農業や食に関わるビジネスで女性起業家の活躍が注目されています。私のゼミのOG、長内あや愛さんもその1人。2年前、慶應SFCを卒業するタイミングで、日本橋に「食の會日本橋」というレストランを創業しました。
提供するのは「復刻料理」。福澤諭吉や渋沢栄一が食べたものはどんなものだったか、往時のレシピや食材を研究してきた成果をもとに考案したメニューが並びます。中学生の頃から「14歳のパティシエ」というブログを書き続けるなど、食への探究心は人一倍。SFCを卒業した後は慶應大学院の政策・メディア研究科で学び、今も事業の傍ら、食文化を追究。大学院でも、彼女は私のもとで修士論文をこの1月に書き終えたばかりです。
「福澤諭吉先生が食べたお菓子」も研究テーマの一つ。福澤は江戸末期、幕府使節団の通訳として二度の渡米、一度の渡欧をしています。福澤が要人同士の会談に随行し、訪問先からおもてなしを受ける際に出てきたのが洋菓子です。
長内さん曰く、お菓子というのは「非日常を演出し、人間にとって栄養価の高いもの」。お菓子を楽しんだ福澤たちは、当時最先端の西洋文化に触れ、のちの日本の近代化に身を投じていったことを考えると、お菓子ひとつとっても、歴史的ストーリーを感じさせます。
長内さんが店を構えた日本橋は、以前から私にとっても重要拠点の一つでした。2016年にはライフサイエンス領域のイノベーションに取り組む人たちの拠点や人的交流を進める場として、「ライフサイエンス・イノベーション・ネットワーク・ジャパン」(LINK-J)を立ち上げました。ここをハブにするように、日本橋エリアでは300社以上の関連ベンチャー、スタートアップが活躍するまでになってきました。
日本橋は長内さんにとって「食文化の聖地」。コロナ禍で大きな試練に見舞われながらも、老舗の多いこの街に新しい風を吹かせようとしています。そして、日本橋本町は江戸開府以来、薬屋が商いをし、いまも製薬会社が拠点を置いています。伝統ある「くすりの街」で、私や教え子たちが関わってきたLINK-Jが先進的医療の歴史をこれから作ろうとしています。
折しも、日本橋の頭上を通っていた高速道路の地下化への動きが加速しつつあります。街づくり、食、医療…あらゆる分野で日本橋エリアがその伝統的リソースを礎に、日本社会に新しい付加価値を提案する「社会リノベーション」の発信源になろうとしています。
(東大、慶應大教授)