長島昭久のリアリズム 集団的自衛権について考える(その一)

 8月上旬、ちょうど私が豪州政府招聘プログラムでキャンベラやシドニーを歴訪している頃、新しい内閣法制局長官に、旧知の小松一郎駐仏大使が抜擢されるというニュースが飛び込んできました。小松大使は、外務省の国際法局長を務めるなど、外務省きっての国際法のスペシャリストで、『実践国際法』という500ページ余の分厚い専門書も上梓しています。もともと、集団的自衛権の行使を認めない内閣法制局による憲法解釈に疑問を呈していましたから、この人事はマスコミでも俄然注目されました。


 集団的自衛権をめぐっては、安倍政権の下で私的懇談会(安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会)が今秋に向けて報告書を準備し、いよいよ行使容認へ政治決断がなされる秒読み段階に入っているという状況が伝えられていました。私は、内閣の方針が変わったのであれば、内閣に属する法制局も解釈を転換するべきであると考えてきましたので、この人事断行は間違いなく、我が国の安全保障法制における画期的な出来事であると思います。自衛権の行使をめぐっては、個別的(自力で行使するのみ)も集団的(同盟国などと協力して行使)も区別しないというのが国連憲章の基本的な考え方、すなわち世界の常識です。したがって、日本にしか通用しない変則的な解釈を是正することは、長年我が国の安全保障政策にとって重要な課題でした。


 ただし、法制局長官の首を挿げ替えてこれまでの法制局解釈の積み重ねを否定するのは法治主義の崩壊だなどとする批判も高まっていますので、この際、私のコラム「長島昭久のリアリズム」を愛読してくださっている方々に、私の考え方をお伝えしておこうと思います。そもそも、法制局が違憲と解釈してきた「集団的自衛権の行使」とは、具体的に一体何なのでしょうか。行使に賛成する人も反対する人も、その対象となる集団的自衛権によって何ができて何ができないのか、という点で共通認識がなければ議論になりません。そこで、今回から3回に分けて、集団的自衛権をめぐる議論について、過去の法制局答弁を紐解きながら詳しく解説していきたいと思います。(つづく)


(衆議院議員 長島昭久)