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売れるきっかけになったものは、その芸人の“売り”だと思う。平成ノブシコブシは、ロケをやったほうがいいんだよね。〈徳井健太の菩薩目線 第159回〉

2023.01.30 Vol.web original

“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第159回目は、平成ノブシコブシによるロケの意味について、独自の梵鐘を鳴らす――。

 相方である吉村とロケに行ってきた。二人でロケに行くときは、そのほとんどが俺たち以外の出演者もいる現場だ。だけど、今回は久しぶりに平成ノブシコブシ二人っきりで、一泊二日のロケ仕事。場所は沖縄だ。

 1月28日に放送されたテレビ東京『土曜スペシャル 草刈らせてもらえませんか? 人情ふれあい草刈り旅 いざ絶景島へ』。俺たち二人が、最新の草刈り車に乗り込み雑草の処理に困っている場所を見つけ、人助け(草刈り)をする――。あまり耳にしたこともなければ目にしたこともないロケだと思うので、好きな人にはズドンと心の臓に刺さる番組になっているのではないかと思う。見逃した方は、見逃し配信でも視聴できるので是非。久しぶりの平成ノブシコブシオンリーのロケ、いかがだったでしょうか?

 元来、俺が思っていることの一つに、「売れたきっかけになったものは、その芸人の“売り”のポイント」ということがある。例えば、M―1をきっかけに売れ始めた芸人はずっと漫才をやった方がいいと思うし、キングオブコントできっかけを作った人はコントをやり続けた方がいいと思う。クイズ番組で結果を残せるようになった芸人は、クイズを続けた方がいい……などなど、なんだってオッケーだ。恩人のようなジャンルの仕事は、辞めない方がいいと思っている。

 自分たちのことを、決して売れている芸人だなんて思っていない。

 だけど、世に出るきっかけとなり、芸能界一周旅行をさせてもらえるようになった、俺たちにとっての恩人のような存在は何だったのか? そんなことを考えたとき、世界に点在するさまざまな民族にロケをした『(株)世界衝撃映像社』こそ恩人だと思う。

 この番組があったから、その後『ピカルの定理』のレギュラーに選ばれ、息も絶え絶えではあったけど、いろいろな番組に出させてもらう機会をいただいた。

 あまり自分たちからは口にしたことはないけど、心の中では「平成ノブシコブシは、ロケをやり続けるべきだ」と思っていた。できれば常識にとらわれないようなロケを。

 あれから干支が一周して、俺たち2人も随分と大人になった。そんなタイミングで、たった二人でロケをやらせていただけるという機会は、とても運命めいたものを感じたし、こういった機会を作っていただいたスタッフの皆さんには、感謝しかない。

 時間というのは面白いものだなと、つくづく思う。若い頃は、ロケへ行けば、お互いに衝突することが少なくなかった。でも、今回のロケはお互いにフラットに肩ひじ張らずにできたような気がする。

 それって、どこかお互いが芸人であることを放棄していたからかもしれない。と言っても、責任までは放棄しない。ロケをする中で、一緒に行動を共にする芸人やタレントがいれば、俺たちも芸人という役割をまっとうすると思う。だけど、今回は右を見ても左を見ても吉村しかいない。無理やりボケたり、無理やり目立つ必要はない。 仕事として一生懸命向き合うけれど、変に芸人ゲイニンせず、等身大のおじさん二人で臨めたというのは、歳を重ねたからこその妙技というか。

 過酷なロケだった。でも、懐かしい。『(株)世界衝撃映像社』を思い出すような疲労感を覚えながら、1日目のロケを終え、宿のベッドの上で寝転がった。ふと天井を眺めていると、「吉村とロケしてるんだなあ」なんて感じ入ってしまって、目が冴え、寝れなくなってしまった。明日も早朝からロケだというのに、俺は一体何をやっているんだろう。

「気分転換しよう」。何か曲を聴こうと思って、太田裕美さんの『木綿のハンカチーフ』 椎名林檎Verを聴いた。真夜中だというのに、脳からドーパミンがドバドバと分泌されていたからだろうか、『木綿のハンカチーフ』の歌詞が脳天に響いてくる。

『木綿のハンカチーフ』は、地方から都会へと出た男性と地方に残された女性の遠距離恋愛の模様を描いた曲だ。明るい曲調もあって甘酸っぱい青春ソングのように聴こえるけど、よくよく最後まで歌詞を追うと、最終的に男性が別れを切り出すという残酷な歌でもある。一方的に別れを告げられた女性は、最後のわがままとして、涙を拭くための木綿のハンカチーフを下さい……それが、『木綿のハンカチーフ』の物語だ。

 俺たち2人がロケをした場所は、東京から遠く離れた沖縄だった。だからなのか、妙にこの歌詞の中に登場する二人の気持ちに没入できるところがあって、眠りにつくどころか、ますます眠りにつけなくなった。

 昭和の時代は、田舎を捨て、そして好きだった女性を捨てるぐらいの気持ちがなければ東京という世界では戦っていけないんじゃないのか。そんなメッセージが込められているのだとしたら、僕は旅立たなきゃいけない――。真夜中以上、早朝未満のトリップ感。時計を見ると、深夜の3時。明日は、 6時に起きなきゃいけないのに。

 平成ノブシコブシに、そんな覚悟はあったのか。そんな気持ちを持って東京から何百キロも離れた場所で、何を思ったのか。その模様を、是非皆さんに目撃していただきたい。2023年は、平成ノブシコブシのロケが増えたらいいな、なんて思う。増えなかったら、涙を拭くための木綿のハンカチーフを下さいな。

「プロ麻雀Mリーグ芸人」で再確認した、チームプレーの尊さ〈徳井健太の菩薩目線 第158回〉

2023.01.20 Vol.Web Original

“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第158回目は、「プロ麻雀Mリーグ芸人」について、独自の梵鐘を鳴らす――。

 1月12日に放送された『アメトーーク!』の「プロ麻雀Mリーグ芸人」、ご覧になっていただけましたでしょうか。

「見逃した」という方は、もしかしたらTVerでご覧になっちゃったかもしれませんよね。そうです。今年から『アメトーーク!』は、TVerでも見逃し配信をスタート。その一発目が、「プロ麻雀Mリーグ芸人」だなんて、こんなに縁起がいいことってありますか?

 参加したのは、私徳井健太に加え、『アメトーーク!』初登場となる田中裕二さん(爆笑問題)、じゃいさん(インスタントジョンソン)、 山本博さん(ロバート)、じろう(シソンヌ) ともしげ(モグライダー)、前田裕太(ティモンディ)といった麻雀を愛する、「Mリーグ」に魅せられた面々。田中さんのひな壇姿なんてめったにお目にかかれるものじゃない。

 精一杯、「Mリーグ」の魅力を語らせていただきました。『アメトーーク!』の収録は、いつだって緊張する。自分が好きなジャンルや得意なくくりをプレゼンするからこそ緊張するし、頭を悩ませる。

 今回は麻雀を知らない人でも楽しんでいただけるように、たとえをいくつも考えて臨んだ。番組の中でも、「四暗刻がどれぐらいすごいのか?」ということを説明するために、「M-1グランプリとキングオブコント、どちらも王者になった上で、双方のオチの一言を同じにするくらいすごいこと」と説明してみた――ものの、あんまり伝わっていなくて、「申し訳ない」と収録中に反省したほどだった。

 もう一つ、たとえさせていただいたシーンがあった。博さんが振り返った丸山奏子さんのデビュー戦。そこで戦った相手が、多井隆晴さん、滝沢和典さん、佐々木寿人さんという超猛者揃いだったため、いかに丸山さんの置かれた状況がすさまじかったかを説明するため、俺は「松本(人志)さん、内村(光良)さん、(ビート)たけしさんと戦うようなもの」と話した。

 そして、となりのじろうが「(丸山さんは)ぱーてぃーちゃん」とアタックを決めてくれたことで笑いが生まれたわけだけど、実のところは最適なたとえが浮かばずに、俺は死にそうになっていた。

「ぱーてぃーちゃん」の前には、じゃいさんが「宮下草薙じゃない?」なんて絶妙なトスを上げてくれていたんだけど、このときの丸山さんは宮下草薙ほどの実績もないから、「いや、違うかな」と生意気にも否定してしまった。何も浮かんでいないのに。じゃいさん、ごめんなさい。

 そして、じろうの「ぱーてぃーちゃん」と起死回生の小声が発せられ、スタジオは笑いに包まれた! ……この一連の流れに、やっぱりバラエティの収録はチームプレーが欠かせないのだと痛感した。『アメトーーク!』は、そんなことを心臓にまで届かせてくれる番組なんだよね。

 実は、じろうの小声のすぐ後に、俺は「ぱーてぃーちゃん」の中で、すがちゃん最高No.1こそが丸山さんの立ち位置だと説明したかった。ところが、その名前が出てこない。すると、ティモンディの前田が「すがちゃん最高No.1」とアシストしてくれ、「そう! 丸山さんはすがちゃん最高No.1なんです!」と蛍原さんに伝えることができた。

 放送では、その部分はばっさりカットされていたけど、「それでいいのだ」。じゃいさんがヒントをくれ、じろうが小声で起死回生のシュートを決め、前田がアシストする。全員で一つの笑いを生み出すために、必死にボールに食らいつき、あるのかわからないゴールを目指して、前に進む。日韓ワールドカップのときの対ベルギー戦でゴールを上げた鈴木隆行さんのように、精一杯、足を伸ばさなきゃいけない。

 つなぐからゴールが生まれるわけであって、その大切さを、あらためて今回の『アメトーーク!』の収録で学ばせていただいた。Mリーグに魅せられるのも、チームプレーの尊さがあるからなんだ。

『アメトーーク!』には、鬼の編集力を兼ね備えるスーパースタッフ軍団がいる。ゴールを目指すために力の限り走っていたら、必ず面白いポイントを編集力によって作ってくれる。

 放送を見ると、あたかも俺が思いついたように発言している一言も、ふたを開けると、ともにひな壇に座るチームのサポートがあって、その発言に行きついている。編集力によって、ズバッと俺が笑いを取っているように見えるだけ。その後ろには、たくさんの犠牲になったしかばねともサポートとも見分けがつかないコメントが転がっている。俺の一言ではなくて、それはチームの汗の結晶だ。そういうプレーがたくさん生まれた収録の後に飲む酒の――なんて美味しいことか。

 芸歴23年目。若い頃は、ひな壇に座った芸人とつばぜり合いをして、斬り合いをして、その先に笑いが生まれると思っていた。でも、刀は人を斬るためだけのものじゃない。守ることだってできるもの。お笑いは助け合いだ。

『酒と話と徳井と芸人』に、金属バットがやってきた。どれだけ本音を語ってくれたんだろう。〈徳井健太の菩薩目線 第157回〉

2023.01.10 Vol.web Original

“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第157回目は、『酒と話と徳井と芸人』#金属バットについて、独自の梵鐘を鳴らす――。

 音声コンテンツ『酒と話と徳井と芸人』に、金属バットがやってきた――。

 彼らは、だいぶ後輩だ。なのに、緊張する。恥ずかしながら、金属バットを目の前にして話をするとなると、緊張してしまう自分がいる。

 金属バットとは面識がなかった。ただ、記憶をたどると、たった一度、少しだけしゃべったことはある。3~4年前の『M-1グランプリ』の当日。俺は、何人かの芸人と一緒に10時間ぶっ通しで、『M-1グランプリ』を生観戦するという仕事をしていた。その中で、敗者復活戦に出場した芸人たちと画面越しにトークをする機会があった。それが、金属バットとの初遭遇だった。

 あれから金属バットのメディア露出も増えた。今では、彼らの態度は、お笑いファンには唯一無二の存在となっている感さえある。それだけに、「きちんと話をしてくれるんだろうか」。そんな不安がよぎって、先輩なのに緊張してしまった次第なのだ。今回の『酒と話と徳井と芸人』。結論から言えば、きちんと話をしてくれなかった――と思う。まぁ、金属バットらしいと言えば金属バットらしいのかもしれないけれど。

 そそのかされながら時間だけが過ぎていく。のらりくらり。金属バットなのに、当たっても飛ばないなんて聞いてないよ。つかみどころがない……というよりも、つかませてくれない厄介な奴ら。

 私、徳井健太はたばこを吸っている。と言っても、いずれたばこをやめるために、吸っても肺には入れずにふかすだけに留めている。

 収録の休憩中。金属バットとともに喫煙スペースで、たばこを吸う時間があった。いつものようにふかそうとしたとき、本能が「やばい」と爆発した。もしも……ふかしていることが二人にばれたら、もう二度と口をきいてくれない気がした。この収録はお蔵入りになるなって。

「徳井さん~、もしかしてふかしてんスか? マジすか」

 そんな友保の声が聴こえた気がして、俺は当たり前の顔をしながら、たばこの煙を肺に入れた。実に、2~3年ぶりの吸煙だった。フッと心が軽くなる感じがした。

 その瞬間、彼らは、「どうして髪の毛、そんな染め方しているんすか?」なんて聞いてきた。その声色は、さっきまでの収録とは打って変わって、とても角が取れた、丸みのあるトーンに感じた。残念ながら酒だけじゃ足りなかった。たばこを一緒に吸って、ようやく仲間。今回は、酒と煙と話と徳井と芸人。たばこを肺に入れないと、金属バットとは話せない。吸煙してからというもの、なんとなく彼らと打ち解けて話せるようになったような気がした。

 今回の収録は、M-1決勝進出者のアナウンスがされてから間もない時期に行われた。きっと、 あの二人にも思うところがあったと思う。

 小林は、「ずっと漫才をやっていきたい」と言っていた。いずれは、なんばグランド花月(NGK)のトリを務めたいとも話していた。これからのこと、東京進出について、いろいろなことを聞いた。でも、そのすべてがウソかマコトかわからない。たばこを肺に入れたけれど、もしかしたら入れ損だったかもしれない。それすらも、気のせいかもしれないけれど。

 ただ――。俺たちが彼らを通して見たい夢と、彼らが描いている夢は違うのだということは、ほんの少しわかった気がする。ちょっとは本音を話してくれていると思いたい。俺一人では手に負えないので、皆さんに『酒と話と徳井と芸人』を聴いていただき、その真意を丸投げさせてください。

 過日、フジテレビが、結成16年以上のコンビが競う新たなお笑い賞レース『THE SECOND~漫才トーナメント~』(仮)を開催すると発表した。なんでも決勝トーナメントは今年5月、全国ネットでゴールデンタイムに生放送されるという。 また一つ、お笑い界に碑が立つ。

 相方である吉村はどう思っているか知らないけど、俺はネタは売れるための道具だと思ってやっていた。正直なところ、自分たちのネタに愛はなんてない。そんな人間が口を挟むことはおこがましいとは思いつつ、ネタを一生懸命磨き、自分たちのネタを愛している芸人たちにとって、夢のある大会になったらいいなと、心から思う。

 甲子園に出れなくたって、社会人として都市対抗野球で活躍し、 プロ野球からスカウトされた選手だっている。売れるのは、夢のまた夢。M-1で成仏できなかった芸人たちに、“また夢”があるのは決して悪いことではないよねって。2022年 、M-1ラストイヤーだった芸歴15年組は絶対的に有利なポジション。一方で、とうの昔にM-1を卒業した練者組がどんな一手を放つのか。夢の続きは、いつだって残酷でワクワクする。

麻雀は「教養」を伝えることができる。麻雀教室に通う親子から教えてもらったこと。〈徳井健太の菩薩目線 第156回〉

2022.12.30 Vol.Web Original


“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第156回目は、麻雀教室について、独自の梵鐘を鳴らす――。

 大好きな番組、 NHK 『ドキュメント72時間』が、今年も年末にスペシャル放送される。放送日は、12月30日金曜日。お昼の12時15分から18時45分まで6時間半ぶっ通し。これを観るあなたもドキュメント。

 スペシャル回にたびたび呼んでいただくわたくしは(ありがたいことです)、前回、北海道大学の恵迪寮を訪れた。その模様は、菩薩目線第143回『ドキュメント72時間』、恵迪寮の“その後”を追って。そこは小さな国だった≫ にて、詳しく触れているのでご笑覧いただけたら幸いです。

 今回もロケをさせていただくことになり、東京・大井町にある麻雀教室「ニューロン麻雀スクール大井町校」へと足を運ぶことになった。麻雀との付き合いは、かれこれ20年以上。ただ、麻雀教室へ行ったことはなかった。

 初めて目にした光景は、知らないことの連続。俺が知っている麻雀の魅力とは違う魅力に満ちていて、下は小学生から上は90歳くらいの高齢者まで、文字通り、老若男女が雀卓を囲んでいた。

 この教室は、イトーヨーカドーの中にある。麻雀教室の他に、英語塾とパソコン塾もある。大きな商業施設に来る老若男女が、英語を覚えたり、パソコンのスキルを身につけたり、麻雀に興じたりする。ぐるぐると回っていて、人が循環している。麻雀教室とは言え、商業施設の中にあるから、親御さんも安心だろう。ワイワイガヤガヤ、一局に集中する真剣だけど牧歌的な空間。

 なんでも麻雀教室の世界には、甲子園のような大会なんかもあるらしい。さらには、 AbemaのMリーグの影響もあって、麻雀教室は活況なんだそうだ。受講費もとてもリーズナブルで、小学生・中学生・高校生は1日1000円。子どもたちがたくさん集まるのも納得だ。

 麻雀という言葉を耳にすると、眉をひそめる人たちが一定数いる。だけど、この光景は、そんな人たちにカウンターパンチを浴びせるような活気に包まれている。

 麻雀は、とても頭を使う。個人的な意見になるけれど、頭を使って、思考を張りめぐらさなければ勝てない麻雀は、生きていく上で役に立つものだと思っている。

 たとえるなら、水泳のようなもの。水泳を始めるとき、オリンピック選手を目指して始める人はごく少数だと思う。多くの人は、泳げた方が生きていく上で役に立つと考えるから水泳を始める。しかも、やった分だけ上達する。麻雀も似ている。

 世の中には、よくわからない習い事が結構ある。人それぞれ得手不得手があるから、その習い事が必ずしも役に立つかはわからない。むかし習っていた習い事がいま役に立っているのか、俺もときたま自問自答する。だったら――。小さい頃に麻雀を習いたかったなぁと、目の前の光景を見ながら思いを巡らせる。

 ある親子が一緒に卓を囲んで打っていた。親子で麻雀ができるなんて、それだけでハッピーだ。麻雀というのは、教科書通りに覚えていっても、いざ実際に人と打ってみると、まったく印象が違う。練習と実践じゃ雲泥の差だ。 

 子どもは一生懸命覚えたことを、その卓の中で表現しようとしているけれど、麻雀の醍醐味を知っているんだろうお父さんは、「もっとこうした方がいいんじゃない」といったアドバイスをする。それでも、子どもはまっすぐに打ちたがる。ホームランなんか狙わずに、とにかくヒットを打ちたい。そんな気持ちが見て取れて、安い手であっても役を完成させようと必死だ。

 お父さんは、長年の経験から知っている。ヒットを重ねることも大事だけど、最終的にホームランを打てば勝てるってことを。大局をいかに描けるか――。そんなことを子どもに伝えようとする姿は、まるで麻雀を通じて、人生を教えているようにも見えた。

 普通に考えたら、そんなことは子どもに教えづらいこと。「小さな努力も大事だけど、安い手だけでは勝ちきれない。ここぞというときに勝てる力が大事だよ」なんて伝えてしまったら、子どもは小さな努力をしなくなってしまうかもしれない。

 子どもに教えづらいだろうあの手この手を、麻雀というフィルターを通して、楽しく教えている親子。その様子を見て、俺は麻雀の汎用性の高さを再認識した。麻雀は教養でもあるんだ。

 一生懸命打って、一生懸命何かを掴もうとしている子どもがいたら、わたくし徳井健太も一生懸命お相手するしかない。「せっかくだから」と促され、全力で打ってみた 。「徳井さん強すぎる……」。そうこぼした女の子は、間違いなく戦意を失っていた。

「やりすぎたかな」と思った。ところが、その横にいたお母さんが「だめだよ。ここでさじを投げちゃ」と女の子を励ます。感情を殺さずに、悔しいとかむかついたとか、すべてを雀卓の上にさらけ出していい。なんて公平な世界なんだろう。 麻雀教室、すごいよね。

 子どもを育てることはとても難しい。夢を見させてあげなければいけないけれど、リアルも伝えなければいけない。その中で、子どもたちは自分たちなりに夢の追い方を見つけていく。

 俺は、麻雀というのは剣術だと思っていた。だけど、どうやら剣道なのかもしれない。 生きていく上で、術だけでは殺伐としすぎる。道を知らなければ、豊かにはなれないよね。

ヤングケアラーだったあの頃。周りに頼れず、「無理」と言えなかった理由がわかった。〈徳井健太の菩薩目線 第155回〉

2022.12.20 Vol.web Oiginal

“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第155回目は、自身のヤングケアラーとしての過去について、独自の梵鐘を鳴らす――。

「僕、ヤングケアラーだったと思います。当時はそんな言葉なかったけど」

『敗北からの芸人論』を発売した際、自分の過去を振り返る機会があった。その話はBuzzFeedで記事になり、それからというもの、ヤングケアラーについて話をする機会が増えた。

 先日も対談をした。お相手は、水谷緑さん。精神科医療分野の取材を重ねている方で、ヤングケアラーについてのマンガを描かれている漫画家さんでもある。対談記事が公開される際は、徳井健太のTwitterなどでお伝えしたいと思う。

 水谷さんのマンガ『私だけ年を取っているみたいだ。 ヤングケアラーの再生』を見て驚いた。統合失調症の母を筆頭に、俺が通ってきた当時の道とほとんど一緒。主人公が抱く感覚にも既視感がある。特に、自分の感情を殺した――という感覚。

 高校生だったころ、クラスメイトに「徳井君って、何をやっても怒らないよね?」と聞かれたことがあった。「そうだね」と答えた俺に、クラスメイトは「何をやったら怒るの?」と質問を続けた。

「家が放火されて、大笑いされたら怒るかな」

 我ながらどうかしていると思った。放火されても怒らないんだもの。なぜか放火は許容範囲。その上で「大笑いされたら」、ようやく怒るらしい。あの時代、とことん感情を殺していた自分がいたんだなと、懐かしさが込み上げてきた。

 どういうわけか俺は、何かをやりながら何かをすることが好きだ。たとえば、料理をしながらテレビを見つつ、何かをぼんやり考える。そんなマルチタスクを抱えているときに、幸福感ややりがいを感じる。なんでだろうと思っていた。でも、その理由がわかった。

 ヤングケアラーは、家事をして、親の面倒を見て……結果的にマルチタスクをしている。だから、「そういうふうになりがち」なんだそうだ。さらには、「人に頼れない」。まったくその通りで、俺も人に頼ることが苦手だ。すべてを自分一人で抱え込んできたから、どう頼っていいのかわからない。そして、パンクする。勝手に抱えて、勝手に爆発する。

 本当は「無理です」と伝えればいい。だけど、「無理」と伝えることは、即死を意味する。唯一家庭の中でまともな人が匙を投げたら、すべてが崩壊してしまう。マンガを読んでいると、母親の面倒を見ながら、妹の世話もして、自分のことだってやらなきゃいけない――。あの頃の自分がフラッシュバックした。これって“ヤングケアラーあるある”だったんだって。

 そんな話を、菩薩目線担当編集A氏に話すと、「『(株)世界衝撃映像社』でむちゃくちゃなことを平気でできたのは、そういうことだったのかもしれないですね」と言われた。

 たしかに「無理」なんて選択肢はなくて、抱え込んでダイブするしかなかった。できませんと謝るくらいだったら飛んだほうがいい。傍から見れば、理解できないことだったかもしれないし、自分でもなんで飛びたがるのかわからなかったけど、今ようやく、自分でもあの頃の行動が理解できるようになった。ヤングケアラーだったときの行動や思考が、ずっと癖になっていたんだと思う。

 あのままいけば、きっと犯罪者になっていた。今はずいぶんと変わることができた気がする。救ってくれたのは、お笑いであり、お笑いの世界。まったく結果を残せていないときでも、誰かが見ていてくれて、一緒に酒を飲んでくれた。伸び悩んでいて脱線しそうなときでも、面白い先輩がダメ出ししてくれたり、励ましてくれたりする。感情を反芻して、自分に伝えてくれた人たちがたくさんいたから、ようやく自分でも感情が飲み込めるようになっていったんだと思う。

 さらけ出している人が多い世界で良かった。ヤングケアラーの話だって、普通であればなかなかオープンにできないことだよね。でも、さらけ出すのがお笑いだ。さらけ出すから、単なる思い出話が意味を持ち始めるのだと思う。

 

※徳井健太の菩薩目線は、毎月10・20・30日に更新

特別な夜に期待しちゃいけない。旅はいつだって、あるがままだ。〈徳井健太の菩薩目線 第154回〉

2022.12.10 Vol.Web Original

 

“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第154回目は北九州市小倉の夜について、独自の梵鐘を鳴らす――。


 私事で北九州は小倉へ行った。

 夕食を終えた23時過ぎ、アーケード街を歩いていると、50~60代とおぼしきおじさんがギターをかき鳴らしながら歌っていた。あたりには誰もいなくて、お世辞にも「にぎやか」という言葉とはほど遠かった。

 新宿駅南口辺りに行くと、最近は多くのストリートミュージシャンがいる。その周りにはそれなりに聴衆がいて、街の喧騒もあいまって、熱を帯びている 。だけど、おじさんは俺に発見されるのを待っていたかのように、一人ぼっちで歌っていた。冬が迫っていることを告げる、冷たい風を感じる夜だった。

 その風貌からは、おそらく吉田拓郎や長渕剛が好きなんだろうなということが予想できた。正直な話、俺はフォークをはじめとしたこの手のジャンルに詳しくないし、わからない。でも、ポツンとたった一人でギターを弾くおじさんに、なぜだか心がときめいて、足を止めた。

 お客さんは我々だけ。おじさんは、会釈をしながら「旅行ですか?」なんて調子で、簡単な挨拶を投げ込んできた。俺は返すボールで、「どんな歌を歌ってるんですか?」と聞くと、おじさんは期待を裏切らない「吉田拓郎や長渕剛が好きです」というドンピシャの答えを投げ返してきた。

 俺は、「拓郎さんとか長渕さんの曲をあまり知らないので、『これがいい曲だよ』みたいなおすすめの曲を聞かせてください」と、お金をギターケースに入れてお願いした。するとおじさんは、「う~ん、いい曲か~わからないなぁ」と口ごもり始めてしまった。

「なんだろう……なんでもいいから曲名を言ってもらわないと歌えないなぁ」(おじさん)

 拓郎さんの曲はわからないし、長渕さんも「とんぼ」や「乾杯」くらいしかわからない。せっかく小倉のアーケード街で、たった一人で歌っているサバイバーかもしれないおじさんに出会えたんだから、この人から自分の知らない曲を教えてもらいたかった。だから俺は、「今の時代に作れないだろう、その当時の時代感がつまっているだろう曲、もしくはコンプラとか関係なかったあの頃しか作れないような曲、そういう曲をお願いします」と、わがままを言わせてもらった。何を歌ってくれるんだろう。きっと、こんな夜にぴったりの曲を歌ってくれるんだろうな。でも――。

「それはどういうこと?  どんな曲?」

 そうおじさんは平然と聞いてきた。たとえば寿司屋の大将に、「おまかせでお願いします」と伝えたとして、「ネタを指定してくれないと握れないよ」なんて返答されることはない。「この時期は何の魚が旬なんですか? 旬の味を感じたいので、大将のおすすめの一品をお願いします」とオーダーして、「それはどういうこと? どんな魚?」と聞かれたら、俺たちはどんな顔をするだろう。

 おじさんは、数分後、「とんぼ」を歌っていた。

 特別な夜なんて期待しちゃいけない。驚くほどにスイングしない出会いだってある。でも、愚直でもいいから真っ直ぐな魂をぶつけてほしかった。不味くても目の前に出してほしかった。それなのに、添えられ、置きにいかれるのは、悲しいじゃないか。

 自信たっぷりと激情的に歌い上げる「とんぼ」を聞き終わり、とぼとぼと歩いていると、何とも言えない寂しさに包まれた。ただただカメラが回っていない、「一人月曜から夜更かし」のようなことをしてしまった夜。もしかして、これがフォークなのかな。

 後日、『チャチャタウン小倉』という、地元民憩いの商業施設へ行く機会があった。映画館やゲームセンター、観覧車などが併設されていて、おそらく北九州の人たちにとっては、「たくさんの思い出があるんだろうな」と想像できる、子どもの頃の夢の集積地みたいな場所。あのおじさんだって、一つや二つ、ここに思い出が眠っているに違いない。

 何やらイベントが行われているようで、老若男女がびっしり100人くらい目を輝かせていた。何が行われているんだろうとステージを見ると、たった一人のベーシストが、ヴオンヴオンと弦をうならせながら即興演奏を行っていた。じいちゃんもばあちゃんも、何がすごいのかよくわかっていない顔をしていたけど、それ以上に楽しそうな顔をしていた。たった一人のベーシストが、『チャチャタウン小倉』をわかせていた。

 ここには熱いパッションが広がっている。安心した俺は、小倉を後にした。

 

 

※徳井健太の菩薩目線は、毎月10・20・30日に更新予定です。

「第10回腐り芸人セラピー」。“世界の悟り”矢作さんから学んだこと。〈徳井健太の菩薩目線 第153回〉

2022.11.30 Vol.Web Original

 

“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第153回目は、感謝について、独自の梵鐘を鳴らす――。

 コンビ間は、複雑怪奇。

 11月19日に放送された「第10回腐り芸人セラピー」(『ゴッドタン』)を経て、あらためてそんなことを思う。腐り芸人もついに10回。まさか岩井(勇気)が、フジテレビのお昼の顔になる日が来るなんて、月日の流れを否応なしに感じます。

(※来年1月からハライチは、フジテレビ平日昼の情報番組『ぽかぽか』のMCを担当することが決定)

 今回は、ティモンディの前田裕太とわらふぢなるお(ふぢわら・口笛なるお)が「腐り芸人セラピー」を受診。高岸(宏行)が活躍することで頭を悩ませているという前田の吐露は、多くのコンビが通る道かもしれない。

 「コンビ間格差」、「じゃないほう芸人」なんて言葉があるように、コンビやトリオの中で一人だけが目立ち活躍の場が増えることは、今では珍しいことではなくなった。澤部(佑)だけが目立っていたハライチもそうだし、吉村(崇)だけがバラエティに呼ばれていた、俺たち平成ノブシコブシもそう。

  コンビなんだから喜ばしいことのはず……なのに、釈然としない。悶々とするうちに、岩井(勇気)も俺もダークサイドへ堕ち、「腐り芸人」になっていた。前田もまた、同じように悩みを抱えているのだろう。

  収録中、俺が勝手に“世界の悟り”だと思っている矢作(兼)さんが、こんなことを話すシーンがあった。

  矢作さん曰く、小木さんの態度が悪いから、自分(矢作さん)に単独でCMのオファーが届くという。でも、矢作さんは自分のことを決して態度が良い人間だなんて思っていないそうだ。だったら、なぜ矢作さんにオファーが来るのか?

 「小木の態度が悪いから、横にいる普通の態度の俺が“良い人”に見えるだけなの。俺にCMのオファーが来るのは、小木のおかげなんだよ」

  そう説明していた。もう説法。仏様の考え方。

  片方が目立ってしまうことで、自分は置いてけぼりになっているんじゃないかという焦りが生まれるかもしれない。だけど、それは個性の違いにしか過ぎないわけで、違う考え方や違う人たちがいるから自分の価値が生まれたり、浮かび上がったりすることだってある。矢作さんみたいな考え方の人ばかりだったら、世の中から戦争はなくなるのに。

  矢作大師の説法は、これだけではない。

  わらふぢなるおの悩みは、「もうネタを作りたくない」というものだった。賞レースで結果を残している彼らの実力を疑う人はいないはず。テレビに出るためにネタを作り続けているものの、売り切れていないことに、内心穏やかじゃない。売れるために、また新たなネタを作る。だけど、過去のネタを越えるような面白いネタを作ること、あるいは作れるだろうと期待されることに疲れているという。ふぢわらは、(すでに作った)ベストのネタを超えることができないとこぼしていた。

  そんな二人を見て、矢作さんは、「今日の面白いは、明日の面白くないかもしれないでしょ。自分たちのネタは、自分たちが面白いと思ったからやっていただけだったけどなぁ」と、さらりと言う。誰かの期待なんてどうでも良くて、自分たちが面白いと思ったものをやれるだけで楽しい――。なんて素敵な考え方なんだろう。矢作さんがあと10人いれば、この世から争いはなくなるに決まっている。

  月並みな考えだろうけど、「感謝する」って気持ちはとても大事なことだよね。妬んでもいいし、さらけ出してもいい。でも、それ以上に感謝の気持ちがある、感謝できる環境があるから、物事は想像している以上にうまくいくのかもしれない。感謝こそ腐りの処方箋。“世界の悟り”矢作さんから学ぶことは多い。 

 

※徳井健太の菩薩目線は、毎月10・20・30日更新です

『ブラマヨ弾話室』で考えた、自分の意見をぶつけてみることの面白さ〈徳井健太の菩薩目線第152回〉

2022.11.20 Vol.Web Original

 

“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第152回目は、『ブラマヨ弾話室〜ニッポン、どうかしてるぜ!』について、独自の梵鐘を鳴らす――。

 BSフジで放送中の『ブラマヨ弾話室~ニッポン、どうかしてるぜ!』に、初めて出させていただいた。

 ブラマヨさんのお二人と仕事をする機会はあまりないから、とても楽しみにしていた半面、緊張していた。なんといっても、ブラマヨさんだ。とりわけ吉田さんの舌鋒の鋭さに、自分は対応できるんだろうかドキドキハラハラ。

 この番組は、ブラマヨさんが政治家や学者など様々なジャンルの専門家を招き、「今起きている問題」をテーマに「今後のニッポンはどうなっていくのか」を、独自の“心配性”な目線から考察する雑談系アカデミックバラエティだ。

 よぎった疑問を、政治家や専門家に対してすぐさまぶつけていく。平成の時代まで当たり前のようにあった討論番組も、よくよく考えると、今では絶滅危惧種かもしれない。

「間違ったっていいから、それが偏った論だとしても言ってもいいんだぞ」。そんな雰囲気をブラマヨさんから感じたので、精一杯、沸いた疑問や意見をぶつけてみたつもり。

 ブラマヨさんはいつだって面白い。でも、『ブラマヨ弾話室』のブラマヨさんは、ここでしか見れない面白さがあると思う。

 吉田さんが意見して、小杉さんが突っ込む――というのが多くの人が想像しているブラマヨさんの姿だと思う。ところがこの番組では、小杉さんがボケて吉田さんがツッコむこともあれば、瞬時にその関係性が逆転する。立ち回りの豊富さとスピード感。漫才やバラエティで見るブラマヨさんとは異なる予測不能な面白さは、自由という言葉がぴったりだ。あまりに自由に振る舞うものだから、私徳井健太も心地よくなって、偏った意見をたくさん話してしまったような気がする。

 この日の収録のテーマは、「幼児の事故が多発していて心配」「政府が政策の反省をしているのか心配」「出世したがらない若者が多くて心配」「老後が不安になるように誘導されていそうで心配」「インボイス制度が全然わからなくて心配」「命を救う仕事をする人に過剰に求める風潮が心配」などなど。

 多岐に及んだテーマを、ブラマヨさんがしゃべり倒す。もう面白い。私徳井健太が登場する回は、11月20日(再放送は12月4日)と、11月27日(再放送は12月11日)。放送時間は、22:30~23:00なので、ぜひご覧いただけたら幸いであります。

 収録のゲストには、参議院議員で防衛大臣政務官の小野田紀美さんが参加した。小野田さんは、とてもわかりやすく説明してくれるので、あれもこれも聞いてしまった。「え? そんなことまで答えてくれるんですか!?」ってことまで答えてくれたので、ホントに攻める番組だなと感心してしまった。

 社会問題や政治問題を取り扱って議論するトークバラエティって、一筋縄ではいかない。難しい。

 たとえば、「多発する幼児事故」というテーマ。日本の場合、子どもをあずけたら、あずけた人(ベビーシッターなど)に責任が置かれるけど、欧米ではあずけようがすべての責任は親にあるという。責任の所在が違う――。そうした多面的な視点を大切にしないと、豊かな議論は育まれない。  

 その中で「持論」の意味を考えた。

 ラジオで相方である吉村と話していたとき、俺が「売れるためだったら死んでもいい」 とか、「長生きしたいなら売れなくてもいい」みたいなことを口にしたときがあった。

 吉村は、「いやいや、人間って 二択で生きているわけじゃないでしょ」と制すんだけど、俺は二択で生きてきたところがあるから、その吉村の補説がよくわからない。やるか・やらないか。もしもやるって決めたのなら、死んでもやるか・死なないでやるか――しかないと思うのだけれど。

 ギャンブルが好きなのも、こうした考え方によるところが大きいから、張って負けたら恨みっこなし、だと思っている。でも、世の中の多くの人は、張って負けると恨みつらみを言ってしまう。それは都合がいいんじゃないかと思うけど、吉村に言わせると、どうやら「極論」ということになるらしい。

 誰かの持論は、他の誰かにとっては極論になることもある。揺れ動くのが人間だから、吉村の言うこともたしかにわかる。あまりに自分の意見は、味わいがないなぁと思う。一方で、持論を極論と言われると、なんだか釈然としない。

 そんな俺が、『ブラマヨ弾話室』の吉田さんの持論を聞くと、「吉田さん、すげぇ極論言うな」と笑いながら感心してしまうのだから、人間の「論」って面白い。気兼ねなく自分が思っていることを話せる場って自由。持論も至論も極論も交わせるのだから、あったほうがいい。そんな場が、『ブラマヨ弾話室』だったんだなぁ。

 収録後、「もっと話せたんじゃないか」と反省したのは言うまでもないよね。

黒部ダムが教えてくれた『今まで自分がやってきた「万歳」は、「ニセ万歳」だった』理由〈徳井健太の菩薩目線 第151回〉

2022.11.10 Vol.web original

“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第151回目は、「万歳」について、独自の梵鐘を鳴らす――。

 

 万歳(バンザイ)――。

 なんて歓喜と悲哀に満ちた言葉なんだろう。先日、知らないニッポンをわかりやすく紐解く『林修のニッポンドリル』、その10月12日放送回に出演させていただいた。

 この日のテーマの一つに黒部ダムがあった。1950年代、敗戦から復興する日本は、目覚ましい経済成長を遂げながら、一方で大量消費時代に突入していた。安定した暮らしを実現するためには、安定したインフラが必要だ。

 ところがこの時代、関西圏では電力が十分ではなく、新しいダムの建設が火急の用となっていた。電力供給を実現する予算一兆円超え国家プロジェクト。それが黒部ダム(黒部川第四発電所:通称「くろよん」)建設だった。

 黒部峡谷は、急峻な山々が続く人外の地。そんなところに巨大ダムを建設する。まさしく前代未聞で前人未到。昔の建設途中の映像を見ると、“命がけ”という言葉に相応しい、人間と山々がむき出しで対峙している現場が次々と登場する。

 たとえば、断崖絶壁に作られた幅50センチほどの「日電歩道」と呼ばれる足場。こんな崖みたいな道が約16キロも続くなんて、めまいがする。掘削工事を含め、「くろよん」建設は数多くの犠牲者を伴う、過酷で途方もないプロジェクトだった。

 昭和38(1963)年6月5日、「くろよん」は竣工の日を迎える。7年の歳月と513億円の工費。述べ1000万人の人手。そして171名の尊い犠牲。

 番組では、その日の映像が流れた。水が流れて、電気が行き届く。その瞬間、すべての人が「万歳」と叫んでいた。それを見て、「万歳しかでてこないよな」と納得してしまった。神様にすべての感情をさらけ出すように両手を天に上げ、叫ぶ。

 こんな感動や達成感を表現しようと思ったとき、果たして「万歳」以外の言葉があるんだろうか。人が死んでいる。だから、決して「うれしい」のみを表現する言葉では足りない。かといって、控えめに感情を表現するには、あまりに人間の業が入り混じる歳月が流れている。悲願達成――。犠牲を払ってでも成し遂げた先にあるゴールテープを切る瞬間は、「万歳」がとても似合う。

 裏を返すと、今まで自分がやってきた「万歳」は、「ニセ万歳」だったんだなと気がついた。本当の「万歳」の気持ちで、ゴールテープを切っちゃいない。「万歳」はノリでやるもんじゃない。

「万歳」でしか表現ができない瞬間が、人生にはあるはずだから、そのときまで「万歳」はとっておいた方がいい。そうそうそんな瞬間はあるもんじゃない。だから、するべきときに、あらゆる感情を包み込んで「万歳」と叫びたい。

 来たるべきときにあらゆる感情を包み込んで紡ぐ言葉。きっといろいろな国にあるんだろうな。喜びと悲しみがごちゃまぜになったときに、クリティカルに表現できる言葉。

 日本の「万歳」と、アメリカで「万歳」を意味する「Hooray」は、言語情報としては同じ意味を持つかもしれないけど、感情や機微――言葉では伝えられない非言語的な部分に関しては一緒ではないはずだ。たとえば、キリスト教圏における「ハレルヤ」のような特別な言葉を、日本語で言い換えることはできても、非言語的な部分は重ならないだろうなって。

「ハレルヤ」をいう瞬間は、その言葉が根付いている文化圏の人々にしかわからない感情があるような気がする。同様に、日本の「万歳」もその人たちにしかわからない感情が詰まっている。だから、とても尊い言葉だと感じる。

 徳井健太の未来には、心の底から「万歳」を唱える瞬間が、何度訪れるのだろう。割れんばかりの「万歳」の声。言っているのか、聞こえてくるのか。「万歳」の瞬間に立ち会えたら、きっと「万歳」と繰り返すだろう。万歳が三唱されるのも、なんだかよくわかる気がする。

世の皆さま、お願いだからドレスコーズの素晴らしさに気が付いて〈徳井健太の菩薩目線 第150回〉

2022.10.30 Vol.Web Original

 

“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第150回目は、日本のロックバンド「ドレスコーズ」について、独自の梵鐘を鳴らす――。

 どういうわけか、わたくしのYouTubeチャンネル『徳井の考察』で、ミュージシャンについて話をすると、皆さん好反応を示してくださる。

 THE YELLOW MONKEY、eastern youth――。元々、音楽をやるか、お笑いをやるかで迷っていた10代。NSCに入ったものの、もしあのままギターを弾いていたらどうなっていたんだろう、なんて思うときがある。

 だからなのか、『徳井の考察』でミュージシャンに触れるとき、淡い10代の記憶を思い出すこともあって、熱っぽく語ってしまうのかもしれない。お笑いも音楽も大好きだけど、音楽には音楽の不思議な力がある気がする。

 芸人のライブを見た、DVDを買ったからといって、そのときの思い出が全体的に浮かび上がるなんてことはないかもしれない。でも、ミュージシャンのライブを見た、 CDを買ったときって、そのときの自分の環境だったり、出来事がぶわっと浮かび上がってくる。初めて買ったCDを覚えている人は多くても、初めて笑った芸人のテレビ番組を覚えている人は、あまりいないよねって。

 それだけ思い入れが強い存在。『徳井の考察』で、音楽のウケが良いのもわかるような。

 あるとき、ドレスコーズについてお話をさせていただいた。

 ドレスコーズは、もともと毛皮のマリーズのボーカルだった志磨遼平さんを中心に結成された4人組ロックバンド。その後、志磨さんのソロプロジェクトとなる。志磨遼平=ドレスコーズなので、西川貴教さんとT.M.Revolutionの関係に近いかもしれない。

 どうしても世の中に知ってほしい歌詞がある。音楽がある。もっと知られなきゃおかしい。そんな気持ちから、『徳井の考察』でいかに志磨遼平が作り出す音楽(特に歌詞)が素晴らしいかを熱弁させていただいた。感極まって、泣きながら。

 たとえば、『人間ビデオ』。世界最強に良い曲だ。劇場アニメ『GANTZ:O』の主題歌になった曲だから知っている人もいると思う。でも、世の中の認知が足りない。もっともっと話題になっていい。そう思わないとやってられないくらい素晴らしい歌。

 俺は、志磨さんに会ったことはない。話したことすらない。だけど、彼が作った音楽の素晴らしさを、勝手に褒めちぎりたかった。もうイタいファンのYouTube配信。

 きっとやっちゃいけないことだと思ったけど、どうしても伝えたくて、彼が紡いだ歌詞を勝手に読み上げた。自分のYouTubeチャンネルで、会ったこともないミュージシャンの歌詞を読み上げ、挙句の果てに歌詞の背景を推察して、涙する。怖い人だと思われていなければいいんだけど。

 その模様は、『絶対聴くべき名曲たち【ドレスコーズ】【毛皮のマリーズ】』

からご覧いただければ。何度見ても、情緒がどうかしちゃっている。

 

 なのに、後日キングレコードから連絡が届いた。なんでも、ドレスコーズの最新アルバム『戀愛大全』がリリースされるので、志磨さんの歌詞の中からパンチラインだと思われるものを選んでくれないか――というオファーだった。そんなことが起こるんだ。これだから音楽って最高だ。純粋にうれしかった。

  ドレスコーズ、毛皮のマリーズの恋愛ソング、あるいは志磨さんが提供したラブソングの中から“志磨しか勝たん”と思うフレーズを募る「#ラブソング志磨しか勝たんパンチライン」。バイきんぐ小峠さんなども参加するその企画内で、僭越ながらパンチラインとプレイリスト、そしてコメントを寄稿させていただいた。

  あらためて歌詞を眺めていると、やっぱり志磨遼平は天才だと思った。5~10曲選んでくださいと言われたけど、絞り切れなかったから当然のように上限の10曲フルフルで選ぶ。どれを選ぶか、迷いに迷って、コメントも書いては消して、書いては消して。

  なんといっても会ったことがない。もうこちらからの一方的な手紙。そんな気持ちで渡したメッセージ。キモイと思われていなければいいなぁ。

「手間」を「愛」だと考えてみると、品のあるなしは、愛でうめてみませんか?〈徳井健太の菩薩目線 第149回〉

2022.10.20 Vol.Web Original


“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第149回目は、品と愛について、独自の梵鐘を鳴らす――。

 自分で言うことではないけど、品があまりない人間だと思う。よくよく思えば、この歳になるまで品というものを真剣に考えてこなかったような気がする。まぁ、あってもなくても別にいいじゃないのって。

 最近、ニュースなんかを眺めていると、「別にそれでもいいんじゃないか」って思うことに対して、世間一般は「品がない」とか「独りよがり」なんて反応をしていることが少なくない。そんな世間のアレルギーを見ると、間接的に自分も「品がない」と言われているような気がして悩ましい。

 歯医者や美容室のイスは上下に動く。高さを調節するために必要な構造なんだろうけど、前々からムダなことだと感じていた。 高くなったところで、歯の治療が早まるわけじゃない。ほんのちょっとの調整。そんなもん必要なのか……なんて考える俺を無視して、いつも高さは調節される。

 ついこの前も、「早く治療してくれないかなー」と思っていた。はっとした。自分は何て品のないことを考えているんだろうって。

 包装紙もそうだ。きちんと包装紙をたたんで保管している人を見ると、なんでわざわざそんなことをするんだろうと思っていた。その包装紙をいつ使うんだろう。使わないのに、きれいに折りたたんでいるのであれば、そんなにムダなことってないんじゃないか。使わないなら、がさっと破いても問題ないよね……、あ、これも品のない考え方。ちょっと前なら気にしなかったのに、ここ最近はそんな些細なことに対して、自分の品のない考え方に疑問を持つようになってしまった。

 無機質に手渡された贈答品よりも、包装紙に包まれた贈答品を手渡された方がうれしいと考える人の方が圧倒的に多いと思う。でも、俺は無機質に渡されたとして、何も嫌な気がしない。タクシーに乗るとき、わざわざ運転手さんがドアを開けてくれるのも、無駄なことのように見えてしまう。それをしてもらったところで運賃が安くなるわけでも、目的地に早く着くわけでもない。合理的に考えれば考えるほど、品とはかけ離れていくことに気が付いたとき、「いい大人なんだから」と、自分を戒めることも必要なんじゃないかと思い始めてしまったのだ。このままじゃ、心が貧乏なおじいさんになってしまうよなぁ。 

 だけど、人間の性格というのはなかなか変わらない。ことあるごとに合理的に考えてしまいがちな自分を、どうすれば「品のある」人間にできるんだろうか。

 難しい。

 少しイスを高くするとか、包装紙で包むとか、ドアを開けるとか、そうした行為は、いつもより手間をかけるアクション。この手間をかけるって視点が、ミソなのではないかと考えてみたい。

 俺は、わざわざラッピング代を出してまで包装紙で包むなんてことはしない。でも、料理をする身からすれば(私、徳井健太は結構料理が好きなので)、手間をかけるという行為は大事だと思う。

 たとえば、下処理をしないと考える人がいたとき、「いやいや、面倒かもしれないけど下処理はしようぜ」とつっこんでしまうし、実際問題として、下処理をしてから料理に取り掛かった方が圧倒的に完成度は高くなる。それに、がんばって作った料理を、一口も食べずに「好きだから」という理由だけで七味唐辛子をかけられたら、俺だったらムッとするに違いない。

 包装紙をビリビリと破いてしまうのは、せっかく作った料理にドバドバと七味唐辛子を振りかける行為と同じかもしれない。あ~これからは、「そんなことする必要ないのに」じゃなくて、「ありがとう。ナイス一手間」と心の中で唱えてみようじゃないか。 

 世の中にはいろいろな「一手間」がある。 それを「愛(情)」だと解釈してみると、すっと喉元をすぎるような気がしてきた。大好きなラーメンだって、どれだけ手間がかかっているか。「そんな作り方は合理的じゃない」なんて批判されたら、二度とラーメンを食うなとか何とか言ってしまいそう。

「これは理解できる」けど「あれは理解できない」。人の好き嫌いの境界線は、あやふやだ。自分で品がないと言っておきながら、カレーライスをぐちゃぐちゃに混ぜて食べる人を見ると、「品がない」と思ってしまう。結局、人間なんて自分勝手な生き物だから、自分の尺度で何事も測りがち。「俺はこういう人間だから」と割り切るのは簡単だけど、どんどん歳を重ねていく中で、そんな割り切り方って、ちょっと雑だよね、やっぱり。

だからこれからは、「手間」がかかっているものを見たときは、「愛」だと思って見てみようと思う。そこに愛を感じたら、その分だけ自分も愛を示す。それが「品」へと様変わり。品を埋められるものは、愛なのかもしれないね。

 

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