二階堂ふみ × 長谷川博己
終戦70周年記念作品『この国の空』

戦争が日常を覆う東京で、刹那的な恋に落ちる男と女。その切なくも官能的な命の輝きに圧倒される、荒井晴彦監督渾身の一本。「戦争を描くならこういう作品を演じたい」。二階堂ふみと長谷川博己という、いま最も注目したい俳優2人が本作に寄せる思いとは。
信頼しあう2人が演じる“すれ違う男と女”

 1945年、東京。先の見えない戦時下の日常で生きる19歳の里子。このまま愛も知らず空襲で死ぬのか。隣家に住む市毛を意識したとき、里子の中で“女”が目覚めていく…。

『ヴァイブレータ』『共喰い』など数々の作品で、男と女のえぐ味とロマンチシズムを見事に表現した脚本家・荒井晴彦が18年ぶりに監督に挑んだ渾身の一作。芥川賞作家・高井有一による谷崎潤一郎賞受賞作を原作に、戦時下の“日常”を見つめながら、葛藤の中ですがり合う男女の姿を描く。

 主人公・里子には『私の男』『渇き』で海外でも評価され、今後は室生犀星原作『蜜のあはれ』(石井岳龍監督)が控えているなど、いま最も活躍が期待される女優の一人、二階堂ふみ。妻子がありながら里子を求めてしまう男・市毛役に『ラブ&ピース』『進撃の巨人』前篇後篇、劇場版『MOZU』など話題作への出演が続く長谷川博己。『地獄でなぜ悪い』でも共演し、俳優として互いに信頼し合う2人。

二階堂ふみ(以下:二階堂)「普段もすごく仲がいい…ですよね?」

長谷川博己(以下:長谷川)「そんな確認しなくても(笑)。二階堂さんとは年が18歳も違うんですけど、一緒にいてもあまりそれを意識することがないんですよね。いろんなこと知ってるし、映画も好きですごくたくさん見ているからお互いに話もできるし」

二階堂「『地獄でなぜ悪い』を撮っていた最初のころ、私も長谷川さんが18歳も離れているとは思っていなかったんです。ちょうど撮影時に18歳の誕生日を迎えたんですけど、18になったら自動車免許を取りたいな、というような話を長谷川さんにしていたんですよね。そうしたら“僕が免許を取ったのが17年前くらいだった”って。それを聞いてすごくびっくりしました。あ、そんなに年上だったんですね…って(笑)」

長谷川「意外とオジサンだった、と(笑)」

二階堂「長谷川さんは人の話をきちんと聞いてくださるので、親しみやすいというか(笑)。私のような後輩に対してもフラットな目線をお持ちな方だな、ということは撮影現場でも感じていました。撮影現場では、年齢とか役割に関係なく一丸となって作品作りをするんだ、という姿勢を教えていただいたと思います」

長谷川「いろいろな世代の人と話すのって面白いですよね。二階堂さん世代の人の目線とか、若い感性を知りたいというのもありますし、現場ではなるべく先輩後輩の壁を作らないようにはしています。とくに二階堂さんとコミュニケーションをとろうとしてたような気がします(笑)」

二階堂「仲良くしていただいて、ありがとうございます(笑)。『地獄〜』でヴェネツィア映画祭に行ってから、一気に距離が縮まりましたよね」

長谷川「現地の雰囲気を知りたいといって、数人で街に出かけたんですよね。二階堂さんはヴェネツィアで賞もとっていて知っている人もいるから、僕は変な輩が近づかないように警戒していました(笑)」

 俳優として互いに信頼を置く2人。実は今回の共演は、その信頼が実現させたものでもあった。今回の難役を見事に体現したのは、それぞれの力に加え、互いへの信頼感も大きかったのかもしれない。

二階堂「でも今回、役どころの上では決して気持ちが通じ合っている役ではないんです。里子は、このまま愛も知らずに空襲で死ぬのかという思いを抱えていて、すぐそばにいた男性が市毛だった。市毛も、里子を求めるけれど、戦争が終われば疎開している妻子が戻ってくる。そういう2人なんです。それもあって、今回は撮影現場でも少し距離を置いたりしていました」

長谷川「現場で、演技や役について2人で話すこともほとんど無かったですね。撮影の合間は、世間話ばっかりしていましたし(笑)。役のことでの相談はそれぞれ荒井監督と話し合って、2人のシーンを撮るときにそれをぶつけ合う感じでした」

二階堂「それが、互いに探り合うような里子と市毛の関係に、うまく作用していたような気がしますね」

長谷川「やっぱり、二階堂さんは集中力がすごいんですよね。カメラが回ると、その瞬間に里子になる。しかも、その場で思いついたようなことをするんですよね。アドリブというか。その感性は本当に素晴らしいなと、改めて思いました」

二階堂「私は、長谷川さんがどんなふうに市毛を演じるのか最初からすごく興味があったんです。里子は、感情を言葉や理屈でとらえるタイプではなく、人間の欲するものを思いのままに求めていくという能動的な役どころ。市毛はその対極にある人物で、言葉や理屈で感情を説明づけようとする。だから長谷川さんは言葉を連ねるシーンも多かったし、セリフも舞台並みに長かったりして。これをどう演じるんだろうって思っていたんですけど、長谷川さんは、理屈っぽいセリフのなかで、市毛という男の弱さやおかしさを見事に出していて、さすがだなと。でも悲しいことに、里子にとっては市毛の人間性なんて関係ないんですよね(笑)。そんな2人のやりとりが面白くもあり、辛くもありました。2人の仲は最初からかみ合っていなくて、でも人間として互いに欲し合う。同じ方向を向くことも同じものを見ることもないというのは、辛いなと思いました」

長谷川「市毛って、けっこう残酷な男ですからね。残酷に突き放すようなところがあるというか。言っている言葉と違って、思っていることは残酷だな、と。僕も撮影現場では、二階堂さんが演じる里子を見ながら、なんとなくやるせない気持ちになっていたのを覚えていますね」

二階堂「でも結局は里子も市毛も、戦争の犠牲者なんですよね」
1945年。東京の空の下の“日常”を思う

 戦場や兵士を主体に描く戦争映画が多いなか、本作は“戦争のある日常”を丁寧に綴っている。2人の演技も、成瀬巳喜男や小津安二郎ら、昭和の名監督たちの作品をほうふつとさせる。

長谷川「それこそ、昭和50〜60年代の日本映画の雰囲気がある作品だと思います。戦争映画ではあるけれど、少し違った視点からの戦争映画になっている。私小説的というか、2つの家庭の日常を描きながら、その奥に戦争とは、生きるとは、というスケールの大きいテーマが見えてくる。こういう映画がもっと作られればいいのに、と思います。戦場を舞台にする作品に比べれば予算も少ないはずですしね。原点に戻るというか、規模は小さくても良い作品が、本作のような映画をきっかけにどんどん増えればいいな、と思います」

二階堂「中学生のときに茨木のり子さんの『わたしが一番きれいだったとき』に出会ったんですが、戦争を題材とした作品に出演させて頂けるなら、この詩のような思いが描かれている作品をやりたいと、ずっと思っていました。今回、お話を頂いて脚本を読んだとき、すぐこの詩を思い浮かべましたね。本作は、戦闘シーンはなくても、確かに戦争のなかで生きた人たちを描いた作品になっていると思います。生きるということは、食べること、眠ること、何かを欲すること。そういうことが象徴的に描かれていると思います」

 配給のイモ、着物と交換したコメ、庭でとれたトマト、とっておきの缶詰…“食べる”姿が丁寧に織り込まれているからこそ、里子をはじめとする登場人物たちが“生きる”ことに懸命にならなければならない、戦争という現実が浮かび上がってくる。

二階堂「そういう日々の暮らしも描いていることで、この映画は他の多くの戦争映画よりも、どこか遠くの国のことではなく自分たちのこととして、戦争を考えるきっかけを与えてくれるんじゃないかと思います。里子と私は世代的にほとんど同じ。戦争が日常である里子の思いを、本当に理解できるわけではないとは思いますが、それでも、そんな日常を懸命に生きようとする里子の強さを表現できれば、と思っていました」

長谷川「妻子ある市毛が、若い里子を求めたのも、結局は“生きたい”という思いの表れなんですよね。敗戦が濃厚になり、もしかしたら玉砕するかもしれない。そんなときに、里子の若い命の輝きを目にして、すがりつくような思いだったのかもしれません」

二階堂「そういう日々の暮らしも描いていることで、この映画は他の多くの戦争映画よりも、どこか遠くの国のことではなく自分たちのこととして、戦争を考えるきっかけを与えてくれるんじゃないかと思います」

 先日行われた同作の完成披露試写会でも、長谷川は「ふみちゃんはすっかり大人っぽくなっていて、成長の過程を見られた喜びを感じるというか、いろいろと勉強になりました」とコメントし、一方の二階堂も「私にとっては仲のいいお兄ちゃん。演技をたくさん引き出していただいた」と語っていた2人。年齢や立場を超え、すがり合うように結びつく男女の心情を、細やかにリアルに演じることができたのも、彼らが年齢や経験を超え俳優として信頼し合うことができていたからなのかもしれない。あのとき確かに、この国の空の下で人々は戦争を生きていた。「戦争が終わってバンザイじゃない娘を描くことで、この国の戦後を問えるのではないかと思った」と荒井監督は語る。ラスト、二階堂による『わたしが一番きれいだったとき』の朗読が、70年という時間の隔たりを超え、里子と現代に生きる我々をつなぐ。
(本紙・秋吉布由子)
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『この国の空』

STORY:1945年、終戦間近の東京。母と杉並の住宅地に暮らす19歳の里子は、空襲に怯え、食べ物の調達に苦労しながらも健気に生活している。隣りに住むのは妻子を疎開させた銀行支店長・市毛。日に日に戦況が悪化していくなか、結婚もせずに死ぬのかという不安を抱える里子。いつしか市毛の世話に喜びを感じていく里子の中で“女”が目覚めていくのだが…。閉塞感と死の恐怖、不安に押しつぶされそうになる日々の中、若い女と妻子ある男が互いに求め合っていく姿を描く、人間ドラマ。里子が朗読する、戦後を代表する女流詩人・茨木のり子の詩『わたしが一番きれいだったとき』が、現代人の心に深い余韻を残す。

監督:荒井晴彦 出演:二階堂ふみ、長谷川博己、富田靖子他/2時間10分/ファントム・フィルム、KATSU-do配給/8月8日よりテアトル新宿他にて公開 http://kuni-sora.com/http://kuni-sora.com/