「手間」を「愛」だと考えてみると、品のあるなしは、愛でうめてみませんか?〈徳井健太の菩薩目線 第149回〉


“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第149回目は、品と愛について、独自の梵鐘を鳴らす――。

 自分で言うことではないけど、品があまりない人間だと思う。よくよく思えば、この歳になるまで品というものを真剣に考えてこなかったような気がする。まぁ、あってもなくても別にいいじゃないのって。

 最近、ニュースなんかを眺めていると、「別にそれでもいいんじゃないか」って思うことに対して、世間一般は「品がない」とか「独りよがり」なんて反応をしていることが少なくない。そんな世間のアレルギーを見ると、間接的に自分も「品がない」と言われているような気がして悩ましい。

 歯医者や美容室のイスは上下に動く。高さを調節するために必要な構造なんだろうけど、前々からムダなことだと感じていた。 高くなったところで、歯の治療が早まるわけじゃない。ほんのちょっとの調整。そんなもん必要なのか……なんて考える俺を無視して、いつも高さは調節される。

 ついこの前も、「早く治療してくれないかなー」と思っていた。はっとした。自分は何て品のないことを考えているんだろうって。

 包装紙もそうだ。きちんと包装紙をたたんで保管している人を見ると、なんでわざわざそんなことをするんだろうと思っていた。その包装紙をいつ使うんだろう。使わないのに、きれいに折りたたんでいるのであれば、そんなにムダなことってないんじゃないか。使わないなら、がさっと破いても問題ないよね……、あ、これも品のない考え方。ちょっと前なら気にしなかったのに、ここ最近はそんな些細なことに対して、自分の品のない考え方に疑問を持つようになってしまった。

 無機質に手渡された贈答品よりも、包装紙に包まれた贈答品を手渡された方がうれしいと考える人の方が圧倒的に多いと思う。でも、俺は無機質に渡されたとして、何も嫌な気がしない。タクシーに乗るとき、わざわざ運転手さんがドアを開けてくれるのも、無駄なことのように見えてしまう。それをしてもらったところで運賃が安くなるわけでも、目的地に早く着くわけでもない。合理的に考えれば考えるほど、品とはかけ離れていくことに気が付いたとき、「いい大人なんだから」と、自分を戒めることも必要なんじゃないかと思い始めてしまったのだ。このままじゃ、心が貧乏なおじいさんになってしまうよなぁ。 

 だけど、人間の性格というのはなかなか変わらない。ことあるごとに合理的に考えてしまいがちな自分を、どうすれば「品のある」人間にできるんだろうか。

 難しい。

 少しイスを高くするとか、包装紙で包むとか、ドアを開けるとか、そうした行為は、いつもより手間をかけるアクション。この手間をかけるって視点が、ミソなのではないかと考えてみたい。

 俺は、わざわざラッピング代を出してまで包装紙で包むなんてことはしない。でも、料理をする身からすれば(私、徳井健太は結構料理が好きなので)、手間をかけるという行為は大事だと思う。

 たとえば、下処理をしないと考える人がいたとき、「いやいや、面倒かもしれないけど下処理はしようぜ」とつっこんでしまうし、実際問題として、下処理をしてから料理に取り掛かった方が圧倒的に完成度は高くなる。それに、がんばって作った料理を、一口も食べずに「好きだから」という理由だけで七味唐辛子をかけられたら、俺だったらムッとするに違いない。

 包装紙をビリビリと破いてしまうのは、せっかく作った料理にドバドバと七味唐辛子を振りかける行為と同じかもしれない。あ~これからは、「そんなことする必要ないのに」じゃなくて、「ありがとう。ナイス一手間」と心の中で唱えてみようじゃないか。 

 世の中にはいろいろな「一手間」がある。 それを「愛(情)」だと解釈してみると、すっと喉元をすぎるような気がしてきた。大好きなラーメンだって、どれだけ手間がかかっているか。「そんな作り方は合理的じゃない」なんて批判されたら、二度とラーメンを食うなとか何とか言ってしまいそう。

「これは理解できる」けど「あれは理解できない」。人の好き嫌いの境界線は、あやふやだ。自分で品がないと言っておきながら、カレーライスをぐちゃぐちゃに混ぜて食べる人を見ると、「品がない」と思ってしまう。結局、人間なんて自分勝手な生き物だから、自分の尺度で何事も測りがち。「俺はこういう人間だから」と割り切るのは簡単だけど、どんどん歳を重ねていく中で、そんな割り切り方って、ちょっと雑だよね、やっぱり。

だからこれからは、「手間」がかかっているものを見たときは、「愛」だと思って見てみようと思う。そこに愛を感じたら、その分だけ自分も愛を示す。それが「品」へと様変わり。品を埋められるものは、愛なのかもしれないね。

 

【プロフィル】
1980年北海道出身。2000年、東京NSC5期生同期の吉村崇とお笑いコンビ「平成ノブシコブシ」結成。「ピカルの定理」などバラエティ番組を中心に活躍。最近では、バラエティ番組や芸人を愛情たっぷりに「分析」することでも注目を集め、22年2月28日に『敗北からの芸人論』を発売。「もっと世間で評価や称賛を受けるべき人や物」を紹介すべく、YouTubeチャンネル「徳井の考察」も開設している。吉本興業所属。
公式ツイッター:https://twitter.com/nagomigozen 
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