根木慎志「2度目の東京パラリンピックは、 世界に何を伝えられるか」

「パラリンピックの成功なくして、東京大会の成功なし」。障害のあるなしに関わらず、誰もが輝く社会の実現を掲げた8年間、東京2020大会の真価が試される時がやってきた。世界で初めて、同一都市で開催される2度目の夏季パラリンピックが8月24日、開幕する。2度目のパラリンピックが開催されることの意義や、私たちが向き合うべき「多様性と調和」について、東京2020大会選手村パラリンピックビレッジの副村長であり、シドニーパラリンピック車いすバスケットボール日本代表キャプテンの根木慎志氏(日本財団パラリンピックサポートセンター 推進戦略部 あすチャレ プロジェクトディレクター)に聞いた。

日本財団パラリンピックサポートセンターは、「一人ひとりの違いを認め、誰もが活躍できるD&I(ダイバーシティ&インクルージョン)社会」を実現するために、パラスポーツを軸にしたD&Iプログラムを日本全国に展開。パラリンピックの成功に向けた「パラリンピックスポーツの基盤強化」をはじめ、障害当事者と一緒に知る、学ぶ、体験する「パラスポーツの教育・普及啓発事業」などに取り組んでいる。 撮影場所・日本財団パラリンピックサポートセンター  撮影・蔦野裕

原点回帰の1年

「いよいよという感じですよね。もちろんいろいろなことがありましたが、改めてこの1年、特に大会が近づくにつれ、さまざまなきっかけを思い出しました。2013年、2020年大会の開催地の発表を駒沢公園で見守った瞬間も何度も思い出しました。あのとき招致のテーマが、“今、ニッポンにはこの夢の力が必要だ。”というものだったんですね。本当にそうだなと。あのときは、東日本大震災からの復興の意味を込めたオリンピック・パラリンピックでしたが、そこからさらに豪雨災害や新型コロナウイルスの蔓延があったりして、日本や世界にいろいろなことが起こりました。改めて“スポーツの力や夢の力って大切だな”と思います」

 史上初の無観客で、静けさのなか戦うアスリートたち。招致活動にも携わっていた根木は「当時、僕らが思い描いていたものとは違ったかもしれない」としながらも、「今の大会がダメなのかといえば、決してそんなことはない」という。開催された意義を改めて語る。

「過去の大会が開催された時代背景や歴史を振り返って、もう一度、“オリンピック・パラリンピックって何なんだろう”ということを考えたんですね。近代オリンピックの父と呼ばれるピエール・ド・クーベルタンさんがすごいなと思ったのは、当時(19世紀末)から、もうスポーツを通じて、教育事業をやっていきたいということを大切にされていた。今は当たり前のようにオリンピック・パラリンピック教育が行われていますが、今回の東京大会をクーベルタンさんはどのような思いで見ているのかなと、思いを馳せたりしました」

「パラリンピックもそうです。1945年、医師だったルートヴィヒ・グットマンさんが、イギリスのストーク・マンデビル病院で、第二次世界大戦で負傷した兵士たちを治療して、“医者として、何かこれ以上できることはないのか”と考えたときに、スポーツを治療に取り入れることを思いついたわけですね。今では誰もが“スポーツをしたほうが良い”と思うかもしれませんが、そう考えられるように至ったのも、グッドマンさんの原点があるから。つまり、それまでの価値観まで変えたんですね。3年後の1948年には病院内で「ストークマンデビル競技大会」を開催しました。この1948年はロンドンオリンピックの開会式で、その時のグッドマンさんのスピーチが素晴らしく、「将来的にこの大会が真の国際大会となり、障害を持った選手たちのためのオリンピックと同等な大会になるように」という話をしてます。それから18年後、僕が怪我をした高校3年生の頃には、地元に車いすバスケットボールチームがあった。いろいろな歴史の先に、僕たちのオリンピックやパラリンピックがあるということを感じました」

 スポーツ観戦が日常から遠のいた中で迎えた東京オリンピック開幕。さまざまな思いがあふれ出た。

「選手たちの競技をテレビで見て、家で久しぶりに大きな声を出して応援して忘れかけていたものを思い出しました。スポーツの価値・力は、言葉では言い表せないもので、いろいろな涙が出ましたね。悲しい涙、やってよかったという涙、頑張ろう、伝えようという涙。思いが込み上げました」

1 2 3 4 5>>>