“世界三大ウザい国”モロッコは本当にウザいのか?現地で感じた自分の「ウザいハードルの低さ」

値札がないからこそ、人それぞれの価値基準が尊重される
マラケシュ発でサハラ砂漠に向かおうとすると、途中とんでもない山道を抜けていくことになる。帰りは500キロ以上の道のりを一気に走ることもあり、酔い止め薬が必須だ。薬を持っていくのを忘れて体調を崩していたら、ガイドが薬と一緒に軽食も渡してくれた。モロッコではチップ文化があるので、いくらか手渡そうとしたら、分かりやすい英語で「4日も一緒にいたら、兄弟みたいなもんだろ」と断られた。
チップ文化も値下げの文化も、客とサーバーの交流のためにあるものともいえる。ものの値段やサービスに対して、個人の価値観で値段をつけることが許されているのだ。
モロッコといえば、料理の定番はとんがり帽子型の鍋で蒸し焼く「タジン鍋」だが、基本的にどの街でもタジン鍋を食べることになる。太陽に照らされて美味しく育った野菜や果物をシンプルに調理し、それぞれの感性で味付けする。値札がないモロッコでも、飲食店にはメニューがあるため、値段が分かった状態で注文することができる。
味付けの好みは人それぞれ違うので、ネット上でも飲食店の評価は割れる。そんな中で、自分が気に入った料理には、チップを払うのだ。

モロッコらしい陶器やラグ、ランプも、ハンドメイドのものが多いので、店によって置いてあるものが全く違うのも特徴的だ。しかし絵柄にも使い心地にも、好みはある。ものの価値が手に取った人によって変わるのもまた、当たり前のことだ。
値段交渉があることで、自分の好みや価値基準を店主に伝えることができる。もっと気に入るものを紹介してもらえることもあるし、店主にとっては仕入れの参考になるのかもしれない。
明朗会計は便利だが、店と客の交流は生まれづらい。店が設定した金額に対して「その価値がない」と感じられれば、その場では何事もなく会計が終わることが多いものの、客側は「リピートはないな」と心の中で思うことになる。
アフリカ大陸の端の国、まだ発展途上であるモロッコは、コミュニケーションが盛んな国だった。ウザいと感じるかどうかは人それぞれだと思うが、交流の中にある喜びを感じることができたなら、モロッコはきっと「また訪れたい国」になるはずだ。
(取材と文・ミクニシオリ)