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重すぎる“命のドル換算”9.11の実話を基に描かれた映画『ワース 命の値段』を観た!【黒田勇樹のハイパーメディア鑑賞記】

2023.03.01 Vol.web Oiginal

 世界最大のテロのひとつである「9.11」貿易センタービルに飛行機が突っ込んだあの事件を“補償”するために「被害者の命を“ドル換算”した男」の物語なのですが、まぁ、重い。

 そもそも、命は不可逆なので「生き返らせる」以外、完全に補う方法なんてなくて、そんなこと、できやしない。

 それを「生き残った者たちが前に進むため」という大義名分のもとに、被害者の家族たちに「あなたの家族が、これから歩んだはずの人生は〇〇ドルでした」と、日本人になじみがある言い方でいえば「そろばんを弾く」ワケですよ、限られた期間の中で数千人分。

 政府としては全員分、訴訟を起こされては対応に割くコストが膨大になってしまうし、被害者側の目線に立っても訴訟の費用や時間、最悪、負ければ何も手に入らないというリスクを回避するために、この被害者への補償をする基金、「書類にサインすればいくら払います」というルールが設けられるのですが、このルールを作る立場になった主人公の目線を体感することが、非常に重く、どこかでわかっているつもりでいたのに、想像を超えるプレッシャーを味わうことになります。

 貿易センタービルという、経済の中心地で起きた事件なので「重役」と「皿洗い」の命の差額を弾き出さなければいけない。

 でも、その重役も皿洗いも誰かの家族だったり恋人だったりするワケですよ。

「同性愛が認められていない州に住んでいたら、パートナーに補償金は支払えない」とかね、どこかで線を引かなくてはいけない。

「妊娠する予定だった」と言えば、2人分補償されるとゴロまくヤツとか、本当かもしれないし誰にも非難できないじゃないですか。

「自分がこの立場に置かれたら」と、思うとただただ胃が痛かったです。

「命を金に換える」なんて、たいがい悪役のやることなのですが、この映画は正義の物語なんです。ドキュメンタリータッチに淡々と描かれていますが、カメラワークをよく見てみると主人公のケンが「弁護士として語っている」時は、ずっと、固定のアングルで硬い表現、「人間の言葉を発している」時は、手持ちの柔らかい表現、最後はそれが統合されていき、「正義の人」に、なる瞬間が非常に繊細に巧く表わされている。

 どこまでが史実なのかは、調べるのに膨大な時間がかかりそうですが、ひとつの歴史とその裏側にあった人間の想いの記録としては、とても素敵な映画でした。

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