【インタビュー】菅官房長官の天敵?「新聞記者」著者 望月衣塑子記者

 今年6月6日、首相官邸で行われる菅義偉官房長官の会見に一人の見慣れない女性記者がいた。記者は次々に菅氏にするどい質問をぶつける。その様子がテレビやウェブで報じられるようになると、にわかに官房長官の会見に注目が詰まるようになった。その人こそ、東京新聞社会部の望月衣塑子記者。10月に『新聞記者』を上梓した望月記者に話を聞いた。

撮影・蔦野裕

 

「報道の在り方とはどうあるべきか」ということを考えてもらえれば

 望月さんの名前が出始めたのは今年6月。もっと前から騒がれていたイメージです。

「まだ5カ月ほどですね。本来、あの場は各社の政治部所属の記者が入るところ。私は社会部の所属ですし、菅長官の番記者でもありません。でも森友学園と加計学園の問題をずっと追いかけているうちに、もう菅さんに聞くしかない、自分で聞きたいということで乗り込んだのです」

 すっかり名前も顔も売れてしまいました。そのメリットとデメリットいうのは?

「テレビには出ているわけではないですから、道端で声をかけられるといったことはないですよ。記者会見も菅さんを映しますから、基本的に後ろ姿だけですし。声は覚えられたかもしれませんが(笑)」

 でも本書で、望月記者の顔を知る人は随分増えるでしょう。

「狙われますかね(笑)。知られるようになり、いいこともありますよ。例えばフェイスブックなどに何かのネタを書くと多くの人にシェアされて広く発信できるようになったのはありがたいなと思います。こうして取材していただいたり、講演会に呼んでいただくことも増えて、これまで新聞を通してしか伝えられなかったことが、別の方法でも届けられるのはうれしいですね。同時に一部のメディアからは、コメントを部分的に切り取られたり、意図したことと違う見出しを付けられるなど、書き立てられるようになって、バッシングを受けるようになりました。北朝鮮のスパイと言われたり……。9月に私が会見でした質問に対して、首相官邸が東京新聞に注意文書を送ったあたりから、ネット上では“望月はなんだ!”っていう感じになったようです。私はネットでの自分に対するネガティブな書き込みなどは見ないのですが、友人や取材先の人から“大丈夫なの?”と言われるようになったので、よほど書かれているんだろうな、とは思っています。でも今の日本社会の状況を世の中に伝えて、“官邸、政権がやっていることは正しいのか”、“報道の在り方とはどうあるべきか”ということを考えてもらえれば、それはそれでいいのかなと思っています」」

 先日、海外でも権力に対抗していた女性記者が爆殺されるという事件があったばかりですから。

「あれは本当に怖いですよね。日本だとさすがに爆殺というのはないと思いますけど」

 報道における新聞とネットの特性とか違いについてはどう思います?

「現場に足を運び、“おかしいな”と思った朝日新聞の記者がいなかったら、モリカケ(森友・加計)問題も世に出ていなかったと思います。オールドメディアといわれる新聞ですが、ならではの組織力ですよね。ウェブ媒体は拡散の仕方はすごいし見やすいし、速いのですが、ではそもそも、このデータの出元はどこかとたどると、朝日とか既存のメディアの記事がベースだったりする。ネットなどの新しいメディアでは、まだそれだけの組織力や取材力のあるところは少ないし、ノウハウも蓄積が十分にされていないと思うんです。そういった部分の力はまだ新聞といったメディアのほうがあるのではないかと思います」

 

菅さんもああ言うしかない。ある意味、苦しいと思います

 記者生活の中で社会部のキャリアが長い。その中で政治家との接点って?

「あまりないんです。2004年に追いかけていた日歯連の闇献金問題で、野中広務さんの家に行って自宅のチャイムをピンポーンって鳴らして、 “最後にお金を受け取っていませんか?”と聞くような取材はしていましたけど(笑)、それ以外に政治家取材というのはありませんでした。でも2014年からは日本の武器輸出問題を取材するようになり、また現在のモリカケ問題と、議員の方にお話をうかがうことがあって、少しつながりはできるようになりました」

 望月記者が物心ついたころの政治家ってどんな人がいました?

「中曽根康弘さんですかね。私の祖母が“中曽根さんってかっこいいよね”って見入っていたのを覚えています(笑)。冗談で、“この人みたいな人見つけなさいよ”と(笑)」

 その時代と比べて今の政治家ってどう思います?

「私が東京地検特捜部の担当で日歯連事件を取材していた時は、検事さんから“亀井静香議員は秘書から人望があるがカネに汚い”とか “野中議員は悪い”とかいろいろなことを吹き込まれて、“なんとかこの人の不正を暴かなければ”という感覚でした。でも、今思うと野中さん、古賀誠さんなど、当時はハト派の人たち力を持っていて、自民党内は今よりずっと党内議論があってバランスが取れていたように思います。
 最近も古賀誠さんが、戦争を体験した立場から、今の安倍さんの方向性や安保法制について“間違っている”と日本の状況を憂いていますよね。でもあまり広がりを見せません。
 今は小選挙区制ということもあり、安倍1強が長く続いていますが、そのなかでも党内がもう少し割れていればバランスが取れるのではないかと思うんです。かつてはもっとそれぞれの派閥に存在感があって、取材する側の記者もいろいろな意見が言えました。今は党内が全然割れないこともあり、厳しいことも言えなくなってしまっているのかな、と思います。それは菅長官の会見で漂う空気感も同じなのですが」

 それを踏まえたうえで菅さんのことはどういうふうに見ています?

「東京新聞で高校生4~5人に密着選挙ルポを頼んだんです。各党を回って取材をしてもらったんですが、選挙の菅さんの第一声を見て、“白雪姫に出てくるこびとみたいでかわいい”っていっていたというのです(笑)。高校生にはそう見えるんかい?って思いました (笑)。
 実際、官邸番のみなさんが一丸となって私に抵抗するくらいの人望があるのかもしれません。女性記者を優遇しないとか、各社平等に扱うとか、そういうところに対して信頼感があるとも聞きます。本当に細かいところに気が付く方だそうです。いや、作戦のところもあるとは思うんですけどね(笑)」

 今は官房長官という立場上、望月記者に対してもああいう立ち居振る舞いになっているところもある?

「本来の菅さんは今のような対応ではなかったというという人もいますよね。昔、総務大臣の時、本当にこれは変えるべきだと思ったことに関しては、みんなが注目していないものでもやり遂げた。やはり志がある人なんだと思っていたけど、今の会見とか国会のやり取りを見ていて、長く務めることの弊害が出ているんじゃないか、変節した、と思う人もいるようです。
 あと菅さん自身も安倍さんあっての自分というのがよく分かっているのかもしれません。安倍さんが崩れたら自分も終わりという気持ちも。だからモリカケも1閣僚の不祥事だったら安倍さんに進言して、すぐに飛ばして辞めさせていたと思います。だけどあれは安倍さんや昭恵夫人が絡んでくる問題だから菅さんもああ言うしかない。ある意味、苦しいのではと思います」

 子どものころ演劇少女だったんですね。

「母は芝居が好きで、『劇団黒テント』や早稲田の小劇場に所属していました。1980年代の小劇場ブームのころ、小学校低学年くらいから母に連れられて『劇団青い鳥』とか『夢の遊眠社』などの芝居を一緒に見ていました。小劇場なので、演じるほうも見るほうもみんな汗だく。一体感というんですかね、そういう雰囲気が楽しくて。観客に子どもはほとんどいませんから、そういう大人の世界を自分だけ知っているんだ、といううれしさもあったと思います。
 母は自分が20代の後半になってから舞台の面白さを知ったので“早くこの世界の面白さに触れさせて、舞台女優になってほしい”と思っていたようです。しかも私自身が『ガラスの仮面』にすごくはまってしまって。紅天女ですね(笑)。しょっちゅう真似ばっかりしていました。
 小学校4年生のときに練馬の児童劇団に入って、演じることに夢中になりました。オペレッタの演出をやったり、役者をやったり。学校の文化祭でも脚本から演出、出演と、あれこれしていたので、中学の時の友達からは、舞台女優になると思っていたと言われます。
 その後、中学の2年生くらいだったと思いますが、吉田ルイ子さんの『南ア・アパルトヘイト共和国』という本を読んでからちょっとずつ考え方が変わっていきます。父が業界紙の記者をしていた影響もあって、こちらの道を目指すようになりました。演じることは面白いのですが、あくまでもフィクション。今なら、お芝居というのは現実の世界を踏まえながら創られ、聴衆に問いかけられていく、ということは分かるんですけどね。吉田さんの本を読んだあたりから、もう少し生の現実を直接観察できるような仕事がいいな、と感じ始めたんです」

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