池松壮亮『だれかの木琴』で、東監督から受け取った思いとは。

巨匠・東陽一監督が放つミステリー『だれかの木琴』

 平凡な主婦・小夜子の心の隙間に、ふと入り込んだ美容師・海斗。彼女はやがて、抑えきれないほど海斗への執着を強めていく…。『わたしのグランパ』の名匠・東陽一監督が、直木賞作家・井上荒野の原作をもとに複雑な思いが重なり合い、ねじれていく男女の関係をスリリングに描いた映画『だれかの木琴』。海斗を演じたのは、2014年の映画賞を総なめにした同世代を代表する俳優・池松壮亮。作品の規模やジャンルを問わずに挑む、映画俳優としての生き方を語る!

撮影・上岸卓史

映画には“魔力”があって、
幸福な瞬間が訪れることを、信じつづけてしまうんです。

池松壮亮(以下:池松)「不倫とかストーカーとか、一見いかにもドロドロの男女関係を描いた作品では、と思われがちなんですが東監督が描きたかったのは、そこではないんです。そういうドロドロを期待して作品をご覧になると、予想していない形で引き込まれると思います(笑)」

 静かに変貌していく小夜子。戸惑いながらも、その変貌を見届けようとするかのように、小夜子と向き合う海斗。ミステリアスな物語が浮き彫りにするのは現代人の孤独だ。

「僕が本作を興味深く感じたのが、現代に生きる人間の孤独、それを飄々と見つめる監督の目線でした。小夜子でもなく、海斗でもなく、監督は、ある意味“神の目線”に立っている気がしました。監督は、人間の孤独を否定も肯定もしていない。監督の思いは、ラストで描かれる小夜子の姿に現れていると思います」

 これまで官能的な題材にも幾度となく挑んできた池松が、東監督作品で、常盤貴子演じる主婦の心をとらえる美容師を演じるとなれば、確かにあらぬ期待をしてしまうかも…。

「まあ、僕が観客でも“またお前か”と思うでしょうね(笑)。東監督が官能的に見せたいと思えば、いくらでもやれるでしょう。僕もこれまで、そういう作品をやってきましたし。ただ僕は、現代でいうところの“色気”という言葉をまったく信じていないんです。そんなの、やろうと思えば誰だってできるくらいのものだと思うんです。モテるタイプが時代によって変わるようなもので、昔とは価値観が変わっただけなんだと思いますが、僕が信じている色気というのは今、世に氾濫しているものとはだいぶ違うんです」

 小夜子が見せる、謎めいた微笑み。小夜子の髪に触れる海斗の指。ハッとする“色気”がそこにはある。

「東監督ご本人も、すごく色っぽい方なんですよ。あれは背負ってきたものがある人が持つ、人間としての色気なんでしょうね。僕が感じる色っぽさというのは、その部分に宿るように思います」

 東監督は現場でキラキラしてるんですよ、と目を輝かせる池松。

「少年みたいに、本当に楽しそうなんですよね。映画に人生をかけてきた人と26歳で出会えて、その映画屋人生の片鱗を少しずつ見せてもらいながら、何かを吸収しようと必死になって…。昔の、僕が出会えなかった黒澤明や小津安二郎、成瀬巳喜男といった映画監督たちの作品を見れば、そのときの思いはフィルムに刻まれていて、すべてではなくても受け取ることができる。でも今回は直接、一番近くで思いを受け取ることができた。本当に幸せだと思いました」

 普段、監督とはどんな会話を?

「最近見た映画の話なんかもしましたね。悪口で盛り上がりました(笑)。映画談議を81歳の巨匠と楽しめるなんて改めて映画という共通言語を持ったことの幸せを感じました。僕はもともと作品を見ると、それを撮った監督と気が合うかどうか、なんとなく分かるんです。ほとんど狂いがないですね」

 池松が一緒に仕事をしたいと感じる作り手とは?

「人を信じている人。それはやはり、映画とは、人が作って人に見せるものだから。現場に人がいて、その先にはお客さんがいて。顔が見える人見えない人、いろんな人たちが関わって、さらにはその作品が生まれる背景にも多くの映画があって…。だから“人”に興味がないという人には、僕もあまり興味はないです」

 今年は10本近い出演作が公開になる。

「今年はとくに公開本数が多くなっているんですけど、小さな役もやらせていただいていますし、撮影期間が短いものも多いですから。本作は2週間、『セトウツミ』は1週間くらいでしたね。実質、1年のうち半分くらいしか現場で働いてないんじゃないかな(笑)」

撮影・上岸卓史

 本人はそう笑うが、これは一つの作品に集中するためでもある。

「1年とか長期間かける作品は別として、基本的には撮影中の映画を同時に複数抱えるということを、僕はしていません。お話を頂いたときにダブっていたら、それは縁が無かったと端から諦めます。やっぱり、責任を持って一つの役に集中したいという思いがあるので」

 子役として映画デビューを果たした池松だが、高校卒業時に退路を断つほどの覚悟で役者の道へと進んだ。

「高校まで福岡にいたんですが、もう地元には戻れないという思いで上京しました。それまでは学校生活があって、野球をやったりもして、たまに役者の仕事があるという感じでしたが、そのときに優先順位が変わったんです。大学の映画学科に進んだのも、ある意味逃げ場をなくすためでもあったし、今まで漠然と映画に出てきたけど、自分がどんな世界に立とうとしているのかをちゃんと理解したかった。大学での4年間は必死に映画を見漁って、芝居について、俳優について考えて。みっともなくらい必死でしたね。映画に魂を売ったかというくらい」

 退路を断つほどの覚悟を決め、みっともないほどのめり込みながらも、遊びを感じる姿勢を失わない。

「10代のころから映画屋と呼ばれる人たちに出会ってきたので、その影響だと思います。彼らはみんな共通して、すごく不真面目ですごく真面目。それを行き来している感じがすごくかっこよくて。彼らの姿に学んだことは、常に心のどこかで意識しています」

 静かな語り口調の中にも、ユーモアとひたむきさ、情熱が混じる。まさに映画屋の血筋。

「なぜかネガティブなタイプと思われがちなんですけどね(笑)。普通にシンプルな人間なんです。オフの日も映画を見たり、コーヒー飲みながら本を読んだりしかしてないし。最近、見て面白かったのは『デッドプール』。この手があったか、やられた、と思いました(笑)」

 最後に、池松にとって俳優の醍醐味を感じる瞬間とは。

「それは突然、訪れるんです。撮影中なのか、完成したときなのか、お客さんに届いたときなのか。1作品に必ず訪れるというものでもなく、ひどいときには何年も感じられない時期もありました。でもやっぱり映画には魔力みたいなものがあって、その瞬間が必ず来ると信じつづけてしまう。映画の世界にいるから、役者をやっているからこそ、得られる幸せを確かに感じています」

 これからも彼は役者として多くを背負い、肥やしにしていくはず。それが彼の“色気”の源なのだ。

c2016「だれかの木琴」製作委員会
『だれかの木琴』

監督:東陽一  出演:常盤貴子、池松壮亮他/1時間52分/キノフィルムズ配給/11月、シネマ・クレールにて公開!  http://darekanomokkin.com/http://darekanomokkin.com/