若い時代は破壊衝動があると思う。テレビ業界も幾度となく新しい試みをしてきた。だけど、マンネリ化するのは「続いている(=人気がある)」ことが大前提で、いずれ「不変」へと昇華する可能性を秘めている。

 ああ、これって俺たち芸人にも言えることだなと感じた。 

 芸人は飽きられることを恐れるあまり、新しい自分を見せようと、良くも悪くも努力する。でも、必ずしもそれが良い方向に作用するとは限らなくて、ときにフォームを崩し、自分を見失ってしまう。全部壊れていく。

 最初から変わらないものを目指す。目からウロコだ。

 人間って何か新しいことをしたがるし、新しい刺激を求め続ける。当の本人は、新しいことにチャレンジしたことで満たされるものがあるかもしれない。だけど、その周りにいる人や見守っている人はどうだろう?

 水戸黄門は必ず勧善懲悪のストーリーで、必ず最後に印籠を出し、悪党を懲らしめて一件落着する。このフォーマットがあるから、必ずその時間帯はTBSにチャンネルを合わせる人たちが大勢いた 。マンネリって、変わらないからこそ安心感を与えることができる。ハズレを引かせない。

 若いころなら、いろいろな新しいチャレンジに対して、その結果を反芻できるだけの時間も体力もあるかもしれない。でも、歳を取ると、なかなかしんどい。

 ということは、ある程度の年齢になると、「刺激なんていらないよ」。そう言ってもらえるものも作り出さなきゃいけないんじゃないのか――なんて自問自答した。

 ミュージシャンにしたって、今でもトップアーティストに君臨している多くが、昔も今もさほど変わらない音楽を続けている人たちだ。それってアーティストが同じ路線の音楽をやり続けているということに加えて、そのファンも変な刺激を求めていないってことでもある。その信頼関係って愛おしい。 

「週刊少年ジャンプ」にしても、努力・友情・勝利という三大原則が根底にある。ずっと変わらない。なのに、『鬼滅の刃』のようなメガヒットが生まれる。変わらないから信頼が生まれる。新機軸とか新たなチャレンジとか言い出したら、それはもう危険信号なのかもしれない。

 では、自分の身に置き換えて、これから徳井健太は変わらないままで居続けることができるのか? と問われるとすごく難しい。変わらないっていうことはものすごく勇気がいる。変わることも変わらないことも勇気がともなう。

 自分に求められている役割だってあるだろう。俺の仕事は、半分ぐらいが裏方的なポジションを担うもので、業界的にもそういう役割を期待していると思う(自分自身も楽しんでいるけれど)。自分が自分に思っているキャラクター性と大きな乖離はないから、「嘘はついてない」。そういう意味では自然に仕事ができていて充実感もある。でも、ロケの仕事だって増えてほしいし、そうなるとまた違う自分のキャラクターが誕生しそうで、「変わらない」なんてこととは無縁のようにも思う。

 あのときの加藤(浩次)さんの言葉がよみがえる。

 パンサーの向井(慧)が、「MCをやるとき、クイズ番組の答える側になるとき、ロケ行くとき、ドッキリを受けるとき、全部キャラが違うんです。どうしたらいいですか?」と相談したら、

「お前恋人といるとき、家族といるとき、友だちといるとき、後輩・先輩といるとき、全部顔違うだろ? 同じヤツって嘘ついてるだけだよな。だから違うくてもいいんだよ」

 狂犬の言葉は、いつだってビリビリ、心に響いてくる。きっと無理やり変えてしまうから良くないんだろう。あくまで自然に切り替えられるようになったら、「変わらないまま、変わること」ができるんだろうな。マンネリ化する自分を楽しんでいきたい。

活気って愛なんだ。センスよりも活気を意識してみませんか?〈徳井健太の菩薩目線 第162回〉

2023.02.28 Vol.web Oiginal

“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第162回目は、活気について、独自の梵鐘を鳴らす――。

 仕事で福岡へ行く機会があったので、“鉄板焼肉”というソウルフードを初めて食べてみた。その名の通り、鉄板の上で焼かれた肉とキャベツとニンニクが、これでもかというほどジュージューと音を立てている。

 これをそのまま食べても十分おいしいんだけど、“鉄板焼肉”の食べ方には流儀があるらしい。まず、鉄板の端っこに専用の木の棒を置き、傾斜を作り出す。すると、傾いた鉄板を流れるように、肉やキャベツの旨汁が鉄板の谷へと流れていく。そこに特製の辛味噌を溶いて、そのタレとともに肉やキャベツを食べるという具合だ。

 お世辞抜きで、マジでうまい。昭和の佇まいを残すその店は、のれんをくぐることに少しの勇気がいるけれど、異様な熱気に包まれ、次々とお客さんが押し寄せる。地元でも有名な超人気店だった。

「お味噌汁は何杯でも無料なんで召し上がりください~」

 そんな言葉にすら活気がまとっている。いや、活気だらけなんだ。スタッフであるおばちゃんたちは、方々のお客さんに対して、「おいしい!?」とか「味噌汁飲んでね!」なんて声をかけ、まるでお客さんを鼓舞するかのように立ち居振る舞う。ワールドカップで見たアルゼンチンのロッカールームみたいだ。

 うまいし安いし優しい。その多幸感を生み出しているのは、この店の活気に他ならない。

 お笑いをやってきて、活気というものをあまり大事にしてこなかったように思う。そもそも、平成ノブシコブシでいえば、相方である吉村が活気担当みたいなところがあるから、自ら活気を意識するということがなかった。

 でも、この地元から愛される人気店を体感して、活気ってあるにこしたことがないんだなと痛感した。お客さんに楽しんでもらうための明るさや声の大きさ、元気さって、実はそれだけでお金を出す価値がある。

 あいさつも同じだ。「こんちわー」ではなくて、「こんにちは!」と声をかけた方が気持ちがいい。自分にそれができているかと問われると、なかなか自信を持てないけれど、そういう意識が頭の片隅にあることが大事なような気がする。

 たとえば、ロケ番組。「すいません……今ロケをやってるんですけど」と断りから入ってしまうのと、「こんにちは! 今、テレビで〇〇をやってるんですけど、お話いいですか!?」では、その後のリアクションがまったく変わってくる。

 断りから入ってしまうと相手は身構えてしまう。でも、後者のようにこちらから飛び込むように活気を伝えると会話のキャッチボールが成立しやすくなる。すべては活気次第なんだ。

 ちょっと想像してみる。ものすごく活気にあふれたお祭りに遭遇したら、なんだか楽しくなって、財布の紐も緩みそうじゃないか。でも、何やら儀式めいた厳かなお祭りだと、萎縮してしまって、楽しもうなんて気持ちにはなれない。

 活気って愛だ。だから、どんなお店にも、どんなジャンルにもあった方がいい。でも、ただ単に声を出して盛り上げればいいって意味ではない。活気と喧騒は別物。静かなスペースでも、たくさんお客さんがいて独自の楽しみ方をしていれば、言葉として矛盾しているかもしれないけど静かな活気を感じる。

 年齢を重ねてくると、結局、センスよりも活気が大事なんだなっていうことがわかってくる。年を取るからこそ活気が必要だ。若い頃は、自分のセンスを見てくださいよ――なんて気持ちもあって、活気の部分に対して斜に構えてしまったり、おざなりにしてしまったりすると思うけど、活気って愛なんだからあった方がいい。

「あいつは元気しか取り柄がない」と言われている人が、なんだかんだで仕事でそれなりに結果を残しているのは、そういうことなんだろう。「なんであんなセンスのない奴が」と釈然としない気持ちになるかもしれない。だけど、活気に勝るものはない。ほんの少し活気を自分の中に宿してみるだけで、現状って変わってくるものだと思う。

 定期的に自分の中に活気を取り入れていこうじゃありませんか。活気を宿すためには、活気のある場所へ足を運んでみるのが手っ取り早い。 飲食店に行くにしても、イベントに出かけるにしても、活気があるという視点で選んでみると、きっと発見がある。

「プロ麻雀Mリーグ芸人」で再確認した、チームプレーの尊さ〈徳井健太の菩薩目線 第158回〉

2023.01.20 Vol.Web Original

“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第158回目は、「プロ麻雀Mリーグ芸人」について、独自の梵鐘を鳴らす――。

 1月12日に放送された『アメトーーク!』の「プロ麻雀Mリーグ芸人」、ご覧になっていただけましたでしょうか。

「見逃した」という方は、もしかしたらTVerでご覧になっちゃったかもしれませんよね。そうです。今年から『アメトーーク!』は、TVerでも見逃し配信をスタート。その一発目が、「プロ麻雀Mリーグ芸人」だなんて、こんなに縁起がいいことってありますか?

 参加したのは、私徳井健太に加え、『アメトーーク!』初登場となる田中裕二さん(爆笑問題)、じゃいさん(インスタントジョンソン)、 山本博さん(ロバート)、じろう(シソンヌ) ともしげ(モグライダー)、前田裕太(ティモンディ)といった麻雀を愛する、「Mリーグ」に魅せられた面々。田中さんのひな壇姿なんてめったにお目にかかれるものじゃない。

 精一杯、「Mリーグ」の魅力を語らせていただきました。『アメトーーク!』の収録は、いつだって緊張する。自分が好きなジャンルや得意なくくりをプレゼンするからこそ緊張するし、頭を悩ませる。

 今回は麻雀を知らない人でも楽しんでいただけるように、たとえをいくつも考えて臨んだ。番組の中でも、「四暗刻がどれぐらいすごいのか?」ということを説明するために、「M-1グランプリとキングオブコント、どちらも王者になった上で、双方のオチの一言を同じにするくらいすごいこと」と説明してみた――ものの、あんまり伝わっていなくて、「申し訳ない」と収録中に反省したほどだった。

 もう一つ、たとえさせていただいたシーンがあった。博さんが振り返った丸山奏子さんのデビュー戦。そこで戦った相手が、多井隆晴さん、滝沢和典さん、佐々木寿人さんという超猛者揃いだったため、いかに丸山さんの置かれた状況がすさまじかったかを説明するため、俺は「松本(人志)さん、内村(光良)さん、(ビート)たけしさんと戦うようなもの」と話した。

 そして、となりのじろうが「(丸山さんは)ぱーてぃーちゃん」とアタックを決めてくれたことで笑いが生まれたわけだけど、実のところは最適なたとえが浮かばずに、俺は死にそうになっていた。

「ぱーてぃーちゃん」の前には、じゃいさんが「宮下草薙じゃない?」なんて絶妙なトスを上げてくれていたんだけど、このときの丸山さんは宮下草薙ほどの実績もないから、「いや、違うかな」と生意気にも否定してしまった。何も浮かんでいないのに。じゃいさん、ごめんなさい。

 そして、じろうの「ぱーてぃーちゃん」と起死回生の小声が発せられ、スタジオは笑いに包まれた! ……この一連の流れに、やっぱりバラエティの収録はチームプレーが欠かせないのだと痛感した。『アメトーーク!』は、そんなことを心臓にまで届かせてくれる番組なんだよね。

 実は、じろうの小声のすぐ後に、俺は「ぱーてぃーちゃん」の中で、すがちゃん最高No.1こそが丸山さんの立ち位置だと説明したかった。ところが、その名前が出てこない。すると、ティモンディの前田が「すがちゃん最高No.1」とアシストしてくれ、「そう! 丸山さんはすがちゃん最高No.1なんです!」と蛍原さんに伝えることができた。

 放送では、その部分はばっさりカットされていたけど、「それでいいのだ」。じゃいさんがヒントをくれ、じろうが小声で起死回生のシュートを決め、前田がアシストする。全員で一つの笑いを生み出すために、必死にボールに食らいつき、あるのかわからないゴールを目指して、前に進む。日韓ワールドカップのときの対ベルギー戦でゴールを上げた鈴木隆行さんのように、精一杯、足を伸ばさなきゃいけない。

 つなぐからゴールが生まれるわけであって、その大切さを、あらためて今回の『アメトーーク!』の収録で学ばせていただいた。Mリーグに魅せられるのも、チームプレーの尊さがあるからなんだ。

『アメトーーク!』には、鬼の編集力を兼ね備えるスーパースタッフ軍団がいる。ゴールを目指すために力の限り走っていたら、必ず面白いポイントを編集力によって作ってくれる。

 放送を見ると、あたかも俺が思いついたように発言している一言も、ふたを開けると、ともにひな壇に座るチームのサポートがあって、その発言に行きついている。編集力によって、ズバッと俺が笑いを取っているように見えるだけ。その後ろには、たくさんの犠牲になったしかばねともサポートとも見分けがつかないコメントが転がっている。俺の一言ではなくて、それはチームの汗の結晶だ。そういうプレーがたくさん生まれた収録の後に飲む酒の――なんて美味しいことか。

 芸歴23年目。若い頃は、ひな壇に座った芸人とつばぜり合いをして、斬り合いをして、その先に笑いが生まれると思っていた。でも、刀は人を斬るためだけのものじゃない。守ることだってできるもの。お笑いは助け合いだ。

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