がんで死去のプロレスラー橋本友彦さん 10日に告別式。故人の遺志で誰でも参列可能に

病気療養中だったプロレスラーの橋本友彦さんが8月5日に亡くなった。享年47歳。
7日に自身が代表を務めるプロレスリングA-TEAMから通夜と告別式の日程が発表された。
奈良県出身の橋本さんは柔道で鍛錬した後、2000年4月に故・木村浩一郎さん率いるJPWAでプロレスデビュー。2002年にはDDTに入団し、髙木三四郎らをパートナーにKO-Dタッグ王座を3度戴冠。プロレスと並行して、総合格闘技にも挑戦し、2003年12月31日の「INKOKI BOM-BA-YE 2003」ではアリスター・オーフレイムとも戦った。DDT退団後は自身のプロデュース興行「TEAM MAKEHEN」を主宰し、紫雷美央、紫雷イオ(現イヨ・スカイ)を発掘し育成。その後、アパッチプロレスを経て、2017年2月にA-TEAMを旗揚げした。これまで、WEWヘビー級、WEWタッグ王座のほか、2021年にはZERO1のインターコンチネンタルタッグ王座にも君臨した。今年4月でデビュー25周年を迎え、A-TEAMのリングでは尊敬する藤田和之と幾度となく熱闘を展開してきた。
そんな橋本さんが体調の異変を感じたのが昨年2月。病院を受診したところ、肝臓に異常が見つかった。それでも、試合には出場していたが、精密検査の結果、9月9日に肝臓がんステージ2と告知された。11月19日、都内の病院でラジオ波焼灼術による治療を受けた。体調は万全ではなかったが、12月に復帰。その後の定期検査でいったんはがんが消えたこともあった。
今年4月20日の東京・ひがしんアリーナ(墨田区総合体育館)での「A-TEAM旗揚げ8周年記念興行」ではタッグマッチながら、藤田との再戦が実現し、STOでピンフォールを奪った。試合後には藤田とシングルでのリマッチを約束し、固い握手を交わしていた。
そんな折り、5月の定期検査の結果がかんばしくなかったため、同中旬に精密検査を受けたところ、治療が難しい部位にがんが再発していることが判明。主治医から、抗がん剤など西洋医学での治療は困難との宣告を受けた。別の病院を回ったが医師から伝えられた答えは同じだった。
一時は失意のどん底だった橋本さんだが、気持ちを切り替えて、今後は東洋医学、湯治、食事療法などで治療を行っていくことを決断。そこで、橋本さんは治療に専念するべく、プロレス活動の休業を決めた。6月22日の千葉・オリエンタルホテル東京ベイ大会に強行参戦し、「休業前ラストマッチ」を行い区切りをつけた。試合後、橋本さんは「必ずどんな形であれ、もう一回戻ってきます!」とファンに約束したばかりだった。
同団体では、橋本さんの高額な医療費を支援すべく、8月24日、新木場1stRINGで「橋本友彦AID大会」の開催を決めた。全選手がノーギャラで参加し、大会の興行収入から必要経費を差し引いた全額が治療費として、橋本さんに贈られる予定で、趣旨に賛同した多くのプロレスラーたちの参戦が決まっていた。そんななかでの突然の訃報だった。
なお、橋本さんの通夜は8月9日午後6時より、告別式は10日午前11時より、シティホール西葛西(東京都江戸川区西葛西3-4-23)で執り行われる。喪主は妻の橋本美穂さん。故人の遺志及び家族の意向により、誰でも参列できるとのこと。
また「橋本友彦AID大会」については、後日、発表される。