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クレベル・コイケが故アントニオ猪木さんへの思い語る「ブラジル人は全員が彼を知ってる。みんなリスペクト」【RIZIN.39】

2022.10.24 Vol.Web Original

「RIZIN.39」(10月23日、福岡・マリンメッセ福岡 A館)のメインイベントで行われた「フェザー級タイトルマッチ」で王者・牛久絢太郎(K-Clann)を破り王座を獲得したクレベル・コイケ(ブラジル/ボンサイ柔術)が試合後の会見で、10月1日に亡くなったアントニオ猪木さんへの思いを語った。

 クレベルは試合後のマイクで猪木さんの名を挙げたうえで、最後は猪木さん張りの「1、2、3ボペガー!」で大会を締めくくった。

 クレベルは「アントニオ猪木はもう日本のレジェンド。My Vale tudo Pro-wrestlingで、病気が悪化して死んじゃったから。日本だけじゃなくて世界がそれを寂しいな。彼は日本のレジェンドで、それが日本のファイターたちは、いなくなってこのモーメントはちょっと難しい。彼は日本でめっちゃレジェンドで、昔のファイターだったらみんなそれが分かってる。令和世代はみんなもう知らないけど、彼は日本のレジェンドだから、私めっちゃリスペクト」とその理由を明かした。また「多分、日本人は知らないね。彼はブラジルのファイターはみんなリスペクトある。彼は同じ、ブラジルで練習して日本へ。ちょっと大体同じ気持ちで、ちょっと分かってる。そう、彼の気持ちが分かる。みんな多分知らないけど、彼はレジェンドでブラジル人はみんな全員が彼を知ってる。みんなリスペクト(してる)、彼を」などと日本からブラジルに渡った猪木さんと、ブラジルから日本に来た自らを重ね合わせ、猪木への特別な思いを語った。

クレベルが予告通りの三角絞めで牛久を破り悲願の王座獲得。最後は尊敬する猪木さんばりの「1、2、3ボペガー!」で締めくくる【RIZIN.39】

2022.10.23 Vol.Web Original

「RIZIN.39」(10月23日、福岡・マリンメッセ福岡 A館)のメインイベントで行われた「フェザー級タイトルマッチ」で挑戦者のクレベル・コイケ(ブラジル/ボンサイ柔術)が三角絞めで王者・牛久絢太郎(K-Clann)を破り、悲願のRIZIN王座を獲得した。

 1R、牛久は関節蹴り、左インロー。クレベルはすぐにタックルからテイクダウンに成功。バックを狙うがしのぐ牛久。クレベルはハーフから肩固めを狙う。クレベルが肩固めに入るが牛久が上になって首を抜く。上になった牛久はクレベルの顔の下に頭を置いてクレベルの下からの攻撃をしのぐが、それでもクレベルは三角絞めを狙う。無理とみるや、今度は足首を狙う。牛久が立ち上がるとクレベルは押し込んでヒザ。そして引き込んでいく。上になった牛久はここもクレベルの顔の下に頭を置くが、ここにクレベルはヒジを落としていく。

故アントニオ猪木さんの「元気ですかー?」も含まれた「しゃべるレジェンドプロレスラー」のスタンプが発売

2022.10.06 Vol.Web Original

 10月1日に逝去した元プロレスラーのアントニオ猪木さん(享年79歳)のボイスも含まれたLINEのボイス付きスタンプ「しゃべるレジェンドプロレスラー 第1弾」が10月6日、発売が開始された。

 これは日本のプロレス文化の伝承、その歴史を創ってきた先人やレジェンドの功績を後世に伝え、敬い、引退したプロレスラーの人生をサポートしていくことを目的として2020年に設立された「日本プロレス殿堂会」の賛同メンバーによるもの。

 猪木さんのほかにも故ジャイアント馬場さんの初となるLINEのボイス付きスタンプも収録。藤波辰爾、長州力、天龍源一郎といった顔ぶれも並び、往年のプロレスファンにはたまらない名シーンの名台詞もスタンプ化されている。

 今回のLINEスタンプの発売は日本プロレス殿堂会主催の大会「LEGACYⅡ」(10月10日、東京・後楽園ホール)に向けて約半年前から企画されていたもの。猪木さんのボイスについては「日本プロレス殿堂会発展のために活用してくれ」という思いのもと猪木さんが日本プロレス殿堂会設立当初に提供したものだという。

元付き人の髙田延彦が「猪木さんが逝ったんだ。まだなんとも言えぬ気持ち」、長州力は「私の中での昭和のプロレス時代はこれで終わりたい」

2022.10.01 Vol.Web Original

 元プロレスラーで元参議院議員のアントニオ猪木さんが10月1日に亡くなった。猪木さんの訃報を受け、多くの弟子や関係者がSNSなどで追悼の声を寄せた。

 元プロレスラーで元総合格闘家の髙田延彦さんは「我がスーパーヒーロー、アントニオ猪木が亡くなったとの一報が入った。ついにこの日が来たか、猪木さんが逝ったんだ。まだなんとも言えぬ気持ち。心よりご冥福をお祈りします」と自らのSNSでコメントを出した。髙田さんは猪木さんに憧れて1980年に新日本プロレスに入門。猪木さんの付き人も務めた。

 元プロレスラーの長州力さんは猪木さんとの2ショットの写真とともに「やっと解放されましたね。リングを降りても貴方は 闘魂アントニオ猪木でした まさに闘魂そのものでした。猪木さんどうか安らかにお休みになって下さい。私の中での昭和のプロレス時代はこれで終わりたいと思いますが、まだ藤波辰爾選手が頑張ってます 最後まで見届けます。合掌」とSNSでコメント。

 元プロレスラーの前田日明さんは2ショットの写真とともに「慟哭 いつも黙って背中で語り行動する人でした。 猪木寛至と同時代を過ごせた事が幸運でした。 とんでもなくお世話になりました。 有難う御座いました。 長い間お疲れ様でございました。 御冥福を衷心よりお祈り申し上げます」と投稿。

 新日本プロレスで長くリングアナウンサーを務めた田中ケロさんは「言葉にならない・・・。まだご一緒にやりたい事あったのに・・。会長、お疲れ様でした」とショックの大きさをうかがわせた。

アントニオ猪木さんが死去。今後の活動に意欲を見せていた矢先の訃報

2022.10.01 Vol.Web Original

 元プロレスラーのアントニオ猪木さんが10月1日に亡くなったことが分かった。79歳だった。

 猪木さんは2018年から心臓の難病「全身性トランスサイレチンアミロイドーシス」を患い闘病中だった。そんな中でも今年8月には新たなる専属マネジメント会社「猪木元気ファクトリー」が設立され、今後の活動に意欲を見せていた矢先の訃報だった。

 猪木さんは1943年に神奈川・横浜で生まれ、13歳の時に家族とともにブラジルに移住。1960年に興行でサンパウロを訪れていた力道山からスカウトされ日本へ帰国。日本プロレスに入団した。終生のライバルとなるジャイアント馬場さんとは同日入門だった。馬場さんとはデビューも同日。

“令和”のアントニオ猪木vs国際はぐれ軍に発展か? 7・16名古屋でのフェロモンズvs彰人のEXTREME戦は波乱含み【DDT】

2022.07.14 Vol.Web Original

 DDTプロレスの7月16日、愛知・日本ガイシスポーツプラザ第3競技場(名古屋市)で開催される〈王者〉飯野“セクシー”雄貴&男色“ダンディ”ディーノ&今成“ファンタスティック”夢人vs〈挑戦者〉彰人のDDT EXTREME選手権が、さながら“令和”のアントニオ猪木vs国際はぐれ軍(ラッシャー木村、アニマル浜口、寺西勇)の一戦と化す雲行きが漂ってきた。

 猪木vs国際はぐれ軍の1vs3ハンディキャップマッチは1982年11月と1983年2月に2度行われたが、極めて不公平な戦いとしてプロレス界の伝説に残っている。本来のEXTREME王者は飯野だが、王者側の要望により1vs3マッチに。さらに“フェロモンズ壊滅”をもくろむ高木三四郎社長が特別レフェリーに名乗りを挙げて、ややこしい展開になってきた。試合のルールは試合権利を持つフェロモンズの1人が彰人からフォール、ギブアップを奪った時点で勝利となり王座は防衛。彰人は試合権利を持ついずれか1人からフォール、ギブアップを奪った時点で勝利、王座奪取となる。

ストロング小林さんの追悼式で新間寿氏「猪木vs小林は私のプロレス人生で最高の試合でした」

2022.03.18 Vol.Web Original

 初代タイガーマスクの佐山サトルが主宰を務めるストロングスタイルプロレスの2022年の後楽園ホール大会第1弾「初代タイガーマスク ストロングスタイルプロレスVol.15 -“怒涛の怪力”ストロング小林追悼興行―」が3月17日、東京・後楽園ホールで行われた。

 今大会はサブタイトルにあるように昨年の12月31日に81歳でその生涯を閉じたストロング小林さんの追悼興行として行われ、第3試合終了後に追悼式が行われた。

 小林さんは1966年に国際プロレスに入団し、1967年に日本でデビューした覆面レスラー第1号となる「覆面太郎」でデビュー。その後、素顔になり、ストロング小林としてIWA世界ヘビー級王座をはじめ多くのタイトルを獲得し、エースとして活躍。1974年2月に国際プロレスに辞表を提出し、ジャイアント馬場とアントニオ猪木への挑戦を表明。3月に猪木の持つNWF世界ヘビー級王座に挑戦した。これは当時はタブーとされていた大物日本人同士の対決として大きな注目を集めた。この試合と12月に行われた再戦でともに敗れた小林さんは新日本プロレスに入団。坂口征二とのタッグでNWA北米タッグ王座を獲得するなど中心選手として活躍した。腰痛の悪化で長期欠場に入り、復帰を果たせぬまま1984年8月に現役を引退した。

日本でアントニオ猪木にも勝利したベイダーが2022年WWE殿堂入り【WWE】

2022.03.08 Vol.Web Original

 WWEが3月8日(日本時間)にベイダーが2022年の名誉殿堂「WWEホール・オブ・フェーム」入りすることを発表した。2022年度の殿堂者としては第2号となる。

 ベイダーは1987年に来日すると物議を醸す試合でアントニオ猪木に勝利したものの、観衆の不満が爆発して暴動に発展した。その後は日本で常連外国人レスラーとなると1996年には「ロイヤルランブル」でWWEデビュー。WWEでショーン・マイケルズらとしのぎを削ると1997年の「ロイヤルランブル」ではジ・アンダー・テイカーに大勝利を収めた。

「WWEホール・オブ・フェーム」は、米国現地時間4月1日にテキサス州ダラスのアメリカン・エアラインズ・センターで行われ。その模様は日本時間4月2日にWWEネットワークで配信される。

石原慎太郎氏の訃報にアントニオ猪木がコメント「『以心伝心ジェット・シン』と言ったら、慎太郎さんはとても喜んでくれた」

2022.02.01 Vol.Web Original

 元東京都知事の石原慎太郎氏の死にあたり、元プロレスラーで元参議院議員のアントニオ猪木氏が2月1日、コメントを出した。

 コメントは以下の通り。

「石原慎太郎氏の訃報に心より追悼の意を表します。
2013年に日本維新の会から私が参院選に出馬した際に『以心伝心ジェット・シン』と言ったら、慎太郎さんはとても喜んでくれた。それが選挙戦への大きな励みになりました。深く感謝しております。安らかにお休みください。
アントニオ猪木」

 猪木氏は1989年にスポーツ平和党を結成し第15回参議院議員通常選挙に比例区から出馬し99万3989票を集めて初当選。2期目となる1994年の選挙では落選したが、2013年の第23回参議院議員選挙に日本維新の会から比例代表で出馬し、当選した。

 出馬の際には当時、日本維新の会の共同代表を務めていた石原慎太郎氏とともに記者会見を行った。

アントニオ猪木、78歳の誕生日に1/48の「金の猪木」フィギュア限定発売ダァーーーッ!!!

2021.02.20 Vol.Web Original

 本日20日は“燃える闘魂”こと、元プロレスラーのアントニオ猪木の78歳の誕生日。プロレス界のレジェンドである猪木のリングデビュー60周年を記念し、本人初となる最初で最後の純金製フィギュアが、ニッポン放送プロジェクトから数量限定で発売された。

 中空ではなく無垢の純金で製作されたフィギュアは1/48スケールで高さ約40cm、重量約23g。60体限定、60万円(税別、送料無料)の高級感のある本格的な造りで、日本国内で職人が一体一体丁寧に磨き、足の裏にはシリアルナンバーが刻印されている。特別仕様の展示ケースが付属しており、インテリアとして飾れば毎日闘魂を注入してもらえるだろう。

アントニオ猪木がコロナで疲弊した日本に「まずは心の健康を取り戻そう」

2020.09.30 Vol.Web Original

デビュー日の9月30日に「デビュー60周年記念記者会見」

 今年でプロレスデビュー60周年となるアントニオ猪木がデビュー日となる9月30日、東京都内で「アントニオ猪木デビュー60周年記念記者会見」を開催した。

 猪木は1960年9月30日、東京都台東区の台東区体育館で行われた大木金太郎戦でデビューし、この日が60回目のデビュー記念日となる。

 猪木はウイスキーの「ジョニーウォーカー」のラベルのキャラクターを思わせるコスチュームで登場。新型コロナウイルスの飛沫による感染防止が叫ばれる中ではあるが、舞台と取材陣の間にしっかりと距離を取っていることから「元気ですかー!」と第一声。

 そして「60年も生きてないと思っていたけど生かされてしまいました。仲間たちも皆旅立ってしまって、一人取り残された。どちらにしても、このコロナも終わると思いますが、明日に向けて、来年に向けて、思い切った発想を持って頑張っていこうと思っています」と挨拶。そして「この間、コロナの親分を呼びつけて“もうそろそろおまえも帰っていいコロナ”と言ったらうなずいていました(笑)」といきなり闘魂ギャグも飛び出し、昨年、一時体調を崩したもののすっかり元気になった姿を見せた。

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