「自分の名前で生きる」【SOD女子社員・負け犬女の働き方改革】#3

「友達が少ない」がコンプレックスの一つだったので、女友達と出かけることを意識的に行っています。
 今でこそ自分がおかしかったような気もするが、3年くらい前の私は、本当にソフト・オン・デマンドの社員であることが心の底から誇りだった。
いつ何時も、仕事中もプライベートでも、自分がSODの名に恥じない行為をしようと心がけていたし、なぜか特別な使命を受けていると勘違いしていた。

 それが崩されたのは2017年頃、突然の部署異動の辞令だった。
私がやっていた仕事は特別な仕事ではなく、他の誰でもできる仕事だと言われた気がして、心が折れ、もう会社を辞めようと思った。

 いざ会社を辞めようとしたとき、さらなる壁にぶつかった。
 自分の得意な仕事がわからない。
 それまでの私の仕事を支えていたのはプライドとやり甲斐で、いざ何ができるのかと客観視したときに、「営業職」とか「広報・PR」とか、そういったわかりやすい特技が何もないのだ。
 世の中で成功している人はきっと自分を俯瞰して、キャリアを作りながら仕事をしているのだということにようやく気付いた。
つまり自分を俯瞰して見れていない時点で、自分はもうすでに「負け組」だったのである。

 そしてそれよりも大きく立ちはだかったのが、「SOD社員である自分」だった。
 この会社を辞めたときに、誰が仲良くしてくれるのだろう?
 誰が私に価値を見出してくれるのだろう?
 友達はみな、少し変わった業界にいる人間だから面白がって付き合ってくれているのではないか、そんな不安に駆られた。
 SOD社員でない私に、面白話のできない私には、用は、ない。

 だから怖くて、辞めるということを会社に言えなかった。
(ちなみにその結果、部署異動した2017年の年末に、ありがたいことに元の部署に戻ることになり、結果今でもSODで働いている)

 上の世代はとっくに自分の場所を確立していて、同世代はどんどん自分の場所を作り始め、自分より若い世代はそもそも自分の立場や立ち位置がわかった器用な人しかいない。
 こんなに優秀な人しかいない世界でこれ以上生きていける気がしない。
そんなことを考えていた矢先に、2回前の記事で書いた忘年会が行われたので、さらに自信はそがれるばかりだった。


 それからさらに時間が経った今では、いかに自分が自分の人生を生きていなかったかがよくわかる。
 SODの社員として「こうすべき」「こうあるべき」と私がイメージする規範から、いかにはずれないかばかりを重視して生きていたのだ。
 社会に出てから十数年で私は、SOD社員ではない自分に価値を見出すことができない、自信のない人間になってしまった。

 だから今こうして書いているこれらの文章も、「SODの田口」ではなく、ただの「田口桃子」として生きていく練習というかリハビリなのである。
前回書いた、本名顔出しで文章を書く意味は、SOD社員としての仕事以上の、私自身の言葉を紡ぐことにあるのではないだろうか。
田口桃子(たぐち・ももこ)
GIRL’S CHプロデューサー。2007年、新卒でソフト・オン・デマンド(株)に入社。
営業、マーケティング等の部署を経て、2012年よりGIRL’S CHの立ち上げに携わる。
以来現在まで、GIRL’S CHの現場リーダーとしてサイト運営をしつつ、オリジナル動画ではレポーター出演等をすることも。