佐藤浩市×吉岡里帆 東京2020で沸く日本。そして世界に届けたい 映画『Fukushima 50』

 あの日、あなたはどんな思いで白煙が上がる原発の姿を見守っていたか…忘れかけていた当時の感情とともに、語り継ぐべき大切な思いがよみがえる…!2011年3月11日。東北地方を襲った巨大地震に伴う、福島第一原子力発電所事故発生時に、発電所に留まった約50名の作業員たち・通称「Fukushima 50(フクシマフィフティ)」の闘い。最前線の現場リーダー伊崎利夫を演じた主演・佐藤浩市と、その帰りを待つ娘・遥香を演じた吉岡里帆が、本作そして復興への思いを語る。
撮影・蔦野裕 [佐藤浩市]ヘアメイク・及川久美(六本木美容室)、スタイリスト・藤井 亨子 [吉岡里帆]ヘアメイク・渡辺了仁(Carillon)、スタイリスト・ちばひろみ、衣装協力・ワンピース 1万8000円、ブラウス1万500円(SNIDELルミネ新宿2店 03-3345-5357)

Fukushima 50を描く…俳優たちの覚悟


 福島原発事故発生直後から、その予断を許さない状況を伝えていた海外メディアはやがて、そこに残った作業員たちを“Fukushima 50”と呼び、世界にその存在を伝えた。

佐藤浩市(以下:佐藤)「僕も震災当時、彼らが海外でそう呼ばれているということを、メディアを通じて知りました。まず50人が残ったということ、50歳以上の作業員だったということからそう呼ばれている、という。でも、僕も当時はそれくらいの情報しか知りませんでした」

吉岡里帆(以下:吉岡)「私も、若松監督と最初にお話しさせていただいて、Fukushima 50の皆さんについて詳しく知ることができました。監督からは“多くの人が知らない、ということを知ってほしい”と言われました」

佐藤「実際、日本国内でも十分に伝えられてはいなかった。後から、いろいろな話の中で、相当深刻な状況だったらしいよ、といったことが聞こえてきたりはしても、彼らが実際にどういう状況下にあったのか、彼らがなぜ原発内に残ったのか、知らない人は今も多いと思います。あのとき残ったのは、ほぼ地元の作業員たちだったということも含め、メディアでもあまり取り上げられていなくて。伝わっていないことがけっこう多いんですよね」

 佐藤が演じるのは、福島第一原発1・2号機当直長・伊崎利夫。地震発生直後、原発の緊急停止を指示した後も、最前線である中央制御室で現場の指揮をとり続けた当直長だ。

佐藤「最初に、監督やプロデューサーと話をして、一番大事なことは“何らかのプロパガンダにはしないこと、偏らないこと”ですよね、という共通認識を持つことができました。あの場所で何が起きて、どういう人たちがそこにいたのか事実をありのままに伝えること。そして、日本人は、人間はこれからどう生きていくべきか、映画として答えを提示するのではなく、見た人それぞれが考えるきっかけになること。“負の遺産”を残してしまったかもしれないけど、それをこの先どうするのかも含めて、みんなが考えなければいけないことだと思うから。実際に起きたことを描く際、それが一番大事ですよね、という話を監督たちとすることができて、参加を決めました」

吉岡「私は以前にお仕事で、富岡町(福島第二原発がある)にお住まいだった方に故郷への思いを取材させていただく機会があったのですが、そのときのことが大きく背中を押してくれたように思います。震災当時、私はまだ高校生で、関西に住んでいたので直接的な被害もなく、ニュースを通して状況を知り義援金を送るくらいしかできませんでした。それから数年後に当時現地にいた方から直接お話を伺う機会を頂いたわけですが、本当に切なく苦しい、すごくセンシティブな故郷への思いにふれ、強く胸を打たれました。そのすぐ後に本作のお話を頂いたので強いご縁を感じて、出演させていただきたいと思ったんです」

 原発自体が多くの議論を抱えるセンシティブな題材であるうえ、未だ収束していない原発事故を扱う本作への出演は大きな決断だったのでは。

佐藤「確かに俳優にとっても非常に難しい題材だと思います。中には、キャリアにとってネガティブになりかねないと判断する事務所もあるでしょう。それでも本作に参加してくれた方々は、そういったことも乗り越えてこの作品作り上げた。完成した作品を見て、本当に参加してよかったと皆さん、仰っていました。もちろん僕も含めて、大きな意義を感じることができる作品になりました」

吉岡「佐藤さんが現場で“出演するの悩まなかった?”と聞いてくださったことを今も覚えています。確かに、出演を決めるのに勇気が必要な作品でした。でも、被災地の方々から直接声を聞く機会を頂いたことが背中を押してくれました。私もまだ知らないことが多いですし、これから年代的にも震災を経験していない世代が出てくる。そういうとき、知ろうとすることがまず大事なことだと思います。劇中にも“お前たちは第二第三の復興を担う世代なんだ”というセリフが出てくるんですが、私もせっかくオファーを頂いたなら自分ができることを全うしようと思いました」

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