「新しい挑戦へ」【SOD女子社員・負け犬女の働き方改革】#20

2020.10.23 Vol.web Original
「働き方」というテーマで書き始めたこの連載も、なんと今回で20回を迎える。  多少寄り道をした回もあったものの、この一年近く「働くということとは」「仕事とは」ということを考えるいいきっかけになった。  そんなタイミングではあるが、長年担当してきた女性向けの動画サイト「GIRL’S CH」の担当を外れることになった。 (実はささやかにこの記事のプロフィールも変更済だったりします。)  担当を外れる理由は単純に、会社での組織変更で、新規事業の立ち上げを担当することになったから。  本当は4月には異動していたのだが、引継ぎなどもあり、ようやく今の時期になって完全に離れることになった。  2013年の立ち上げからずっと携わってきたので、正直サイトを離れるのは心苦しい。  会社員だから会社の指示には従うしかないし、受け入れられないなら辞めればいいだけの話なのだが、そんな簡単に割り切ることもできない。  気がかりなことも多かったが、新しい事業に専念できるよう心身ともに整理して、ようやくこの一ヶ月程度で心が決まった。  これまでの8年間を振り返ってみると、しんどい思いをしたこともたくさんあるし、記憶がないくらい忙しかったこともあった。  まわりに迷惑をかけたし、私のわがままやこだわりでいろんな人に面倒をかけたと思う。  ただ、ソフト・オン・デマンドの営業部に新入社員として入社して、その後部署を転々としたのち、事務職で毎日ミスなく業務をこなすことが仕事のすべてだった毎日からは考えられないほどの刺激と、素晴らしい経験をした8年間だった。  たとえば、オリジナル動画「大人の社会科見学」の制作だ。  現場経験の全くない私が、いきなり動画を作ることになるなんて、入社当時には思いもしなかったし、今周りを見てもこんな経験をした社員はいないのではないだろうか?  一応大学時代は映画を撮ったり脚本の勉強をしていたので、企画や一連の流れまでは作れたものの、機材のことも出演者との契約の仕方もわからず、制作部の人を巻き込んでというか丸投げして、なんとか撮影を終えた。  編集も会社の編集部の方にお願いをして、通常業務のあと朝まで時間をいただいて仕上げていただいた。  当時の関係者には足を向けて寝られない。  しかしその翌日、作品のプレビューが行われ、「ノリが深夜番組で暗い」という理由で一旦ボツになってしまった。  ただこれがありがたいことに、結果的に憧れの大先輩が編集の手直しをしてくださり、ポップな作品に生まれ変わり、サイトでの配信にこぎつけることができたのだった。  この作品をきっかけに多くの人に「GIRL'S CH」を知ってもらうことができ、今でも好きな企画として名前を挙げてくださることがある。 (ちなみに、このシリーズはGIRL'S CHだけでなくFANZAでも配信中なので、男性も女性も是非ご覧ください。)  これ以降、インタビュアーのような立ち位置で動画に出演したり、Twitterやイベントで「田口桃子」というキャラクターで発言をするという新しい動きも生まれた。  サイトを代表して取材の対応をさせていただいたり、イベントに出させていただいたりと、広報的な仕事もこのときが初めての経験だった。  この連載もその一環で始めたものだったので、「大人の社会科見学」という最初の一歩がなければこうして文章を書くこともなかっただろう。  今こうして新規事業の裏方として仕事をしていると、これまでは「田口桃子」に助けられながら、「田口桃子」に苦しめられてきた部分もたくさんあったということに気付く。  狭い範囲かもしれないが、情報を発信したり、提案をしたりして、「田口桃子」というキャラクターを作り上げてきたつもりだった。  Twitterでくだらないことを書いたり、コラムで時にはプライベートなことを書いたりするもするが、それも人間味をもたせる一つの手段であり(成功してるかどうかは別として)、アダルト業界にいる人間も普通の人間なんだと思ってもらうきっかけになればと思って色々なことを発信してきた。  実際に、作品からではなく私のコラムから、女性向けAVやアダルトグッズ、女性向け風俗の世界を知ってくださったという方や、「Twitterを見て性的なことへの後ろめたさが少しなくなった」と言ってくださる方もいた。  だから仕事が変わることで、「田口桃子」が頑張ってきた仕事を、これからは引き継げないという悔しさややりきれないなさで、むなしくなった。  これまでの頑張りがゼロになってしまうと思った。  だが、これまでも「田口桃子」という名前が頑張ってきたわけではなく、ひとつひとつ経験を積み重ねてきたということが、名前がなくなって逆にわかった。  私の強みはなにか、自分には何ができて何ができないのか。 「田口桃子」というフィルターがなくなって初めて、自分の本当の力量が見えるようになってきたし、これまでのGIRL'S CHという看板が取り外されてから生まれた結果、得た成果はシンプルに自分の力だという自信にもつながった。  8年間慣れ親しんだサイトを離れるのはまだ寂しいけど、こうしてまた新しいチャレンジができ、新しい自信を得ていくのはとても嬉しい。  というわけで、GIRL’S CHからはずれ、それとともにサイト自体のリニューアルも行われました!  URLもこれまでのgirls-ch.comから、girls-ch.jpへと変更になりましたので、ぜひブックマークの変更をお願いします。  私はというと、引き続きSODで別のお仕事を頑張っていますので、このコラムやTwitterなどで近況をお伝えしていくことになるでしょう。  引き続きよろしくお願いします!

営業というコミュニケーション【SOD女子社員・負け犬女の働き方改革】#18

2020.09.11 Vol.Web Original

今回の話し相手: 堀江もちこ

(株)トータル・メディア・エージェンシー営業部。WEB制作会社、人材広告会社、アダルトビデオメーカーに勤務後、現職。DVDメーカー「TMA」、グッズメーカー「タマトイズ」の営業を担当。2019年に光文社より著作「オナホ売りOLの日常」が発売中。好きなAV女優はあべみかこ。 TMA公式サイト: https://www.tma.co.jp/ Twitter: https://twitter.com/CO_mochi_mochi
―――これまで前職も含めて仕事をしてきて、挫折した経験ってありますか?また、どうやってそれを乗り越えましたか?  ライターのときは挫折いっぱいありましたけど、克服できてないからやめたんだと思います(笑)私はどこが悪いのかわからないけど、「これじゃちょっと…」と言われて、何が悪いんだろうっていう。お客さんが求めていることを汲み取れていなかったんだろうなって今は思うんですけど、当時それがわからなくて。 ―――ライターの仕事は、辞めるにあたって、「逃げちゃったな」みたいな気持ちはあります?  それはあるような気がします。うまくいかなかったから。ただ、「耐えられなかったな」って思いますけど、合う合わないがあるからしょうがなかったのかなって今は思いますね。自分にとっての苦手な仕事がわかってよかったとも思います。 ―――何というか、良い意味でドライというか、身の程を知って自分の範囲の幸せを見極めるのがすごい上手という感じがします。  そうかもしれないですね。  ライターを辞めたあとも広報だったじゃないですか。広報で文章書ける仕事をして、何かうまくいったらなっていう思いもあったんですよ。でも結局それが環境の要因で叶わなくなってしまって、営業職に転籍になって、そっちのほうがうまくいったから、結果的にその気持ちが薄れていったというのもあるのかもしれないですね。これで営業が合わない仕事だったら、もっと引きずっていたかもしれないですけど。営業で働いて楽しいなって思えたから、無理して合わない仕事をやり続けなくてもよかったんだなって、今になって思いますね。  ただ、書く仕事をずっとしてたので、本を書けてよかったなとは思っています。書く仕事をしてても、本を書けない同僚たちがいっぱいいるんですよ。今の仕事をしたからこそ、それが叶ったっていうことで、自分の中で納得できたのかもしれません。 ―――本を出版するということにもともと夢や憧れってあったんでしょうか?  ありましたね、大学生の頃から、いつか書きたいなとは思ってましたね。 ―――この「オナホ売りOLの日常」という本なんですが、出版を前提で連載されていたんでしょうか?それとも連載を始めてから、本にまとまったのでしょうか?  出版ありきの企画でしたね。飲んでてたまたま編集者の方が隣で、「私こういう仕事してて、いつか本書きたいんです」っていう話をしたら、「じゃあ企画書送ってください」って言ってくれて。それでまずは連載で出して、最終的には本にしましょうっていう話になりました。  でもその前も、何社か人づてに企画書を見せたりしていたんです。それでもなかなか話がうまくいかなかったのが、飲み屋で会った編集者の方とのお話がうまくいったって感じですかね。 ―――営業になってからの挫折は何かありますか?  営業だと、最初が大変だったってことですね。女性の営業がいないから、「すぐ辞めちゃうんじゃない?」とか「ちゃんと仕事できるの?」という風に見られていて、それを解消していくのは大変だったなあと思いますね。三年くらい働いてやっと受け入れてきてもらえたような気がします(笑)。積み重ねで信頼を得てきたような。 ―――堀江さんの思う、営業という仕事の魅力ってなんでしょう?  私、結構人見知りもするし、コミュニケーションがうまくなくて、雑談するのが苦手なんです。でも、営業って話す内容が決まってるから、話しやすいなと思うんですよね。商品を売るという目的が決まってるから、初めての方でも、まずは商品の案内して話して、そこから個人的な話をしたりとか……そういうコミュニケーションができるのがいいなって個人的には思いますね。 ―――商品をきっかけにして、人と人とがつながれるというような。  そうですね。  私、自分の考えとか思うことを言葉にするの苦手だなって思ってるんですよ。書くほうがまだ自分の気持ちを伝えられる気がしてます。だからこそ、営業の形のコミュニケーションはすごくやりやすいなと思います。  あとは、すごくコミュニケーションに集中できる気がしますね。書く作業だと、自分から「よしやろう」って集中力を発揮しないといけないと思うんですけど、営業って電話かけたらそこに集中せざるをえないところがいいなって思います。相手と話すから、そぞろな気持ちだとできない。 ―――瞬間瞬間のコミュニケーションに集中できるところが、良さとも言えるのかもしれないですね。  あとは、ありきたりですけど、人と話すのは楽しいなとも思います。勉強になりますし、インプットが増えるというか、いろいろ知識が増えるなという風に思いますね。やっぱり人と会うのは楽しいですね。 ―――これから先も、営業の仕事ずっとやっていくと思いますか?または他にやりたい仕事はありますか?  営業は楽しいから続けたいとは思ってます。あと最近、私の本が翻訳されて、台湾に売ってたりするんですよ。だから海外の仕事もしたいなとも思いますね。去年台湾のイベント手伝いに行ったんですけどそれも楽しかったので、何かできればと。  先のことは全然わかんないですね。だってこの業界に入ったとき、自分が本を書いて台湾語に翻訳されると思ってなかったし、どうなるか本当にわかんないなって思います。 ―――今の仕事は楽しい、ってことで。  そうですね。 「営業」という仕事は、物を売って利益を出すことが目的である。  でもその本質は、販売する物をコミュニケーションツールとして、自分の思いを誰かに伝え、気持ちと気持ちをつなげる仕事なのだと、堀江さんのお話を聞いていて感じた。  営業の部署にいた頃の私は、仕事の目的も、その仕事でどんなことが達成できるかもわからないまま、ただ目の前のタスクをこなすことに精一杯だった。  本質が見えないまま取り組んでいたということが難しいと感じる一因で、苦手意識を生んでいたのかもしれない。  作品に自分の思いを投影させる制作、作品の良さを広く知らせる広報、そして作品を人の手に届ける営業、形は違えど仕事とはすべて誰かとのコミュニケーションの上に成り立っているようだ。

アダルト業界の営業の仕事とは?【SOD女子社員・負け犬女の働き方改革】#17

2020.08.28 Vol.Web Original
 不定期企画、同じアダルト業界で働く女性へのインタビュー。今回はこんな方にお話しをお伺いしてみた。

自分のためにしか働かない【SOD女子社員・負け犬女の働き方改革】#5

2020.02.28 Vol.web Original
会社に行けなくなった私は、年間最大40日もある有給休暇を使い果たす寸前だった。 しかもまだ元気だった頃に、友達とブラジル旅行に行くことを決めており、飛行機も宿もとってあったので、一週間ほど会社を休む予定になっていた。 会社を辞めるにも、次の仕事のアテもなければ蓄えもなく、転職活動をする時間もない。 そして辞めたとて、不眠症でパニック障害も抱えている自分を雇ってくれる会社などあるのだろうか。雇ってくれたとして、ちゃんと働けるのだろうか。 不安ばかりだった。 ブラジルから帰ってきた2017年の4月、GIRL’S CHを離れ、営業部での生活が始まった。 それまでは上司が気にしない(のかあえてそうしてくれていたのかわからないが)人だったので、多少の遅刻は大目に見てくれていたが、営業部ではそうはいかなかった。 1分でも始業時間に間に合わなければ遅刻となり、注意される。 当然のことだ。 しかしその替わり、退社時間も毎日同じくらいであることが多かった。 出勤・退勤の時間が固定され、規則正しい生活を送れるようになった、いや、送らざるを得なかった。 遅刻はペナルティや評価ダウンにつながり、そうなれば自分はもうこの会社でも他の会社でも働けない、まさに背水の陣。 私の人生の最優先事項は「遅刻をしないこと」になった。 とにかく普通の人間にならなければ。 その一心だった。 遅刻をしないことを最優先にした生活は、本当につまらなかった。 同じ時間に起きて同じ時間に寝る。 何かに感動しても、その心地よさを感じながら夜更かしする余裕はない。 悲しい気持ちを気が済むまで引きずることもできない。 やることと言えば毎日、同じように会社に行って、帰ってきては転職情報を眺めることぐらい。 山もなければ谷もない生活。 私にとってはこの毎日が苦痛だった。 しかし、意外にも、それを毎日続けることが、徐々に私の自信になっていった。 毎日同じ時間に会社に行き、決められた時間を勤務することができる、それだけで少しだけ普通の人間に近づけたような気がした。 なかなか薬の量は減らなかったが、徐々に電車に乗ったり、でかけたりすることができるようになった。 そしてそれから1ヶ月、2ヶ月、と悩み立ち止まりながら日々を過ごしているうちに、巻き込まれる形で始まったのが、第一回目の「イケメンフェスティバル」というイベントの準備だった。 開催当時、連載でレポート記事を掲載したので詳しくはそちらをご参照いただきたいのだが(https://www.tokyoheadline.com/383066/)、このイベントはSOD本社をまるまる使って、そこに女性向けのサービスを営む店舗さんにブースを出してもらい、お客様に楽しんでいただくという内容である。 2017年当時、GIRL’S CHでこのようなイベントを開催したことがなく、何を用意すればいいかも、何が正解なのかもわからなかった。 はからずも、この期間に離れていくスタッフもおり、物理的にも人手が足らない。 というわけで、私も営業部の業務をしつつもイベント準備に合流することになった。 イベントは楽しかった。 毎日寝食を惜しんで準備しても、なにも苦にならない。 仲間たちと朝まで作り物をしていても、眠さや疲れはあれど、心のどこかは楽しんでいた。 当日は不測の事態が次々と起こり、あっという間の一日だった。 つらいことやしんどいことも山のようにあったが、喜びを感じる瞬間もたくさんあった。 やはり私は、「つらいことはないけど、感動することもない毎日」よりは、「ものすごくつらいことはあるかもしれないけど、ものすごく楽しいこともあるかもしれない毎日」が好きだということを、このイベントを通して再確認したのだった。 ただ同時に、巻き込まれるように始まった仕事だったので、自分に最終的な責任や決定権はなく、それが悔しくもあり歯がゆかった。 準備しているうちにイベントに対する思いが強くなったのに、このイベントが自分のものではないというジレンマでつらかった。 イベント終了後に一人会社に残り、朝方まで精算をして、大雨の中歩いていたら涙が止まらなくなってしまった。 なぜ私は自分の評価にならないことをこんなに頑張っているのか、なぜこんなに頑張っているのに報われないのか。 それはその仕事を「自分のもの」にできていなかったからだ。 いつも会社の意向や上司の顔色を気にして、怒られないように働いていた気がする。 私に足りなかったのは、「仕事を自分のものにする」ことだったのではないだろうか。 誰かのために、会社のために、自分を後回しにしてガムシャラに頑張っていた。 自分を雑に扱ってきたツケが、そもそもの体調不良を引き起こしたのだろう。 もっと自分本位で生きていたら、そもそも体調も崩さなかったかもしれないし、部署異動もなかったかもしれないし、転職するとかどうとかでいちいち悩まなかったかもしれない。 全部「かもしれない」の話ではあるが、大切なことに気付くまでにずいぶん遠回りをしてしまったように思う。 2017年の年末、もう私は自分のためにしか働かないと、心に決めた。

「普通の人間になりたいだけなのに」【SOD女子社員・負け犬女の働き方改革】#4

2020.02.14 Vol.web original
 そのように、2017年に部署異動を経験した私だが、この辞令を言い渡された理由には心当たりがあった。精神疾患の悪化だ。  もちろん他にも理由はたくさんある。売上実績を作れなかったとか、チームの体制立て直しであるとか。  いずれも一般的な理由であり、部署異動に納得していないわけではない。  だが確実に、私の体調不良がまわりに与える悪影響もあったと、個人的には思っている。  私が体の異変を感じ始めたのは2012年、GIRL’S CHの立ち上げの半年ほど前だ。  土日になると頭痛がひどく、予定をキャンセルして一日中寝ていることが増えた。  ニュースで見たのか自分で調べたのか覚えていないが、「頭痛外来」というものを見つけ、そこに通うようになった。  頭痛自体は朝晩1錠ずつ薬を飲む程度で解消し、すぐに動けるようになった。  しかしその頃から私の体は、何かストレスを感じるとすぐにつまずくようになってしまったのだ。  年が明けてからGIRL’S CHの立ち上げがあり、日々サイトの更新作業に追われるようになった。  毎日新しい動画をアップしたり、デザインの変更をしたり、キャンペーンをしたり、常に何か新しいことに取り組み続けたが、人手が足りず長時間労働になった。  帰りは終電どころか、何日か泊まることも少なくなく、会社には寝間着用のジャージやコンタクトレンズの洗浄液、歯ブラシなど日用品も用意している状況。  大好きなダンスのレッスンもなかなか通えなくなったが、仕事が楽しかったのでなんでもよかった。  サイトの運営がうまくいかないときは落ち込んだりしたが、病院に行ったり、ちょっと休んだり、酒を飲んだりして、ごまかしながら数年が過ぎた。  スタッフの人数も増え、会社に泊まるようなことはほとんどなくなり、趣味のダンスも徐々に再開し始めた頃、急に何もできなくなった。  まったく眠れなくなってしまった。  眠れなくて疲労が抜けず、いつも神経が張り詰めていた。  人が多いところに行くと過呼吸になったり、身動きの取れないところにいくと動悸が激しくなったりして、日常生活を送るのが困難になってしまった。  もともと通っていた頭痛外来が心療内科を併設していたので相談し、「まずはしっかり休んで」といくつかの薬を処方された。  調べたら、不眠症改善に使われる薬と、抗うつ剤など。  不眠症改善に使われる薬は、「効き目が強いので、飲んだら8時間外出しないこと」という指示が出ていた。  それまでは仕事も趣味も限界までやることが正義だと思い込んでいて、睡眠時間は4時間程度、それが薬のせいで倍になる。  一日は24時間しかない、動ける時間が4時間も減ってしまう。 焦った。  これまでいろんなことに気を遣って、効率が悪かろうととにかく頑張って、なんとか人並みの生活を送れていたと思っていたのに、ただ寝ているだけの時間が4時間も増えてしまう。  私が寝ている間に、急に対応しなければいけない仕事があったら。 睡眠時間を削ったらできたかもしれない作業が、できなくなってしまったら。  私が休んでいる間に信頼を失って、今まで努力した(と思っていた)ものが崩れ去ってしまったらどうしようと不安で仕方がない。  睡眠時間が増えて体力的には回復したが、そんな焦りが自分を精神的に追い詰めるようになってしまい、酒に走った。  深酒をするが、毎日8時間は寝る。  すると朝起きられない、会社にも行けない。  会社に行けない自分により一層自己嫌悪を抱き、また酒を飲む。  そんな悪循環の真っただ中で言い渡された辞令が、前回書いた部署異動だったのだ。  会社には行けないし、大好きな仕事からは離れなければいけなくなった。  まさに2017年年初の自分は、絶望していた。  しかし、そこから立ち直るきっかけは、意外にもこの部署異動にあった。 (次回に続く)

「自分の名前で生きる」【SOD女子社員・負け犬女の働き方改革】#3

2020.01.24 Vol.web original
 今でこそ自分がおかしかったような気もするが、3年くらい前の私は、本当にソフト・オン・デマンドの社員であることが心の底から誇りだった。 いつ何時も、仕事中もプライベートでも、自分がSODの名に恥じない行為をしようと心がけていたし、なぜか特別な使命を受けていると勘違いしていた。  それが崩されたのは2017年頃、突然の部署異動の辞令だった。 私がやっていた仕事は特別な仕事ではなく、他の誰でもできる仕事だと言われた気がして、心が折れ、もう会社を辞めようと思った。  いざ会社を辞めようとしたとき、さらなる壁にぶつかった。  自分の得意な仕事がわからない。  それまでの私の仕事を支えていたのはプライドとやり甲斐で、いざ何ができるのかと客観視したときに、「営業職」とか「広報・PR」とか、そういったわかりやすい特技が何もないのだ。  世の中で成功している人はきっと自分を俯瞰して、キャリアを作りながら仕事をしているのだということにようやく気付いた。 つまり自分を俯瞰して見れていない時点で、自分はもうすでに「負け組」だったのである。  そしてそれよりも大きく立ちはだかったのが、「SOD社員である自分」だった。  この会社を辞めたときに、誰が仲良くしてくれるのだろう?  誰が私に価値を見出してくれるのだろう?  友達はみな、少し変わった業界にいる人間だから面白がって付き合ってくれているのではないか、そんな不安に駆られた。  SOD社員でない私に、面白話のできない私には、用は、ない。  だから怖くて、辞めるということを会社に言えなかった。 (ちなみにその結果、部署異動した2017年の年末に、ありがたいことに元の部署に戻ることになり、結果今でもSODで働いている)  上の世代はとっくに自分の場所を確立していて、同世代はどんどん自分の場所を作り始め、自分より若い世代はそもそも自分の立場や立ち位置がわかった器用な人しかいない。  こんなに優秀な人しかいない世界でこれ以上生きていける気がしない。 そんなことを考えていた矢先に、2回前の記事で書いた忘年会が行われたので、さらに自信はそがれるばかりだった。  それからさらに時間が経った今では、いかに自分が自分の人生を生きていなかったかがよくわかる。  SODの社員として「こうすべき」「こうあるべき」と私がイメージする規範から、いかにはずれないかばかりを重視して生きていたのだ。  社会に出てから十数年で私は、SOD社員ではない自分に価値を見出すことができない、自信のない人間になってしまった。  だから今こうして書いているこれらの文章も、「SODの田口」ではなく、ただの「田口桃子」として生きていく練習というかリハビリなのである。 前回書いた、本名顔出しで文章を書く意味は、SOD社員としての仕事以上の、私自身の言葉を紡ぐことにあるのではないだろうか。

「実は私も症候群」【SOD女子社員・負け犬女の働き方改革】#2

2020.01.10 Vol.WEB Original
こういう仕事をしていると、なぜか内緒話を打ち明けてくれる人が多い。 この間もそうだった。 同じアダルト業界ではないが、いわゆる「源氏名」で働いている男性に、私の仕事が知られてしまった。 私の仕事は、女性向けのアダルトビデオを販売すること。 ソフト・オン・デマンドという20年以上続くAV会社で働いている。 その会社で、気が付けばもう5年近くも、こうして名前や顔を出して文章を書くことを、業務のひとつとしている。 (ちなみに私の名前は本名である) 最近はあえて「顔出しであること」「本名であること」に価値を置いたり、逆に匿名であることこそ価値があるとされたりと、書き手のスタンスやプロフィールにも重きが置かれている傾向がある。 私としては結局はどちらでもよいのだが、こうしてSNSが当たり前になる前は、アダルト業界でも顔出し本名であることはそれほど珍しいことではなかった。 なぜならAVメーカーが何か情報を発信するときは、正式な取材記事や、会社のオフィシャルホームページなど、検閲が済んだ状態で出されていたからだ。 検閲が済んだものであれば、社員に何かあったときに会社が守ることができる。 今では気軽に情報を発信できる反面、会社や組織が守り切れない危険性もはらんでいるため、顔を出さない、名前を出さない、現在地を明かさない、などは身を守る手段として最低限必要なことになってしまったのだと思う。 私はいわゆる「SNS以前」から顔出し本名で仕事をしていたので、気付いたときにはもはや隠しようがなかった。 とくに隠すつもりも消したいこともないし、この名前とこの顔で仕事をする意味を、後付けでもいいから作っていきたいとすら思っている。 だが、こういう仕事の仕方は、世間からしたら異常なのかもしれない。 自分の名前も顔も明かして、性欲がどうとか、風俗がどうとか、赤裸々な話をしている人間は、「体を張っている」とか「何もかもさらけ出している」という印象を与えてしまっているようだ。 だからこそ、私のことを信頼して、自分の秘密を話してくれたりする人が現れる。 前述の男性は、自身のプライベートのことをたくさん話してくれた。 私がどこかでその秘密を話してしまったらどうするのだろう?(しないけど) そんなに簡単に私のことを信頼してしまって、大丈夫なのだろうか? 私ですら自分のことが信用ならないのに、そんな私に弱みを見せてくれたその男性のことを心配した。 こういったケースはこの日が初めてではなく、これまで何度も経験していた。 たとえば「不倫をしている」ということを教えてくれた子、SMに興味があるという子、夜の仕事をしているという子。 誰にも言えない世界を持っている人だからこそ、本当は誰かに理解してもらいたい気持ちがあるのだと思う。 だから、性的なことなど世間的には「誰にも言えない」ことをさらしている私を見て、同じく「誰にも言えない」ことを言ってもいいような勘違いをしてしまっているのではないだろうか。 私はそれを、「実は私も症候群」と呼んでいる。 秘密を共有されるのはつらい。 単純に、「言ってはいけないこと」「知らないふりをしなければいけないこと」が増えるからだ。 嘘をつくのが苦手な私にとっては、なかなか負担が大きいことだ。 それだけでない。 秘密を打ち明けてくれた誰かの気持ちに共感したり傷付いたり。 比較的感受性が強い私にとっては、感情がジェットコースターのように揺り動かされるから、心が疲れてしまう。 知りたくないつらい出来事を打ち明けられたときなどは、悲しくなってしまう。 「実は私も症候群」の餌食になることは不幸だ。 背負うものが増え、誰かの秘密を守らなければいけないし、一緒に乗り越えていかねばならない。 一方で、普通に生きているだけでは感じることができなかった、「実は私も…」を共有できるのは、こうして名前と顔を出して発信しているからこその醍醐味だ。 こうして文章で情けない生き方をさらしていることで、誰かの秘密に触れて心を通わせることができるのならば。 それは私の人生の中で煩わしくもあり、その反面、一番幸せな瞬間なのかもしれない。 (田口桃子)

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