範囲が広すぎて進まない復旧活動

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石巻港の内側、石巻市新館2丁目近辺は今も厚い汚泥に覆われている

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閖上の墓地で、墓石があったと思われる場所で手を合わせていた

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津波で壊滅した仙台市の南蒲生浄化センター。完全な姿に戻るまでは3年かかるといわれている

東日本大震災・被災地リポート

 地震発生から2週間以上経つが、大規模な被害を出し、今なお市民の生活を不安に陥れている東日本大震災。死者・行方不明者は2万人を超えたが、津波に襲われた地域はあまりにも広く、被害の全貌はようやく明らかになり始めたばかりだ。

津波の傷跡が残る石巻市

「息子が見つかってないんですが、まだ探しにも来てくれないんです――」 特に津波の被害が大きいといわれる石巻市。地震発生から10日目の21日、石巻市門脇の通り沿いで、1人の女性が疲れた様子でつぶやいた。この近辺はもともと低地帯のうえ、今回の地震で大規模な地盤沈下も起きたといわれており、街中は21日現在でも水が引かずに厚い泥のぬかるみに覆われたまま。地震発生時、息子から父親に仕事で「使っている車を返してから避難する」との電話の後、津波の第一波が到来、連絡が途絶えた。 20日は石巻市で阿部寿さんと孫の任さんとが発見されニュースとなったが、被災エリアはあまりにも大きく、一部の道路の瓦礫がよけられ、かろうじて車の通行ができる程度の作業しか入っておらず、救助・復旧活動の手はほとんどといっていいほど、入っていない。

「1日でも早く、捜索する人たちに入ってほしい。お願いします」

 今日も4時間以上捜し歩いたという女性は声を詰まらせる。食料・水・衣料などの生活物資は届き始めたが、今求められているのは人手だ。しかし、被害範囲のあまりの大きさに、自衛隊、各地方自治体の消防など活動できるすべてを投入しても、被災地を網羅できない。

復旧が進む名取市閖上

 同じように大きな被害を受けた名取市閖上は、比較的救助・復旧の手が早く、21日には一般市民の立ち入りが認められた。名取川に面した閖上2丁目には東禅寺、観音寺、持法院の3つのお寺があり、大きな墓地も広がっていたが、東禅寺の建物の残骸を除き、すべてが押し倒され、流された。家屋の残骸にまみれ、なぎ倒された墓石が一面に広がる。その墓石の“野原”で、家の墓石を探す人々の姿がぽつりぽつりと集まり始めていた。この日はちょうどお彼岸。母を津波で亡くしたという夫婦が子どもを連れ、墓標に花を供えていた。「おばも行方が分からないけど、がんばっていかなきゃいけないし。お墓参りとご報告をしてきました」

 決して明るくはないが、絶望にまみれてもいない強い言葉であった。

他政令都市から職員が応援

 被害の全貌の把握、復旧のために日夜を惜しんで働いている人たちの姿が市民を勇気付けてもいる。沿岸部にあったためその機能を完全に停止し、ニュースにもなっているのが下水を処理する浄化センター。仙台市は政令都市をはじめ20の都市と「20大都市災害時相互応援に関する協定」、通称「大都市協」を結んでおり、震災直後から多くの都市の職員が応援にかけつけ、交通・水道などの復旧のために活動している。

 彼らの任務は、浄化センターの復旧活動と平行して急務となっている市全域の下水道の健全化だ。電気・水道・ガスなどポジティブに使われるライフラインに比べ、あまり意識されることのない下水道だが、見えにくい、分かりにくい、直しにくいと3拍子そろい、「緩効性・遅効性があるともいえ、即座に困ることはないが、対応を間違えば長く、ボディーブローのように響く被害を出すことになる」(仙台市建設局関係者)もの。町では、東京都、堺市、京都市など、制服で他都市の職員と分かると、「ありがとう」「がんばって」と声をかけてくれる人もいるという。

 国の対応のまずさ、物資物流の困難さなどがクローズアップされる反面で、こうして目に見えないところで、身を削るように手伝う人もいる。復旧の道は、まだその端緒についたばかりだが、希望の道は閉ざされてはいないのだ。