「9月入学」頓挫でも残った宿題【鈴木寛の「2020年への篤行録」第81回】

2020.06.08 Vol.730

 新型コロナウイルス感染対策による一斉休校の長期化を受けて急浮上した「9月入学」移行ですが、少なくとも今年度や来年度からの導入については、結局1か月ほどで見送りの公算になりました。  私は前回のコラムで大学の議論と小中高の議論を分けるべきと申し上げました。そして特に影響の大きい小中高については、保護者、児童・生徒、教職員の意見も十分に踏まえ、当事者である校長先生に、意見を集約してもらうべきと申し上げました。休校中だったので、子どもたち、保護者の意見がどこまで出てきたかは微妙なところですが、全国連合小学校長会は5月14日、声明文を出して拙速な議論に事実上の待ったをかけ、全国知事会でも、長野県の阿部知事が冷静に議論をリードされました。  5月中旬にNHKが「9月入学」に賛否を尋ねた世論調査では賛成41%、反対37%とほぼ二分する状況に。ただでさえ大きな制度変更には世論の力強い後押しが不可欠です。世の中全体がコロナの第一波をしのぎ、経済社会活動の再開が最優先という中では、時間がなさすぎました。  この決着で、賛成派も反対派も、お互いほっとしてもらっては困ります。今、一番、検討しなければいけないのは、大学入試のタイミングです。私は、今の入試のタイミングを遅らせて、高校卒業後の4月とか5月に合格発表とすべきだと思います。  大学の入学は、慶應のSFCはじめ春・秋併用となっており、学部ごとに各大学の学長が定めることができることとなっていますので、高校関係者と大学関係者が協議して、大学の秋入学枠の定員を大幅に増やすべきだと思います。秋の入学までの時間は、学力が十分な人たちは、ギャップ・タームにして、様々な実地経験を国内外で積んでいけばいいですし、学力が十分でない人は、改めて、大学での学びについていけるような、学び直しを秋までにやり直すことにあてていけばいと思います。  さらに、高校の修得主義の要素を増やして、学力修得が不十分な場合は、卒業を半年のばして、3年半の通学を可能にすることも検討すべきです。一方で、学力修得が確認できれば、授業時数にかかわらず単位認定を行い、2年半での早期卒業も認めるべきです。現在は、定時制だけが修業年限を3年以上としており、9月の卒業も認めていますが、全日制も同様に扱いにすべきです。ぜひ、こちらの議論もしっかりと行ってください。(東大・慶応大教授)

「9月入学」急浮上は良いが、改革をサボるな【鈴木寛の「2020年への篤行録」第80回】

2020.05.07 Vol.web Original

 新型コロナウイルス感染拡大の長期化に伴い、学校の9月入学論が急浮上しています。安倍総理も4月29日の衆議院予算委員会で「前広に様々な選択肢を検討していきたい」と踏み込みました。  9月入学への移行はすでにご承知のように、海外留学がしやすく、また逆に外国人留学生の受け入れもスムーズになるメリットは非常に大きいと思います。さまざまな価値観に刺激されることは重要です。  知らない土地、違う文化、言葉の壁などで悪戦苦闘するもの。しかし、それが「財産」をもたらすのです。私の学生時代で一つ大きな後悔があるとすれば、長期留学をしなかったことです。留学未経験の私がそう言えるのは、社会に出て30歳になる前、ジェトロに出向し、オーストラリアでシドニー大学の研究員として1年駐在する機会がありました。  当初は寮に1人住まいだったのですが、英語力向上も目的に、当時の日本では珍しかったシェアハウス形式の住居に引っ越しました。2人のルームメイトと過ごし、語学力はもちろん外国人との意思疎通できることの自信も培えました。この1年の経験は、役所、議員、大学教員と舞台を変えても世界各地のキーパーソンと直接やり取りできる武器をもたらしました。  また、東大の前濱田総長の9月入学改革構想に協力し賛同していましたので、“バリバリの9月入学論者”と思われているようですが、両手をあげて賛成かといえば、いくつか意見があります。  まず、私は、大学の議論と小中高の議論を分けるべきだと考えます。大学については、すでに大学の判断で9月入学にすることができるようになっています。慶應SFCは学部も大学院も、東大も公共政策大学院は、9月、4月どちらでも入学可能です。大学は、秋・春入学併用がいいと思いますし、大学が決めることです。高校の卒業時期とのずれですが、ギャップタームとして、有意義な時間になりますし、入試も、むしろ高校卒業後に行えばいいので、公立校長は喜ぶでしょうから、時期のずれは、全く問題ありません。  小中高は、私がまず申し上げたいことは、素人考えの議論はやめて「小中高の校長に、意見を集約してもらいましょう。外野は、その議論をじっと見守りましょう」ということです。当然、校長たちには、保護者、児童・生徒、教職員の意見もよく取材してもらって決めてもらいます。もっといえば、こうしたときに校長たちが黙っているのは、どうかと思います。自分たちの現場なのですから、もっと、能動的・主体的に議論し発信してほしいと思います。  これまでも、何度となく、秋入学は検討されてきましたが、便益とともに、新たな負担や混乱も生じます。そのトレード・オフを見極めて、判断してください。今年の導入であれ、来年になるにせよ、校長たちが新たな準備にエネルギーを注げるのか、現場でないとその実現可能性は判断できません。校長たちが出した判断ならば、どんな結論であっても、みんなで応援しましょう。  今回、9月入学を、政治家や一部の首長たちが提起し、メディアが乗っかっているのは、論点ずらしであったり、視聴率狙いのネタづくりのような気がしてなりません。  つまり、長らく教育にしっかり投資してこなかったツケがこの局面で回ってきていているのです。平成後半にやるべきだった改革をサボってきた責任をうやむやにする論点ずらしにしか、私には、見えないのです。  すでに3月の一斉休校から2カ月以上が経過。連休明けには緊急事態宣言の1か月延長が正式決定される公算です。6月に事態が好転しているか予断を許さない中で、すでに小中学生の生活リズムの乱れの報告があり、学力低下への懸念が強まっています。  頼みのオンライン学習も、文科省調査(4月16日)では、「双方向型のオンライン指導」ができている学校はわずか5%。教育委員会作成の動画活用(10%)、それ以外のデジタル学習(29%)を含めても半数に届いていません。OECDとハーバード大学が共同で緊急調査していますが、新型コロナになってからのオンライン授業の利用状況は先進国最低です。  なぜ、そうなってしまったのでしょうか?教育の情報化だけに議論を絞れば、機器と通信環境については市町村長、オンライン学習を立上げ運営できる人財の確保と育成については国政と知事の責任です。これまで教育の情報化や教育人材の充実をサボってきた地域の首長や、教育予算確保に関心を示してこなかった政治家やメディアが、突然、9月入学に躍起になっているのは、どうも解せません。  小中高の「9月入学」は、もちろん意味はあります、それだけに、遅れたオンライン学習導入の責任をごまかすための議論に、使われてなりません。真に子供たちの未来のための真摯な議論のなかで決めていってほしいものです。(東大・慶応大教授)

コロナ危機克服が人を成長させる【鈴木寛の「2020年への篤行録」第79回】

2020.04.13 Vol.729
 今年は桜の見頃が例年より早く訪れましたが、新型コロナウイルスの影響で世の中の花見ムードは消え失せました。私も半世紀以上生きてきて、これほど緊張感に包まれた春を迎えるのは初めてです。  日本は当初抑え込んだように見えましたが、3月下旬から感染者が急増。4月7日には初の緊急事態宣言も発令されました。一説には、中国から入ってきたウイルスの第一波が失速した後、欧米からの帰国・入国者が持ち込んだ亜種のウイルスが第二波として広がっているという指摘もあります。  そのあたりは確定的な分析を待ちたいところですが、新型コロナウイルスは、第2次大戦後に人類が直面した感染症としては最強の難敵であることは確かです。難敵である所以は、発生期には正体がわからず、有効な薬も治療法も見出せない、ようやくおぼろげながら敵の姿が見え始めると、今度は新たな症例も報告される…。 「想定外」は医療・行政の現場だけではなく、企業も同様です。顧客の動きが急減し、従業は在宅勤務せざるを得ない。資金繰りも過去になく悪化する…存亡の危機に瀕している企業も続出しています。コロナ危機は、まだ出口が見えない分、リーマンショックや3.11よりも経済的な影響は深刻です。

新型コロナ:3.11に学ばないテレビ【鈴木寛の「2020年への篤行録」第78回】

2020.03.09 Vol.728
 東日本大地震からまもなく9年を迎えるところで、新型コロナウイルスの感染拡大という新たな国難に直面しました。国の専門家会議は2月24日に「今後1~2週間が感染拡大を収束できるか瀬戸際」と訴え、安倍政権は大規模イベントの中止や延期、さらに小中高の休校を要請しました。  本稿執筆時点(3月4日)でも感染拡大がとどまる気配はみられません。「温かくなればウイルスの動きが鈍くなる」との楽観的な見方もあるようですが、2003年のSARS(重症急性呼吸器症候群)のケースでは、WHOが終息宣言をしたのは夏場でした。  確立された治療法はまだありません。新薬の開発導入には時間を要します。未曾有の危機に陥っているという点では、原発事故のときに放射性物質が拡散した事態と共通します。国民が不安と困惑の連続にいるなかで、専門家やメディアは科学的なエビデンスに依拠し、楽観にも悲観にも偏ることなく、正確なファクトを打ち出して「正しく恐れる」ように呼びかけるべきです。  しかし原発事故直後の報道と言論は、すさむばかりでした。ネットで真偽不明の情報が飛び交う中で、当時の売れっ子科学コメンテーターまで「日本にはもう住めなくなる」と発信したこともありました。  テレビ報道でも放射線モニタリングの最高値だけを強調し「福島は危ない」と煽って風評被害が拡大。某局のプロデューサーが「水素爆発の映像を流せば数字(視聴率)が取れる」と平然と私に言ったときの衝撃は今でも忘れられません。この報道のおかげで、福島に医薬品などの支援物資を届けるドライバーがいなくなり、救急搬送患者や病気療養中の方が亡くなりました。  避難と籠城、二つの選択肢を、各人のケースに応じて、慎重に見極めて判断する必要があったのに、東京のテレビが避難のみを喧伝し、それに煽られた菅直人総理(当時)は、寝たきりの高齢者の避難を強行。その結果、避難などの震災関連死が1600名に及ぶ二次被害が相次ぎました。避難関連死について、NHKを除くテレビ各社は、いまだに、自らの責任に十分に言及していません。  今回の新型コロナ感染拡大でも、まるで希望者全てにPCR検査を受けさせるべきかのような、医療資源が有限であることを無視した論者をテレビは登場させています。  政府の対処が後手に回ったのは確かで、批判、非難もやむを得ません。しかし科学的、医学的根拠が不十分、あるいは根拠はあっても非現実的な言説がはびこるメディア空間のありようを見ていると、3.11から何も学んでいないと思わざるを得ません。 (鈴木寛)

クリステンセン教授の訃報に思う“日本のジレンマ” 【鈴木寛の「2020年への篤行録」第77回】

2020.02.10 Vol.727

 彼のことを大学の講義で学生たちに紹介していた、まさにその日のことでした。ハーバード大学経営大学院のクレイトン・クリステンセン教授の訃報に接しました。名著『イノベーションのジレンマ』は、日本でも広く読まれた偉大なる経営学者です。まだ67歳。白血病で闘病中でした。  同書をまだ読んでない学生にはまさに必読だとずっと薦めてきました。企業の栄枯盛衰がなぜ起こるのか、その本質を見抜いた慧眼は、イノベーションのメカニズムを解剖し、見事に理論化しました。グローバル化やデジタル化でこれからも経済動向が千変万化していくでしょうが、クリステンセン教授の打ち立てた理論は不朽のものといえます。  クリステンセン教授の理論では、イノベーションには「持続的」と「破壊的」の2種類が存在します。文字通り、前者は、既存の製品やサービスを前提に技術的な改良を加えていくもので、後者は既存の概念を覆す全く新しいもので市場を塗り替えていくことです。有名な事例としてはカメラを取り巻く一大変化でしょう。  かつて写真フィルム事業の世界的企業だった米コダック社は、19世紀後半から20世紀にかけ、写真や映画の大衆化に貢献しました。しかしデジタル化の進展で、スマートフォン登場などの「破壊的イノベーション」が起きると市場を食われ続けてしまい、ついに2012年に倒産します。  しかし、実は同社は世界で初めてデジタルカメラを開発していました。それも1975年のことでしたから、iPhone登場より30年以上も前のこと。既存のフィルム事業の存在が同社には大きすぎてデジタル化に舵を切れなかったのです。まさにイノベーションのジレンマでした。  コダックの栄枯盛衰の本質は戦後日本にもまさに当てはまります。生前のクリステンセン教授も、「1950年代から70年代初頭は市場開拓型イノベーションか破壊的イノベーションだった」とトヨタやソニーなどの事例を挙げつつ、「90年代以降は持続的イノベーションと効率向上型イノベーションに集中し、非常に堅調だった日本経済の原動力が失われた」と指摘されています(参照:Forbes Japan)。  日本は成熟化・高齢化を背景に既存のシステムを一度壊す勇気を完全に捨て去ってしまったのでしょうか。私の学生たちの意欲あふれる姿を見ていると、決してそんなことはないと信じています。2020年代の逆襲へ、きょうも学生たちを鼓舞していきたいと思います。           (東大・慶応大教授)

「屋根なし」新国立競技場に見る日本の病【鈴木寛の「2020年への篤行録」第76回】

2020.01.13 Vol.726
 あけましておめでとうございます。いよいよ東京オリンピック・パラリンピックイヤーです。メイン競技場である新国立競技場も完成し、12月15日の竣工式に出席しました。隈研吾先生の見事な設計と、のべ150万人の方々の昼夜徹しての作業のたまもので、世界に誇れる競技場になりました。  私が文科副大臣時代に建て替えを決断し、明治神宮をはじめ近隣の組織団体にご協力をお願いに回りました。財政難を理由に建設に反対した財務省を納得させるため、toto.法を改正してサッカーくじの収益の一部を財源に充てるように調整したことなど、思い出が尽きません。完成した競技場をみて感無量です。  ただ1点だけ残念な思いもあります。竣工式の天気は幸いにも目の覚めるような青天でしたが、もし強い雨に見舞われていれば、せっかくの門出に水を差すところでした。新しい競技場には当初の構想にあった可動式の屋根がありません。皆様ご記憶の通り、建設費の高騰を巡る騒動でデザインを変更した際に屋根の設置は見送られました。  屋根の問題は散々批判されましたが、東日本大震災当時、都内の帰宅難民を対策に携わった経験から、帰宅難民の収容に極めて有効な屋根をつける案を強く主張し、当初は30万人の帰宅難民を収容できるよう計画しました。屋根があれば、大規模なコンサートも天候に左右されずに開催可能で、収益改善にも大きな効果があり、オリンピック後の維持費の問題をクリアできるはずでした。  竣工式後の懇親会で建設を進めてきた皆さんと屋根の追加工事について議論し、引き続き実現の道を探っていく思いで一致しました。ただし、今度は税金を投入しない形で進めます。税金が絡むと、この国は、マスコミが異様に問題を炎上させ、世論が怪物化して物事が何も解決しない宿痾を抱えています。  あらためて言いますが、帰宅難民対策としても収益改善にも屋根は本当に重要です。複雑な問題を解決するには知恵の出し合いしかありません。  私の教え子や友人もメディアに大勢おりますし、一人一人はいい人も多いのですが、組織となると、ひたすら炎上させて、対案は出さず、視聴率稼ぎに執心しがちです。心あるメディアの方だけでも、改心していただき、視聴率の前に、地味で落ち着いた大事な議論の積み重ねを見守ってください。皆でワンチームとなれば、よい社会はなんとか作れます。 (東大・慶応大教授)

ヤフー・LINE統合で変わる日本の人づくり【鈴木寛の「2020年への篤行録」第75回】

2019.12.09 Vol.725
 ヤフーとLINEの経営統合というニュースは、さすがに私も驚きました。ただ「ビッグカップル」が誕生したからというだけではありません。  そこまでしないとアメリカのGAFA(グーグル、アマゾン、フェイスブック、アップル)や中国のBATH(バイドゥ、アリババ、テンセント、ハーウェイ)との戦いに生き残ることができない段階になった現実を改めて突きつけられたことへの思いです。

日本のノーベル賞受賞を先細りさせないためには【鈴木寛の「2020年への篤行録」第74回】

2019.11.11 Vol.724
 今年のノーベル化学賞に、リチウムイオン電池を開発した吉野彰さん(旭化成名誉フェロー)の受賞が決まりました。いまや携帯電話やノートパソコンに不可欠なリチウムイオン電池。吉野さんが80年代に原型を開発してから30年余り、21世紀のIT社会はこのイノベーションなしにあり得ませんでした。  日本出身の科学者の受賞は、吉野さんが30人目ですが、歴代受賞者の多くが大学の研究者。吉野さんは江崎玲於奈さん(1973年物理学賞、IBM)、田中耕一さん(2002年化学賞、島津製作所)らに続く、民間企業所属の研究者として受賞されたことは大変価値あることだと思います。というのも、官民問わず、研究に投資することの大切さをあらためて認識する契機と思うからです。  資源がない日本は、人の知恵こそが富の源泉のはず。ところが官民とも心許ないのです。政府の科研費への投入額は、小泉政権の頃までは順調に伸びていましたが、次第に2000億円未満で頭打ちに。これを文科副大臣時代の私の肝いりで基金制度を導入し、2011年度は一気に2600億円まで増やしましたが、近年は2200億円台で横ばいです。  一方、民間企業の研究費は昨年が13兆7989億円(総務省調べ)ですが、こちらも実はリーマンショック前の水準にやっと戻した感じです。日本企業の内部留保が7年連続で過去最高となる463兆円にのぼったことを考えると、十分な投資をしているのか議論の余地はあるのではないでしょうか。  今回の吉野さんの受賞の報に、中国メディアでは日本を見直そうと呼びかける論調もあったようです。それはそれで誇らしいと思うものの、彼らは官民とも研究開発にケタ違いの投資をしています。日本は、少子化や理科離れという懸案を抱え、この30年、相対的には投資が不足しています。気がつけば、毎年アジアからの受賞者は中国勢ばかりとなり、日本のプレゼンスが地盤沈下してツケを払う事態は絵空事ではありません。  毎度のことですが、日本人のノーベル賞受賞が決まると、マスコミはお祭り騒ぎ。肝心の研究の中身のことは小難しいからとばかりに、受賞者の人柄や生い立ちなどのヒューマンストーリーに焦点が集まりがちです。  吉野さんたちの世代の受賞が「最後の砦」になるのか。浮かれている場合ではありません。科学や研究開発に対する日本社会の総合的なリテラシーが問われているのです。

批判的思考の欠落が日本を迷走させてきた【鈴木寛の「2020年への篤行録」第73回】

2019.10.14 Vol.773

 日本経済の問題を鋭く指摘し続けているデービッド・アトキンソンさんが、東洋経済オンラインのインタビュー記事(10月3日)で興味深い話をされていたのを拝見しました。アトキンソンさんは、人口減少と少子高齢化が進む日本の経済、社会にとって、 生産性の向上が重要であると訴えてきたことでおなじみですが、生産性の低い原因を日本人の働き方、つまり労働者個人の責任に負わせてしまい、中小企業が多すぎるなどの産業構造に原因があるのに「表面的な経済議論しか行われず、泥縄的な解決策しか出てこない」と苦言を呈されます。  そして、日本のリーダーや専門家が提案する解決策が「失敗」する理由として、「徹底的な要因分析」をしないことを挙げられていました。インタビューでは、事例として女性活躍を挙げ、諸外国よりうまくいかない理由として、保育所を作るという大雑把な話ではダメで、規模の小さく経済合理性の低い企業で働く労働者の比率が高いとする海外の要因分析を紹介しています。  産業構造に対する彼の見方への賛否は脇に置いて、教育的視点から見逃せないと思ったのは、「徹底的な要因分析」をしないことです。問題の分析には、クリティカルシンキング、つまり前提を疑ったり、問題の所在を一つずつ丁寧に腑分けしたりする批判的・分析的思考が欠かせませんが、アトキンソンさんの指摘を“私なりに要因分析”すると、日本の教育では、そうした思考法を徹底的に鍛える環境が非常に少ないのは事実です。  それでも、理系の人材は分析思考の素養があり、社会人になってもエンジニアや研究者などとして職業的に鍛えられていきますが、問題は文系人材。私立大学の受験生は数学を選択しなくてもよく、マークシート方式の受験では記述もなく、用意された選択肢から「無批判」に選んでいるだけです。  そのまま社会に出て行くので、与えられた仕事はこなせても、答えのない問題が起きた時に冷静な分析ができない。だから苦労や迷走をしてしまうのです。当然のことですから、仕組みを作って問題を解決するという発想も出てきにくいのです。2020年度からの入試改革の目的もこれを打開することにあります。  日本の社会は文系人材を幹部に登用することが多く、クリティカルシンキングが足りないままリーダーや経営者になりうることが深刻です。アメリカの有名大学の前総長に以前聞いたところ、名門企業は就職試験でクリティカルシンキングを重視するそうです。日本もそうしたところから変えるべきでしょう。 (東大・慶応大教授)

ラグビーW杯、平尾さんと作りたかったレガシー【鈴木寛の「2020年への篤行録」第72回】

2019.09.09 Vol.722
 ラグビーワールドカップ(W杯)日本大会がいよいよ20日に開幕します。日本は同日、ロシアと初戦に臨み、28日にアイルランド戦、10月5日にサモア戦、そして13日には前回大会で黒星を喫したスコットランドとの顔合わせとなります。強敵ばかりですが、開催国のプライドをかけて初の決勝トーナメント進出に期待したいと思います。  自国開催のW杯という一生に一度あるかないかの大一番が近づき、胸がおどる一方で、やはりこの人と一緒に見届けられない無念もあります。3年前に亡くなられた元ラグビー日本代表の平尾誠二さん。「スポーツを通じて社会を変えたい」という同じ志を持ち、さまざまな活動をご一緒させていただきました。  2017年3月の本欄でも書きましたが、阪神大震災に見舞われた神戸の街を、スポーツの力を通じて活気づけようと、2000年に総合型地域スポーツクラブSCIX(スポーツ・コミュニティ&インテリジェンス機構)を設立。神戸製鋼でGMだった平尾さんが理事長に。そして、神戸生まれとはいえ、当時、無名の大学教員に過ぎなかった私を副理事長に選んでくださいました。  最初はラグビーから年代・性別を問わず、一緒にスポーツを楽しむことを通じて、コミュニティづくりをめざしました。私は政治家になる前から、市民が自立・自律・自発協働する場を作ることをライフワークとして実践し、教育分野ではコミュニティ・スクールを手がけてきましたが、スポーツの分野では、平尾さんとSCIXを立ち上げることで、それまで学校体育主導だった地域スポーツに一石を投じることができました。(なお、SCIXは、日本のNPOとしてスポーツ分野で国から認可を受けた初の事例でした)  私がコミュニティづくりに力を入れるのは、日本社会はいつの頃からか、何か問題に直面し、直ちに解決できないときには、すぐ「お上」に頼るようになっていたことに危機感があったからです。しかし、まずは、自分たちの知恵や人脈を駆使して、解決策を探る「自治力」がなければ、持続可能な発展はあり得ません。それは、地方創生で地域ごとに明暗が分かれているのを見ればよくわかることだと思います。  平尾さんは生前、「スポーツは新しいソーシャル・キャピタルとして、その存在意義がますます高まっている」と語られていました。今大会の会場、岩手県釜石市は平尾さんに影響を受けて、震災復興と地域活性の原動力に大会を生かそうとしています。私もその遺志を受け継ぎ実践したいと思います。

れいわ、N国旋風で問われる政治教育の今後【鈴木寛の「2020年への篤行録」第71回】

2019.08.12 Vol.721
 このコラムをお読みの方で「ドラえもん」をご存知ない人はいないでしょう。今から33年前に刊行された単行本の36巻に「めいわくガリバー」というお話があります。  ガリバー旅行記に感化された、のび太が小人たちの世界に行けば、自分がヒーローになれると思い、ドラえもんに懇願して宇宙旅行に出発。思惑通り小人のいる星に辿り着くのですが、街を歩けば「車を踏みつけるな」「交通事故になる」とクレームをつけられる。空き地に仮住まいのハウスを立てると、町中を日陰で覆ったとして裁判所から立ち退き命令を下される……といった具合で、難渋してしまいます。 「めいわくガリバー」は、ドラえもんを題材にして小学生が政治の仕組みを学べるよう、私も監修した『ドラえもん社会ワールド −政治のしくみ−』(小学館)で収録しました。なぜこの話を選んだのかといえば、世の中でことを成そうとしても、必ずトレードオフや矛盾とぶつかるという政治の現場の本質をわかりやすく伝えようと思ったからです。  先月の参院選は既成政党に勝者がいない中、新興政党のれいわ新選組とNHKから国民を守る党(N国)が初めて議席を獲得したばかりか、得票率で政党要件をも確保して衝撃を与えました。いずれも選挙前までは政党要件を満たさない政治団体に過ぎず、新聞やテレビでほとんど取り上げられることがなかったのに“躍進”したことが驚きをもって受け止められました。  両党はネットを主体にした選挙戦で、先鋭化した主張をしていました。これまでの政治や社会の不満に訴求し、かなりの共感を呼んだのは間違いありません。それぞれの政策の是非には立ち入りませんが、確実に言えることは、有権者の心の捉え方が実に“巧み”でした。  新聞、テレビ等、マスメディアの客観的なフィルタリングを通した選挙「報道」と異なり、ネットは政党や候補者らが発信する「宣伝」情報がそのまま有権者に届くことになります。逆にいえば、有権者一人ひとりに判断する力が問われることになります。  そして、その判断の礎になるのが、まさに子どもの頃からどのような学びをしてきたかなのです。しかし日本は長らく家庭だけでなく学校ですら、大人と子どもが政治についてじっくり論じたり、考えたりする機会がほとんどありませんでした。三権分立の図解は知っていても、ドラえもんの話で紹介するような社会の矛盾との向き合い方などには無頓着なのです。  そうした主権者教育の「空白」を突かれた部分はないのか。ネット時代に年々巧妙化する政治マーケティングへの対策は待ったなしです。 (東大・慶応大教授)

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